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2019
08.01

60年目の子守歌 <前編>

皆様こんにちは。いつも当ブログへお越し下さりありがとうございます。
最近こちらのブログから離れておりますが、当ブログ8月1日で4周年を迎えました。
つきましては、何かお話をと思い本日よりこちらでお話をUPさせていただきますので、
よろしければお読み下さいませ。
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「銀色の針のような雨が降る日だったねえ。あたしがあの子に傘をさしかけたのは。でもあの子は要らないって言って駆け出したんだよ。ここからね」

老婆はそう言って今立つ場所を示し、そして僕を見た。

「この場所は巧(たくみ)坊っちゃんのお父さんとお母さんが別れを決めた場所なんだよ?でもね。あの日から二人の人生が始まったのも確かだねえ。そう。あの日から……この場所からね」

そして老婆は、「人生には避けられない雨があるんだよ」と言って空を見上げ、「それじゃあそろそろ出発しようかねえ」と言った。









英徳学園初等部最後の夏。
僕は新幹線に乗り老婆と一緒に旅に出た。
それは、父と母が行って来いといって僕を送り出した旅。
行き先は瀬戸内海に面した街、広島県呉市。
だが何故その街を訪ねることになったのか。
そこは老婆の夫が、その地を最後にこの国を離れたからだ。

老婆の夫は役場に勤めていた。だが戦争が始まると赤紙と呼ばれる召集令状が送られて来た。そして万歳三唱の声と沢山の日の丸の旗が振られるなか、東京駅から出征したと言った。

何故老婆の夫が呉市へ向かうことになったのか。
それは分からなかったが、そこは老婆にとって戻って来なかった人を偲ぶ街であると同時に戦争を思い出させる街。
今まで訪れたことはなかったが、足腰が立つうちに訪れたいと望んだ。
だから父と母は、老婆がその地に無事赴くことが出来るようにと手筈を整え、僕に同行するように言った。

老婆の名前はタマと言い僕が生まれた時から傍にいたというが、確かに物心ついた頃には傍にいた。
そしてタマは僕の父や祖父の成長を見守ってきたというのだから、いったい幾つなのかと思い年齢を訊いたが、「レディに年を訊くんじゃない。あたしは永遠に二十歳だよ」と言って笑った。
だがタマは二十歳を迎える前の年。戦争で夫を亡くした。
そして僕の曽祖父がタマを雇い入れたというが、タマは再婚することなく、曾祖父が立てた離れに暮らし、道明寺の家のために働いてきた。

そんなタマがよく口にするのがメロディーをつけて歌われる「命短し恋せよ乙女」というフレーズ。それは大正時代に流行った『ゴンドラの唄』という歌謡曲で、僕が知ることのない時代の歌。だがその歌は、長きに渡って歌い継がれると同時にタマにとっては忘れられない歌だと言った。

『いのち短し 恋せよ乙女 
 紅き唇 あせぬ間に
 熱き血潮の 冷えぬ間に
 明日の明日は 無いものを』

と歌うと、「この歌は坊っちゃんがお小さい頃。子守歌変わりに歌ったもんだよ。それに坊っちゃんのお父さんの司坊ちゃんのお小さい頃もね」と言って懐かしそう言葉を継いだ。

「坊ちゃん。この歌は生きることの意味を歌った歌なんだよ?あたしは坊っちゃんのお母さんがお父さんとの恋に悩んでいた時に言ったんだよ。明日があるって思うのは構わないが、戦争をしている間は明日の命さえ分からない状況だった。だからじゃないけど、そのことを思えば恋をしてるなら迷ってる場合じゃないってね?特に楓奥様が二人の交際を反対していた頃だから、あたしは男女の仲になって子を作ってしまいなって言ったくらいだ。そうすりゃ迷うも何もないだろ?それが坊ちゃんが生まれる12年前の話だよ」

タマはそう言って僕の手にミカンを握らせた。

「それにしても、今はいい時代になったもんだねえ。真夏にこんなに美味しいミカンが食べれるなんて。それに新幹線と言えばやっぱりミカンだよねえ。それに新幹線は快適だねえ。これも坊ちゃんのお父さんのお蔭だよ」

グリーン車ではなく最終車両を貸し切っているが、それは警備がしやすいから。
そして父はタマを使用人と考えてはいない。タマは家族の一員で自分の祖母のような存在だと言い、老婆のためならどんなことでもする。
だから今回の旅にもジェットを使えと言ったが、タマは新幹線がいいと言った。
それは夫が呉の街まで移動したのは列車であり、夫が見たであろう同じ景色が見たいからだと言った。だから広島に着いても車ではなく、呉線という在来線に乗り換え呉の街に入ることを望んだ。
そして広島駅から乗り込んだのは3両編成の電車。
呉駅で降りると迎えの車に乗り込んだ。



