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2020
01.31

ロマンスグレーにはまだ早い

衝立の向こうから男女が話している声が聞こえたが、それは険悪な雰囲気だった。

「あなたはお坊ちゃま育ちだからお金やモノの価値が分からないのよ」

そう言った女性の声は尖っていた。

「ああ、そうだ。俺はお坊ちゃま育ちだ。それを否定するつもりはないがそれが悪いか?」

答えた男性の声も同じように尖っていて、顏は見えなかったが明らかにムッとした様子だったが、そこから先の会話がどうなるのか興味があった。
だからその場で立ち止まって彼らの会話を訊くことにした。

「別に悪いだなんて言ってないでしょ?ただ私は普段からあなたがモノを大切にしないから、もう少しモノを大切にしたらって言ってるだけよ」

「大切にしたらって言うが俺が金を払うんだ。金を払ったモノをどう使おうと俺の勝手だ」

「勝手って….そんな言い方ないでしょ?」

女性の声は憤慨していてそこで一旦途切れた。
そしてふたりの間に沈黙が流れ、そのまま会話は終わるかと思われたが女性が口を開いた。

「それより今話しているのはモノについてじゃないわ。あなたは食べもしないのにこんなに注文してどうするつもりだったの?世界は食品ロスを問題にしてるっていうのに、あなたは料理を残すことに罪悪感を持たないの?」

「注文した時は食べれると思ったんだ!」

「ええ。そうようね?食べれると思ったから注文したのよね?でもここには私たちふたりだけで子供たちはいないのよ?それなのにテーブルいっぱいに料理が並んで食べれるわけないでしょ?どうするのよ。この料理」

「どうするって……どうもしようもないだろ?それについ……あれだ。あの子たちは、ここに来たときは沢山食べただろ?だからここに来ると沢山頼むことが習慣になってたんだ」

そう答えた男性の声のトーンは少し前までの口調とは違ってしんみりとしていた。
そしてそれに答えた女性の声は呆れたように変わったが、それは長い時を一緒に過ごしてきたであろう落ち着いた口調だ。

「本当にもう….あなたは。仕方ないわね。持ち帰ることが出来るかどうか聞いてみるわ。中華料理だからなんとかなるはずよ」











司はメープルのチャイニーズレストランの個室から電話に出るため外へ出たが、それは会食が終る少し前のことだった。
電話が終って部屋に戻る途中で衝立越しに男女が言い争う声を耳にしたが、そうなったのは男性が料理を頼み過ぎたから。
そしてその男女が夫婦であると分かったのは、ここには私たちふたりだけで子供たちはいないのよと女性が言ったからだ。
そんな夫婦の子供たちはテーブルいっぱいに並べられていた料理を残すことなく綺麗に食べていた。

司は思った。北京ダックは持って帰ろう。
そうすれば食べ物を粗末にしない妻に褒められるはずだ。
何しろアヒルは食べられることは無くなったが、炉の中で焼かれている最中なのだから。
それに世間の声に耳を傾けることも企業経営者の務めだと考えている。
だから部屋の前で司のために扉を開けた支配人に言った。

「悪いが北京ダッグは持ち帰りにしてくれ」









アルマーニのスーツがこれほど似合う男はいない。
それはギリシャ彫刻のような身体を持ち、端正な顔立ちの男がいつも言われること。
そんな男が北京ダッグを包んだ箱を抱えて歩く姿を想像して欲しい。
だが建物から出た男の前にはピカピカに磨き上げられた黒い車が止められていて、箱を受け取った男がその姿を誰かに見られることはなかった。
そして車は司を乗せると自宅へと向かった。



司がメープルのチャイニーズレストランにいたのは、古くから付き合いのある会社の会長がここで食事をしようと言ったからだ。
その男性は80代だが見た目から60代と言われても不思議はなかった。
男性は司が手の付けられなかった北京ダッグを持ち帰ると言うと、「すまないね。せっかく焼いてもらっていのに、私はもうお腹が一杯で食べれそうにないんだよ」と言って笑った。
「だが道明寺社長。あなたはまだ若いが食べ物を粗末にすることを嫌う人のようだ。それは実に素晴らしい考え方だ。私は食べ物がない時代を経験した人間だ。だからたとえあの頃に嫌というほど食べて、もう見たくないと思うサツマイモでさえも料理されて出された以上は食べ残すことは絶対にしない。それが料理を作ってくれた人に対しての礼儀でもあるからだ。だが今のサツマイモはあの頃とは違う。あの頃よく食べた芋とは違って孫が作ってくれたスイートポテトは実に美味い。だから嫌というほど食べたサツマイモも今では私にとっては孫が作ってくれる最高のお菓子だよ」

