2016
01.19

時の岸辺

Category: 時の岸辺
道明寺司は決して沢山のゴシップで名をなしてきたわけではない。
彼は豪奢な生活をしていたが退屈な人生だった。
その人生は幼少時から決められていたが、彼の少年期は平穏な生活とは程遠かった。
いわゆる非行少年とは異なり、価値のある何かに対しての固定観念を覆す行為を好んでいた。
その手にするものは、その手に欲しいものは何でも手にすることが出来た。
そんな男は、自分の脚元にひれ伏す人間をいつも見ていた。
そしてそんな人間たちをいつもうんざりとした表情で見ていた。
なぜ、自分の周りの人間は俺に迎合する?
金があるからか?権力があるからか?
だかそのどちらも決して自分の力で成したものではなかった。
そして、そのことに気づかされたのは、あるひとりの少女との出会いだった。

自分に迎合しない女。

その女が彼の世界を変えた。
だが、その世界が長く続くことはないと自分でも気づいていた。
どれほど彼女を愛し、誇りに思い、そしてどんなに嫉妬深かったかと自分を思い出していた。
もっとも、その全てが最初から彼の心にあったわけではなかった。
出会った初めの頃、彼にとっての彼女は蔑みの対象であり、彼女にとっての彼は軽蔑の対象だった。
彼は少しだけ顔をしかめると、あの頃の思いを懐かしんだ。
だがまだ思い出に手を振るほどの年齢ではなかった。



ひとりぼっちの女がいる。
彼の属する社会階層とは異なる世界にいる女。


ひとりぼっちの男がいる。
彼女の生活する世界とはかけ離れた世界にいる男。


互いに住む世界は違っても、孤独な人に見られる孤高を隠すように生活をしてきた。
それは互いに迎合することを嫌っていた二人らしい生き方だった。






冷たい風が吹く季節に、二人がこの場所で再会することが運命だというのであれば、かつて心に決めたことを成し遂げたいという思いが彼の心の中にはあった。
まさに、これから自分がやるべきことはそのことだ。
ただそれだけだと思った。
長い人生のなか、最後に自分が自分らしく生きるためには例え他人から見て滑稽だと思えるようなことでも、彼女に愛しているという言葉を伝えることこそが、自分が最後にやるべきことだと思っていた。



彼は彼女と別れた後ひとりで生きてきた。
だが孤独だとは思わなかった。
企業経営者としてこれが自分の人生に課せられた使命だと思って生きていた。
他人から見れば、傷つく心など持ち合わせていな人間として見られていると言うことは分かっていた。


彼女は彼と別れた後ひとりで生きてきた。
自分のやるべきことをこなしながら日々過ごしていた。
左の胸に輝く自由と正義、そして公正と平等を表す黄金色の記章が誇りだった。
他人から見れば、上昇志向が強い女性として見られていると言うことは分かっていた。



ふたりの視線が交差したとき、彼女が一瞬だけ頷いてみせた。
だが、この場所で言葉を交わすことは出来なかった。
彼は靴音だけを響かせ、彼女の隣を通り過ぎることしか出来なかった。
そんな彼には声にならない言葉が聞こえてきたような気がした。
波乱に富み平穏な人生とは言えない彼の人生のなか、ただひとつの光がそこにあった。


二人が別れてしまってからの年月、過ぎた日々を振り返ってみたところでどうしようもなかった。

愛が無くなった訳ではなかった。
愛を感じられなくなった訳ではなかった。
だが、人生には追いかけても手に入らないものがあると知ったのは、まだ二人が若い学生の頃だった。



彼の生活の中で彼女の後釜に座った人間もいた。
だがそんな人間も彼の心が自分には無いことを知ると苛々としはじめる。
そしてそんな関係が長く続くわけもなく、短期間での別れを何度か経験していた。
そんな関係を幾度か繰り返せば、自分には彼女以外の女性を愛することが出来ないのだということに気がついた。


