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2020
04.28

思いは家庭に始まる

滅多にないことだが司は時間が出来た。
だから古いアルバムを開き過去に撮った写真を見ていたが、その中の一枚に目を止めた。
それは背の低い女が台の上に立ち、背の高い男を見下ろしている姿。
とはいえ、二人の高さの違いはあまりない。それは、女が立っている台に高さがないからだが、どうやらその様子から女は男よりも背が高くなったことを自慢している様子が見て取れた。そして女は男の髪に手をやり、男はそんな女を見上げているが、いつ撮られたものか日付を確認した。すると写真の片隅に小さな文字で記されている日付は25年前だ。


写真を見ると幸せな気持になれることを知ったのは、結婚して家族が増えてから。
何故ならそこには幸せな風景が切り取られているからだが、そんな中でも男が特に好きなのは被写体がカメラを意識していない姿。
つまりレンズを見つめるのではなく、何かをしているところをこっそり写した姿。
そこに写し出されているのは見せるつもりのないふとした表情。それを捉えたものが好きだ。
だが何故そんな写真が好きなのか。
それは、男の仕事に理由があった。男の仕事は世界的な企業の最高経営責任者。
だから男の周りにいる人間が見せるのは緊張した顏。
誰もが男の前では首を垂れるが、上げた顔に笑みはなく、稀にあったとしても、それは心からの笑みではなく媚びへつらいの笑み。そんな笑みは幼い頃から見て来たから、彼らが頭の中で何を考えているかすぐに分かる。
だからこそ男は心からの笑みが見たいと思う。
それに、いくらビジネスに厳しい男でも現実社会では心が疲れることがある。辛い顏や苦しい顏を見たくないと思うのは、人間だれでも同じはずだ。
だから、笑顏が沢山収まったアルバムを見るのが好きだ。それに、笑みを浮かべた顔は心を和ましてくれる。

それに日記をつける習慣がない男にとって写真は日記のようなもの。
写真を見ればその日が甦る。時が戻る。あの頃こんなことがあったと過去を振り返ることが出来るが特にこれはそうだ。

25年前に撮られた写真。
それはふたりが結婚したばかりの頃だが、あの頃、写真といえばフィルムカメラで撮るものであり、今のようにデジタルカメラは一般的ではなく、携帯電話も写真を撮る機能は無かった。
つまり、撮った写真をその場で確認することは出来ず、フィルムを現像して初めてどんな写真が撮れているかが分かる。だから撮られた人間は、自分がどんな表情で写っているか写真が現像されるまで知ることはない。
そして表情が気に入らないからといって取り直すことが出来ない。それは、まさに切り取られた一瞬の時。つまりポートレート的なものではない本当の姿がそこに写し出されているからこそ、その姿が愛おしい。

そして写真の女があのとき行おうとしていたのは、キッチンの高い場所にある戸棚に収められている鍋を取り出すこと。その鍋は嫁に行く娘に母親が持たせた嫁入り道具のひとつ。母親から、『これ。亡くなったお祖母ちゃんが昔くれたものなんだけど一度も使ってないからね』と渡されたらしいが、女はその鍋が広いキッチンのどこかにあると言って探しているところだ。
その時、カメラを手にしていた友人が言った。

「牧野。お前が司よりも背が高くなることはない。だからそこから見える景色を楽しんどけ。それに司を見下ろすことが出来る女はお前だけだからな」

司の前にひれ伏す人間は大勢いても、彼の上に立つ人間はいない。
友人はそう言って笑ったが、実際にその通りで司の上に立つ人間はいない。
だがひとりだけいる。それが司と結婚した女だ。
司がビジネスに力を入れることが出来たのは、家庭を守ってくれる女がいたから。
子供たちの父親が遠い国へ出かけて帰らなくても、その寂しさを紛らわせることをしてくれたのも彼女だ。だから司は彼女には感謝していた。
そんな女が戸棚から取り出した鍋の使い道は___









「司?ねえ司?どこにいるの?」

司は妻の呼ぶ声に「ここだ!」と大きな声を上げた。
すると部屋に入って来た妻が「ねえ。お鍋、取るの手伝ってくれない?」と言ったが、今はあの頃と違い鍋を探して回ることはない。それは、あの鍋が収められる場所があの場所と決まっているから。
そして、これだけは自分でするからと言って使用人の手を借りることのない妻は、まるで儀式のように鍋を取るのも夫に頼むが、その鍋が使われるのは年に一度だけ。それは若葉の芽吹く春。

「そろそろその季節か?」

「そうよ。今年も元気に育ってるから沢山作るからね!」

と嬉しそうに言ったが、育っているという言葉は正しくない。
何しろ本来ならそれは雑草であり、庭師によって駆除されてもおかしくはない草。
それを庭の一画に残すことになったのは妻が嫁いできてからで、あの時交わした会話は今でも思い出すことが出来る。









「沢山育ってるって言うが、あれは勝手に生えてる雑草だ」

「あのねえ。雑草だって言うけど、あの草はおひたしや天ぷらにして食べることも出来るし、煎じて飲むことも出来るし、昔から口にされてる草なの。あの苦みが身体にいいのよ?それにフランスじゃリキュールにするくらいなんだから、まさにヨモギは日本のハーブよ!」