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2019
08.02

60年目の子守歌 <中編>

呉はかつて東洋一の軍港と呼ばれ帝国海軍の拠点だった街。
世界最大の戦艦である大和を建造した街で、今は海上自衛隊の呉基地があるが、数多くの映画やドラマの舞台になった街。そのせいか大勢の観光客がいた。

「この景色があの人が最後に見た景色なんだねえ」

タマはそう言って真夏の太陽に照らされキラキラと光る穏やかな海を眺めながら言ったが、呉の街は多くの島が浮かぶ瀬戸内海に面し、その島の多さと潮の流れの速さから天然の要塞と言われ、外国からの船が容易に近づくことは出来ないという理由から軍港として発展した。
そして今二人がいる場所は、そういった歴史を見ることが出来ると言われる丘だ。

「坊ちゃん。あたしは長い間ここに来たいと思ってたんだよ。でも遠いからなかなか足が向かなくてねえ。でもこうして来る事ができて本当に嬉しいよ。それにしても大きな船だねえ。
もしかするとあの船は道明寺の荷物を運ぶ船かもしれないねえ。そうだよ、きっとそうだよ。坊っちゃんのお父さんは石油事業に乗り出したんだ。だから新しい船が必要なはずだ」

老婆の視線の先に見えるのは戦艦大和ゆかりの造船所で大きな船を建造していたが、その時、後ろに控えていた案内役の人間が、「あちらの船は道明寺と大河原との合弁会社が発注した船です」と言った。

するとタマは、「そうかい。そうかい。それは良かった。坊っちゃんのお父さんはいい仕事をするからね」と言って笑った。

「それにしても暑いねえ。これじゃあこの花もすぐに枯れちまうよ。でもね。どんなに暑くても墓に花を供えるのは欠かさないよ。最近の若い人は造花を供えるらしいが、あの人は仕事帰りに野菊を摘んできてはあたしにくれた。だからあたしは、あの人に供えるのは本物の菊と決めてるけど、あの人はきっと喜んでくれるはずだよ」

タマは自分が手にした菊に目を落としたが、枯れても花に変わりはない。
それに気持ちの問題だと言って小さな白い花びらを撫でていた。

タマの夫だった人の墓は青山霊園にある。
戦後数年経って建てた墓は御影石で出来ているという。それはタマが邸で働いて貯めた金で建てられたもの。そしてその場所に墓を構えることが出来たのは曽祖父のお蔭だと言った。
けれど墓に骨はなく、代わりに入っているのは夫のために仕立ててあったシャツ。
家が焼け家族も死んで全てを失ったタマ。それでも戦争が終われば夫が戻って来る。
再び役場で働くためにはシャツがいるという思いから、空襲警報が鳴る中、持ち出したシャツがあった。だが夫は戻っては来なかった。
だからそれを骨壺に入れたと言った。

「それにしてもここはいい所だねえ。ここは海と空の街だ。眺めもいいし空も青いし空気もきれいだ。最後にあの人が見た景色がこんな風に青い空に青い海だとしたら、あたしも同じ景色を見ることが出来て幸せだよ。あたしはいつもあの人の写真にお供えをして花を飾って、今日あったことを話すんだよ。だから東京へ戻ったら今日のこともちゃんと報告するよ。でもねえ。写真の中のあの人はいつまでも若いままで、あたしだけがおばあちゃんになっちまって何だか不公平な気がするけど、それは仕方がないよねえ。金持ちも貧乏人もいずれみんな年を取るんだから、こればかりは仕方がないねえ」

タマはそう言うと、「さあ、行こうか。いつまでもこんなに暑い場所にいたら坊ちゃんが熱中症になっちまう」と言い「さあ。早く連れてっておくれ」と案内人に花を供える場所へ連れて行けと言った。
そしてタマは目的の場所へ着くと、花を供え首を垂れ念仏を唱えた。




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2019
08.03

60年目の子守歌 <後編>

時代は変わる。
世の中の仕組みも変わる。
だが変わらなかったのはタマの心。
何十年経っても夫のことは色褪せることなくタマの記憶の中に鮮明に残されていた。
そして時々する昔ばなしは、戦争とは無縁の時代に生まれた僕に伝えておきたかったことがあったからなのか。8月6日の朝。呉の街から15キロ離れた広島の街に落とされた一発の爆弾が戦争の終わりを決めたと言われていた。

僕は呉からの帰り、その街の資料館で当時の光景を見たが、あれから6年が経った。
今思えば父と母がタマと一緒に僕を送り出したのは、教科書では学ぶことが出来ないことを学ばせたかったからだ。

