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2018
11.13

優しい雨 <前編>

意匠を凝らした鋳鉄の柵が続く先に見えてきたのは大きな立派な門。
その門に表札はなくてもそこが誰の家であるか知っている。
そこは娘が1年前に嫁いだ家。だが家というには立派過ぎ、そこはまるで博物館か美術館のような佇まいがあった。

そして千恵子がその家を訪ねたことがあるのは過去に一度だけ。
娘の結婚が決まり姑となる人に招かれ食事をしたことがあったが、それ以来ここを訪ねたことはなかった。それは近くまで来たからといって娘に会おうと普段着で気軽に立ち寄れるような場所ではなかったからだ。

だがそんな家へ嫁いだ娘が突然帰ってきた。

「つくし。突然帰って来るなんてびっくりするじゃないの。どうしたの?近くまで来たの?」

千恵子はそう言って我が子が久し振りに顔を見せてくれたことを喜んだ。
だがいつもは明るい娘のどこか沈んだ様子に、「なんだか元気がないわね?」と声を掛けたが、「うん。ちょっとね」と言って口を噤んだ姿に身体の具合でも悪いのか。もしかして子供が出来たのかと訊いたが、暫く黙っていた娘が口にしたのは、姑に家を追い出された。荷物は後程こちらで纏めて送りますと言われたと言った。

「つくし。あんた何言ってるのよ?」

千恵子は娘の言葉に耳を疑った。
娘は夫である男性と深く愛し合っていた。ふたりの間には色々とあったが長い交際期間を経て1年前に結婚したばかりだ。そして初めはふたりの交際に反対していた姑も、やがてふたりの事を認め結婚することを許した。

そんな姑は敏腕女社長と呼ばれ厳しい人ではあるが、その厳格さの下に母親としての愛情を隠し持つ人で、義理の娘になったつくしに対しては、我が子と同じとばかりの厳しさがある反面、繊細な心遣いをしてくれる人だと言っていた。そんな姑に家を追い出されたというのだから千恵子は驚くと同時に娘が何かしたのではないかと考えた。

「あんた…..いったいどういうこと?お母さんと何かあったの?」

何も言おうとしない娘に千恵子が問い詰めると、「お母さまが大切にしていた花瓶を割ったからかもしれない」と言った。

「そんな…..番町皿屋敷じゃあるまいし花瓶を割ったくらいで何も追い出されることなんてないでしょ?」

番町皿屋敷と言えば、江戸時代、旗本の大きなお屋敷で働く貧乏な家の出のお菊という女中が、主が大切にしていた皿を無くしたことで、お手打ちにされるという話だが、その皿はお菊が気に入らない主の妻と古参の女中によって隠されていたという陰謀が招いた冤罪。だが現代社会の今、娘がお手打ちになることはない変わりに家を追い出されたということか?
だが花瓶を割られたくらいで息子の嫁を家から追い出す姑がどこにいる?
それにいくら大切な花瓶といっても、あの家には高価な花瓶が山ほどあるはずだ。その中のひとつが割れたくらいで目くじらを立てることでもないように思えたが、千恵子にその価値が分かるはずもないのだから、姑の怒りがどれほどのものなのか分からなかった。


「それで道明寺さんはどうしたの?家に帰ってあんたがいなくなってたら、びっくりするわよ」

千恵子は確かめておきたいことがあった。
それはこの状況を娘の夫は知っているのかということだ。

「今ロシアに出張してる」

訊けば3週間ロシアに滞在すると言った。
つまり姑は息子がいない間に娘を追い出したということになる。と、なるとこれはもしかすると計画的なことだったのかもしれないと思った。
何故なら普段ニューヨークで暮らしている姑は、息子がロシアに出張中と知っていて突然世田谷の家を訪れた。
そしてそれこそ番町皿屋敷のように娘に罪を着せる。娘がわざと花瓶を壊すようにもっていったのではないかと思った。何しろかつて姑は策略を巡らせふたりの恋を妨害した経緯があるからだ。

