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2019
02.15

銀色の雪 <前編>

Valentine's Day Story 2019
****************







丸くて重いもの。
その中は透明な液体で満たされ、小さな人形や建物が置かれ、雪に見立てた白いものがキラキラと舞っていた。

見る者に夢を与えるその形は球体。
日本ではスノードームと呼ばれ、海外ではスノーグローブと呼ばれる置物は、スノーと名が付く通り冬になるとよく見かけるようになるが、何も冬の風物詩といった訳ではない。
それは南の島が再現されたものや、桜の木がピンクの花びらを散らすものもあったりするのだが、男が手に取った球体には雪景色の中に男女の人形が幸せそうに微笑んでいる姿があった。

男は女を抱きしめ、抱きしめられた女は幸せそうな微笑みを浮かべている。
そして二人は今にも口づけを交そうとしているが、それは二人だけの完成された世界で永遠に変わることがない瞬間。球体を揺らせば雪に見立てたものがふわりと舞い二人の頭上に降り注ぎ、見る景色は人生にはラメが舞う瞬間がいつか訪れると約束されていた。

このスノードームは遠く離れた場所に住む恋人からの贈り物。
何でも持っている男に手作りのスノードームを贈ることを思い付いた女はクリスマスのプレゼントよと言ってニューヨークに住む男に送って来た。

だがそれはもう何年も前の話。胸の中で指を折り数えた年数は7年。
司が大学を卒業し重役として道明寺の経営に携わり始めた頃のこと。
そしてそれは長い間記憶の奥にしまったままでいた遠い日の想い出。
執務室のデスクの引き出しの奥深くに仕舞われ、長い間手を触れずにいたスノードームと同じで触れたくもあり触れずにいたいと思った記憶。
何故ならあの後、二人は別れることになったからだ。


司がその年のクリスマスプレゼントに恋人に贈ったのは革の手袋。
高価なジュエリーやバッグは要らないという恋人が喜んで身に着けてくれるものは何かと考えた時、頭に浮かんだのが革の手袋だった。
だが気に入った手袋はニューヨークの街にはなかった。
司が欲しいのは柔らかな革の手袋。デザインは飾りなどなくシンプルなもの。色は不自然に色が付けられたものではなくごく自然な色合い。そしてそれを手に入れたのは仕事で訪れたイタリアのローマ。小さな店で手に入れた革の手袋は、マホガニー色をしていて内側にはシルクが張られていた。


『いつか一緒にローマの街を歩こう。美味いジェラートの店を見つけた。』

そう言葉を添え贈った手袋。
だがその翌年の冬、二人は別れた。
理由は司自身の問題だった。それは実社会に出て間もない若者なら誰でも思うことだが、ビジネスだけに集中したい。それを成功させたい。
そんな思いが口を突いた。だがそれは二人の未来のため果たさなければならなかった母親であり社長との約束。
だが言葉を重ねれば重ねるだけ彼女を傷つけることを言ったはずだ。
そして電話口で言われたのは、「私がいると邪魔になる?」の言葉。
好きで好きでたまらなかった人の口からその言葉を言わせた自分は愚かだったとしか言えなかった。
離れた場所にいる彼女が邪魔になることなどなかった。
それなのにそう言わせてしまったのは、彼女が司の心の裡を察したと言える。

そして司はその時こう答えた。

「お前のせいじゃない。これは俺自身の問題だ」

それがこの世の中で一番大切に思っていた人と交わした最後の言葉だった。

そして彼女は大学を卒業し大手の出版社に就職した。今では月刊女性雑誌の副編集長をしているが、その雑誌から取材の申し込みが来た。
司は今まで女性雑誌のインタビューに応じたことはなかったが、今回は受けることにした。
それはかつてないことであり、彼の記事が載れば売れることは間違いなかった。
だが受けるに当たり条件を付けた。
インタビューは副編集長である牧野つくしがすること。
そして司は7年振りに牧野つくしに会うことを心待ちにしていた。




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2019
02.16

銀色の雪 <中編>

「7年振りか?」

「違うわ。7年半振りよ」

秘書に案内され執務室に入って来た女は感じのいい微笑みを浮かべ、パリッとした服装に右手はブリーフケースを持っていて、髪は肩口で切り揃えられメークは薄かったがきちんと紅が引かれていた。
洋服も鞄もこれみよがしのブランドではないが上質なものだった。
司は、そういったものを瞬時に見て取ったが、二人が付き合い始めた高校生の頃、彼女はブランドには興味を示さなかったが、今のそれは女性雑誌の副編集長としての装いなのか。

