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2019
06.23

それが夏のはじまり

1年で最も昼が長い夏至。
夏という字から、その日が夏であるように思えるが、まだ梅雨は明けてはおらず、南から湿った空気が流れ込んで雨が降る日が続いていた。
だがジェットから見るその日の空は、夏空と見まがうばかりの青い空が広がっていて、街の景色は完璧な夏を思わせた。

男が1万キロを飛び越えて降り立った街の名は東京。
そこは男の故郷であり恋人が住む街。
時刻はもう間もなく13時を迎えるところだった。

男はこの日、心の真ん中を占める最愛の人にあることを伝える為にここに来た。
それはこの日が男にとって意味のある日だから。

かつてこの日に二人は、夫婦岩で有名な伊勢の二見興玉(ふたみおきたま)神社を訪れ、大勢の男女が海水に身を沈め、みそぎをする様子と岩と岩の間から昇る朝日を見た。
それは夫婦の末長い幸せを祈る契の神事。
男と女はまだ結婚してはいなかったが、縁結びのパワースポットと言われるその場所で近い未来の結婚を約束した。
だがそれから3年の歳月が流れ、会うこともままならない日々が続いていた。

会社で重責を担う男と、ごく普通の会社員の女。
二人の間には全く違う時の流れがあった。
だが男が東京に降り立ったのは、その時の流れを変える時が来たからだ。
だからその思いを抱えた男は昼下がりのビジネス街で昼食を食べ終えた女が現れるのを待っていた。
そして彼の前に現れた女はテイクアウトのコーヒーを片手に彼を見ると驚いた顔をした。

「え?どうしたの?なんで?なんでアンタがここにいるの?」

「なんでだと思う?」

「え?全然分かんないんだけど….」
と言って彼をじっと見る女に司は言った。

「会いたかったから会いに来た」

「え?どういうこと?アンタまさかあの時みたいに昼休みを使って来たなんて言わないわよね?」

それは女がまだ大学生で男の方も大学生と会社の跡取りとしての仕事をこなしていた頃の話。
清掃のアルバイトをしていた女は足を滑らせ頭を打った。
そして病院に運び込まれたと連絡を受けた男は、すぐさまジェットに乗り込み東京を目指した。
あの時、ミラノにいた男は昼休みを使って会いに来たと言ったが、その昼休みの時間の長さに二人は笑った。

あれから歳月は流れ、女は大学を卒業し働いていた。
そして男はビジネスの才能を開花させると次々に任される事業を軌道に乗せた。
生まれ持っていたと言われるその才能は、母親から受け継がれたと言われているが、男自身もビジネスを成功させるための努力は怠らなかった。
それは自分のためでも会社のためでもない。
それは愛する人を守る力が欲しかったから。
自分が力を持てば、その分だけ女を守ることが出来るからだ。
だがビジネスを成功させればさせるほど忙しさが増し、自分の時間というものを持つことが難しくなった。
そして、無理矢理もぎ取ったと言えるこの時間はミラノからではなくニューヨークからもたらされた時間。
今の男の生活の拠点はニューヨークだ。
それにこの時間はあの時とは違い昼休みではない。

「あほう。今の俺はあの頃の俺とは違う」

「え?じゃあどういうこと?どうしてアンタがここにいるの?」

「ごちゃごちゃとうるせぇな。そんなに俺がここにいることが不満か?」

「そんなこと言ってないわよ。ただ突然現れたからびっくりしたって言うのか。驚いたっていうのか…」

今までの二人に与えられた時間は長くて3日。
短い時は数時間というもの。
だから女が驚いた顔をして男を見ても仕方がない。
そしてその驚いた顔の裏にあるのは、「どれくらいここにいることが出来るの?」の言葉。
だが今の男はその思いに答えるよりも言いたいことがあった。

「あほか。お前は。びっくりも驚いたも同じ意味だろうが。それに俺たちが会うのに理由が必要か?理由がなきゃ俺たちは会っちゃいけねぇのか?」

その言葉に女は首を横に振ったが怪訝な顔をしていた。
だがそれもそのはずだ。
昨日の夜の電話ではニューヨークにいたはずの男が、東京に来ることも伝えず突然目の前に現れるのだから驚いて当然だ。
けれど男はその驚いた顔が笑顔に変わる瞬間を見たかった。

「俺がここに来たのは日本に来てお前に言わなきゃいけない用事があるからだ」

男は女が手にしていたコーヒーを取り上げた。
するとそこに黒服の男が現れ男の手に握られた紙コップを受け取った。
そして男は女の前に手のひらを差し出した。

「お前、昔俺が言ったことを忘れてねぇよな?俺はお前を手にいれなきゃ一生安心することはねぇってな。だから今度こそお前を手に入れに来た。牧野。待たせたな。お前を迎えに来た」

それは迷いがない眼差しと強い声。
差し出された手のひらの中央にあるのは、金色の金属で出来た根付カエル。

「これ…..」

「そうだ。このカエルはあの神社でお前が俺に買ってくれたお守りだ」

それは、かつて二人が夏至の日に訪れた二見興玉神社で御祭神の使いとされるカエルをお守りとして販売していたものを買ったが、カエルに「帰る」という意味を重ね、大切な人が無事に帰るようにという願いが込められていた。

女は男の健康と安全を祈りそのお守りを買い男に渡した。
そして男はそのカエルを大切にしてきた。
だから金色のカエルは、あの日のままの輝きで男の手の上にあった。



甘えたり、甘えられたりするのが苦手な性格の司の恋人の瞳は揺れていた。
それは涙でその瞳が滲んでいたから。

「無事帰る。俺はまたこうしてお前の元に帰ってきた。今までも何度もそうして来た。けどこれからは向うで、ニューヨークで俺の帰りを待っていてくれないか?だから牧野。受け取ってくれるよな。このカエルを」

そっと伸ばされた手と、「うん」と言ったのは同時。
司はその手を取ると自分の手で包んだ。
そしてもう二度と離さないと言った。





プリズムの季節にはまだ早かったが、ここから二人にとっての夏が始まるはずだ。
そしてこれから毎年迎える夏は、梅雨のない青空の下での夏。
そこで二人は新しい暮らしと未来を築いていくことを決めた。
だが未来は何が待っているか分からない。
それは誰にも分からなかったが、二人は一緒にいられるだけで幸せだ。
だから顏を寄せ、指を絡めると優しいキスをした。





< 完 > *それが夏のはじまり*
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