父は華がある男だ。
それはいつも周りから言われることもだが、娘の私の目から見てもそうだった。
背が高い父は太ってはおらず、恰幅が良いとは違う。だからと言って痩せているわけではなく健康的な身体をしている。それは頑丈な欅(けやき)の木のように大黒柱として君臨する姿。まさに道明寺という大企業の社長に相応しい男性と言えるのが父の姿だ。
高校生の頃、同級生が遊びに来たとき父を見かけたことがあった。
黒い瞳は大人の知的さを湛えセクシーだと言われ、年齢に関係なく女性を虜にすると言われていた父。
そしてそのとき友人たちが「かっこいい」とため息をついたが、きっとその息の半分は私に対して羨ましいといった羨望が込められていて、若くはない男の魅力というものが同級生たちの心を捉えた瞬間だった。
そんな父のきちんと手入れがされた素晴らしく長い指が、幼い頃学んだというピアノを優雅に奏でることが出来るのを知っているのは家族と親しい人間だけだ。
そしてある日。タキシード姿の父が大勢の人の前でシューマンのトロイメライを弾き始めた時には誰もが驚いた。
だがそれもそのはずだ。今まで家族の前でしか弾いたことがないピアノを、愛する人、つまり父の妻であり私の母の誕生パーティーとは言え奏でることがどれほどのことか。
それは滅多に見られない光景であり、その場に招かれた客たちの眼差しは驚きと羨望を湛え、父の指先が奏でる音色をうっとりと訊いていた。
そして父は演奏を終えると母の傍に向かったが、その手にはピアノの上に置かれていた一輪の赤いバラが彩りを添えていた。
赤いバラは父の好きな花だ。
タキシードを着た父が堂々とした態度で、たった一輪のバラの花を手に妻の元に向かって歩くその姿は、エレガントにセクシーさがまざり、娘の私でもかっこいいと思えた。
そして父は自分に注がれる眼差しというものを一切気しない。それは幼いころからずっとそうだったからというのではなく、自分の興味がない人間に対しては、相手がどれほど偉い人間でも、いや、父の権力に匹敵する者などいるはずがなく、そしてどんなに美しい女性だとしても、美醜にも重きを置かない父は目を向けることはなかった。
そして家族以外の人間に感情を見せることはない父だが、母を相手にしている時だけ感情を見せる。それは普段の無表情さが影をひそめ、父は感情豊かな少年のようになり、「つくし」と母の名前を呼ぶとき、いつもは低い声のトーンが少しだけ上がり、きれいで男らしい声になる。
つまり父を喜ばせるのは母の笑顔だ。
だが母は父と結婚した当時、つり合いが取れないと言われた家の娘だった。
顔立ちも十人並で、勉強が好きだった母の学歴は良かったとしても、家庭の状況は祖母が望んでいたものとはかけ離れたものだった。
対して父はどんな女も、どんな遊びも望めば出来る男だった。だが父は母と出会って人生の全てが変わったと言った。そして私や弟たちが生まれこんなに幸せなことはないと言った。
ただ、父はいつも言っていた。
それは自分の至らなさを誰かのせいにして生きることはするな。
自分の人生はたった一度だけ。苦しみも辛さも、やがて誰にでも訪れる人生最大の悲しみも、すべては自分の生き様が現れている。それを理解して全てのことに感謝しろ。
若い頃の父を知る人が訊けば耳を疑うと言われるその言葉。
母と出会う前の父は手に負えなかったと父の姉であり伯母から訊いていた。
弟は虚無の世界に生きていた男で、世の中の全てのことに対して否定的だったと言った。
そしていつだったか祖母の口から語られた、あの子が道明寺を継いでくれることを望んでも叶えられないと思っていたわ。
だが今の父の姿からは、そんな過去を想像することは難しいはずだ。
つまり父はそれほどまでに変わったということだが、そうなったのは、自分の人生を伴走してくれる女性を見つけたからだが、それが母だ。
そして人は思いもかけない光景を目にすると言葉が出ないことがあるが、今はまさにその状況だ。
父は母の前まで来ると手にしたバラを母に差し出した。
勿論、私は父がバラを手にした時点で何をするのか分かっていた。
何故なら父は大変ロマンチストな人だからだ。
