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2020
04.06

愛を胸に抱きしめて~続・春を往け~

「ねえ。梓に彼氏が出来たみたい」

「…..今、なんて言った?」

どんなに仕事が忙しくて遅くなっても会食がある以外は家で食事を取ると決めている男は、食後のコーヒーを飲みながら訊かされた妻の言葉に眉をひそめた。

「ん?だから梓に彼氏が出来たって言ったわ」

「つくし。梓ってのは、うちの梓のことか?」

「そうよ。あたしと司の間に生まれた娘のことよ?あたしたちの娘も年頃よ?恋をする年齢になったの」

それは聞き間違いでなければ司のひとり娘に男が出来たということ。
1年前に英徳の高等部を卒業し大学生になった息子には付き合っている女性がいるが、卒業式当日に妻から言われたのは、息子に好きな女の子が出来たということ。
そして、母親の勘からして想いは伝えてないだろうということ。
だが卒業式を終えた息子が帰宅したとき、制服のネクタイがなければ、それは好きな子から思い出の品としてネクタイが欲しいと言われ手渡したということ。
それが意味するのは共に思いは同じだということ。
つまり相思相愛ということになるが、あの日。息子はネクタイをしていなかった。そしてプロムに出掛けたが、会場まで息子を送った車の運転手は途中花屋に寄ったと言った。

司はあのとき息子が意中の女性の心を掴んだことを知った。
それは大学生になった息子に恋人が出来たことを意味するが、息子の母親は我が子に恋人が出来たことを喜んだ。

「ねえ。司。彼女ってどんな女の子なのかしらね?それに巧は私たちに紹介してくれるのかしらね?それとも恥ずかしくて紹介してくれないのかしら?でも相手のご両親にはちゃんとご挨拶しているわよね?だってよそ様のお嬢様とお付き合いするんですもの。ちゃんとご挨拶しないとご両親も心配するわよね?あ、もしかするとご両親は巧と付き合うことを許して下さらなかったのかしら。そうなるとちょっと辛いわよね。でもまさかあたしと司の時のように派手な妨害をされることはないわよね?」

と言って妻は笑ったが、あのとき司は妻の言葉を鼻で笑った。
それは、どこの親が道明寺財閥の後継者と付き合うことを反対するかということだが、今は息子のことはどうでもいい。
それに息子の交際は順調だという話は妻から訊いていた。

それよりも今、問題にしなければならないのは、ひとり娘の梓に彼氏が出来たこと。
それにしても17歳の娘に彼氏が出来たことに気付かなかった。
それは司が男親だからなのか。
だが確かに司は娘が普段どんな風に過ごしているか詳しくは知らない。
それに娘が髪型や服装にこだわりを見せるようになっているとしても、やはりそれは男親だから正直気付かなかったし分からなかった。
だから妻の話を訊きながらムッとしていたが、そんなしかめっ面をした夫に、

「ねえ、司。梓の彼氏ってどんな男の子なのかしらね?同級生からしら。それとも年上からしら?もしかして年下?でもあの子は年下って感じじゃないから同級生か年上だと思うわ。
でもまだ付き合い始めたばかりみたいだから、そのうち紹介してくれると思うんだけど、楽しみよね?」と嬉しそうに言ったが何が楽しみなものか。

だが司は当時16歳の妻に恋をした。
荒んだ目をして、荒んだ毎日を送っていた男の前に現れた少女。
はじめは生意気で、どうってことのないただの平凡な女だと思った。
いや、それ以下だと思った。
だがそんな女に気持が高まった。彼女の顏を見ると胸の鼓動が高まり落ち着かなくなった。
そして心の芯を絡め取られ、彼女の大きな黒い瞳に自分の姿だけを映して欲しいと思うようになった。彼女に会いたい、傍にいたいという思いを抑えきれなくなると彼女を追いかけたが、友人達はそのことを相当な圧をかけて彼女に交際を迫ったと言った。
だがそんな男は彼女の両親に対して早い段階で自分の思いを伝えた。
だから、妻が言った息子は付き合う相手の両親に挨拶をすべきだという言葉が正しいなら、娘の彼氏は司に挨拶をしに来なければならないということになるが、その男はまだ司の前に現れない。

