司、結婚おめでとう。
こうしてあらたまって手紙を書くのは初めてだと思うわ。だからどこか恥ずかしい思いもあるけど、訊いて欲しいことがあるからこうして筆を取りました。
あなたは私にとってはじめての弟。
そしてたったひとりの弟で私はあなたにとって唯一の姉。
だって私たちには他に兄弟姉妹はいなのだからそれは当然なのだけど、そのことについて幼い頃のあなたは思うことがあったのね。兄が欲しいと私に言ったことがあったわ。
それは男勝りの姉が嫌だったからかしら?それとも一緒にキャッチボールをしてくれる男の兄弟が欲しかったということかしら?
どちらにしても、私しかいなかったのだから、あなたは仕方なく私を受け入れたのかもしれないわね。
あなたと初めて会ったのは、あなたがまだ病院の保育器の中にいた頃。
病院を訪れた私は、保育器の中でスヤスヤと眠るあなたを見てホッとしたわ。
それがどうしてだか分かる?だって道明寺の広い邸の中で子共は私ひとりだけ。
今のあなたなら分かると思うけど、あの邸の広さの中で子共がひとりで過ごす時間は果てしないものがあったわ。だから弟が出来た私には仲間が出来た気がしたの。
あの広い邸で共に過ごす仲間がね。
だけどあなたは私の仲間じゃなくて弟。だから一緒に遊ぶことはなくて面倒を見ることが私の日常になったわ。
だからといって、そのことが嫌だということは全くなかったわよ。
だってあなたは私の大切な弟。母のお腹の中にいるのが弟だと分かった瞬間から私はあなたに会えるのを待っていたんですもの。
ところで覚えているかしら?少し大きくなったあなたは自転車に乗りたいと言った。
それはあなたと同じ年頃の子供が親に支えられて自転車の練習をしているところを見たからだけど、私は男の子であるあなたが自転車に興味を持つことを不思議だとは思わなかったわ。
だから邸の庭で自転車に乗るあなたの後ろを支えたわ。
本来ならそれは父か母の役目。でも二人ともこの国にいなかったのだから仕方がなかったわね?私があなたの母親代わりになってもう何年もたっていたから、当然のように自転車の後ろを支えたわ。
だけど負けず嫌いなあなたは、いつまでも手を離そうとしない私にこう言ったの。
「ねーちゃん!いい加減離せよ!俺はもうひとりで乗れるんだからな!」
だから私は手を離した。
するとあなたの乗った自転車は数メートル走ったところで横倒しになったわ。
世間はあなたのことを挫折を知ることがなく育った人間だと言うけれども、私はあなたが何度も挫折を味わった、心が傷つけられたことを知ってるわ。
自転車のこともそうだったけど色々あったわね?でもあなたは負けず嫌いな分、努力をしたわ。
あの時、涙目になったあなたは倒れた自転車を起こすとすぐにまた乗ったわ。
乗れなかった自分が悔しかったのか。歯を食いしばり自転車に乗る練習を始めた。
そしてひとりでペダルを漕ぐ事が出来るようになってからは、自転車に興味を無くしたわ。
でもそれはそうよね?いくら広い庭とはいえ、庭は庭であって外の世界とは違う。
自由に外を走り回ることが出来ないことは、あなたも理解していた。だから自転車という課題を克服したあなたは自転車に乗ることを止めた。
それからあなたの興味の対象は色々あったけれど、家の跡取りであるあなたの自由になる時間は殆どといってもいいほど無くなったわね?
それにあなたの周りには大人ばかりいたから子共らしい夢を見る時間は殆どなかった。
未来は決められていて家庭教師から教えられることは大概すぐに理解をしたけれど、人の心を思いやるということだけはなかなか理解出来なかった。
そして理解出来ないまま年を重ねたあなたは自分の手が血に染まっても平然とする子供になった。
そして、私が結婚してこの邸を出て行った後のあなたは手の付けられない状態になったと訊いたわ。
あの時一番に思ったのは、私の姉としてあなたに接した態度が間違っていたのではないかということ。あなたはたった一人の私の弟で私たちは姉弟。父と母以外で唯一血のつながった肉親。だから何があっても私があなたの味方であることは間違いないのだけど、他人に暴力をふるい人に迷惑をかけるようになったあなたに私は心を痛めたわ。
ところで司。どうしてあなたの名前が司という名前になったのか知っているのかしら?