本当に求めるもの以外は、必要がないという結論にたどり着いたとき、彼は自分の人生を振り返ることをやめた。
そして金で買えるような幸福なんて必要ないと思っていた。



つくしは久しく鼓動したことが無かった胸の高まりを感じていた。
それは、偶然の再会に対しての懐かしさだったのだろうか。
彼のことを耳にしない、目にしない日は無かった。
いつもどこかで彼のことを、彼の存在を感じていた。
そしてつくしが目にする彼はいつも無表情だった。

テレビの画面越しに見る彼。
新聞や雑誌の表紙を飾る彼。
どの彼もつくしが知る昔の彼とは違っていた。
今となっては二人が別れた理由は何だったかなんて関係はなかった。
つくしの心のなかでは、ふたりが経験をした事だけがいつまでも思い出として残っていた。


彼には・・・良家の娘こそがふさわしかった。
確かに彼女は貧しい家の娘であり、彼にはふさわしくなかった。

静かな場所で別れを決断したふたり。
忘れないでねとは言わなかった。
早く忘れてとも言わなかった。
つくしの目には、その時の光景が思い出されて涙が溢れた。


つくしは、ひとりぼんやりとしていた。
ふたりが別れを決めた場所。
時の経過にもかかわらず、今もこの場所はある。
ひとりぼっちでこの席に座る。
ひとりコーヒーを飲みながら片手でページをめくっていた。
そこには無表情な顔がこちらを見ていた。
年をとってもこの人は変わらない・・・
いつのまにか彼女の右手の窓越しは、白く景色を変えていた。
窓の外は雪が降り続いている。
あのときも寒い日だった。
ちょうど今日のように。
もう随分と前の話しだが、昨日のことのように感じられていた。


あのときは彼が立ち去った後、つくしだけが残っていた。
彼は覚えているだろうか?
今日のこの日が、あたしたちが別れた記念日だということを。
つくしは急に笑い出しそうになった。
高校生のころ彼と行った店を思い出していた。
まだ子供だったあたしは、パフェを食べ、彼はコーヒーを飲んでいた。
甘すぎて彼には食べられなかったパフェ。

もう十年このかた思い出しもしなかったが、青春時代の懐かしさがこみ上げた。
こんなことを思い出したのは、彼と偶然の再会をしたからだろうか。
あのとき、懐かしい顔を見て思わず話しかけたくなった。
だが彼の周りには沢山の人間がいて、そしてあたしが近寄れるような人ではなかった。

つくしはページの中の男に話しかけた。

「力をちょうだい・・あんたに話しかける勇気をちょうだい・・・」

窓の外の世界は深い白へと変わっていく。


『 同じ時間を生きることが出来なくてゴメン・・』

それがあのとき、最後に交わした言葉だった。





「話しかけたらいいじゃないか?」




不意に聞こえてきたその声に頭をあげた。
そこには呆然としているつくしの顔を可笑しそうに見つめている男がいる。
堂々として何者も近寄りがたい雰囲気を持った男が。


言葉はいらないと思ったが沈黙が怖かった。
話すことは沢山あった。
話したいことは沢山あった。

つくしは、自分が何をしようとしているのか分からなくなっていた。
それでも、彼女は立ち上がるとその男に向かって一歩を踏み出していた。










今となっては、ふたりの間に何があったかなんてことは関係がないように思われた。
愛の本質を理解する時間がかかり過ぎたと言うだけのことであり、これから先、愛すべき人と一緒にいられることの方が大切だった。
そして二人は、何もなかったかのように優しさを分かち合うことをした。
つくしの身体に回されている腕に力がこもった。
彼女は司の腕に抱かれ幸せを噛み締めていた。
そして、回されている彼の腕にそっと手を添えた。



ほどなくして、二人が一緒に暮らし始めたという連絡を受けた友人たちは、彼ら二人の幸せがこの先も続くことを確信していた。

「二人での幸福なんてそんな簡単に手に入るもんじゃないよ。それは金で買えるものじゃないよ」 そんな声が聞こえてきた。








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