男親にとっての娘とは娘であって娘ではない存在。
それは妻とも違う。だからと言って恋人ではない。
それならなんなのかと問われれば、それはまさに目の中に入れても痛くない存在であり、自分の血を分け与えた分身であり、自分のDNAを受け継ぐこの世界の中でただひとりの娘。
形容しようにもしようが無いかけがえのない存在。だからそんな大切な娘の彼氏という男がどんな男なのか気にならないはずがない。
そう思う夫の気持を察した妻は、

「ちょっと、司。まさかとは思うけど、その男の子のことを調べたりしないでしょうね?
分からないなら言うけど、そんなことをしたら梓に嫌われるからね?
それに心配しなくても大丈夫。そのうち紹介してくれるはずよ?だからそれまで待つの。いい?知らんぷりするの」

そう言われたが、司は父親という立場から譲れないものがあった。
というよりも譲りたくないものがある。
古い人間だと言われてもいい。それに司は昭和生まれだ。だから古くて結構。
そんな男が譲れないもの。それは娘には本当に好きな人と初めてを迎えて欲しいということ。つまり無駄な通過儀礼など必要ないということ。傷付いて欲しくないということ。

司はモテる男だった。
少年時代から彼の周りには大勢の女が自分を見て欲しいと秋波を送っていた。
だがあの頃の司は、女は薄汚い生き物で触れたいと思う存在ではなかった。
だから初めての相手は妻で、それは妻も同じ。
そして二人が初めての夜を迎えるまで相当な時間要したが、奥手といわれた女のことを思った司は、いくらでも待つと言った。そして実際に待った。相手の気持をどこまでも尊重した。
だからこそ、娘の彼氏もそういった男でいて欲しいと思った。いや、思うではない、そういった男であって欲しいと願っている。だから相手がどんな男が知りたいと思うのが男親だ。
それになにより娘はまだ17歳。つまり未成年であり親の保護下にある。
だから親が守ってやらなくてどうするというのだ。
それにしても放熱した「あの時」は、人生で一、二を争うほど幸せな瞬間だったが___

「司?いい?今は梓のことはそっとしておくのよ?まだ恋は始まったばかりで微妙な時期なんだからね?親が口を出して別れちゃったりしたらあの子から口を利いてもらえなくなるわよ?」












司は風呂に浸かりながら考えた。
妻からはそっとしておけと言われたが、司にすれば娘が交際を始めた男が誰であるかを調べることなど造作無い。
だが娘が口を利いてくれなくなることは怖い。まだ娘がベビーベッドの中にいた頃、帰宅した司の顏を見上げて見てニッコリ笑う様子は、まさに天使の微笑みで、絶対にこの子と離れるものかと思った。嫁になどやるものかと思った。だがそうはいかないことは分かっている。
そんな司に同調したのは司と同じように娘を持つあきらで、「娘を持つ男親の気持ってのは複雑だからな」と言った。

それにしても、気になるのは相手の男は本当に梓のことが好きなのかということ。
つまり相手の男が梓と交際を始めたのは、道明寺という名前に惹かれているからではないかということだが、梓の父親がどんな男か知っていれば軽率な行動はとらないはずだ。

道明寺ホールディングスと言えば日本経済をけん引する企業を幾つも所有するコングロマリットだ。つまり男の態度次第では、どんな圧力がかかるか分かったものじゃない。
だがそれをすれば、かつて自分の母親が妻の家族や周囲に対して行ったことと同じ。
もっとも、司はかつて自分たちが経験したようなことをするつもりはない、
だが、仮にそんなことをしたとして、相手の男が簡単に梓を諦めるようなら、そんな男は娘には相応しくない。娘をそんな根性無しの男と付き合わせるわけにはいかない。
そうだ。司は妻と交際をすることを決めたとき、全てを捨てるつもりでいた。
そして何があっても彼女を守ると決めると、そのために前を向いたが、今思えば必死だった。
だが若さに必死は付随するものであり、この年になれば若いとき必死にならなくてどうするという思いがある。
だから相手の男が本当に娘のことが好きなら、どんな困難が前にあろうと立ち向かう男であることが望ましい。
そんなことを思いながら風呂から上がった。







数日後の夜。
司は自宅で家族と食事を済ませ執務室で仕事をしていたが、扉をノックする音に読んでいた書類から顏を上げ「入れ」と答えたが、開かれた扉の向こうから顏を覗かせたのは娘の梓だ。

