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2018
12.23

愛の静寂に <前編>

<愛の静寂(しじま)に>  Christmas Story 2018 








父さんオオカミと母さんオオカミは我が子がハンターに狙われないかと心配していた。
父さんオオカミと母さんオオカミは共に白っぽい灰色の被毛をしていたから雪の上でも目立つことはないが、子供のオオカミはまだ茶色い毛をしていて、遠くからでもその姿がすぐに分かるからだ。

仔オオカミは思った。どうして僕は父さんとも母さんとも毛の色が違うのか。
そんなことを思う仔オオカミに母さんオオカミは、「心配しないで。母さんも小さな頃は茶色い毛をしていたのよ。だからあなたも大人になって歳を取れば父さんや母さんのように灰色の立派なオオカミになるから」と言った。

仔オオカミの父さんと母さんは年老いていた。
父さんオオカミが母さんオオカミに出会ったのは、ふたりがそれぞれの仲間を失ってから。
オオカミはパックという群れを作り生活しているが、ふたりはそれぞれの仲間を人間によって殺され共にひとりぼっちになっていた。
そして出会ったふたりは、すぐに寄り添い恋におちた。そして仔オオカミをもうけたが、仔オオカミに兄弟はいない。両親は年を取り過ぎていて、ふたりの間に生まれたのは仔オオカミひとりだけだった。


ある日、仔オオカミは父さんと母さんに連れられ雪山の中を歩いていた。
そして時々雪に身体をすり寄せ遊んでいたが、父さんオオカミと母さんオオカミは、そんな風に遊ぶ我が子の姿を楽しげに見つめていた。
そして父さんオオカミと母さんオオカミも互いの身体をすり寄せながら雪山を歩いていた。
冬はオオカミにとって恋の季節だが、まだ若い仔オオカミは恋をしたことがない。
それでも父さんオオカミと母さんオオカミの仲の良さから、いつか自分もメスオオカミと出会って恋をするのだと思っていた。

そのとき、風に乗って今まで嗅いだことがない匂いを感じた。と同時に風が裂かれる音が聞えた。
仔オオカミは匂いと音がする方を見た。
するとそこにいたのは今まで見たこともない大きな影で今にも襲い掛かりそうに見えた。その姿は立ち上ったクマかと思ったが、それは違った。それにクマには森の中で何度か出会ったことがあるが、クマが風を引き裂く音を出すことはない。それに森の中で一番強いと言われる父さんオオカミが他の動物に襲われることはない。
だが大きな影は風を引き裂く長い木の枝のようなものを持っていた。

「逃げろ!」

父さんオオカミはそう言って母さんオオカミと仔オオカミに叫んだ。
だが仔オオカミは、初めて見た大きな影に興味を惹かれ駆け出すのが一瞬遅れた。
そして大きな影が木の枝を目の高さに水平に持ち、こちらに向けると枝の先から炎が上がるのが見えたが身体が動かなかった。

そんな仔オオカミを父さんオオカミは体当たりして逃げるように言った。
だから仔オオカミは大きな影に背中を向けると雪の上を走り出した。だが仔オオカミの毛色は茶色で白い雪の上では目立った。だから父さんオオカミと母さんオオカミは、その姿が大きな影から見えない様にかばっていた。そして早く走れ。スピードを上げろと後ろから仔オオカミの身体を押した。だから仔オオカミは、まだ両親よりも小さな身体だが、真っ白な雪原を懸命に走った。
だがその時、再び風の流れを引き裂く大きな音がして、何かが焼けたような臭いがした。

「走れ!後ろを振り向くな!逃げろ!」

父さんオオカミはそう言って仔オオカミを先に走らせた。
そして仔オオカミは父さんオオカミの声を訊きながら走り森の中へ逃げ込み、そこでようやく走るスピードを緩めた。そして振り向いたとき、少し遅れて仔オオカミのところへ辿り着いたのは、白っぽい灰色の被毛を赤く染めた母さんオオカミと、そんな母さんオオカミを支える父さんオオカミの姿だった。

「母さん!」

仔オオカミは母さんの名前を呼んだ。
父さんオオカミは、母さんオオカミの身体から溢れる赤い血を止めようと傷口を舐めていたが血は止まらなかった。そして母さんオオカミの身体から流れる赤い血が、葉の上に積もった真っ白な雪の上に点々と跡を残していた。