司は牧野つくしが副編集長を務める雑誌を見た。
若い女性がターゲットの雑誌の中身はブランド品で溢れ、今年の色はこれだと流行りを作り出すことが彼女の仕事だ。
そしてその中にはパリやミラノやニューヨークといった最先端のファッションを生み出す街へ旅する特集記事も組まれていて、牧野つくしも海外出張を当然のようにこなしているはずだ。

司がニューヨークで大学生だった頃。牧野つくしが彼の元を訪れたのは一度だけ。
まだあの頃は頬を赤らめどぎまぎとした態度が多かったが、こうして再会した牧野つくしは、物怖じしない大人の女性になっていた。

「変わってないな」

長い間記憶の奥にしまっていた言葉は、そんな言葉ではなかったはずだが、開口一番出たのはその言葉。

「そう?でも道明寺副社長も変わっていませんね?」

彼女はそう言ったが人は司を変わったと言う。
かつて問題児の御曹司と呼ばれた男は確かに変わった。
18歳で日本を離れニューヨークで暮らし始めたが、今もこの街で暮らし任された事業を景気の浮き沈みに関係なく成功させてきたのは、血筋と鉄の女と呼ばれる母親から受け継いだ手腕だと言われているが、それには努力という言葉もあった。

彼女と別れた時、がむしゃらという言葉だけで突っ走ろうとした。そして自分自身を見失い幾つかの選択肢の前で最悪の状況を選んでしまった20代前半があった。
それは実に愚かな己の姿。あの頃の司は心が淀みぐらついていた。そして7年、いや7年半前彼女と別れた後ずっと申し訳ないと思いながら生きてきた。そして彼女が幸福であることを祈り持てる力の全てを使い彼女を見守り続け、そこにあったかもしれない二人の人生について思いを巡らせたこともあった。

そして司が30歳となり副社長になった今。
かつての恋人がニューヨークまで取材に訪れることは、凍えついていた運命の歯車が再び回り始めたということか。
司は17歳で彼女と巡り合ったことを運命だと思っていた。率直な言葉で頑なだった司の心を解かすことが出来たのは彼女だけ。だから二人の人生がまたどこかで交差することを心のどこかで願っていた。
そして出会った年齢のことを考えれば、30歳の自分など遥か彼方の年であり、その頃には二人はとっくに結婚していると考えていた。

あの時、司の迷いが「私がいると邪魔になる?」と言わせたが、司は二人の恋は終った恋ではないと思っている。
それは彼女が司と別れてから誰とも付き合おうとしないこと。
そしてその事が、彼女がまだ司の事を思っているからという司の自惚れだとしても、司も彼女以外の女性を欲しいとは思わなかった。






司は執務デスクの下でスノードームを手にしていたが、引き出しを開けそれを入れると立ち上がった。
「いや。俺は変わった。少なくともあの頃より体重が2キロ増えた」と言って応接ソファに座るように促した。






***






秘書はコーヒーをテーブルに置くと出て行った。

「道明寺副社長。お忙しい中、貴重なお時間を割いていただき、うちの雑誌の取材を受けて下さってありがとうございます。秘書の方からお約束のお時間は30分とお伺いしていますので、早速ですが始めさせていただきたいと思いますがよろしくお願いいたします。今回のインタビューの内容はバレンタインデー特集のひとつですが、世界有数の企業である道明寺ホールディングスの副社長の結婚に対するお考えをお聞かせいただきたいと思います」

まるで過去のことに拘りはないといった様子で話す女は出版社に入社した同期の中では出世頭と言われていて、販売部数が落ち目と言われる出版業界に於いて月に25万部を売り上げる。
だから周りは彼女の意見を訊きたがり、彼女の意向が記事に反映されていく。今は副編集長だがいずれ編集長になることは間違いないと言われていた。
前もって取材したい内容は知らされていたが、今こうして改めて彼女の口から出た結婚に対する考えを訊かせてくれ。それはまさに司が7年半前に牧野つくしに言いたかったことだ。