父によればタマは自分には戦争のことは語らなかったと言った。
それは父が荒れた少年時代を送っていたことから、戦争の話などしても訊いてはもらえないと思ったのか。だが僕には話をしてくれた。そして話の間に口ずさまれるのは、『ゴンドラの唄』。生きることについて歌っているというその歌は、野菊と同じでタマにとっては思い出の歌であることはよく分かった。

それにしても、タマは邸で働いている間に何人の道明寺の男達のために子守歌を歌ったのか。
祖父、父。そして僕。
子供のいないタマにとって道明寺の男達は息子であり孫であったはずだ。

「坊ちゃん。お年玉だよ。お父さんとお母さんには内緒だ。好きなものを買いなさい。ただし無駄遣いはダメだよ」

と言ってお正月にはお年玉をくれたタマ。
だが呉から戻って1年後の夏の日の朝。
離れに暮らすタマを訊ねると布団に横になった姿で亡くなっていた。
96歳。老衰だった。








今日はそんなタマの7回忌だった。
窓の外は夏の暮色。少し前に夕立が来て窓には雨粒が流れていた。

「あれからもう6年が経ったか。時の流れは早いモンだな。それにしてもタマは最後まで元気な婆さんだった。俺は何度婆さんの杖で尻を叩かれたことか。巧。お前も叩かれたんじゃねぇのか?」

父はそう言ったが、僕はタマの杖に叩かれたことはなかった。
ちょっと性格がキツイと思うところもあったが、とにかくタマは僕には優しい人だった。

「司。巧は司とは違ってタマさんの杖に叩かれるようなことはしない子よ?それにタマさん言ってたでしょ?巧は司のお祖父さんに似てるって。だから敬いこそすれ足蹴にするなんてとんでもないってね?」

母が口にした通り、僕が曽祖父に似ているという話は、祖母の楓にも言われたことがあった。
帝国大学を出た曽祖父は道明寺財閥の中興の祖と言われる人物。
写真の中にいるその人は背が高く日本人離れしたハンサムな男性だ。

「ああ。そうだな。タマは巧のことは、まるで自分のひ孫のように可愛がってたな」

「そうよ。タマさんにとって司が孫なら巧はひ孫よ。それは薫(かおる)も同じだけど、薫とはまた違うのよね?」

薫は4歳下の僕の妹で祖母の楓に似ていると言われていた。
だからタマは、「薫ちゃんは楓奥様にそっくりだねえ。美人になるよ、遺伝ってのは凄いねえ」とニコニコと上機嫌な笑顔で言った。

かつて僕の父は、タマにとっては孫のようだと言われた。
だからその父の息子である僕は、ひ孫ということになるが、孫とひ孫の違いは杖で叩かれるか叩かれないかの違いなのか。
だが、とにかく働き者だったと言われるタマ。
戦争で夫を亡くし、路頭に迷っていたタマを雇い入れた曽祖父のため、道明寺の家のため、再婚もせず懸命に働いてきた。
そして最後の最後まで沢山の記憶を失うこともなく、足腰も弱ることなく過ごせたことは、タマにとっては良かったはずだ。

そんなタマも今は天国でゆっくり休んでいるはずだが、最愛人と会うことが出来ただろうか。
その人に甘えることが出来ているだろうか。
産むことがなかった我が子に歌って聞かせたい子守歌があったはずだが、それがあの歌だとしたら、今頃タマは天国であの歌を子守歌として歌っているはずだ。

その時、ふいに父が口ずさんだ。

『いのち短し 恋せよ乙女 
 紅き唇 あせぬ間に
 熱き血潮の 冷えぬ間に
 明日の明日は 無いものを』

「タマはこの歌が好きだった。俺が子供の頃にもこの歌を子守歌として歌ってたらしいが、記憶にはない。けど巧が寝てる時にタマがこの歌を歌ってるのを訊いたことがある」

「そうね。あたしも訊いたことがあるわ。きっとタマさんは天国でもこの歌を歌っているはずよ?」

と言って父と母はタマに思いを馳せたが、あの歌が子守歌として最後に歌われたのは、僕が生まれた時だとすれば、僕の祖父が生まれた時に歌われてから60年目のこと。
タマはどんな気持ちであの歌を歌ったのか。
そしてタマは亡くなる数日前に言った。

『人生には避けられない雨があるんだよ』

それはタマにとっては戦争のことだったかもしれない。
そして父と母にとっては別れを決めた日のこと。
それなら僕にとっての避けられない雨とは?
幸か不幸か僕はまだその雨を経験したことがない。