司が子供の頃。彼の傍にも男性と同じくらいの年齢の老婆がいて司によく言っていた。

「坊ちゃん。食べ物を粗末にしてはいけません。ご自分が食べれないものを注文してはいけません。昔は食べたくても食べることができない子供が沢山いました。それは戦争のせいですが大変ひもじい思いをしました。私はそんな時代を経験してきたからこそ今のように食べ物が溢れている世界があることが信じられない事があります。でも今でも世界には満足に食事を取ることが出来ない子供たちが大勢います。だから坊ちゃん。料理を注文した以上、箸をつけた以上最後まで召し上がって下さい」

それが今は亡き老婆から教わった食事についてのマナーだった。
だがその教えを守ったかと言えば、そうではなかった。
ふざけんな。こんなマズイものが食えるか。
そう言って食べなかったことがあった。

あれから三十数年が経った。
大きな門をくぐり抜けた車が車寄せに到着すると、出迎えたのは使用人の中でも一番古いと言われる白い髭を貯えた男だ。
男は「旦那様。おかえりなさいませ」と言ってごく当たり前のように司から箱を受け取った。
だが初めて司が料理を持ち帰った時は戸惑っていた。それは世界有数の金持ちと言われる道明寺財閥の頂点に立つ男が食べられなかった料理を持ち帰るなど考えられないことだからだ。
だが今は当然とばかり言った。

「本日は何をお持ち帰りになられたのでしょう」

「当てて見ろよ」

司はニヤリと笑って言った。
すると男は少し考え箱の重さを確かめると言った。

「この箱の大きさと重さから北京ダッグではないでしょうか」

まるで箱の中身が見えるとでもいうのか。男はズバリ中身を当てたが、それは箱を包んでいる紙に店の名前が書かれているからできる想像だとしても、これまで司が持ち帰った箱や袋の中身が何であるかを外したことがなかった。
だから感心したように言った。

「いつもながらよく分かったな。お前は超能力者か?」

「いえ。わたくしは超能力者ではございません。それに霊能力者でもございません。ただの年老いた使用人でございます」

そう答えた男は、胸の前で箱を抱えると司に付き従った。
その時、長い廊下の先にある部屋の扉が開き少年が顏を覗かせた。

「父さん。お帰り」

「ああ。帰ったぞ」

「あ。また持って帰ってきたんだ」

少年は父親の後ろにいる男に、今日は何?と訊き北京ダッグだと分かると、「じゃあそれこれから食べるから盛り付けてもらってもいい?」と言い、男が「かしこまりました」と言ってその場から去ると父親の顏を見た。

「それにしても父さんは母さんの言うことだけは訊くよね?」

北京ダッグを持ち帰った父親に少年は言うと笑った。
それは少年が母親から食べ物を残すなと言われて育ったから。

「当たり前だろうが。この家は母さんの家であり母さんのためにある。家庭ってのは妻があって成り立つもんだ。英(すぐる)。お前も将来結婚するなら夫は妻を助けるためにいるんであって妻に何か言われたら同意することが家庭の平和に繋がるってことをよく覚えとけ」

司は我が子にそう言ったが、言われた息子はよく言うよ、という顏をした。

「ふぅん。でもさ。今の父さんは母さんに逆らってると思うけど」

「何を逆らってるって?」

「だって母さんは大丈夫だって言うのに、父さんは母さんのことを心配し過ぎて家から出そうとしないってのは、どうかと思うけど?」

まるでその口調は自分の父親は融通が利かない頑固親父で、亭主関白だと言わんばかりだ。
だが司が妻を家から出そうとしないことには理由があった。

「いいか英。よく考えてみろ。今の季節、母さんを家から出さねえのは今の母さんが風邪をひいたら大変なことになるからだ。そのくらいお前も分かってるだろうが」

「分かってる。薬を飲むのがよくないからだろ?でもそれは父さんが悪いんじゃないの?それに俺、恥ずかしいよ」

「俺が悪い?俺のどこが悪いんだ。それに何が恥ずかしいんだ?父さんは何も恥ずかしくない」

司は憤然として言った。
だがそれに対して息子は困ったような顏をしていた。

「父さんは恥ずかしくないとしても俺は恥ずかしい。だって16も年の離れた弟か妹が出来るなんて恥ずかしいに決まってるだろ?」

司が妻を家の外に出そうとしないのは妊娠したことが分かったから。
そして季節は風邪をひく可能性が極めて高い冬。だが妊娠初期に薬を飲むことは出来ない。
だから家にいて欲しかった。
息子が言った通り妻のお腹の中にいる赤ん坊は、息子と16歳の年の差で生まれてくることなるが、それは思ってもみなかった妊娠。だから初めは驚いたが、すぐに喜びに変わった。