「母さん!」

仔オオカミは厚い冬毛に覆われた母さんオオカミの身体に顔を寄せたが、その身体がだんだんと冷たくなっていくのが感じられた。
そして母さんオオカミは、白っぽい灰色の身体が赤に染まり、苦しそうに息をしながら仔オオカミに言った。

「….人間には気をつけるのよ…」

人間。
あれが人間。今まで見たことがなかったが、父さんと母さんから訊かされていた。
人間は森の動物を狩る野蛮な生き物で、動物のようにルールがない。
それは動物を食料として食べるのではなく、自分達の楽しみのため狩る凶暴な生き物であること。そして彼らは火を噴く木の枝のようなものを持っている。それは森に仕掛けられるワナとは違い、その枝のようなものを向けられた動物はすぐに息絶えてしまうこと。

仔オオカミは死について知っている。
それは父さんオオカミと母さんオオカミが仔オオカミのためにエサを運んできてくれるからだ。そして父さんも母さんも年を取っているから自分よりも早く死が迎えに来ることを知っている。森の食物連鎖の頂点にいるオオカミも死ねば誰かのエサになり、他の動物の命を繋ぐ。だから仔オオカミの中での死は人間に殺されることではなかった。

「人間は俺たちオオカミを殺そうとする。だから人間は敵だ。いいか。あの影を見たら近づくな。だがもし傍にいたら殺せ。俺たちは森の奥深くで暮らしてきた。人間には迷惑をかけたことはなかった。だが人間は俺たちの仲間を殺していく。父さんの父さんと母さんも、母さんの父さんと母さんも、仲間たちもみんな人間に殺された。だから人間は敵だ。お前は敵を倒せる強いオオカミになれ。この森で一番のオオカミになれ」

父さんオオカミは仔オオカミにそう言って冷たくなってゆく母さんの身体を舐め続けていた。





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2018
12.24

愛の静寂に <中編>

父さんオオカミは殺された母さんオオカミの復讐を遂げた。
それは、人間が森の入口に立ち、他の動物を狙っていた時だった。父さんオオカミは後ろからそっと忍び寄り人間の首に噛みつき息の根を止めた。
だがその時、父さんオオカミも人間に殺され仔オオカミはひとりぼっちになった。


両親を人間に殺され、ひとりぼっちになった仔オオカミ。
遠吠えをしても応えてくれる声はなく、だが森の中のどこかに仲間がいるのではないかと探し歩いたこともあった。けれど他のオオカミに出会うことはなかった。

いつもひとりぼっちで自分と話していることが多かった。孤独だった。
暖かい被毛に覆われていても、夜の空気に感じられる冷たさに身体が震えることがあった。
母さんオオカミも父さんオオカミもいなくなり、ふえあえる相手が欲しかった。
特別な相手が欲しかった。
だが今は一人だとしても、いつか父さんオオカミと母さんオオカミが出会ったように、この森のどこかにいるメスのオオカミと出会うことが出来るのではないかと思っていた。

やがて仔オオカミの身体も父さんオオカミと同じくらい大きくなり、その姿は森の王者と呼ばれる大きな灰色オオカミに成長し、多くの動物から恐れられる存在になった。
そして大人になったオオカミは、両親を殺した人間を憎んでいた。
自分をひとりぼっちにした人間が憎かった。
だから人間が森に入れば後をつけ襲い殺していた。

だが彼はある日気付いた。
川の水面に映る自分の姿がオオカミではなく、自分が憎んでいる人間の姿に変わっていたことに。
だが何故自分が人間に変わることが出来るのか。父さんも母さんもいない今、誰もその理由を教えてくれることはなかった。

そして春になりオオカミは背が高く端正な顔の青年になり森の中を歩いていた。
腕も足も筋肉はオオカミの時とは違い太く逞しかった。
青年オオカミは森の外れに建つ小さな家まで歩いて来た。そこに古い家があることは、随分と前から知っていたが人がいる気配はなかった。
だがある日その家の窓に花模様の布が掛けられ、煙突から煙がゆったりと立ち昇り、玄関のドアが開けっぱなしになり、そこから人間が出て来るのを見た。