「そう言えば巧。お前タマから貰ったものがあるそうだな?それもお前が17歳になったら渡してくれの遺言付きだったらしいな」

「え?ああ。うん。手紙だけどね」

先日17歳になった僕に弁護士から届けられたのはタマからの手紙。
書かれていたのは、あの歌の4番の歌詞。

『いのち短し 恋せよ乙女
 黒髪の色 あせぬ間に
 心のほのお 消えぬ間に
 今日はふたたび 来ぬものを』

『いいかい?巧坊ちゃん。坊ちゃんがこの手紙を受け取ったということは17歳だ。
つまり坊ちゃんのお父さんとお母さんが恋におちたのと同じ年だ。
あの二人の間には色々とあって一緒になるまで時間がかかった。
まあ一番の問題はつくしの意地っ張りなところが問題だったと言えばそうなんだけどね。
だから坊ちゃん。
恋をしたら素直におなり。迷うんじゃないよ。明日があるかどうか分からないと同じで今日という日は二度と来ない。だから今日という日を後悔することがないように生きとくれ。
坊ちゃんはお父さんの司坊ちゃんと違って真面目な人間だけど、少しくらいは羽目を外してもいいんだからね?好きな人が出来たらちゃんと気持ちを伝えて、自分のことを理解してもらう努力をするんだよ?

あたしは坊っちゃんが生まれたとき思った。
ああ。これで道明寺家の繁栄は続くんだって。あたしはその一端を見ることが出来て、携わることが出来て嬉しかったよ。巧坊ちゃんに子守歌を歌ってあげることが出来て本当に嬉しかったんだよ。それにしてもまさか夫に先立たれて60年目に子守歌を歌うことが出来るとは思わなかったよ。あたしも長生きしたもんだよ、本当にねえ。
でもさすがにもうこれ以上長生きするのは無理だろうねえ。だから坊っちゃんの子供に子守歌を歌ってやることは出来ないが、坊っちゃんが好きな人と結婚して可愛い子供が生まれるところをあの世で見守ってるからね。
それから、坊っちゃんと呉の街を訪ねたことであの人に会えたような気がするんだよ。だからそろそろお迎えが来るんじゃないかって気がしてこの手紙を書いておこうと思ったんだよ』

手紙には90歳を過ぎたタマに迎えが来ると思わせる何かがあったと書いてあったが、僕に言わせれば呉から戻ったタマはどこか若返ったような気がした。

『それから坊ちゃん。最後まであたしのことを家族のように慕ってくれて嬉しかったよ。
あたしの場所はここだって言ってくれた司坊ちゃんやつくしの言葉も嬉しかったけど、やっぱりあたしには巧坊ちゃんの言葉が一番嬉しかったよ。ひ孫のような坊ちゃんと一緒に過ごすことが出来て本当に嬉しかった。ありがとう、巧坊ちゃん』

僕はタマからの手紙を読みながら思った。
家族の歴史を一番知っていたのはタマだったのかもしれないと。
いや。実際そうだったはずだ。なにしろ祖父。父。そして僕の成長を見守ったのだから。
それに道明寺では「代」という言葉が使われることがあるが、曽祖父の代。祖父の代、父の代。そしていずれ訪れる僕の代。タマはその全てに係わって来たのだから、タマが道明寺家の歴史の生き証人だったはずだ。


「巧。タマからの手紙にはなんて書いてあったんだ?」

「うん。恋をしたら素直になって迷うなって」

「そうか。そんなことが書いてあったか」

と言って笑った父は、隣にいる母の顏を見た。

「タマはお前のことを書いたんだな?ウジウジと悩んでいたお前の心を一番理解してたのはタマだったんだろ?」

そう問われた母は、「そうね。あたしが迷っていた時、背中を押してくれたのはタマさんだった」と言った。

僕は暮れた窓の外に視線を向けた。
すると、そこに二つの小さな光が点って動いているのが見えた。
邸には小川が流れる日本庭園があるが、夏になるとホタルが舞う姿を見ることが出来る。
だがホタルには少し季節が進んでいた。
だが、あれはホタルだ。まるで自分たちの姿を僕に見せつけるように窓の傍まで来ると、近くに植えられている木の葉の上に止まって光りを放った。

僕はホタルが点す光に、ふとタマの魂が重なって見えた。
今日はタマの7回忌。きっと魂がホタルに姿を変え戻って来たのだ。
そしてもうひとつの光はタマの夫の魂。
だから僕は胸の中で合掌したが、暫くすると二つの光は夏の闇の中に消えた。

「巧、どうしたの?」

「え?うん_」

と言いかけた僕は母に、「ううん。何でもない」と答えると、「僕たちは戦争のない時代に生まれて幸せだよね?」と言って窓の傍を離れたが、しわくちゃになった顏で笑うタマの姿がそこに見えたような気がした。




< 完 > *60年目の子守歌*
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