つまりふたりの結婚は認めたものの、やはり娘が気に入らないということなのか。
大事な跡取り息子をどこの馬の骨とも分からない娘と結婚させたことがやはり許せなかったのだろうか。それにいくら今の世の中全ての人間は平等だといっても、道明寺家は日本の経済界をリードする企業をいくつも有する名門の家柄。対し牧野家は貧しい家庭。初めから釣り合わない無理だと言われたふたりの恋愛。姑はやはり娘のことが気に入らなかったのか。
だがふたりは祝福され結婚したはずだ。それを今更どういうつもりなのかといった思いがあった。

そして千恵子はなんとか道明寺楓に会えるようにと連絡を付けると、どうして娘を追い出したのかを訊ねるためこの場所を訪れた。





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2018
11.14

優しい雨 <中編>

千恵子は意を決し世田谷の邸を訪ねたが、通された客間で娘の夫の母親である道明寺楓と向き合った瞬間、一分の隙もない姿で現れた女性に同じ子供を持つ母親としての温もりといったものは感じられず、初めて会った時と同じ感覚を覚えた。

それは息子と別れてくれと大金を持ち現れたあの日の光景。
血も涙もないと言われる鉄の女は、息子の交際相手として相応しくないと決めた娘の両親に金を払うから別れさせてくれと言った。

だが結婚した娘から訊かされる話の中には、「優しい人なのよ。いい人なのよ」といった言葉があった。それならやはり真意を問いただす必要がある。なぜ娘はこの家を追い出され実家に戻って来たのか。


「お母さん。いったいどういうことですか?娘が花瓶を割ったくらいで出て行けとはいったいどういうことですか?そんなことで娘を実家に帰らせるなんてどういうおつもりですか?それとも花瓶のことは口実で娘があなたの気に入らないことをしたのでしょうか?」

千恵子は真正面に座る楓に訊いた。
道明寺楓という女性は初めて会った時、冷やかなぞっとするような視線で千恵子を見た。
そして回りくどい言い方はしなかった。率直で言葉を選ぶことはなかった。差し障りいのない言葉を並べることもなかった。だから千恵子も思うことを率直に口にした。すると楓はそんな千恵子をまるで遠くから訪れた懐かしい友人に言葉をかけるように柔らかく言った。

「いらっしゃると思っていました。どうぞ冷めないうちにコーヒーを召し上がって下さい」

ソファに腰掛けた二人の間にあるテーブルには上等なコーヒーカップに淹れられたコーヒーがあったが、もし今ここで千恵子がそのカップを割れば、娘と同じようにここを追い出されるのか。そして楓の言葉に感じられた柔らかさは一体何を意味するのか。
そんな思いから口にした、「もし私がこのカップを割ったら娘と同じようにここを追い出されるのでしょうか?」の言葉には怒りを含ませていた。

「いいえ。こんなカップのひとつやふたつ割れたところで誰かが何かを犠牲にすることなどありません。形あるものはいずれ壊れると決まっています。それにわたくしはそこまで物に執着するような人間ではありませんわ」

千恵子は楓のその言葉にそれなら何故娘は花瓶を割ったくらいでこの家を追い出されなければならなかったのか。
その思いを楓にぶつけた。

「それなら何故うちの娘は、つくしは花瓶を割ったことでこの家を追い出されたんですか?そうですよね?娘が言うには、つくしはお母さんが大切にしている花瓶を割ったからこの家を追い出されたと言っています。いえ少なくともそうだと思っています。もしそのことが間違っているならそうおっしゃって下さい」

「いいえ。間違っていません。つくしさんはわたくしが大切にしている花瓶を割った。だからこの家を出ていってもらいました」

「ちょっと待って下さい。お母さんのおっしゃっていることには矛盾があります。ついさっき物には執着しないと言ったじゃありませんか?それなのに娘が割ったという花瓶に対しては別だとおっしゃるんですね?」

千恵子は言葉に強い怒りを込めて言ったが、相手は能面のように表情を変えなかった。
やはり花瓶を割ったことは万死に値するとでも言うのか。それにしても息子は自分が留守のうちに母親が妻を追い出したと知れば怒り狂うはずだ。

「お母さん。息子の嫁をこんな風に追い出しておいて、息子さんが知ったらどうなるか分かってるんですか?傷つくのはあなたの息子さんですよ?それにあなたの息子さんはうちの娘を、つくしのことを深く愛して_」

