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2019
08.30

風の手枕 1

<風の手枕(たまくら)>









司は西田と運転手の心配そうな顔を横目にハンドルを握った。
いつもは運転手がハンドルを握ることから、それは久し振りの運転になるが、会社まで運ばせた車は、後部座席にしか座ることがない大型車とは違い高機能かつ高性能で最新装備のスポーツタイプの新車だ。

司の側近とも言える秘書は、「こちらの車にはGPS機能が付いています。警備会社に通報されるシステムが付いています。不測の事態に陥った時には、すぐにボタンを押して下さい」と言うと「それから_」と言葉を継いだが司は、「ああ。分かったからもういい。心配するな」と言ってエンジンをかけると窓を閉めアクセルを踏んだ。

GPS機能が付いている。
つまり高い空の上から司の居場所は監視されていて、どこにいるのかがすぐわかるということ。だがそれは道明寺ホールディングスの社長である司の立場を考えれば仕方がないことなのかもしれない。だからそれについては譲歩した。
その代わり誰も付いて来るなと念を押してはいたが、バックミラーで後ろを確認した。
見覚えのある車は付いて来てはいなかった。
いやだが全く見覚えのない見当違いの車が後をついてくるかもしれないと思ったが、司の後ろを付いて来る車はなかった。
だからハンドルを握り直し運転に専念することにした。












司は今日の午後から休暇に入った。
だから午前中着ていたスーツからラフな服装に着替えていたが休暇はたった3日。
自由になる時間は短かったが、その時間の中で自ら車を運転して向かう場所は信州の別荘。
心配する秘書のために行き先だけは告げていた。

高原にあるその別荘は祖父の代からのものであり、かなりの面積を持つ場所に建てられていて、自生の白樺やモミの木。糸杉や楓が別荘の敷地の輪郭に沿うように生えていることから、外から建物の様子を窺い知ることは出来なかった。
そして司がその場所を訪れるのは久し振りだ。

高速道路に入ると見える景色は矢のように過ぎて行くが、暫く走った後、休憩を取ろうとサービスエリアに入った。
信州は都内とは違い季節の移ろいが早い。
空は澄み渡っていて一片の雲もない。だが午後の陽射しは少し傾き始め、涼しい風が吹いて秋の気配が近づいてくるのが感じられた。だがそれでも夏鳥であるカッコウの鳴き声が聞こえ、その声を耳に残し車に戻ったが、季節が変化する兆しは確実に訪れていた。
そしてエンジンをかけハンドルを握ったところでふと思った。
それは視線の先にあるディスプレイ。新車に装備されている最新のカーナビだ。

司はカーナビを使うことは殆どない。
それは自分で運転することが少ないこともあるが、たまに運転するとしても遠出をすることはないからだ。
だが今日の司は時間に囚われることなく気ままにドライブを楽しみたいという思いがあった。
何故なら普段経営者として大企業の舵取りをする男に自由な時間というのは無いに等しい。
それに秘書によって決められた時間割をこなすことが、司の仕事だとすれば秘書に手綱を握られていると言ってもいい。
そういったことから、もぎ取ったひとりの時間をカーナビとは言え人の声に邪魔されたくない思いがあった。
だから、ここまで来るのにディスプレイが映し出すのは現在地だけであり、カーナビは沈黙を続け何かを喋ることはなかった。

だがここに来てカーナビを使ってみようと思った。
この車の最新機能を試したくなった。
目的地まで最適なルートを提供するカーナビ。
最新のカーナビは道案内だけではなく、情報サイトと連動していて望めば観光施設やカフェやレストランといったものまで案内してくれると言う。
以前別荘を訪れてから随分と経っていた。だからこれから通る道筋に新しい何かが出来ているのではないかという思いから道案内をさせることにした。


初めて乗る車だとしても操作はどれも変わりはしない。
それに司は機械が苦手というわけではない。だからタッチパネルに触れ目的地である別荘の住所を入力した。
するとディスプレイから声が聞こえた。