『少しの間だが待っていて欲しいと。時間がかかるかもしれないが待っていて欲しいと』

本当ならあの時はそう言うべきだった。だが口を突いた言葉はそうではなかった。
だが今なら言える。

「結婚に対する考えか?」

「ええ。世の中の女性はあなたのような有名人の結婚に対する考えを知りたいと思っています。あなたはうちの雑誌の読者にとっては結婚対象となる年齢です。世の中にはあなたと結婚するとどんな人生を歩むのかと考える女性は多いです。ですからお聞かせいただきたいんです。あなたは結婚についてどうお考えなのかをです」

司の真正面に座る女は、真っ直ぐ彼を見つめ視線を外すことは無かった。
だから司も彼女の眼をしっかりと見つめて答えた。

「結婚は未熟な二人が結ばれて成長する関係だ。もし男の方が未熟ならその男より未熟じゃない女と一緒にいることで人として成熟していく関係だ。馴れ合いになって相手に嫌な所が見えても一生その人と共に過ごす。それが結婚だと思う。いや。俺の場合は俺の嫌な部分に馴れてもらうことになる。傲慢な所があるかもしれない。それを叱ってくれる女と結婚したいと思っている」

司はそこまで言って一旦口を閉じた。そして再び口を開くと今の自分の思いを伝えた。

「牧野。俺は取り返しが付かないことを言った。あの時お前に言った言葉はお前を傷付けた。
顔も見えない相手に冷たい言葉を言った。俺はあの時のことを忘れたことがない。牧野俺は_」

「お前のせいじゃない。これは俺自身の問題だ。あなたはそう言ったわ」

司の話は牧野つくしの放ったかつて司が口にした言葉で遮られた。

「いいのよ。気にしないで。あなたは道明寺司で、その名前が求めることをするためにこの街に来たんですもの。ビジネスが優先されるのは当たり前のこと。だから悪いとは思わないで。私とあなたは元々別の世界の人間だったんですもの。それに社会に出て間もない年齢の頃にはよくある話でしょ?社会人になると学生時代に付き合っていた相手が幼稚に感じてしまうって。それに社会に出て自分の置かれる立場を認識してみれば、それまでと違った何かが見えて来る。……だから私も同じ。大学を卒業して社会に出れば視野が広がって色々な事が見えて来たの。だから気にしないで。きっと私たちは同じ人生を歩む人間じゃなかったのよ」

牧野つくしの口から出た言葉は司にとって何の慰めにもならなかった。
司と同じように年齢を重ねた女はかしこい。それは彼女の仕事ぶりを見れば、元来の頭の良さが発揮されていることは十分理解出来るのだが、司にしてみれば若かった二人のじゃれ合いが懐かしかった。
それに達観したような言葉を言われるよりも罵ってもらえるほうが良かった。
ビジネスの世界では当たり前のように見る取り澄ました表情ではなく感情をあらわに言って欲しかった。
そうすればすぐにでも土下座をしてあの時のことを許して欲しいと言えた。
だが今司の前にいる女は、10代でもなければ20代前半の女でもない。出版社でバリバリと仕事をこなす副編集長だ。
だが彼女がここにいるのは、仕事だからここに来た。それだけだとは思いたくない男がいた。




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2019
02.17

銀色の雪 <後編>

与えられた時間は30分。
だがそれでもわざわざ日本からニューヨークまで取材に来たのは、彼だけのためではないと分かっていた。

経済的に誰かに頼ることはしない。精神的にも依存しない。付き合うなら対等じゃなきゃダメと高校生の頃から言っていた女は、自分の仕事に誇りを持ち海外出張も日常的なものとなっている。だから与えられた時間を有効に使うことを知っていて、司に向けられる質問も回りくどい言い方は一切なかった。

『結婚に対する考えを訊かせて欲しい』

かつて結婚を約束していた女の口から訊かされるその言葉は、あなたにとって幸福とはなんですか?そう言われているのと同じだと感じられた。
それならと自分の気持ちを正直に告げようとしたが彼女は司の言葉を遮った。
しかしそれはインタビュアーとしては、してはいけないこと。
聞き手はあくまでも相手の喋ることを聞くことが仕事だが、今回の司に対しての取材申し込みも彼を評価するのではなく、彼の情報を得ることが目的のはず。
だが彼女は相手の言葉を遮った。つまり裏を返せばそうしてまで自分の意見を言いに来たということ。二人の交際を俺自身の問題だと言い、電話だけで別れてしまったことを気にしないでと言った女は、それからは覚悟を決めたとばかりに生きて来た。だからこうしてニューヨークまで足を運んで司に会おうことを決めたのは、あの時彼女を寄せ付けようとしなかった男に文句を言いに来たということだ。それに7年半頑張り続けた自分を見せたいという思いもあったはずだ。