「パパ。今いい?話したいことがあるの」

司には3人の子供がいる。上ふたりの男の子は司のことを父さんと呼び、末の娘はパパと呼ぶがその声は、どこか緊張していた。
そして司は話したいことがある。その言葉に妻が言った彼氏のことだと思い、「ああ。いいぞ」と答えたが、そこにあるのは妙な緊張感。
だがその緊張感を見せる訳にはいかなかった。だから平常心で娘が話し始めるのを待った。

「あのねパパ。私、付き合い始めた人がいるの。それでね。彼がパパとママに挨拶したいって言うから……それでそのことをママに言ったら直接パパにも話しなさいって言われたの。だから今度ママと一緒にその人に会って欲しいの」

来た。
ついに来た。
娘から彼氏に会って欲しいと言われる日が。
そして心配していた相手の男についてだが、交際相手の両親に挨拶をしたいと望むということは、どうやらまともな男のようだ。だから受けて立つつもりだ。

「そうか」

「うん」

「それでいつだ?」

「え?」

「だからいつ会って欲しいんだ?」

「うん。自分は学生だからいつでも大丈夫だって。だからパパの都合のいい日でいいからって言ってるの」

娘はそこまで言うと少し間をおいて、「だからパパ。都合のいい日が決まったら教え欲しいの」と言葉を継ぐと部屋を後にした。






娘の彼氏に会う。
まさか自分にそんな日が来ようとは。
だがそれは娘が生まれた瞬間から分かっていたはずだ。
そして司が親になって初めて知った親が子を思う気持。
例えばよく言われることだが、親は我が子が罪を犯せばその罪を庇う。
子の代わりに罪を被ろうとまでする。どんなことをしても我が子を守ろうとするそれは血を分けた我が子に対する無償の愛というもの。
司が少年だった頃、親は司の素行の悪さを金で揉み消し解決したが、そのことを何とも思わなかった。そしてそんな親を親と考えたことはなく冷やかに見ていた。
親のすることは、なんでもムカついて腹が立った。
だからそんな態度を取り続けた自分の子供は、いずれあの頃の自分と同じように親となった自分を見るのではないかという思いがあった。
だがそれは違う。妻のおかげでそうなることはなかった。

妻は大きな愛で子供たちを育てた。それは水鳥が羽毛の暖かさで雛たちを育てるように、子供たちを自分の胸にしっかりと抱き込み、暖かさと守られているという愛を与え続けることをした。
そして司は、水鳥が安全に暮らせるように大空の上で大きな翼を広げ守った。
だから子供たちは自分が愛されていることを知っていて、あの頃の司のようにはならなかった。
だが子育ては数学のようにひとつの答えに行き着くものではない。突然泣き出したり駆け出したりして思い通りに行かないのか子育てだ。

だが、つがいの鳥は間もなく子育てを終える。
そして、春に道端で見られるタンポポの綿毛に息を吹きかければ、ふわふわと空へと舞い上がるように、子供たちはいずれ親の元を離れ大きな空へと飛び立つが、春に舞い上がる綿毛はどこを目指して飛んで行くのか。
子供たちがまだ小さかった頃、庭の片隅に生えていたタンポポの綿毛を吹いて飛ばして遊んだのはつい最近のことのように思えたが、そんなタンポポの花言葉のひとつが「別離」だと知ったのは、つい最近のこと。
あのとき妻は司に言った。

「タンポポはアスファルトの割れ目からでも芽を生やすことが出来る強い雑草よ。どんなに厳しい環境でも育つことが出来るのよ?だからこの綿毛もどんなに酷い環境に飛ばされても力強い根を張って育つわよ?」

かつて自分のことを雑草だと言った妻。
あのとき妻は、自分の子供たちを綿毛のように遠い地に飛ばすことも厭わないと言った。
その言葉には、子供たちに自分の人生を自由に生きて欲しいという思いが込められていた。
そして司もそのつもりだった。だから子供たちが選ぶ人生を否定することはしないつもりだ。

それにしても、男の子と女の子ではこうも違うのか。
それは男の子の場合は同性ということもありサバサバと接することが出来る。
だが女の子の場合そうはいかない。異性ということもあり親子なのに意外と気を遣う。
けれど、司は娘を信頼している。
それに我が娘は司が思っている以上にしっかりしている。
だから、そんな娘が選んだ彼氏という立場を勝ち得た男はどんな男なのか。
会うのが楽しみだった。




< 完 > *愛を胸に抱きしめて~続・春を往け~*
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