青年オオカミは母さんオオカミの腹を焼いた銃を持つ人間を憎んでいた。
父さんオオカミを死に追いやることになった人間を憎んでいた。
それに人間は俺たちの仲間を殺した。ただ平和に暮らす森の住人を意味もなく殺していた。
だから人間を憎み、森に入って来た人間を殺す時以外は人間に近づくことはなかった。
そして森の外れの小さな家に住む事を決めた人間がどんな人間だか分からないが、その人間もオオカミを捕まえて殺そうとするはずだ。

それなら、と青年オオカミは考えた。
殺される前にあの人間を殺さなければならないと。殺して自分の腹の中に収めてやろうと思った。だがその前にその人間がどんな人間かを知るため観察しようと決めた。
するとそこに住み始めたのは黒い髪と白い顔をした背の低い女だと知った。

長い髪をロープのように編み、井戸から水をくみ上げては家の中へ運んでいく女。
時に少しだけ森の中に入り、食べることが出来る植物を探している女。
大地に落ちている木の枝を拾う女の黒い瞳は時に周りの様子を気にしていた。
青年オオカミは時々ここに来て森の木々の間から見える女の姿を、息をこらえ、ただ見つめた。
そして暫くそこにいて、それからゆっくりと離れたが、母さんオオカミとも森の動物とも違う初めて見る人間の女は美しかった。胸が苦しかった。
そして思った。あの女がオオカミだったら良かったのにと。
もしかしたらあの女が、一匹狼と呼ばれ、たったひとりで過ごす自分の傍にいてくれる女ではないかと。愛が欲しい頃合いを迎えた自分の傍にいてくれる女ではないかと思った。
だが相手は人間の女。いずれ殺してしまわなければならないのだから恋をする相手ではなかった。

青年オオカミは森の中へ帰ると、ねぐらにしている洞窟に戻り眠るために目をつむった。
だが真夜中に瞼の上へ降りてくる白い顔があった。
そして眼を覚ますと耳をすませ、鼻をひくつかせた。
微かに音が聞こえていた。
微かに匂いが感じられた。
青年オオカミは身を起こし立ち上がると、森を抜けあの家に向かっていた。

何キロもの距離を一気に駆け抜けた丘の上から見下ろした森の外れの小さな家は、数名の男たちに取り囲まれ燃えていた。
あの女はどうしたのか。いずれ殺すつもりでいたのだから焼け死んだならそれでいいはずだ。だが何故かそうは思わなかった。
青年オオカミは丘を駆け降りると燃え盛る炎の中に飛び込んでいた。




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2018
12.25

愛の静寂に <後編>

「ねえ、この話ってパパとママのことでしょ?道明寺版赤ずきんちゃんとオオカミの話。このあとオオカミは女性と結婚して森の中に大きな家を建てて幸せな生活を送るのよね?」

「ああ。孤独な少年時代を送った父さんが可愛い赤ずきんちゃんに恋をして、間一髪のところを助けてストーカーになって、献身的な態度を示して結婚してもらって子供を3人儲けた話だ。父さんにかかったら自分達の出会いも好き勝手に創作される。それを絵本にして子供に話すのはどうかと思うけどな」

道明寺家には3人の子供がいるが、上の二人が男の子で三番目が女の子。そして子供たちがパパ、父さんと呼ぶ男は世界経済の中心にいて、動物の世界で言えばまさに巨大な群れのリーダーだった。

そんな父親は子供たちが幼い頃この話しをよく聞かせていた。
つまり子供たちにとって赤ずきんちゃんの話とは、女の子が悪いオオカミに騙されて食べられるのではなく、赤ずきんちゃんに惚れたオオカミがストーカーになり赤ずきんちゃんを守る話で、本来の赤ずきんちゃんとは似ても似つかぬ話に脚色されていた。

そして当然だがそんな話を絵本にして子供たちに訊かせていた父親は母親にひどく叱られていたが、そんな懐かしい絵本が末っ子の部屋の本棚から出てきたことから、兄弟たちは色褪せたその本の表紙を懐かしそうに見ていたが、そこには確かに『赤ずきんちゃんのお話』と書かれていた。