そしてここにいる大勢の招待客も薄々分かっていたはずだ。だがまさか父がひと前で母の唇にキスをするとは思いもしなかったはずだ。
「奥さん。誕生日おめでとう」
と言って185センチの高さから魅惑の眼差しを向ける父は家ではよき家庭人だが、そこには他のどんな男性も敵わない色気があった。つまり世間で言われるフェロモンというのは父のためにある言葉でその色気が母意外に向けられることはないのだが、それは大人の男の匂い。そんな父の傍に寄ればかすかな煙草の匂いがするが、それが私にとっての父の匂いだ。
「なに照れてんだ?」
父は母が照れることを見越してひと前でキスをした。
そして父は母の手を取り母が照れる様子を楽しんでいたが、今度はその手の甲にキスをすると、父は母が照れるほど幸福な顔をする。つまりそれだけ母の幸せが父の幸せだと言えた。
そして沢山の高価なプレゼントよりも、たった一輪の花を喜ぶのが母だと知っている父の喜ぶものは、母の作る出汁巻き卵だと私は知っている。
短期間のうちに恋におちた父。
それからもずっと恋におちている父。
子供たちの前でも照れることなく母を褒める父。
軽井沢や箱根の別荘へ父の運転する車で出掛ける時、母の作ったおにぎりを美味いといい食べる父。別荘ではしゃぐ子供たちを眼を細めて見るが、父が母を見つめる眼は子供たちを見る眼とは違っていた。だが実際子供の私から見ても母は可愛らしい女性だと思った。
「奥さん。どうした?」
父は母の手を取ったまま離さない。そして音楽が流れ始めると顔中に笑顔を広げた。
父は高校卒業と同時にニューヨークへ旅立った。そしてその時、4年後母を迎えに来ますと言った。
本来ならプロムでダンスを踊るはずだったふたり。だがそのダンスはふたりが結婚式を挙げるまでおあずけとなった。それ以来父は母の誕生パーティーにはダンスを踊る習慣があった。そしてこの時のためだけに用意されたオーケストラが奏でる音楽に乗ってふたりはワルツを踊り始めた。
華やかでお金持ちだと言われる父。
だが年を経てもジーンズが似合う父。
物の価値は画一的でしかなく、高いとか安いとかではなく、その物を必要とした人間がその価値を決めるという父。
だから父はどんなにお金を積まれても手に入れることが出来ないものがあることを知っている。それは人を愛する気持ち。一度手に入れようとして手に入れることが出来なかったという人の気持。それは贅沢とは無縁だった母と出会い知った気持ちだと訊かされた。
やがて父の髪がホワイトグレーに変わっても、父は今と変わらず母に愛を囁くはずだ。
そして父が愛おしそうに母を見つめる姿は、私の理想の男性の姿だ。
いつか父を超える男性が私の前に現れる時が来ると信じている。
それまでは父が私の恋人だ。と、そんなことを高校生の頃真剣に考えたことがあった。だが今の私には素敵な恋人がいる。
父の人生と母の人生があったから私は生まれた。
ふたりが巡り合わなければ私は生まれて来ることはなかった。
だから両親の誕生日が祝われることに歓びを隠せない。
だがいつまでも幸せな夫婦でいられるには、子供の私が知らないこともあったはずだ。
父に愛された母は幸せだ。
そして母に愛された父も幸せだ。
つくし、と愛おしげに、父は時々母を呼ぶ。
そして今日の記念日が父と母にとって何度目の記念日なのか。
それは私の人生にも重なることだが、記念日は何度祝っても幸せを感じることが出来た。
そして我が子だから容易に想像出来ることがあった。それは父の母を思う深い愛情は、寿命が尽きても変わらないはずで、墓場までと言わず、あの世に行っても母を思っているはずだ。
つまり、肉体が滅び魂だけになっても母の傍にずっといるということだ。
言い方を変えれば父の変質的とも言える愛。
だが若い頃、生きている意味が見いだせなかった父にとって、母と出会い母を愛したことで父は救われた。だから父の母を見る眼は今でもあの頃と同じだ。
そしてダンスを踊る父の顔から微笑みが消えることはなかった。
窓の外に雪がちらつく12月のこの日。
だが父と母の周りには温かな空気が感じられた。