『目的地へのルート案内を始めます』

カーナビの女性の声は、そう言って案内を始めたが、中央道の車の流れは田舎より都会に向いていて道は空いていた。



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2019
08.31

風の手枕 2

司は普段運転手付きの車に乗ることからカーナビの機能を必要としない生活を送っていた。
それに自分で運転する時も走り慣れた場所が多く利用したことがない。
だから、聞こえてきた『目的地へのルート案内を始めます』の柔らかな女性の声に思わず返事をしていた。

「よろしくな」

するとナビは『こちらこそ。どうぞよろしくお願いします』と返事をした。

司はその言葉に片眉を上げた。
どうやら最新のカーナビは人の言葉を認識するように作られているようだが、技術は日進月歩であり機械が人と会話を交わすことは、さほど驚くことではない。
何しろ話しかけるだけで、照明やテレビの操作ができる人工知能を持つロボットは今の世の中には幾らでも溢れているのだから。
だからカーナビにそういった機能が備わっていても不思議ではないのだが、司は今まで使ったことがない機能だ。そんなことから感心しながら再びナビに話しかけた。

「目的地まではあとどれくらいで着く?」

『はい。目的地まであと1時間半ほどで着きます』

とナビは答えたが、機械とは言えその声は優しい女性の声であり、こうして会話が出来る機能を備えたナビゲーションシステムを不快とは思えず悪くはなく面白いと思えた。
だから司は再び話しかけた。

「そうか。それなら目的地に着くまで観光案内をしてくれないか?」

『観光案内ですか?』

「ああ。そうだ。目的地を訪れるのは随分と久し振りだ。だからそこに着くまでの道案内もだが観光案内もしてくれ」

司がそう言うとナビは黙ったが、それは考える時間なのだろう。
だから司も何も言わず暫く黙っていた。
すると、『分かりました。では、これから目的地に到着するまでの間、観光案内をさせていただきます』とナビは言ってこの先に何があるか。何が美味いかといった話を始めたが、その案内の仕方はまるで血の通った人間のようで、機械の音声もここまでくると技術の進歩を感心するしかなかった。

それに機械は人の機嫌を取ることはない。
媚びへつらう態度を取ることはない。
だからいつも自分の周りにいる人間とは違い対等な態度を取るところが気に入った。
つまり、どんなに機械が進歩しても、相手の地位や立場といったものを認識することは出来ず、司が口を挟まない限り喋りを続けているナビのその姿は好ましかった。

そしてひとりで車に乗ることが滅多にない男は、車内という狭い空間でナビの話を訊きながら、目に映る景色を楽しみ、時折窓を開け外の空気を感じひとりの時間を楽しみ始めたが、改めて思うのは誰にも邪魔されない自由な時間というのは素晴らしいものだということ。
そして眼下に広がる摩天楼で繰り広げられるビジネスの揉め事を数多く見て来た男は、山並みの風景に心が洗われた。
国破れて山河ありという言葉があるが、こうして目にする風景はまさにそれだと感じられた。
だが数日前から風邪気味だったことから、少し頭痛がして頭を軽く振ったが、運転には問題はなかった。

そのときナビの声が耳に入った。

『まもなく2キロ先、左方向、諏訪インター出口で降りて下さい』

次のインターで降りろと指示があり、司は左にハンドルを切り高速道路を降りると県道を走り始めたが、『ここから先は道なりですがカーブが続きます。運転には充分注意して下さい』
ナビはそう言って司に注意を促した。
だから司は、分かったと答えた。

そしてハンドル操作を続ける男を邪魔しないようにとでも言うのか。
黙ってしまったナビに司は何か音楽をかけてくれないかと言った。
すると、『わかりました。どのような音楽がお好きですか?お気に入りの歌手はいますか?』と訊いて来たが司は音楽に拘りはない。
それに気に入った歌手というのもいない。
だから、「いや。特に拘りはない。お勧めの曲があればそれを流してくれ。但し最近流行りの賑やかな曲は止めてくれ」と言った。
するとナビは少し沈黙をしたあと、『わかりました』と言って音楽を流し始めたが、その曲は聞き覚えのある懐かしい曲だった。