「それにしても何が赤ずきんちゃんとオオカミの恋だ。俺はかなりの年齢まで赤ずきんちゃんと言えば、オオカミの恋物語だと思ってたんだぜ?それが全くのデタラメだと知った時恥ずかしいったらなかったぜ?だいたい恋物語だなんて言うが父さんの一方通行から始まった恋だろ?」

大学4年の長男はそう言いながらも、母親が父親を見る瞳の中に大きな愛があることを知っていた。

「まあな…子供の頃の父さんはかなり屈折した子供だったし、オオカミのような凶暴さがあったて花沢のおじさんだって言ってただろ?父さんはキレると何をするか分かんねぇ男だったって。そんな獰猛なオオカミを飼いならしたのが母さんだろ?それにオオカミは群れを大切にする動物だ。だからあの4人は今でも固い友情で結ばれていて花の4人組って呼ばれる仲だろ?まあそんな友情も母さんの存在が大きいってのもあるよな?何しろ花沢のおじさん今でも母さんのことが好きだって言うくらいだからさ、案外父さんも気が気じゃないかもな」

次男は父親が母親に寄り添って立つ時、常に妻を守る姿勢でいることを知っていた。
その姿が親友で今も独身でいる花沢物産の社長から妻を守っているとすれば笑うしかないのだが、考えてみれば、そんな父親の態度は驚くことではなかった。
『類がね_』と母親が言い始めると過剰に反応する父親の態度は幼い頃から見慣れていたからだ。

だが鋭いと言われる父親の視線も、母親を見る時だけは柔らかな光を帯びていた。それは妻を愛する視線であり、妻の傍に立つ姿は男としての所有欲の表れだ。
父親の母親に対する愛は純粋で、それは子供たちから見ても時に熱っぽく秘めた欲望を示していた。そして妻に対してずっと献身的で情熱的な父親の姿は、深く愛し愛される男の姿であり、それは子供たちに対しても同じだった。

つまり子供たちから見ても親バカと言える父親の態度は、時に止めてくれと言いたくなるほど過保護なこともあった。
例えばそれは末の娘が初めてデートに出掛けたとき、眉間に皺を寄せた父親は、可愛い娘が無事に帰って来るまでイライラとして部屋の中を歩き回っていた。そしてデートの場所まで迎えに行くと言った夫に、そんなことしたらあの子に嫌われるわよ、と面白そうに笑う母親だったが、娘可愛さに夫の過保護が過剰になることを止める力を持っていた。
つまり父親はどんなに威圧的な態度を取っても、自分の妻だけには頭が上がらないところがあった。

そして両親は人目がない場所ではいつもイチャイチャしていた。
兄弟がまだ幼かった頃見たのだ。それは邸で開かれたパーティーの夜。
子供たちが寝たのを確かめに来た両親に頬を枕につけ眠っているフリをしたことがあった。
それは真夜中なのに両親がパーティーで着ていた服装のままでいたからだ。
だから兄弟は両親が何をするのか気になり自分達の部屋を抜け出し後をつけた。
すると誰もいなくなった大広間で、身体を寄せ互いの手をしっかりと握り、音楽に合わせて身体を揺らしている姿を見た。それは連れて行ってもらったばかりのミュージカルの中で、恐ろしい獣だった男が人間の姿に変わり美しい女の人を優しく抱きしめて踊っている姿と重なった。


そして道明寺家の習慣として、クリスマスイブは家族で過ごすことが決められていて、家ではかなり本格的にクリスマスを祝っていた。と言っても宗教的なことは抜きにだが、それは父親の希望であり母親の希望なのだが、子供たちがクリスマスを喜ぶ年齢ではなくなっても母親は部屋の飾りつけを張り切っていた。
そんなクリスマスイブが開けた翌日。子供たちは母親が飾り付けた部屋を見ていた。

モミの木のツリー。
ヒイラギのリース。
赤いポインセチア。
プレゼントを入れる靴下。
だが今はもうその靴下にプレゼントが入れられることはないが母親はそれでも飾った。

貧しい家に育った母親は手作りが当然だと言い、毎年料理も家族で食べるものだからと言って自ら邸の厨房に立ちローストビーフやドライフルーツの入ったケーキ。ジンジャービスケットを焼いていたが、何故かいつもその中に父親の顔を模したものがあり、それを手に取った父親の眼はいつも笑っていた。