優しい父の笑顔とそれに応える母の嬉しそうな顔。
この後、両親はいつものように短い旅に出る。
子供たちが大きくなってからの正月の箱根の別荘は、普段忙しい父が唯一ゆっくりと出来る時間だ。
来年銀婚式を迎えるふたり。これからもずっと人生の見本となるふたりでいて欲しい。
その思いを込めダンスを終え着替えを済ませたふたりに私は言った。
「ママ。お誕生日おめでとう。これからも健康に気を付けて過ごしてね。それからパパ。あんまり無理しないでね」
28歳と27歳で結婚したふたり。
「ありがとう彩。それからね、さっきあなたの好きなブルーベリーパイを焼いておいたの。だから食べてね!」
と言った母と、
「お前は自分の誕生パーティーの前にパイを焼くって何考えてるんだ?」
「だって彩が好きだし、暫く会わないから作っておこうと思って」
「だからって何もパーティーの前に焼くことねぇだろうが」
そんな会話が繰り返される両親。
そして母は、じゃあ行って来ます!と言って車に乗り込んだが、隣に座った父は、
「じゃあな。行ってくる」と真面目な顔で言ったが、その言葉は嬉しそうだった。
やがて車のドアが閉まり運転手付きの大きな車は邸を後にしたが、ふたりは後部座席でキスをしたはずだ。そして父は「誕生日おめでとう、つくし」と言うはずだ。
そして母は「ありがとう、司」と言って嬉しそうに微笑んでいるはずだ。
そんな両親は、これからふたりだけの誕生日パーティーをするはずだ。
そして父のことだから、別荘には母の為に沢山のプレゼントが用意されているはずだ。
そして母は、また無駄使いして!と怒りながらも甘やかな空気を纏い笑うはずだ。
夫婦となって24年。喧嘩をすることがあっても、これからもずっと素敵な夫婦でいて欲しい。
そして父と母には、これからも沢山の記念日を祝って貰いたいと願わずにはいられなかった。
< 完 > *Anniversary*
つくしちゃん、お誕生日おめでとうございます。
幾つになっても、いつまでも坊ちゃんとお幸せに。

にほんブログ村
それはいつも周りから言われることもだが、娘の私の目から見てもそうだった。
背が高い父は太ってはおらず、恰幅が良いとは違う。だからと言って痩せているわけではなく健康的な身体をしている。それは頑丈な欅(けやき)の木のように大黒柱として君臨する姿。まさに道明寺という大企業の社長に相応しい男性と言えるのが父の姿だ。
高校生の頃、同級生が遊びに来たとき父を見かけたことがあった。
黒い瞳は大人の知的さを湛えセクシーだと言われ、年齢に関係なく女性を虜にすると言われていた父。
そしてそのとき友人たちが「かっこいい」とため息をついたが、きっとその息の半分は私に対して羨ましいといった羨望が込められていて、若くはない男の魅力というものが同級生たちの心を捉えた瞬間だった。
そんな父のきちんと手入れがされた素晴らしく長い指が、幼い頃学んだというピアノを優雅に奏でることが出来るのを知っているのは家族と親しい人間だけだ。
そしてある日。タキシード姿の父が大勢の人の前でシューマンのトロイメライを弾き始めた時には誰もが驚いた。
だがそれもそのはずだ。今まで家族の前でしか弾いたことがないピアノを、愛する人、つまり父の妻であり私の母の誕生パーティーとは言え奏でることがどれほどのことか。
それは滅多に見られない光景であり、その場に招かれた客たちの眼差しは驚きと羨望を湛え、父の指先が奏でる音色をうっとりと訊いていた。
そして父は演奏を終えると母の傍に向かったが、その手にはピアノの上に置かれていた一輪の赤いバラが彩りを添えていた。
赤いバラは父の好きな花だ。
タキシードを着た父が堂々とした態度で、たった一輪のバラの花を手に妻の元に向かって歩くその姿は、エレガントにセクシーさがまざり、娘の私でもかっこいいと思えた。
そして父は自分に注がれる眼差しというものを一切気しない。それは幼いころからずっとそうだったからというのではなく、自分の興味がない人間に対しては、相手がどれほど偉い人間でも、いや、父の権力に匹敵する者などいるはずがなく、そしてどんなに美しい女性だとしても、美醜にも重きを置かない父は目を向けることはなかった。
