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2019
01.15

金持ちの御曹司~できるだけ純情でいたい~ 

「ゴホン」

咳にも色気を感じさせる男は最後の書類にサインをして再び咳をした。

「支社長どうかされましたか?お風邪でも召されましたでしょうか?」

「…いや。大丈夫だ。けどなんか喉の調子がおかしい」

「そうですか。インフルエンザが流行っておりますのでお気をつけ下さい。それに支社長のお身体は支社長だけのものではございませんからご自愛いただきませんと。本日の仕事はこれで終わりましたので早くお帰り下さい。それから栄養のあるものを召し上がりになってゆっくりなさって下さい」

と西田は言って書類を受け取ると執務室を出て行ったが、司の身体は一体誰のものなのか。帰り支度をしながら考えたが当たり前のことを考えるほど馬鹿な話はない。
それは言わずもがなで、司の身体は恋人のもので頭のてっぺんから足の爪の先まで全ては牧野つくしのものであり他の誰のものでもなかった。
そしてそう思う男は、牧野つくしのことだけは何人たりとも文句を言わせないという凄みを醸し出していた。


艶やかな魅力がある男と言われる司は半端ない破壊力を持つと言われているが、今よりももっと若い頃は凶器だ。劇薬だと言われたことがあった。
それはまさに触る物すべてを傷つけていたと言ってもよかった。
そしてそんな男が一体何を破壊してきたのかと問われれば、それは余りにも多すぎて割愛させてもらうことにする。

だがそんな男も不惑の年になれば男は落ち着くというが司の心はいつまでも17歳。
何しろ17歳という年は、彼にとっては忘れられない年だったのだから。いやその前に司は不惑の年齢ではないのだから落ち着くことなどありはしなかった。


17歳で初めて唇をつけて以来何度も重ねてきた唇。
だが初めてキスをした時のことを忘れることは出来なかった。
あれは熱海の海に浮かべたクルーザーの中での出来事。偶然重ねた唇は柔らかく甘かった。
人は嬉しいことがあると宝くじに当たったみたいだと言うが、司にとってあの日のキスは10億以上の価値を持つキスだった。それに司にとって10億などはした金だ。

そしてあの日から牧野つくしとどうやったら再び唇を重ねることが出来るかを考えた。
司は身体が大きいし力も強い。だからその気になれば簡単に相手を傷つけることが出来る。けれど、牧野つくしを傷つけたことはなかった。
たとえどんなに嫌がられても、どんなに避けられても彼女を傷つけることはしなかった。
つまり凶暴だと言われていた男も牧野つくしの前ではある意味純情だった。

だがモテたい。
牧野つくしだけにモテたい。
その思いから暴走したこともあった司の想い。
欲望を感じ夕暮れ時学園の廊下で押し倒してキスはしたがそれ以上のことはしなかった。いやしなかったのではなく、彼女の泣き顔に手を出すことが出来なかった。
だがその逆に男には容赦がなかった。牧野つくしを傷つけようとする男には怒りをあらわにした。彼女のためにわざと殴られたこともあった。たとえ火の中水の中とばかり命をかけて彼女を守ったこともあった。

そして今のふたりは恋人同士となり数年が経ち、司が平成最後の年に見た初夢は、はじめてデートをした日の夢だった。
つまりエレベーターの中に閉じ込められて一夜を明かした夢。
だが夜が明けるまでの間にふたりの距離はグッと縮まったと司は今でも思っている。
そしてどこか甘酸っぱさが残るあの一夜を思い出すたび頬が緩んでいた。

だがあの時風邪をひいて熱を出した司は、甘酸っぱさとは別の匂いを感じていた。
それは今でも脳裡に刻まれているネギの匂い。あの時、信じられないことに首にネギを巻かれるという経験をしたが、それは初体験。
そしてその時はじめてそれが庶民の間に伝わる風邪の症状を緩和する方法だと知った。

それにしても何故ネギが風邪にいいのか。
だが牧野つくしがいいというから大人しく巻かれたが、あの時のネギは埼玉の深谷(ふかや)ネギだったのか。それとも群馬の下仁田(しもにた)ネギだったのか。





「ねえ知ってる?深谷ネギは少し贅沢なネギなの。でも下仁田ネギはもっと贅沢なのよ?だって江戸時代にお殿様に献上されてたんだから」

いつもより早く帰宅することが許された男を待っていたのは愛しい女。
そしてその女にネギの話をされても、ネギなど気に留めたことがなかったのだから鍋に入れるネギがどこのネギであろうと構わなかったが、いつだったか内閣総理大臣だった父親を持つ女性国会議員が、地元の特産品である下仁田ネギを支援者に贈り、それが政治資金規正法違反で問題になり、ネギにしては高価なことが話題になったことがあった。
だがなぜ司が深谷ネギや下仁田ネギを知っているのか。それはやはり牧野つくしの影響が大きかった。