「ええ。分かってます。息子がつくしさんのことをどれほど愛しているのか」

その言葉に気のせいか今まで能面のようだった楓の顔に微かな表情が浮かんだように見えた。

「それならどうしてこんなことを?花瓶を割ったくらいのことでどう考えてもおかしいじゃないですか。私には納得がいきません」

「そうでしょうね。わたくしも納得がいきません。どうして__」

楓はそこで言葉を切った。

「お母さん?」

「ごめんなさい。でもこうすることがつくしさんのためになるはずです」




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2018
11.15

優しい雨 <後編>

『こうすることがつくしさんのため』

楓はそう言ってコーヒーを口に運んだが、千恵子には意味が分からなかった。
自分が大切にしていた花瓶を割られただけで、結婚してまだ1年の娘を実家に帰すということのどこがつくしのためなのか。
娘は夫の母親を尊敬こそすれ憎みなどしていなかった。
嫁いだ以上夫を支え道明寺の家と会社を支えることが自分の役割だと言っていた。それが結婚を認めてくれた夫の母親への感謝の表れであると同時に、自分が選んだ人生だからと言っていた。
そしてそのことを姑も分っているはずだ。それなのに何故娘を傷つけるようなことをするのか。


「お母さん。私にはやはりおっしゃっている意味が分かりません。私はつくしの母親です。不甲斐ない父親に変わりあの子を育ててきました。貧乏な暮らしの中で育った子ですが、ご存知の通りあの子は清貧に甘んずる子で、家計を助けるためアルバイトをしながら学校に通う真面目な子でした。だから花瓶を割ったことは、それは大変申し訳ないことをしたと思っています。弁償出来るなら弁償したいと思うでしょう。でも弁償できるようなものでないことは、あの子が一番よく知っています。こちらのお家にあるものは、世界にひとつしかないといったものばかりでしょうから」

楓は千恵子の言葉に頷き、カップをソーサーと共にテーブルに置くと言った。

「そうね。世界にひとつしかないもの。世の中にはひとつだけしかないものが存在するわ。でもそれは花瓶などではないわ。ここにある花瓶がいくつ割れてもわたくしは気にしないわ。だってわたくしにとって一番大切なものは我が子。自分のお腹を痛めて産んだ子供は何があってもどんなことがあっても守りたい唯一の存在よ。だからお義母さんも我が子が傷つけられたことが許せなかった。傷ついた我が子を守るためにここに来た。つくしさんの幸せが何よりも大切だからここに来たはず。そうですわよね?」

千恵子の目には道明寺楓という人物は、母親であることより経営者としての道を選んだ女性として映っていた。だがたった今放たれた言葉は千恵子が思う道明寺楓の姿ではなかった。

「そこまで分かっていらっしゃるなら何故こんな_」

と、つっかかるように言いかけた千恵子がそこで口を閉ざしたのは、能面のようだった楓の顔にすうーっと影が過った気がしたからだ。そして切れ長の目が閉じられ再び開かれたとき、その表情はどこにでもいる母親の顔をしていた。そして意を決したように口を開いた。

「訊いていただけるかしら?」

楓のその言葉に千恵子は頷いた。










「男の子は母親に似た人と結婚するといいます。つくしさんはどこか私に似ているところがあります。強い意思と信念というものを持っています。こうと決めたら梃子でも動かない。それが彼女の性格です。わたくしもつくしさんと同じ物の考え方をします。だから司はつくしさんを選んだのでしょう」

そう言うと楓は軽く笑って言葉を継いだ。

「司もそんなつくしさんと結婚を決めるまで彼女の心に迷いがあってはいけないと待ちました。だから結婚が遅くなったということではないでしょうけど、今となってはその方が良かったのかもしれません。だってまだ結婚して1年。ふたりに子供はいません。つまりつくしさんは、あの子がいなくなれば、この家から出て行くことが出来る。自由になれます。でも彼女はそうはしない。だからそうしてあげるのがわたくしの役目です」