司の心は軋んだ。
今目の前で背筋をピンと伸ばし座る女は、きっと記憶を淘汰することなく生きて来たはずだ。だから司が牧野つくしからの取材なら受けると言っていると訊いたとき迷うことはなかったはずだ。

だが記憶を淘汰することがなかったのは司も同じだ。
そしてやり直したいという気持ちはずっと心の中にあった。
だから司は彼女がテーブルの上のコーヒーカップに手を伸ばしたとき、同じようにカップに手を伸ばし、いくらか身体を彼女に近づけ「訊かせて欲しい」と言った。

司がテーブル越しに見るのは牧野つくしの黒い瞳。
そして彼女が見たのは司の黒い瞳。だがその視線はスッと外れネクタイの結び目あたりに落とされた。

「何を訊かせて欲しいの?…..ねえ道明寺。私たちは別れて7年半が経ったの。私もあなたも今はそれぞれの分野で頑張っているわ。それ以上相手の事を知ってどうするの?」

静かに言われたその言葉は、今日こうして会ったのは仕事だからであり他意はないと言いたいのか。それでも司はこのチャンスを逃す訳にはいかなかった。

「牧野。俺はお前とやり直したい。あの時は自分を見失ってた。いや。これは言い訳か。だが取り返しのつかないことをしたと後悔した。それにあの後あきらからお前が大学を1週間休んだと訊かされた。三条がお前のアパートを訪ねたが応答がない。だが携帯に電話をしてみれば旅に出ていると言われた」

日本を離れている司に変わって牧野つくしを気に掛けていたのは、美作あきらと彼と付き合い始めた三条桜子だった。そして桜子は親友が突然旅に出たと訊き何かあったのだと司に電話をしてきた。そして彼らが別れたことを知った。

「その時思った。俺がもっとちゃんと言葉を言えば良かったんだと。言葉が足らなかったんだと。それからお前は旅から戻って来たが、あきらや三条がどこへ行ってたと訊いても答えなかった。なあ。あの時どこへ行ってたんだ?」

司は桜子から牧野つくしが大学に現れないと訊いたとき、すぐにでも東京に向かいたかった。だが出来なかった実状があった。

「千葉よ。太平洋が見たくて九十九里浜に行ったわ。そこで日がな一日海を眺めてたわ。
冬の太平洋からの風は冷たかったけど空は澄み渡っていて太陽の光りが当たればそれなりに暖かかったし心が洗われた感じがしたわ。だから今更だけど心配しないで。私は道明寺が思うほど弱くないから」

そう言った女はコーヒーを口に運んでひと口飲んだ。そして言葉を継いだ。

「ねえ道明寺。『愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである』って言葉を知ってる?」

「ああ。サン=テグジュペリの言葉だろ?」

出版社で働く女は月に25万部を売る女性雑誌の副編集長の地位まで自分を高めるため誰とも付き合うことがなく努力を惜しまなかったが、フランス人作家サン=テグジュペリの言葉を引用したのは自分と同じ方向を見つめることが出来ない男とは付き合いたくないという意味なのか。

「私はあのとき道明寺が見つめている同じ方向を見ることが出来なかった。私はあなたが社会に出て大変な思いをしていることを理解していると思ったけどまだ学生だった私は理解出来ていなかった。だからふさわしくないと思えたの。社会を知らない私は邪魔になると思った」

「牧野_」

司は言いかけたが言葉を継ぐ前に遮られた。

「訊いて道明寺。今日こうしてあなたに会えて良かったと思ってる。取材の申し込みをしたのは私じゃなかったけど、私じゃなきゃ取材を受けないと言ってくれて良かったと思ってる。だってそうじゃなきゃ二人だけで会えることはないと思ったから。だってあなたはいつも大勢の人に囲まれて、周りには沢山の靴音があってあなたの傍に近づくことは出来ないもの。だから見ることが出来たのはあなたの背中だけよ」

司は彼女の口から出た意外な言葉に即座に訊いた。

「俺に会いに来たのか?」

「仕事で何度かこの街に来たことがあるの。もちろんファッションの取材でね。その時偶然あなたの背中を見たことがあるの」

司の問い掛けにはイエスともノーとも答えなかった。そしてファッションの取材だと言ったが司はファッションに興味はない。だからニューヨークで有名デザイナーのコレクション発表があったとしても訪れたことはない。
つまり彼の背中を見たのはファッションに関係ない場所でということになり、可能性として高いのはこのビルの中だということになる。何故ならここに来れば確実とまでは言えないが会えるからだ。