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2019
09.01

風の手枕 3

暫く車を走らせているとパラパラと雨が降り出した。
天気予報は晴れと言っていたが、山の天気は変わりやすい。
やがて降り出した雨はザーザーと音を立てアスファルトに激しく打ち付けるようになり視界がぼやけたことから車のヘッドライトが自動で点灯した。
そしてこの激しい雨に対向車もライトを点け速度を落としすれ違って行った。
だから司もアクセルを踏み込むことを止め速度を落とした。


そうだ。
急ぐ必要などないのだ。
司には3日間の休暇があるのだから、何も急いであの場所へ行く必要はなかった。
だから今は激しい雨のせいで白く霞んで見えにくくなったセンターラインを越えることのないように注意を払いハンドルを握っていた。

そしてお勧めの曲と言われナビが選んだのは、遠い昔に恋人と一緒に訊いたことがある曲だった。
その曲はドライブに使われていいような普遍的な曲で、誰もが耳にしたことがあるはずの曲で好き嫌いがある曲ではなかった。
だからナビがその曲を選んだのも分かるような気がした。

その曲を聴きながら思い出されるのは若かりし頃の自分の姿。
司が道明寺ホールディングスの社長に就任したのは今から20年前。
それは30歳の誕生日を迎える少し前のこと。
それまで社長だった母親が病気の為その座を退き司が跡を継いだ。
そしてこれまで道明寺のトップとして巨大船団と言えるグループの舵取りをして来たが、思えばこの20年の間には色んなことがあった。だがゆっくりと過去を振り返る時間がなかった。

だがそもそも人生に待ったはない。
二つの道があれば、どちらかを選ばなければ先へ進むことは出来ず、それに司の人生は迷っている時間というものはなかった。

そんな中で一番思うのは、自分の人生の半分以上は会社と共にあったということ。
そしてその中には結婚という自分の中ではあり得ないこともあった。
だがそれでも結婚したのは、母親が病に伏した時に進められた政略結婚であり、それにさして女に興味がない男も、道明寺の跡を継ぐ子孫を残すため、いずれ結婚しなければならないのなら相手は誰であっても良かった。

司にはかつて心から愛した人がいた。
しかし彼女とは結ばれることはなかった。
それは、司が彼女を捨てたから。
そうなった理由は、司が彼女のことを忘れたから。
あの時忘れた人は大切な人で、捨ててしまった感情を表す言葉は後悔としか言えなかったが、それは司にとって負の記憶であり、彼女に背を向けたことは一生背負っていく罪だと捉えていた。

そして彼女のことを思い出したのは結婚して3年が経ったある日の朝。
全身にびっしょりと汗をかき、うなされて目覚めたとき、心配そうに自分を覗き込んでいる妻の顏が彼女の顏に変わった。

記憶を取り戻した司は、かつての恋人に会いに行こうと思った。
だがそう思ったのは束の間であり、他の女と結婚した自分が今更どのツラを下げて会いに行けばいいのか。
だから、彼女の行方を探すことはしなかった。それに彼女も今頃は結婚して子供がいるはずだと思った。だから会いに行けば迷惑になると思い、遠いニューヨークの地から彼女が幸せに暮らしていることを祈った。持って行き場のない気持ちを仕事に向け、彼女のことは忘れようとした。そして司は不妊手術を受け、子供が出来ないことを理由に妻と別れた。

そんな男がこれから訪れようとしているのは、かつて恋人と訪れたことがある別荘。
途切れた記憶を繋ぎ合わせることは止めたが、時の波間に置き忘れた彼女を好きだったという感情は今も変わらずあり、それが時折頭をもたげて来ることがある。
だが司は心の奥にある思いを表に出すことはなかった。
それでも3日間の休暇で訪れたいと望んだ場所は彼女との思い出が残る場所。
気ままなドライブを楽しみたいと思ったのは嘘ではないが、心は死ぬまで一生忘れることのない人と過ごした別荘に行きたいと望んでいた。