あなたは沢山の人の人生を背負う人間になる。
つまり将来責任を伴う立場の人間になる。人の上に立つ人間になるから司という名前が付けられたの。それから、あなたの名前を考えたのは母よ。
母は、あなたの傍にいたいといった思いもあったはずよ。
でもそれは無理だってことは分かっていた。母が出産するタイミングは道明寺にとって今後の事業展開の行方を占うと言われていたビッグプロジェクトが成功するかどうかの瀬戸際に立たされていた頃だったから。だから母が新聞に目を通すとき見ていたのは家庭欄よりも経済欄。そしてあなたを産むとすぐに仕事に復帰した。
だからあなたがベビーベッドの中で屈託のない笑顔を浮かべていたのを見ていたのは、母よりも私の方が多かった。
でもね司。
私は姉であって母親ではなかった。どんなにあなたを気に掛けていても私は姉。
だから子は親の鏡だと言われた言葉にハッとしたことがあったわ。だってあの頃の母は、あの通りの人間だったもの。
それから母には言えないけど、もし私があなたの母親ならあなたはあんな風にならなかったはず。そうよ。あなたが人を人とも思わない態度でいた少年の頃のことよ。
私が母親だったら、あなたのねじ曲がった根性をあの時以上の力で叩き直してやったわ。
でも、そんなあなたが出会った女性が私の代わりにあなたの根性を叩き直してくれた。
あなたが結婚する女性は、あなたの歪んだ心を吹き飛ばす力があった。
そしてあなたを変えてくれた。生きる意味を教えてくれたわ。
だから司。
これからのあなたは私の弟以前につくしちゃんの夫という立場を大切にしなさい。
それからどんな未来があなた達に待っているか、二人の前は絶えることなく新しい扉が現れ、その扉の向こうに何があるかは分からないけど、二人には今の気持ちを大切にして変わらずいて欲しいの。
でもどんな未来が訪れたとしても二人はきっと大丈夫だと思ってるわ。
だって、あなたたちは嵐の中を生きてきたんですものね。
それに私の知っている弟は妻が一番で、あの頃の母のように会社一辺倒にはならないわよね?だから心配はしてないけど__
椿が、そこまで書いたところで部屋の扉をノックする音と彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「椿様。お時間です。そろそろご出発なさいませんと飛行機の時間に間に合いません」
「分かったわ!でももう少しだけ待っててもらえないかしら?」
さてと。迎えが来たから私からの手紙はここで終えるわね。
それから私があなたに手紙を書くのはこれが最初で最後になるはずだけど、この手紙をあなたが読むのは何時かしらね?
忙しいあなたのことだから、移動中の車の中かジェットの中なんでしょうけど、さすがに秘書に代読はさせてないわよね?
それから結局何が言いたかったのかと言うと、要するに結婚するあなたに姉として愚痴を言いたかったってことかしらね?
ところで今この邸の庭にはツツジの赤い花が咲いているけど、結婚式を挙げる南の島にはどんな花が咲いているのかしら?
でもどんなに美しい花が咲いていても、あなたの目に映るのはたったひとつの花。出会った頃はまだ硬い蕾だったけど、今は大きな花を咲かせたわね?
それから、あなたの自転車が捨てられることなく残ってたの。チェーンは錆びているけど交換すれば乗れるそうよ。だからもしあなたたちの子供が生まれて自転車に乗りたいと言ったら使えるわね?だって物を大切にするつくしちゃんのことですもの。乗れるんだったら使うって言うかもしれないから。
あ、それからもういい年なんだから、うっかりだとしてもひと前で私のことを「ねーちゃん」って呼ばないように気を付けなさいよ。
でも、そうは言っても私のことを「ねーちゃん」と呼ぶのはあなただけだもの。だからやっぱり私はあなたに「ねーちゃん」と呼ばれることが嬉しいわ。それにこれから先も何があってもあなたは私の大切な弟なのだから。
じゃあね。本当にそろそろ行かなきゃ。
結婚式の日。あなたとつくしちゃんに会えるのを楽しみにしてるわ。
それから誰よりもあなたの幸せを祈っているわ。
あなたの姉、椿より。
< 完 > *おとうと*

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こうしてあらたまって手紙を書くのは初めてだと思うわ。だからどこか恥ずかしい思いもあるけど、訊いて欲しいことがあるからこうして筆を取りました。
あなたは私にとってはじめての弟。
そしてたったひとりの弟で私はあなたにとって唯一の姉。
だって私たちには他に兄弟姉妹はいなのだからそれは当然なのだけど、そのことについて幼い頃のあなたは思うことがあったのね。兄が欲しいと私に言ったことがあったわ。
それは男勝りの姉が嫌だったからかしら?それとも一緒にキャッチボールをしてくれる男の兄弟が欲しかったということかしら?