「お母さん?」

それまで家族という言葉と切り離されたところで生きていると思っていた女性は、息子の嫁として娘を迎え入れると、その性格を深く理解していると感じた。
それはかつて憎しみの対象だった娘が我が子の成長を助けたことを知っているから。
道明寺の家などどうでもいい。自分の代で無くなってしまえばいいと言っていたという息子が、娘と結婚出来るならどんなことも厭わないと言い、道明寺という家と会社を継ぐことを決めたのは、娘がいたからだということを知っているから。
だが千恵子は楓の口から出た『あの子がいなくなれば』の意味を図りかねていた。


「わたくしは息子がつくしさんと結婚してくれて本当に良かったと思っています。嬉しかったわ。何があってもあの子について行く。そんな意志を持って結婚してくれたつくしさんには感謝してもしきれないくらいだわ。でもそんな彼女だからこうするしかなかった。だって司がいなくなっても、つくしさんはこの家に残ると言うでしょう。そしてあの子の代わりになると言うはずです。わたくしを支える。そのために自分の人生を捨ててしまうはずです。でもわたくしはそんなことは望みません。つくしさんには幸せになって欲しい。だから彼女をこの家から追い出すことにしたんです。その為には理由が必要です。だからつくしさんが花瓶を割るように仕向けました。わたくしがつくしさんに花瓶を渡すとき、わざと早く手を離したんです」

「…..あのお母さん?」

千恵子は自分の声が緊張するのが感じられ背中に緊張が走った。
そして返された声はかすかに震えがあった。

「息子は….司は癌です」
















しんと静まり返り物音ひとつしない部屋に流れる空気。
部屋は完璧な空調が保たれているが逆にそのことに息苦しさを感じた。
そして時は確実に時間を刻むが、ふたりがこうして話はじめた頃、窓の外は晩秋の晴れ渡った空が広がっていたが、いつの間にか雨が降り出していた。
だが雨の音が中まで届くことはなく、ただ雨粒が窓を流れ落ちていく様子が見て取れたが、時折ザァーっと雨脚が強まっているのが感じられ、それはまるでふたりの母親たちの心の裡を表しているようだった。



「ロシアに行く2週間前、司は健康診断を受けました。その時医師からその疑いがあると言われました。でもそれは本人には伝えていません。古い付き合いがある医師はわたくしだけに連絡をしてきたのです。それからすぐに精密検査を受けさせました。それはデータがきちんと取れてなかった。採取した3本の血液のうち1本を紛失してしまったと言って再検査を受けさせたのです。役員の健康診断については、会社の経営に関わることから細心の注意を払う必要があります。ですから詳しく調べるのは当然のことで過去にもそういったことがあり息子も再検査を疑わなかったはずです」

千恵子は楓の話を黙って訊いていた。
そしてすぐに理解することが出来た。
楓が息子の嫁をこの家から追い出したのは、自分と似ているところがあると言うつくしなら、夫が亡くなったあと再婚もせずこの家に留まり、夫の母親の傍にいて仕事を手伝うと言うこと分かっているからだが、それは夫に操を立てるではないが、運命の恋人と呼ばれたふたりは死さえも超越する。たとえ肉体が滅びても魂がここにある限り、娘はこの家に残り、亡き夫の代わりに母親を支えると道明寺楓は知っているのだ。つまり娘はこの家に縛られることになってしまう。だから楓は自分が悪者になりつくしをこの家から追い出したのだ。

「医師からはまだ早期だから大丈夫だと言われました。ですから帰国次第手術を受けさせます。でもあの時のわたくしは一瞬何を言われたのか分かりませんでした。頭の中が真っ白になり、何も考えられなかったのです。でもぼんやりなどしていられません。まず考えたのは、つくしさんのことです。お義母様の前でこんなことを言うのは大変失礼かと思いますが、先ほど申し上げたように、つくしさんはわたくしに似ているところがあります。1本芯が通ったものの考え方。信念をもっているところ。夫を深く愛していること。だからつくしさんは__」

楓はそこまで言うと言葉に詰まった。
それは千恵子が初めて見た楓の動揺。
だが楓の言葉に母親としてのぬくもりを感じた。
目の前の女性も年を取ったと感じられた。
子供同士が結婚して義理の家族になったふたり。だがひとりは自分の生涯を家に捧げ、会社に捧げた。そんな女性とは価値観が違うと思っていた。だがこんな風に話し合うことで、今では同じ母親として子供たちを思う心は変わらないのだと知った。そして母親の道明寺楓が、まだ若い我が子の生命が断たれることよりも、残される義理の娘の未来を心配をしていることに怒った声が出た。