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2019
09.02

風の手枕 最終話

自分を殺し続けた20年。
社長業は自分に課せられた運命だと思って受け入れて来た。
だがそんな男にも忘れられないことがある。
長い間記憶の彼方に放りっぱなしにしていた女性との付き合いは短いものだったが、その中で思い出される事のひとつに雨の日の夜があった。

今でも鮮明に思い出すことが出来るそれは今と同じ土砂降りの雨の中、司に背を向け去っていく彼女の後ろ姿。
あの時の彼女の姿は強がりであり、真実は濡れた瞳の奥に隠されていた。
そして、あの時彼女の嘘を見破ることが出来なかった男の姿がそこにあった。

あの頃の司は、彼女の気の強さを理解していたつもりでも理解していなかった。
それは、彼女の心が振子のように揺れ、自分の周りの人間のことを考え司に別れを告げたこと。彼女は正義感が強く自分のことよりも人のことを考える女性だった。
まだ若かった二人にとってあの日のことは、後で笑い話に変わったが、司が彼女に関する全てを忘れた事によって彼女にとっては苦い思いだけを残す話になったはずだ。

だからあの日の雨は今も司の胸に痛みだけを残していた。
そんな遠い昔のことが流れて来る曲に合わせて思い出されたが、対向車のハイビームが目に入りハッとして思考をハンドルの操作に戻した。

それにしてもよく降る雨だ。
そんな思いから司は静かに音楽を流し続けるナビに訊いた。

「おい。雨はまだ降るのか?」

『はい。上空に大きな雨雲がかかっていますのでもう暫くは降るでしょう』

とナビは答えたが少し間を置いて、

『ですがこの雲は東に向かって移動しています。いつまでも降り続く雨ではありません』
と言った。

司は時間からして、もうそろそろ別荘に着くはずだと思いながら注意深く運転を続けたが、ナビが言った通りフロントガラスに叩きつけるように降っていた雨は、やがて小雨に変わり止んだ。
そして雨雲が去り太陽が顏を覗かせると、アスファルトに吸い込まれていた水が蒸気となってゆらゆらと立ち昇る光景が目の前に現れた。
だが立ち昇る蒸気が霧に変わると、雨よりも視界が悪くなったその道を進みながら、本当にもう別荘に着いてもおかしくないはずだと思った。
だがここに来たのは随分と昔のことであり、はっきりとここが別荘の場所だという確信は持てなかった。

その時だった。

『目的地周辺です。案内を終了します。運転お疲れさまでした』

とナビは言ったが、司の前に見えるのはヘッドライトに照らされた霧で、それ以上先は見えなかったが、やはりこの場所は違うような気がした。
それに、どんなに性能がいい機械でも間違えることがあるという思いから司は言った。

「おい。違うんじゃないか?目的地はここじゃないはずだ」

だがナビは、『いいえ。間違っていません。ここがあなたの訪れたかった場所です』と言ったが、その口調はどこか楽しそうに聞こえた。

司はからかわれているのだろうかと思った。
だが相手は機械だ。機械に人をからかうという機能はないはずだと思った。
するとヘッドライトに照らされたゆとっていた霧が渦を巻くようにして消えた。
そしてそこに現れたのは、揺らめく木漏れ日の向こうにある広い草原。

『目的地に到着しました』

ナビは再びそう言うと少し間を置いて言葉を継いだ。

『道明寺。ここに来たかったんでしょ?』

その言葉に司はブレーキを踏みナビに目をやったが、そこには何も表示されない真っ暗なディスプレイがあった。












何も表示されていないディスプレイ。
その状況に気付いたのは、ナビが喋るのを止め聞き覚えのある音楽を流し始めてからだが、機能を停止したような画面に故障かと思った。だが過去を振り返っていた男はただ静かに流れる音楽に耳を傾けていて、画面が映らなくともさして気に留めなかった。
だが今ナビは道明寺と彼の名を呼んだ。
そして音の流れが途絶えた車の中は静かな空気だけがあった。
その時、司の口を突いたのは、