どちらにしても、私しかいなかったのだから、あなたは仕方なく私を受け入れたのかもしれないわね。
あなたと初めて会ったのは、あなたがまだ病院の保育器の中にいた頃。
病院を訪れた私は、保育器の中でスヤスヤと眠るあなたを見てホッとしたわ。
それがどうしてだか分かる?だって道明寺の広い邸の中で子共は私ひとりだけ。
今のあなたなら分かると思うけど、あの邸の広さの中で子共がひとりで過ごす時間は果てしないものがあったわ。だから弟が出来た私には仲間が出来た気がしたの。
あの広い邸で共に過ごす仲間がね。
だけどあなたは私の仲間じゃなくて弟。だから一緒に遊ぶことはなくて面倒を見ることが私の日常になったわ。
だからといって、そのことが嫌だということは全くなかったわよ。
だってあなたは私の大切な弟。母のお腹の中にいるのが弟だと分かった瞬間から私はあなたに会えるのを待っていたんですもの。
ところで覚えているかしら?少し大きくなったあなたは自転車に乗りたいと言った。
それはあなたと同じ年頃の子供が親に支えられて自転車の練習をしているところを見たからだけど、私は男の子であるあなたが自転車に興味を持つことを不思議だとは思わなかったわ。
だから邸の庭で自転車に乗るあなたの後ろを支えたわ。
本来ならそれは父か母の役目。でも二人ともこの国にいなかったのだから仕方がなかったわね?私があなたの母親代わりになってもう何年もたっていたから、当然のように自転車の後ろを支えたわ。
だけど負けず嫌いなあなたは、いつまでも手を離そうとしない私にこう言ったの。
「ねーちゃん!いい加減離せよ!俺はもうひとりで乗れるんだからな!」
だから私は手を離した。
するとあなたの乗った自転車は数メートル走ったところで横倒しになったわ。
世間はあなたのことを挫折を知ることがなく育った人間だと言うけれども、私はあなたが何度も挫折を味わった、心が傷つけられたことを知ってるわ。
自転車のこともそうだったけど色々あったわね?でもあなたは負けず嫌いな分、努力をしたわ。
あの時、涙目になったあなたは倒れた自転車を起こすとすぐにまた乗ったわ。
乗れなかった自分が悔しかったのか。歯を食いしばり自転車に乗る練習を始めた。
そしてひとりでペダルを漕ぐ事が出来るようになってからは、自転車に興味を無くしたわ。
でもそれはそうよね?いくら広い庭とはいえ、庭は庭であって外の世界とは違う。
自由に外を走り回ることが出来ないことは、あなたも理解していた。だから自転車という課題を克服したあなたは自転車に乗ることを止めた。
それからあなたの興味の対象は色々あったけれど、家の跡取りであるあなたの自由になる時間は殆どといってもいいほど無くなったわね?
それにあなたの周りには大人ばかりいたから子共らしい夢を見る時間は殆どなかった。
未来は決められていて家庭教師から教えられることは大概すぐに理解をしたけれど、人の心を思いやるということだけはなかなか理解出来なかった。
そして理解出来ないまま年を重ねたあなたは自分の手が血に染まっても平然とする子供になった。
そして、私が結婚してこの邸を出て行った後のあなたは手の付けられない状態になったと訊いたわ。
あの時一番に思ったのは、私の姉としてあなたに接した態度が間違っていたのではないかということ。あなたはたった一人の私の弟で私たちは姉弟。父と母以外で唯一血のつながった肉親。だから何があっても私があなたの味方であることは間違いないのだけど、他人に暴力をふるい人に迷惑をかけるようになったあなたに私は心を痛めたわ。
ところで司。どうしてあなたの名前が司という名前になったのか知っているのかしら?
