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2018
10.21

キンモクセイの誘惑

毎年この季節になると香るのはキンモクセイ。
それは秋の訪れを感じさせる甘い香りで、庭の一角に植えられているその木は可憐な橙色の小さな花を枝に密生させていて、秋の日差しを浴び名前の通り金色に輝いて見えたが、開花時期が1週間足らずのその木の下には既に散った花弁があった。

「お義母様。ご無理はなさらないで下さいね」

「あら、大丈夫よ。わたくしはただ身体の中に出来た悪いものを取っただけですもの。無理などしてないわ」

「でも司が心配します。それに私も心配です」

「本当に大丈夫よ。もうこの年ですもの。孫たちと走り回ることはしないわ。それにひとりで大丈夫よ」

「でも私も一緒に」

「いえ。あなたはいいわ。ひとりで出てみたいのよ。それにわたくしの足腰はまだ弱ってないわ。それに今はわたくしのことよりも自分の身体のことを心配なさい」

付き添うと言った息子の嫁のつくしに大丈夫だからと言って楓はテラスから庭に出た。
そして庭を横切り5メートルほどの高さの木の下に立った。
キンモクセイの甘い匂いは数メートル離れていても秋の澄んだ空気に乗って香るが、夜は近くにいなくてもその存在を知らしめるように更に強く香る。
そして楓の目の前にある濃い緑の葉のキンモクセイは毎年必ず小さな橙色の花を付けるが、その木は楓と彼女の夫である道明寺祐(たすく)の結婚を記念して植えられた木。だが夫は既に亡くなりもう随分と時が流れた。
そして楓は1ヶ月の病院生活から自宅に戻ったところだったが、それは65歳の誕生日を数日後に控えた日だった。

「あなた。今年もキンモクセイが可愛い花を沢山付けたわ。まるでわたしくしの退院を祝ってくれているようにね。それからね、もうひとつお祝い事があるの。孫が産まれるのよ。司とつくしさんの間に4人目の子供が生まれるの」

楓の夫は息子が大学を卒業した年に亡くなったが、それから4年後、息子の司は結婚した。相手は高校時代の恋人。だが楓は初めて会った時いい印象を持たなかった。
家柄が違う。お金がないといったことを前面に別れることを強要した。

当然だが息子は反発した。だが初めは反発しながらも、二人の関係を認めてもらうための努力を始めた。
自分で決めたことだといって渡米し、彼女と結婚するため自分に課せられた使命を果たすとばかり自ら学ぶことを選んだ。

そんな我が子は楓の期待を裏切ることはなかった。
そしてつくしは、道明寺の家に見合う人間になると言って楓の言葉を真摯に受け止め学んだ。今では立派な道明寺社長夫人、そして3人の子供の親として、次に生まれて来る子供の母親としてどっしりとこの邸に根を下ろしていた。つまり今では子ライオンを守る立派な母親ライオンとして道明寺の未来を見つめていた。

結婚前の司に、「つくしさんのどこが好きなの?」と訊いたことがあった。
すると返された言葉は、「おっちょこちょいなところもあるが、思いやりと優しさは人一倍ある。たとえどんな状況に陥っても前を向いて歩く力を持つ。そんなところか?」だった。

どんな状況に陥っても前向いて歩く力を持つ。
その言葉に楓はつくしが自分と似たところがある女だと思った。
それは、司との交際を反対された時、何をされても、何があっても負けないといった強い瞳の輝きを見た時だった。この少女は強い意思を持つ子であり、負けず嫌いな子だと思った。
だがその負けず嫌いとは、他人に対しではなく自分の内面に対してのことであり、頭の回転が鋭い子だと感じた。そしてどこか自分に似たところがあると思った。

楓はビジネスの世界に生きてきた。
仕事以外では付き合いたくない人間だと言われていた。
だから合理的な考え方しか出来なくなっていた。だが孫が生まれるたび、その考え方が変わったと言われるようになった。