そして家族以外の人間に感情を見せることはない父だが、母を相手にしている時だけ感情を見せる。それは普段の無表情さが影をひそめ、父は感情豊かな少年のようになり、「つくし」と母の名前を呼ぶとき、いつもは低い声のトーンが少しだけ上がり、きれいで男らしい声になる。
つまり父を喜ばせるのは母の笑顔だ。
だが母は父と結婚した当時、つり合いが取れないと言われた家の娘だった。
顔立ちも十人並で、勉強が好きだった母の学歴は良かったとしても、家庭の状況は祖母が望んでいたものとはかけ離れたものだった。
対して父はどんな女も、どんな遊びも望めば出来る男だった。だが父は母と出会って人生の全てが変わったと言った。そして私や弟たちが生まれこんなに幸せなことはないと言った。
ただ、父はいつも言っていた。
それは自分の至らなさを誰かのせいにして生きることはするな。
自分の人生はたった一度だけ。苦しみも辛さも、やがて誰にでも訪れる人生最大の悲しみも、すべては自分の生き様が現れている。それを理解して全てのことに感謝しろ。
若い頃の父を知る人が訊けば耳を疑うと言われるその言葉。
母と出会う前の父は手に負えなかったと父の姉であり伯母から訊いていた。
弟は虚無の世界に生きていた男で、世の中の全てのことに対して否定的だったと言った。
そしていつだったか祖母の口から語られた、あの子が道明寺を継いでくれることを望んでも叶えられないと思っていたわ。
だが今の父の姿からは、そんな過去を想像することは難しいはずだ。
つまり父はそれほどまでに変わったということだが、そうなったのは、自分の人生を伴走してくれる女性を見つけたからだが、それが母だ。
そして人は思いもかけない光景を目にすると言葉が出ないことがあるが、今はまさにその状況だ。
父は母の前まで来ると手にしたバラを母に差し出した。
勿論、私は父がバラを手にした時点で何をするのか分かっていた。
何故なら父は大変ロマンチストな人だからだ。
そしてここにいる大勢の招待客も薄々分かっていたはずだ。だがまさか父がひと前で母の唇にキスをするとは思いもしなかったはずだ。
「奥さん。誕生日おめでとう」
と言って185センチの高さから魅惑の眼差しを向ける父は家ではよき家庭人だが、そこには他のどんな男性も敵わない色気があった。つまり世間で言われるフェロモンというのは父のためにある言葉でその色気が母意外に向けられることはないのだが、それは大人の男の匂い。そんな父の傍に寄ればかすかな煙草の匂いがするが、それが私にとっての父の匂いだ。
「なに照れてんだ?」
父は母が照れることを見越してひと前でキスをした。
そして父は母の手を取り母が照れる様子を楽しんでいたが、今度はその手の甲にキスをすると、父は母が照れるほど幸福な顔をする。つまりそれだけ母の幸せが父の幸せだと言えた。
そして沢山の高価なプレゼントよりも、たった一輪の花を喜ぶのが母だと知っている父の喜ぶものは、母の作る出汁巻き卵だと私は知っている。
短期間のうちに恋におちた父。
それからもずっと恋におちている父。
子供たちの前でも照れることなく母を褒める父。
軽井沢や箱根の別荘へ父の運転する車で出掛ける時、母の作ったおにぎりを美味いといい食べる父。別荘ではしゃぐ子供たちを眼を細めて見るが、父が母を見つめる眼は子供たちを見る眼とは違っていた。だが実際子供の私から見ても母は可愛らしい女性だと思った。
「奥さん。どうした?」
父は母の手を取ったまま離さない。そして音楽が流れ始めると顔中に笑顔を広げた。
父は高校卒業と同時にニューヨークへ旅立った。そしてその時、4年後母を迎えに来ますと言った。
本来ならプロムでダンスを踊るはずだったふたり。だがそのダンスはふたりが結婚式を挙げるまでおあずけとなった。それ以来父は母の誕生パーティーにはダンスを踊る習慣があった。そしてこの時のためだけに用意されたオーケストラが奏でる音楽に乗ってふたりはワルツを踊り始めた。
華やかでお金持ちだと言われる父。
だが年を経てもジーンズが似合う父。