あなたは沢山の人の人生を背負う人間になる。
つまり将来責任を伴う立場の人間になる。人の上に立つ人間になるから司という名前が付けられたの。それから、あなたの名前を考えたのは母よ。
母は、あなたの傍にいたいといった思いもあったはずよ。
でもそれは無理だってことは分かっていた。母が出産するタイミングは道明寺にとって今後の事業展開の行方を占うと言われていたビッグプロジェクトが成功するかどうかの瀬戸際に立たされていた頃だったから。だから母が新聞に目を通すとき見ていたのは家庭欄よりも経済欄。そしてあなたを産むとすぐに仕事に復帰した。
だからあなたがベビーベッドの中で屈託のない笑顔を浮かべていたのを見ていたのは、母よりも私の方が多かった。
でもね司。
私は姉であって母親ではなかった。どんなにあなたを気に掛けていても私は姉。
だから子は親の鏡だと言われた言葉にハッとしたことがあったわ。だってあの頃の母は、あの通りの人間だったもの。
それから母には言えないけど、もし私があなたの母親ならあなたはあんな風にならなかったはず。そうよ。あなたが人を人とも思わない態度でいた少年の頃のことよ。
私が母親だったら、あなたのねじ曲がった根性をあの時以上の力で叩き直してやったわ。
でも、そんなあなたが出会った女性が私の代わりにあなたの根性を叩き直してくれた。
あなたが結婚する女性は、あなたの歪んだ心を吹き飛ばす力があった。
そしてあなたを変えてくれた。生きる意味を教えてくれたわ。
だから司。
これからのあなたは私の弟以前につくしちゃんの夫という立場を大切にしなさい。
それからどんな未来があなた達に待っているか、二人の前は絶えることなく新しい扉が現れ、その扉の向こうに何があるかは分からないけど、二人には今の気持ちを大切にして変わらずいて欲しいの。
でもどんな未来が訪れたとしても二人はきっと大丈夫だと思ってるわ。
だって、あなたたちは嵐の中を生きてきたんですものね。
それに私の知っている弟は妻が一番で、あの頃の母のように会社一辺倒にはならないわよね?だから心配はしてないけど__
椿が、そこまで書いたところで部屋の扉をノックする音と彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「椿様。お時間です。そろそろご出発なさいませんと飛行機の時間に間に合いません」
「分かったわ!でももう少しだけ待っててもらえないかしら?」
さてと。迎えが来たから私からの手紙はここで終えるわね。
それから私があなたに手紙を書くのはこれが最初で最後になるはずだけど、この手紙をあなたが読むのは何時かしらね?
忙しいあなたのことだから、移動中の車の中かジェットの中なんでしょうけど、さすがに秘書に代読はさせてないわよね?
それから結局何が言いたかったのかと言うと、要するに結婚するあなたに姉として愚痴を言いたかったってことかしらね?
ところで今この邸の庭にはツツジの赤い花が咲いているけど、結婚式を挙げる南の島にはどんな花が咲いているのかしら?
でもどんなに美しい花が咲いていても、あなたの目に映るのはたったひとつの花。出会った頃はまだ硬い蕾だったけど、今は大きな花を咲かせたわね?
それから、あなたの自転車が捨てられることなく残ってたの。チェーンは錆びているけど交換すれば乗れるそうよ。だからもしあなたたちの子供が生まれて自転車に乗りたいと言ったら使えるわね?だって物を大切にするつくしちゃんのことですもの。乗れるんだったら使うって言うかもしれないから。
あ、それからもういい年なんだから、うっかりだとしてもひと前で私のことを「ねーちゃん」って呼ばないように気を付けなさいよ。
でも、そうは言っても私のことを「ねーちゃん」と呼ぶのはあなただけだもの。だからやっぱり私はあなたに「ねーちゃん」と呼ばれることが嬉しいわ。それにこれから先も何があってもあなたは私の大切な弟なのだから。
じゃあね。本当にそろそろ行かなきゃ。
結婚式の日。あなたとつくしちゃんに会えるのを楽しみにしてるわ。
それから誰よりもあなたの幸せを祈っているわ。
あなたの姉、椿より。
< 完 > *おとうと*

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