牧野つくしが会いに来た。
理不尽な言葉をぶつけ別れてしまったが、今二人の間に漂う沈黙は司に与えられた許しの時間なのではないかと思った。それは7年半振りの再会は初めこそ道明寺副社長と呼ばれはしたが、今は道明寺と呼び捨てにされていて、その呼び方に不自然さは感じられないからだ。だから司はこの7年半の間、本当なら7年半前彼女が司に向かって言いたかった事ならどんな非難も受けるつもりだ。いや。受けなければならなかった。
だが彼が口を開こうとした時、目の前の女は立ち上り腰を下ろしたままの男に言った。

「道明寺。いえ…..道明寺副社長。そろそろ約束のお時間が終るようです。本日は我社の雑誌の為にこうしてお時間をいただけたことは大変光栄です。原稿は出来上がり次第お送りしますので目を通していただければと思います。それから写真については広報の方からいただいた物を使わせていただきます」


約束の30分が終わり彼女は出て行った。
そしてその間。取り付く島もないと言えばいいのか。自分に非があることを認めている男は強引に事を運ぶことが出来ずにいた。
それは彼女のことを思ってなのか。それとも自身の不甲斐なさなのか。強気な男と言われる男でもひとつだけ弱点があるとすれば、それは彼女だ。
彼女のためならどんな事も出来る。全てを捨てることが出来るといった少年がいたが、その少年は我慢をすることを知らなかった。自分が幸せになるためには彼女が必要だと言った。だが大人になった男は自分の幸せよりも彼女の幸せを考えた。


自分がいない方が彼女のためになるのではないかと。


その時ノックの音がして秘書が扉を開けて入って来た。

「司様。こちらが廊下に落ちておりました」

目を上げた司に秘書が手渡して来たのは女性物の革手袋。
色はマホガニーで内側にシルクが張られた手袋は見覚えがあった。だが似た様な物はどこにでもある。しかしその革手袋には決定的な違いがあった。それは手首の内側に『T.M』とイニシャルが入れられていること。

「今ならまだ間に合います」と秘書は言った。

司は立ち上ると執務デスクへ向かい、引き出しの中からスノードームを掴むとエレベーターに向かった。だが既にエレベーターは降下を始めていた。それは、ほんの僅かな時間で彼女は地上に着きこのビルから出て行ってしまうということ。

「西田!受付けに連絡しろ!コートの色は黒。髪は黒髪で肩までの長さの東洋人の女を見かけたら引き留めろと言え!」

強がりを言わせたと分かっている。
それは昔からだった。だからたった今までここにいた女の言葉も強がりだ。
ドライな女を装ってはいるが、そうではない。若かった二人は心がすれ違っただけで彼女はまだ自分を愛しているはずだ。

司の乗ったエレベーターは役員専用であり地上まで止まることはない。
だから例え彼女がこのビルから出たとしても捕まえるチャンスはある。
そして捕まえたら一生離さないと誓う。そして彼女が望む物ならどんな物でも与えたい。
だが彼女が欲しがるのは物ではない。
それを知る男は地上に降りたエレベーターの扉が開くと駆け出していた。














胸を張って生きる。
それは誰もが望む生き方。
だが誰もがそれが出来るかと言えばそうではない。
それでもつくしはそうして来た。
自分には仕事がある。だから大丈夫だ。
そして今日こうして7年半振りにかつての恋人に再会して思った。
あの別れは無駄になっていなかったと。
それはかつての恋人があの頃よりも大人になったこともだが、副社長として人として立派になったと感じていたからだ。
だが自分はいったい何をしに来たのか。それは雑誌の取材のためだが、そうではないことは分かっている。
それはケジメとして会いたかったから。
会って話がしたかったから。
いつかチャンスがあるならと思っていた。そしてそれが正直な気持ちだが、まさか自分がここまでセンチメンタルだとは思いもしなかった。
だが会えたのだし、話すことも出来たのだからこれでいい。
やり直したいと言われたが、彼には彼の生きるべき道がある。
だからこれでいいと思っていた。