物の価値は画一的でしかなく、高いとか安いとかではなく、その物を必要とした人間がその価値を決めるという父。
だから父はどんなにお金を積まれても手に入れることが出来ないものがあることを知っている。それは人を愛する気持ち。一度手に入れようとして手に入れることが出来なかったという人の気持。それは贅沢とは無縁だった母と出会い知った気持ちだと訊かされた。
やがて父の髪がホワイトグレーに変わっても、父は今と変わらず母に愛を囁くはずだ。
そして父が愛おしそうに母を見つめる姿は、私の理想の男性の姿だ。
いつか父を超える男性が私の前に現れる時が来ると信じている。
それまでは父が私の恋人だ。と、そんなことを高校生の頃真剣に考えたことがあった。だが今の私には素敵な恋人がいる。
父の人生と母の人生があったから私は生まれた。
ふたりが巡り合わなければ私は生まれて来ることはなかった。
だから両親の誕生日が祝われることに歓びを隠せない。
だがいつまでも幸せな夫婦でいられるには、子供の私が知らないこともあったはずだ。
父に愛された母は幸せだ。
そして母に愛された父も幸せだ。
つくし、と愛おしげに、父は時々母を呼ぶ。
そして今日の記念日が父と母にとって何度目の記念日なのか。
それは私の人生にも重なることだが、記念日は何度祝っても幸せを感じることが出来た。
そして我が子だから容易に想像出来ることがあった。それは父の母を思う深い愛情は、寿命が尽きても変わらないはずで、墓場までと言わず、あの世に行っても母を思っているはずだ。
つまり、肉体が滅び魂だけになっても母の傍にずっといるということだ。
言い方を変えれば父の変質的とも言える愛。
だが若い頃、生きている意味が見いだせなかった父にとって、母と出会い母を愛したことで父は救われた。だから父の母を見る眼は今でもあの頃と同じだ。
そしてダンスを踊る父の顔から微笑みが消えることはなかった。
窓の外に雪がちらつく12月のこの日。
だが父と母の周りには温かな空気が感じられた。
優しい父の笑顔とそれに応える母の嬉しそうな顔。
この後、両親はいつものように短い旅に出る。
子供たちが大きくなってからの正月の箱根の別荘は、普段忙しい父が唯一ゆっくりと出来る時間だ。
来年銀婚式を迎えるふたり。これからもずっと人生の見本となるふたりでいて欲しい。
その思いを込めダンスを終え着替えを済ませたふたりに私は言った。
「ママ。お誕生日おめでとう。これからも健康に気を付けて過ごしてね。それからパパ。あんまり無理しないでね」
28歳と27歳で結婚したふたり。
「ありがとう彩。それからね、さっきあなたの好きなブルーベリーパイを焼いておいたの。だから食べてね!」
と言った母と、
「お前は自分の誕生パーティーの前にパイを焼くって何考えてるんだ?」
「だって彩が好きだし、暫く会わないから作っておこうと思って」
「だからって何もパーティーの前に焼くことねぇだろうが」
そんな会話が繰り返される両親。
そして母は、じゃあ行って来ます!と言って車に乗り込んだが、隣に座った父は、
「じゃあな。行ってくる」と真面目な顔で言ったが、その言葉は嬉しそうだった。
やがて車のドアが閉まり運転手付きの大きな車は邸を後にしたが、ふたりは後部座席でキスをしたはずだ。そして父は「誕生日おめでとう、つくし」と言うはずだ。
そして母は「ありがとう、司」と言って嬉しそうに微笑んでいるはずだ。
そんな両親は、これからふたりだけの誕生日パーティーをするはずだ。
そして父のことだから、別荘には母の為に沢山のプレゼントが用意されているはずだ。
そして母は、また無駄使いして!と怒りながらも甘やかな空気を纏い笑うはずだ。
夫婦となって24年。喧嘩をすることがあっても、これからもずっと素敵な夫婦でいて欲しい。
そして父と母には、これからも沢山の記念日を祝って貰いたいと願わずにはいられなかった。
< 完 > *Anniversary*
つくしちゃん、お誕生日おめでとうございます。
幾つになっても、いつまでも坊ちゃんとお幸せに。

にほんブログ村
スポンサーサイト
Comment:4