そしてあの時、司の首に巻かれたのは下仁田ネギではないことは確かだ。
何しろ牧野家は貧しく、贅沢と言われる下仁田ネギが買えるとは思わなかったからだ。
それに下仁田ネギは短い。だが深谷ネギは長ネギだ。それならやはりあの時のネギは深谷ネギのはずだ。
だがなぜ司がここまで白ネギについて考えるのかと言えば、ふたりはこれから司の部屋で鍋を食べようとしていたからだ。

それは秘書が気を訊かせ司の恋人に告げた、風邪気味ですので身体が暖まる食事をとの言葉に用意されたメニューだったが、高校生の頃色々あってニューヨークに旅立つ前に食べた鍋があった。あの時また鍋をしようと約束したが、あれが最後の晩餐になる。そんな思いもあった鍋は暖かかった。
やがて大人になり何度も食べた鍋料理。
冬と言えば鍋で、ふたりで色々な鍋を試したが、ネギは欠かせない存在だった。

それにしてもまさか司がネギについて考察するとは誰も思わないはずだ。
だがネギはふたりにとって思い出深い食べ物であり、あの事は一生忘れることはない。
そして風邪をひいたかと思えば、病院に行くより風邪薬を飲むより、ネギを首に巻いてもらいたいと思う男はどうかしているかもしれないが、ネギがふたりの運命を変えたのは、お大袈裟かもしれないが、それほどあのネギの存在は大きかった。

そしてまだ何も知らなかったあの頃の純情が懐かしいと思う。
だが恋はネギがあろうがなかろうが常に前を向き進んでいる。
そして今恋人がネギを手に鍋の用意をする姿を見れば、あの時のことが思い出された。


たかがネギ。
されどネギ。
胃腸に優しく栄養豊富であるネギ。
疲労回復に役立つネギ。
だから恋人のために作る鍋料理に使われるネギは多かった。

「ねえ道明寺?ネギ多めよね?」

「ああ。そうしてくれ」

恋人にネギの量を訊く女とそれに答える男。
世の中の人間は、まさか道明寺司が白ネギ好きだとは誰も思わないはずだ。
そして彼女の作る料理ならどんなものでも口にすることが出来る男は、大人になりネギの甘みというものを知ったが、それは牧野つくしのようだと思った。
それはネギの白さが恋人の肌の白さと似ていたからだが、着実に十代から二十代へ。
そして三十代へと年を重ねていくふたりは、人生の辛さも甘さも感じていた。


そして懐かしく思うふたりが経験した初めてのデート。
古びたビルのエレベーターに閉じ込められるというアクシデント。
そこで起こった首にネギを巻かれたことは、彼女と繰り返し思い出す笑い話だ。






「道明寺。火、点けてくれる?」

切った野菜を盛った皿を手に恋人がテーブルに戻ってくると、司は言われた通り卓上コンロの火を点けた。

「あ、お玉!」

と言って腰を浮かせキッチンに戻ろうとしている恋人に「いい。お前は座ってろ。俺が取ってくる」と言った男は今では立派な鍋奉行だ。
だが決してこれを喰え。それはまだ煮えてないからこっちを喰えとは言わない。
ただ食べごろの野菜を器に取り彼女に手渡すだけ。そして美味そうに食べる女を見るのが彼の幸せ。立ち上る湯気の向こうから、美味しいよ道明寺、と笑顔を浮かべる女の顔を見ることが司の気持を満足させた。
そしてたまに俺にも食わせてくれと甘えてみれば、クスッと笑いながらも箸を彼の口元へ近づけてくれる女に愛おしさが募っていた。








愛情たっぷりの鍋は身体を芯から暖め、気持ちを和らげ心に温もりを感じさせてくれる。
それは同じ釜の飯を食べるのと同じで同じ鍋をつつけば暖かい気持ちになれた。
そして早く同じ釜の飯を毎朝食べる日が来ることを願っている男は、寒いあの日にもたらされたネギの匂いと、風邪をひいて熱があったとしても手をださなかった純情さを懐かしく感じていた。


司にとって特別な人。
その人の前でなら解放感に身をゆだねることが出来る。
そして男の意地とけじめを持つ男は、彼女に忠実で嘘をつかない男の純情は、人生で一緒に手を取り合ってくれる女と鍋がつつけることに幸せを感じていた。





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