つくしは混雑したエレベーターの中で鞄を握り直し英語の会話を訊きながらそんなことを考えていたが、やがて扉が静かに開くと前に立っていた人間がロビーに吐き出されて行くのを見ていた。そして最後に箱の中から降りたが、真正面に立つ人物に気付いた。
そこにいたのは黒いスーツを着た男。その男がつくしに向かって近づいて来ると彼女の前で跪いた。

「Will you please be my wife?」

『妻になってくれないか?』

そしてポケットの中から見覚えがある球体を取り出したが、それはつくしがかつて恋人にクリスマスプレゼントとして贈ったスノードーム。その中は微笑みを浮かべた男女が今にも口づけを交そうとしている姿があった。そして二人の上には雪に見立てた銀色のラメが舞っていた。

「この中の二人は永遠にこのままだ。だが俺たちはこの二人よりも幸せになる。だから俺と結婚してくれ」

それは大勢の人間が行き交うビルのロビーでのプロポーズ。
公開プロポーズはアメリカでは驚くことではないが、それでもここにいる人間は誰もが驚いた顔で立ち止まっていた。それはその男がこのビルの持ち主である道明寺財閥の後継者だからだ。そして彼が差し出しているのが指輪ではなくスノードームだということに不思議そうな顔をした。

だが仮に彼が道明寺司でなくても人は足を止めたはずだ。
何故ならアメリカ人はこういったことが大好きだからだ。
そして彼らはそうすることが礼儀だというようにプロポーズした男を応援するが、今回ばかりは、しんと静まり返ったロビーは誰もが女が何と答えるのかを待っていたが、日本語が理解出来ない彼らは二人の行動で理解するしかなかった。




「一人でいることに飽きたの?」

「ああ。そうだ。一人でいることに飽きた。いやそうじゃない。お前と結婚したい」

「ビジネスがしたいの間違いじゃないの?」

「いやそうじゃない。ビジネスも大切だがお前の方がもっと大切だ。それに俺と結婚すると付録も色々付いてくるが得もする。だから結婚してくれ」

「どんな得なのかによるわね?」

「どんな得が知りたいか?」

「ええ。出来れば今すぐにね」

どこか憮然としながらそう答えた女は鞄を床に落とし男の手からスノードームを受け取った。
すると目の前の男はニヤッと笑って立ち上ると女を抱きしめ、「そうか。じゃあ教えてやるよ」と言って唇を重ねた。

口づけは周りの拍手と共に続けられたが、やがて男は息が絶え絶えになった女を抱上げビルの正面玄関に横付けされた車に乗り込んだ。
そして女の手にしっかりと握り締められたスノードームをスーツのポケットの中に仕舞うと、今度は彼女の左手の指にダイヤモンドの指輪を嵌めた。




その男の唯一絶対のカッコ良さを知る人間は世の中に沢山いる。
だが逆に唯一絶対のカッコ悪さを知る人間はひとりだけ。
それはたった今彼の指輪を嵌めた女。だが彼女は司のカッコ良さも悪さも関係ない人間。
司が結婚したい女は仕事が出来て少し生意気で情に弱く涙もろい。
だから彼が指輪を嵌めた瞬間泣いていたが、それが彼女の心からの涙であることを男は知っていた。



車窓の向こうは雪が降っている。
その雪は晴れているのに降る雪。
スノードームの中を舞うラメのように光りを放って消えてゆく銀色の雪。
その光りが冬のニューヨークの街を薄っすらと覆い始めていた。




< 完 > *銀色の雪*
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2019
02.18

こんな素敵な日は世界が美しい~続・銀色の雪~

牧野つくしが副編集長を務める女性雑誌のバレンタイン特集。
その記事の中に道明寺司のインタビュー記事が載る。
それは今までどこの雑誌も成し得ることが出来なかったこと。だから多くの女性が雑誌の発売日を待った。そして月に25万部を売る雑誌の売り上げはどれくらいになるのか。
出版社としては数字が読めない訳ではなかった。だがそれは読者が心待ちにしていたものとは遥かにかけ離れた内容のものであり、果たしてどれくらい売れるのか全く予想がつかなかった。

そして発売された雑誌の表紙を飾った文字。
それは『道明寺ホールディングス副社長道明寺司氏結婚!7年半の時を経て初恋の人と結ばれる』
そんな見出しで綴られたストーリーは当雑誌の副編集長である牧野つくしとの恋について書かれていて、記事の写真はローマで過ごす二人の写真がふんだんに使われていた。