そして部屋の入口に飾られているクリスマスイブの誕生花であるヤドリギ。
クリスマスイブの日、ヤドリギの下で出会った未婚の男女はキスをしていいという習慣があるが、とっくの昔に結婚して子供が3人もいる夫婦がキスをするのは、ほとんど父親の希望なのだが、妻を真摯な様子で見つめる父親の姿というのは、子供たちにとっては理想の夫の姿だった。


「それで?あのふたり。今日はどこへ行ったんだっけ?」

「決まってるじゃない。パパとママにとって大切な場所よ」

「ああ。あの教会か」

父親が母親にプロポーズをしたのはクリスマスの日。
場所は教会。その日が休みなら日中二人そろってその教会へ行く。
そして両親は神に感謝の祈りを捧げていた。

あの時、巡り合わせてくれたことの感謝を。
あの時、命を奪わなかったことを。
あの時、その時を与えてくれたことを。

子供たちは両親の恋の話を知っていた。
何故ならそれは『赤ずきんちゃんのお話』に書かれているのだから。












世間を冷やかに見つめていた男が出会った最愛の人は、神が男の元に遣わしてくれた天使だから夫となった男はそのことに感謝をしていた。
司の前に用意されていた運命の扉はひとつ。その扉を開けた先にいた女性が彼の人生を変えた。目の前には暗闇だけが広がり色のない世界に生きていた男の前に沢山の色の世界を見せてくれた。孤独なプライドを抱え喜怒哀楽の中で失われていた歓びと楽しみを与えてくれた。声に穏やかさを与え力とは何のためにあるかを教えてくれた。

だから男の人生哲学は、最愛の人と何時までも一緒に過ごすことで、そのためならどんなことでもするし、神や仏に祈りを捧げることも厭わない。
そして男にとって申し分のない人生とは妻と子供たちと幸せに暮らすこと。つまり男にとって一番大切なのは家族の存在だ。そして愛してるという言葉が素直に言え、素敵なことが素敵だと素直に言えるようになった男は、最高の夫と呼ばれることが嬉しかった。


人は年を取れば、やがて来るべき時を待つようになる。
そして祈りの場である静寂に包まれた教会は、多くの思いが溢れている場所だが、ここに集まる人間はその思いをひとりの男に向けていた。
司もその中の人間のひとりだが、クリスマスにしかここに現れない男にこの場所の主は何を思うのか。だがそんなことを思う男の手をそっと握る手があった。
司もその手を同じ強さで握り返したが、この手を離さないと誓ったこの場所で、こうして再び手を取ることが出来るのは、やはりこの場所の主のおかげだ。

そして司は、自分の手を握る女に訊いてみたいことがあった。
それはずっと訊きたかったが、今まで言えずにいた言葉。
その言葉を初めて口にした。









「つくし。お前は幸せか?」




その先に続く言葉は、俺と一緒になってお前は幸せか。
だが言わなくても妻は分かっているはずだ。そして24年間という過ぎ去った日々が走馬灯のように頭を巡った。
道明寺という家に嫁ぎ苦労もあったはずだ。
子育てに協力したつもりでも彼女に任せきりになったこともあったはずだ。
だが苦労を苦労だと思わない女は、いつも彼の隣で笑っていた。だがこうして答えを待つ間、隣に座る妻の顔を見ることが出来なかった。ふと口にした言葉に妻がなんと答えようかと考えている顔が見たくなかったからだ。
そして少しの間を置き妻の口から答えは出た。









「ええ。幸せよ」





静寂に包まれたこの場所が夫婦のスタート地点だった。
その答えは17歳の少年の手を取ってくれた16歳の少女の変わらぬ思いを今に伝えていた。




『俺は絶対にお前を幸せにするから』

『何があってもあんたについていくから』

プロポーズをしたこの教会で誓った言葉に嘘はなく、どんな時も支えてくれた妻。
そしてその妻から囁かれた幸せという言葉が司にとって最高のクリスマスの贈り物。
静寂が二人を包むこの場所こそが二人の愛の出発点。
だから、この場所に来年も必ず二人で来よう。
1年間が幸せに過ごせたことを感謝するために。

そして次の1年も家族が幸せに過ごすことが出来るようにと祈るために。






< 完 > *愛の静寂に*

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