「牧野…..お前か?」

するとナビは『そうよ』と言った。

司は目を閉じると暫くそのままじっとしていたが、目を開くとダッシュボードで光る数字に目をやった。
時計は午後4時を過ぎたところで、傾いて来ていた陽射しは山の影に隠れようとしていたが、司は助手席に置いてあった花束を手に車を下りた。
それはあらかじめ花屋に頼んであった花で、西田と運転手を背後に残し高速に乗るまでの間に立ち寄り受け取っていた。









「牧野。お前の誕生花ってなんだ?」

「え?」

「だから生まれた日の花だよ。知らねえのかよ?女ってのはそういったものに興味があるんだろ?」

「言いたくない」

「なんでだよ?」

「だってあんたはその花のこと知らないと思うから」

「知らなくてもいいから教えろよ?」

「うん…..あたしの誕生花はストロベリーキャンドルって花。訊いたことないでしょ?
花言葉は善良って言うんだけど、それは花じゃなくてただの草なの。だから雑草のあたしにはぴったりかもしれない」

「へえ。そうか。お前やっぱ雑草なんだな?」

「うるさいわね!雑草で悪かったわね!そんなこと言うけどあんたの誕生花って何か知ってるの?」

「ああ。知ってるぜ。俺は赤いバラだ。情熱的で美しい俺にぴったりだろ?」

そんな会話が交わされたことがあった。
だが後で調べた司の誕生花は白い梅で花言葉は澄んだ心だった。







『道明寺。ここに来たかったんでしょ?』

ナビの言う通りだ。
ナビは彼女で彼女は司の心を読んだ。だからこの場所に連れてきた。
そして司の心に遠い昔の光景が甦った。
それは30年以上前の話であり二人が交際を始めた夏の終わりの光景。
二人っきりになりたいと彼女を無理矢理別荘に誘った男は、彼女の手に指を絡め草原に座らせると隣に横たわった。
そして彼女の膝に頭を乗せたが、それは後にも先にも一度だけの行為でそれ以上のことはなかったが、あの時の事は今も心の中にあって忘れることが出来なかった。
そして彼女を思う気持ちが強くなったのは彼女の死を知ってから。
彼女のことを思い出してから10年たったある日。類から彼女の死を知らせる手紙が届いた。

『牧野。乳癌で亡くなったよ。あいつお前と一緒で一度結婚したけど別れてひとり暮らしだった。多分お前のことを忘れられなかったんだと思う。だってあいつお前が結婚するまではひとりだったんだぞ』

そう書かれていた手紙を読んだ時、涙が頬を伝った。



明日は彼女の命日。
今年は休暇を取ることが出来た。
だから東京を出る前に花屋に立ち寄り花束を受け取ると右側の座席に置いていた。
それは誕生花ではなく彼女が好きだった赤いチューリップの花束。それを二人が横たわって風を感じた場所に供えようと思った。

そんな司の想いを感じ取った彼女は会いに来てくれた。そして傍にいてくれた。
ナビの声にどこか聞き覚えがあると思った。彼女の声に似ていると思った。だが気のせいだと思ったが、話をしていくうちまさかという思いがあった。
そして愛しい人の声は少し大人びていたが間違いなく彼女だった。

だからナビが選んだ曲は二人が一緒に訊いたことがある曲であり、司にとっては思い出の曲。そして恐らく東京を出た時から隣に座っていた彼女は、しっかりとシートベルトが掛けられたチューリップの花束を見て笑ったはずだ。
だがそのチューリップは彼女なのだからベルトで守るのは当然のこと。
そして司はここまで彼女を隣に乗せて来たことになるが、これまで一度も叶えられなかった彼女とのドライブが出来たことに満足していた。


司は草原の中央まで来ると花束を置いた。

「牧野。世界に訪れる闇を一緒に見つめることは出来なかったが、いずれ俺もそっちに行く。だからもう少しだけ待っててくれ」

すると高原の風はビジネスの世界で錆びかけていた司の心に言った。

『うん。待ってるから』

その声が空耳だとしても構わなかった。
彼女の声が胸に満ち溢れた。
そして、雨上がりで潤んだような黄昏を迎えたこの瞬間に永遠を感じていた。




< 完 > *風の手枕*
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