『胸を焦がすような思いは彼女に出会うまで経験したことがなかった。そしてそれが恋だと知った時、心は彼女だけに向けられていた』

今まで自分の私生活について語ることがなかった男のその言葉は多くの女性の心を打った。
そして向けられた視線はカメラではなく妻となった女性を見つめていたが、その瞳は経済誌では見たことがない優しさを湛えていた。

ボルゲーゼ公園近くにあり、スペイン広場・階段までも近いホテルは道明寺グループのホテルメープル。そこで撮影された写真はタキシードにウエディングドレスを着た二人の姿。
スペイン広場からスペイン階段を登った場所にあるトリニタ・ディ・モンティ教会の前に佇む二人の姿はセピア色で撮られていて、それはまるで映画『ローマの休日』のような雰囲気があった。
夕暮れ時、テヴェレ川右岸にあるサンタンジェロ城をバックに橋の上で撮られた写真は、手を繋いだ後ろ姿だったが、それだけで絵になった。
トレビの泉の前でジェラートを食べる二人は、その甘さを確かめるよりも互いの唇の甘さの方を求めていた。
そして芸術の神と呼ばれるミケランジェロが作った十字架から降ろされた我が子の遺体を抱く母の彫像の前にいる二人は、祈りを捧げていた。

シャッターが切られるたび変わる表情。
雑誌に載ったどの写真も見ている方が照れるような顔をした男が写っているが、その男は世間からの称賛を求めているのではない。
そこにあるのは地位や名誉や美貌といったものは関係ない。経営者でもなければ世界有数の資産家でもない。ただ妻となった女性を見つめるひとりの男の姿だけがあった。

そしてサン・ピエトロ大聖堂のクーポラと呼ばれる円いドーム状の天井の下での二人の姿。
ドームの中央から降り注ぐ冬の光は神の慈愛のように柔らかな光で夫妻となった男女を祝福していた。

二人がローマの街で式を挙げたのは、
『いつか一緒にローマの街を歩こう。美味いジェラートの店を見つけた。』
そう言葉を添え贈った手袋があったからで、その手袋があったおかげで司は彼女がまだ自分のことを思っていてくれたことを知った。
そして共にこの街を訪れたが、今度は彼女が『T.D』とイニシャルが入った黒い革の手袋をプレゼントしてくれた。
だから司も妻に新しい手袋をプレゼントしたが、そこでひと言言われたのは、
「あの手袋まだ使えるのに。もったいない」

司の妻になった女の職業はファッションが売りの女性雑誌の副編集長。
だが高価なブランド物をとっかえひっかえする女ではない。
それよりも、愛着のある物を長く使いたいという女。
だから司は言った。

「分かってる。物を大切にするお前にしてみれば、まだ使える手袋があるのに新しい手袋は必要ねえってことだろうが俺は新しいイニシャルが入った手袋をお前に贈りたいんだ」

世界中のどんな高級な物も買える男が拘る手袋のイニシャル。
だがそれは誰が見るというものではない。それでも司は妻となった女に新しいイニシャルが入った手袋を使って欲しかった。
何故なら彼女のイニシャルも司と同じ『T.D』となったから。
そしてそれが男の独占欲の表れだと分かっている妻は笑って言った。

「分かったわよ。新しい手袋を使うから。でもこの手袋は捨てないからね?」

そんな女を後ろからつつみ込むように抱く男の写真には、特別な言葉が添えられていた。

『こんな素敵な日は世界が美しい。だが人生は美しいものではないかもしれない。楽しいものではないかもしれない。それでもどうすれば楽しく生きることが出来るか。彼女に再会して考える事が出来た』






今までの二人の人生は間違いではない。
彼女のためならどんなことでも出来るというあの頃の思いは嘘じゃない。
だが約束の未来というのは無いかもしれない。
明日は今日の延長ではなく、何が起こるか分からないのが人生だからだ。
けれど、二人がこれから一緒に過ごす時間は永遠であることを願いたい。
そして男の言葉に込められているのは、あの頃にときめいていた心は変わらないということ。








「ねえ。司」

「なんだ?」

「司のこと。愛してる」

ローマの街では、いたるところでキスをする男女を見かける。
だから二人がキスをしても、男が女を抱きしめても、誰も気に留めることはない。
だがグローブショップの店員は、真新しい指輪を嵌めた二人が買った手袋を、微笑みを浮かべながら丁寧に包んでいた。




< 完 > *こんな素敵な日は世界が美しい*
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