「男性のことを好々爺と呼ぶなら、楓さんは好々婆かな。今ではすっかりいいお祖母ちゃんだ」

夫が生きていれば、そう言ったかもしれないと思った。

「あなたにいいお祖母ちゃんと言われる年になったけど、あなたが生きていたらあなたはどんなお祖父さんになったのかしらね?」

そう言った楓はキンモクセイの香りを胸いっぱいに吸い込んだ。












楓は退院した翌日から庭を歩くことを日課に決めた。
それは医者から適度な運動なら問題ないと言われたからだ。
だがさすがに1ヶ月も病院のベッドに横になっていた身体は、そう簡単には元のようにならなかった。だがそれでも人の手を煩わせることはしたくなかった。

「お義母様。あまり無理はなさらないで下さいね」

「つくしさん。無理などしていないわ。ただ、ここに来てキンモクセイを見上げていると昔を思い出すの」

楓はつくしに言った。
この木が夫であり司の父親が自分達の結婚を記念して植えた木であることを。
すでに成木だったその木はその年の秋には花を咲かせた。
そしてあれからもう随分と時が流れたが、ベテラン庭師によって手入れが行き届いている庭にあるキンモクセイは、枯れることはなく大きく育ち秋になれば可憐な小さな橙色の花を付けることを。そして、そのことをつくしに話した翌日には、そこにベンチが置かれていた。
それはつくしの話を訊いた息子が手配したもので、楓とつくしはそこに腰を降ろしていた。

「私にとってお義母のイメージは薔薇でしたが、お義父様にとってはキンモクセイだったのでしょうか?」

亡くなる前に何度か会ったことのある夫の父親は背が高く、整った面立ちも似ていて、息子が年を取ればこうなるであろうという未来の姿がそこにあった。

「そうね。わたくしは薔薇を育てるのも愛でるのも好きよ。香りも好き。でもあの人にとってのわたくしのイメージはキンモクセイだったの。だから主人から初めて貰った香水はキンモクセイの香りがしたわ。それは特別に作らせた香水で世界にひとつしかないオリジナルよ。東洋的な香りがする香水で、世界を相手にするならオリエンタルを感じさせる方があなたらしいと言ってね」

世界を相手にする。
その言葉にまだ若かった楓は具体的に何を相手にするのか実感が湧かなかった。
道明寺財閥の当主と結婚した彼女に求められるのは、海外から訪れる賓客をもてなすことくらいしか思いつかなかった。

「主人はとてもロマンティックな人だったわ。自分でイメージした香水を作らせて妻に贈る。今ならそれも当然の事のようにあるかもしれないけど、あの当時はそんなことをする男性はいなかったわ。でもそれが道明寺祐という男性。自分の妻に自分の好きな香りを纏って欲しい。そう思ったのね。ある意味でそれは独占欲の表れでしょうけど、司もそんな夫の性格を受け継いでいるからあの子もロマンティックなのよ。だってつくしさんにもあの子があなたをイメージして作らせた香水を贈ったほどですもの。足音が聞えなくても、姿が見えなくても香りだけでその人が分かる。それに香りは同じものをずっと使うことでその人になるわ。つまり香りはその人そのものでその人のサイン。だから司も若い頃からずっと変わらない同じ香りを付けているでしょ?それが自分自身である証拠なの。それに香りが無いと下着を身に着けてない。何か忘れものをしたように感じてしまうものよ」

楓は入院中の病室でも夫から贈られた香水の匂いを枕元に置いていた。
人の記憶は年と共に薄れていくが、ふとしたことで昔が甦るが楓にとってそれはキンモクセイの香りを嗅いだ時だ。だからここへ来て木を見上げていたが、それはここへ来れば夫を思い出し身近に感じるからだ。

「ねえ、つくしさん。司の父親は髪の毛が銀色に変わる前に亡くなったわ。でも司は夫の分も長生きするわ。だから心配しなくても、あなたがひとりになるのはずっと先の話よ」








今しか香ることのない匂いを嗅いだことが過去の想い出を蘇らせたのか。
その翌日ベンチに腰を降ろした楓はうつらうつらと夢を見た。
それは何故か夫の姿がキンモクセイの上にあり、その様子を見上げている自分の姿。
夫の髪の毛は銀色に変わり秋の陽光を浴び輝いていた。
それは楓の髪の毛の色と同じで共に年齢を重ねた姿だった。