「お母さん。まだそうと決まった訳ではありません。早期だと言われたんですよね?何事も臆測だけで物を言うのはよくありません。私の娘があなたに似ているなら、あの子は既にお母さんの心を受け継いでいるはずです。あの子は弱くありません。それに司さんも同じです。それに覚えていらっしゃいますよね?司さんが生まれた時のことを。赤ちゃんは幸せな匂いがしたはずです。子供の誕生はお母さんにとって大変な歓びだったはずです。私たちが命を削るほど苦しい思いをして分け与えた命がそんなに簡単になくなるはずがありません。それにつくしは、何があっても司さんと一緒にいることを望みます。夫の傍を離れることは、あの子にとっては考えられないことです。それにつくしは、娘は、今頃お母さんのことを心配しているはずです。あの子は賢い子です。だから口ではお母様が大切にしていた花瓶を割ったことでこの家を追い出されたと言いましたが、本当はそんなことは思っていません。何かあったのだと感じています。それにあの子がお母さんに似たところがあるとおっしゃるなら、理由もなくお母さんがそんなことをするはずがないと分かっているはずです」

ふたりの母親の会話は決して諍いではない。
顔は平静を保ちながら話をしているが、心は絶え間なく揺れていて、それが年老いた母親たちの本当の姿だ。そしてどんな親もいつも子供のことを思う。親でいる限り死ぬまでそれは続く。それにたとえ我が子が罪を犯しても、何も聞かずに庇うことが出来るのは母親だけだ。
我が子を無条件で愛するのが母親だ。

「お母さん。大丈夫です。司さんも。つくしも。もしかすると、ふたりはもう知っているかもしれません。司さんは勘が鋭い人です。そして妻であるつくしは、そんな夫と一緒にいるんです。夫婦は互いの顔を見れば分かります。心に何かあればそれを感じることが出来ます。つくしは司さんといることが幸せなんです。お母さん。これからは闘いです。ふたりが闘うのを私たち母親が支え応援すればいいんです。いえ。しなければいけないんです。それに司さんは強い人間です。それに人間は良すぎると早く死ぬといいます。でも過去の司さんはそうではなかったと訊いています。だからあなたの息子さんは生きます。それに娘がそうさせます。絶対にね」









ふたりの母親は涙を流すことはなかった。
だがその代わりを果たしたのは窓を伝う雨だ。
気付けばいつの間にか降り出した雨は時折雨脚が強くなったこともあった。
だが今はその雨も細い雨に変わり、やがてポツポツと降る優しい雨となり、銀色の玉となってキラキラと輝きを放ち始めたが、それは空を覆っていた雨雲が去ったからだ。

「お母さん。あのふたりは夫婦です。夫婦には夫婦のルールがあります。越冬するため北の国から飛んで来た鶴の夫婦だって、どちらかが病に倒れて渡りが出来なくなると、夫婦で残ると言います。パートナーの病が治るまでずっと傍についていると言います。
それはあのふたりも同じです。一緒だから乗り越えられることがあります。ふたりが一緒にいることに意味があるんです。つくしの幸せはあの子が決めます。だからお母さん。私たちは、どんなことがあってもふたり応援するしかないんです」

そしてふたりの女性が窓越しに見たのは、雨上がりの晩秋の陽光がもたらした、たそがれの風景。
その風景を見ながら千恵子は楓が出来ることなら息子と変わってやりたいと思っていることは分かっていた。そしてふたりは、その風景の中で太陽が作り出した荘厳さを見た。

それは広大な敷地を持つ屋敷の庭に舞い降りた大きな二羽の鳥が羽根を休めている姿。
日の光りはまるでスポットライトのように鳥たちを照らしていたが、彼らは北から渡って来たつがいの鳥たちなのか。
雨で濡れた羽根がキラキラと輝いて見えたが、その姿が気高く尊いものに思え、彼らが来年の春、共に北帰行してくれることを願わずにはいられなかった。
そしてふたりは、その鳥たちに我が子の姿を重ね静に祈りを捧げていた。





< 完 >*優しい雨*

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