夫婦の間には英の他にアメリカの大学に進学した長男がいる。
そして次男の英も高校を卒業すると兄と同じ大学に行きたいと言った。
つまり子供と一緒に生活する時間は少なくなっていた。
いつかは親の傍を離れる子供たち。親は子供の自立を喜ぶ。だがそれはそれで寂しいものがあった。そんな時に授かった子供。妻は妊娠に戸惑った。それは高齢出産であることもだが、16年振りの子育てに不安があるから。
だが司には不安など全くない。むしろ嬉しくて仕方がない。
そして司は積極的に子育てに参加するつもりだ。子供が生まれたら育児休暇を取るつもりでいる。だから妻のお腹の中にいる赤ん坊が健康で生まれてくることを願っている。
それに上のふたりは男の子だ。だから次は女の子が欲しかった。

そして英が言った恥ずかしいの意味。
それは両親が40歳を過ぎて出来た子供のことを恥じかきっ子と言うからであり、いい年をした両親に未だに性交渉があることが世間に知られてしまうから。
だが恥じかきっ子と呼ばれるのは生まれてくる子供であって英ではない。
しかし兄である英も、からかわれることになることは目に見えていた。
けれど司は生まれてくる子供を恥じかきっ子などと呼ばせるつもりはない。

「英。お前の弟か妹が生まれるんだ。何が恥ずかしい?命ってのは授かり物だ。授かった命を大切にするのは当たり前だ。それに母さんの腹の中にいるのは父さんと母さんの愛の結晶だ。お前も性教育を受けたなら分かってるはずだ。命が腹の中に宿るのは奇跡であってそう簡単に宿るもんじゃない。精子が卵子に辿り着くまでには厳しい道のりがある。数多くの精子の中から一番優秀なヤツだけが___」

「父さんもういいよ!俺、北京ダッグ食べたいから行くよ!じゃあね!」

英はそう言って司の言葉を遮り廊下を走って行った。
司は何故逃げると思った。それに我が子は性教育を受けているはずで、精子と卵子の話が恥ずかしいと思う方がおかしい。
だがあの年頃だと色々と恥ずかしいのだろう。
それに親に反抗することなく真っ直ぐに育った次男は、母親に似て恥ずかしがり屋なところがあった。
だが長男は司に似て多少だが反抗期というものがあった。
そして自分が息子の年頃の頃がどうだったかと言えば、どちらかといえば潔癖であり女はすぐ泣く薄汚い生き物で嫌いだった。
そんな司が男として生まれた意味を知ったのは、初めて妻を抱いたときだ。









司は手を洗い、うがいを済ませると、夫婦の寝室である東の角部屋の扉を開けた。

「おかえり司。ごめんね。迎えに行けなくて」

司はソファに腰掛けている妻の隣に座った。

「迎えになんぞ来なくていい。それよりも体調はどうだ?問題はないか?」

それは今朝起きたとき身体がだるいと言ったから。
だから医者に往診をさせたが問題ないと言われたとメールが来た。
だがそれでも心配するのが夫だ。

「大丈夫。ごめんね心配かけて」

「夫が妻の心配するのは当たり前だろうが」

「うん。ありがと、司」

と言った妻の指先が司の手を取ったとき、その手に伝わる温もりが愛おしかった。











16年の時を経て再び始まる子育て。
あの当時は長男、次男と続けて出産をして忙しい時を過ごした妻がいた。
時の流れの中には肝を冷やすようなこともあれば、胸が熱くなるような出来事もあった。
そして誤魔化すことが出来ない問題とういうものもあったが、それは夫婦の間にもあった。

それは人生に訪れた土俵際。
司が妻と喧嘩になったとき、ついビジネスと同じように妻をやり込めようとしたことがあった。
だがそんな喧嘩も、どちらが折れるかと言えばそれは妻の方だ。チャイニーズレストランにいた夫婦の喧嘩のように最後には妻が仕方ないわね、と言って折れた。
だがそれが夫である司を立ててのことだと分かっているが、それでも司は嬉しかった。
分かっているのだ。妻は司の性格を。
実は司が色々とめんどくさい男だということを。








「ねえ。司」

「なんだ?」

「この子はどっちだと思う?」

そう言って司の手を自分のお腹の上に置いた妻の瞳の中に見たのは未来の光景。
それは妻に似た可愛らしい女の子を中心に笑っている家族の風景。

「女の子だ。間違いない」

「そう?それならあたし達はこの子がお嫁に行くまで元気で長生きしなきゃね?」

妻はそう言うと、司の耳の上の少し白いものが混じっている髪の毛に触れた。






< 完 > *ロマンスグレーにはまだ早い*
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道明寺司様。時は流れましたが、あなたは今年お幾つになられたのでしょうか。
しかしながら幾つになってもイイ男でいることは間違いないでしょう。
そして最愛の人と結婚して、その人と子供の成長を見守り暖かい家庭を築いていることでしょう。
そんな坊ちゃん。お誕生日おめでとうございます!
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