司は、そう言った妻に連れられ広い庭の片隅に出向き、一緒にしゃがみ込んでヨモギを取るのを手伝ったが、あのとき司の後ろ姿を見た庭師は、「司様が草むしりをなさっている!」と驚いた。

そしてむしった草。いやヨモギの葉で作られたのは草餅。
司は妻と結婚するまで草で作られた餅など訊いたことも無ければ食べたこともなかった。
だが、妻が口にした通り淡い緑色をしたアブサンというフランスのリキュールは、ニガヨモギの葉から作られていた。

「あのね、これは毎年春になると田舎のお祖母ちゃんがよく作ってくれたの。お祖母ちゃんが庭からヨモギを取ってきてキレイに洗って、茹でて、それからすり潰して、炊いたもち米に混ぜて緑色のお餅を作ってくれたの。もちろん私も手伝ったわよ?それでね。その中にあんこが入っててね。本当に美味しかった」

いつもは高い場所に仕舞われているその鍋の使い道はヨモギの葉を茹でるためで、それは言うなれば妻にとって祖母との思い出の行事。
そして司は妻が作ったヨモギで作られた緑色の餅を食べたが、アルコール度数が高く、特殊な味と香りを持つアブサンを想像していた男にとっての草餅は、緑色の見た目とは違い胸につかえるほど甘かった。










「おまたせ!出来たわよ!」

と言ってアルバムを捲っていた夫のところに運ばれて来た草餅は、一枚の写真から思い出されたあの日の餅と同じだ。
それにしても、甘いものが苦手な司がひとつ食べるのがやっとだと言うのに、妻は美味そうに次から次へと手を伸ばす。
だがそれは、いつもの光景であり、その変わらない光景が大切だと思えた。

「わあ。懐かしい写真!これいつの写真?」

「25年前だ」

「25年前?どうりで司も私も若いはずよね?」

草餅を食べる妻はそう言って笑った。












家にいる時間が増えたら出来る範囲のことをして過ごす。
だから過去に撮った写真を見返してみるのもいいかもしれない。
もしかすると、その時は感じなかった何かを見付けることが出来るかもしれない。
それに今は昔と違い、写真は小さな機械の中に保存されているが、それを整理してアルバムに貼り、形として残すことで大切な人とも思い出を共有することが出来る。

それに人は年を重ねると自分の過去を素直に受け入れることが出来るようになる。
だから写真を通して過去の自分を知ることも面白いはずだ。
そう思う男は遠い昔。まだ自分が幼かった頃の写真を見て生意気な子供だと思った。
それは姉と一緒に写った一枚。
姉の隣に立つ子供はタキシード姿で中指を立て、舌を出し、鋭い視線でこちらを見据えている。
やがてその子供は手のつけられない少年になった。
人の心なんぞ金で買える。そう思う少年の周りには媚びへつらう者ばかりがいて、誰もが少年の機嫌を窺っていた。すれ違った相手が気に入らなければ殴った。殴って倒れた相手の腹を生意気だと蹴りつけ瀕死の重傷を負わせた。

そしてあの頃少年はいつも思っていた。
いつ死んでもいい。人生なんぞクソくらえだ、と。
だがそんな少年も一人の女性と知り合い恋をして変わった。
その人の存在が愛おしかった。だがその人は少年の方を振り向いてはくれなかった。けれど少年は懸命に思いを伝え自分を変えた。やがて時を経てその女性と結婚して家庭を持った。子供が生まれ幸せを感じた。

だから中指を立てている子供に言った。
お前は暫くバカをやった後で運命の女性に出会う。それまでは生きてろよ。命を粗末にするな。それから刺されても死ぬな。絶対にその女性のことを忘れるな。忘れたとしたら何がなんでも思い出せ。思い出せなかったらお前の人生に賑やかな笑いはないぞ。
そんなことを思った男は別のアルバムに手を伸ばし開いた。すると男の頬は自然に緩んでいた。それは生意気な態度の自分と同じ年頃の子供が満面の笑顔でこちらを見ていたからだ。
その子はあの頃の自分のように人を見下した態度を取らなかった。
自由闊達な育て方をされた子供はその言葉通り心が広い。大らかだ。それは正に妻の性格を受け継いでいた。


写真には物語がある。
それは撮影した人間にしか分からないことだが、こうして時間が持てた今。自分だけが知っている物語のページを読み返してみるのも悪くない。
そうだ。あの頃の生意気だった自分に会うのも悪くない。
だがクソ生意気なクルクル頭の子供は司に会って何と言うだろうか。
多分こう言うはずだ。
『おっさん。俺と同じ髪型してんじゃねえよ!生意気なんだよ!』
司は笑みを浮かべ、妻が作った草餅に手を伸ばしていた。





< 完 > *思いは家庭に始まる*
ステイホームをしている皆様。そうした中で少しでもこちらのお話を楽しんでいただければ幸いです。アカシアもステイホームを心掛けています。
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