「あなた。そんなところで何をしてらっしゃるの?」

「何をって。君を待ってたんじゃないか。もういいのか?大丈夫なのか?」

「ええ。もういいの。ここを切ったけど傷は大きくなくてね。お医者様がおっしゃるにはその傷跡もそのうち消えるって言われたわ」

楓はそう言ってお腹に手を置いた。

「そうか。それは良かった。ところで私は病院でもいつも君の傍にいたんだが、気付いていたかな?」

「ええ。もちろん。枕元に香水の瓶を持って行きましたもの。だからいつもあなたの気配を感じていましたわ」

そう答えたのは嘘ではなかった。
上等な特別室の中。そこにいたのは楓だけではなかった。そしているとすれば夫以外考えられなかった。

「そうか。君はあれからもずっと私が贈った香水を愛用してくれているから嬉しいよ」

夫の言うあれからとは、彼が亡くなってからもずっとという意味だ。

「だってこの香りはあたなたがプレゼントしてくれた香水ですもの。それにわたくしは一度これと決めたら簡単には変えない性格ですもの」

それは鉄の女と言われた楓の性格だ。
だがそれも年を取り丸くなったと言われていた。

「そうだったね。君は意思が固い人間だ。一度こうだと決めたらそれを通す。だからビジネスでも成功した。私が倒れた後も君はよく頑張った。本当にね」

夫が倒れた頃、会社は存亡の危機を迎えていた。
だがその危機を救ったのは、息子の嫁であるつくしだったと知った時は正直驚いた。

「あなた。わたくしはあなたが亡くなってから道明寺家に嫁いだ女としてこの家を守ったわ。それに会社もよ。おかげ様で今は司が跡を継いでくれたわ。あの司がよ?それにつくしさんと結婚して子供が3人いるの。今思えば、つくしさんと結婚してなかったらあの子はどうなっていたか。それからつくしさんのお腹には4番目の子供がいるわ。そんなわたくしは今では幸せなお祖母ちゃんだと自分でも思うわ。でもそれをあなたと一緒に感じたかったわ。あなたにも幸せなお祖父ちゃんを感じて欲しかった。一緒に孫のおもちゃを買いに行きたかったわ」

楓は木の上にいる夫に言った。
これは夢なのだから、何を言っても許されると思ったからだ。
それに夢だから言えることもあるはずだと更に言った。

「それなのにわたくしは一人でおもちゃを買っていた。確かにそれが不満だとは言わないわ。でも男の子のおもちゃに何を買えばいいのか分からないこともあったわ。本当に正直困ったわ。それに男の子はよく走るのよ。つくしさんに頼まれて預かったことがあったの。でも追いかけるのが大変だったのよ。司の時のわたくしはまだ若かったから追いかけることも出来た。でもお祖母ちゃんになれば走ることは出来ないわ」

すると木の上にいる夫はその言葉にククッと笑った。

「あなた。どうして笑うの?」

「だって君の言葉はだんだんと我儘をいう子供のようになってるから」

「我儘ですって?」

「ああ。そうだよ。まるでそれじゃあ子供の頃の司だ」

「失礼なことをおっしゃるのね。わたくしのどこが子供の頃の司なの?」

「いや。ごめん。本当なら私も君と一緒に孫たちを追いかけなければいけなかったんだ。いや。追いかけたかったよ。だが追いかけることは出来なかったね。本当に残念だよ」

「あなた….」

楓は夢の中で夫と話をしたのは初めてだった。
そして当然だが孫について話をしたのも初めてだった。
それに夢に出て来たのは過去に一度しかなかった。それは夫の納骨の日だった。
後のことを頼む、と言われたが、それから後に夫が夢に出て来たことはなかったからだ。

「私もそっちへ行っていいかな。君の傍に。そのベンチに一緒に座ろう」

そう言われた楓はベンチに腰を降ろした。すると夫は木の上から飛び降りると楓の隣に座った。それから二人でベンチからキンモクセイの木を眺めた。

「楓。お腹の傷だが本当は大きな傷だろ?まだ痛むはずだ。それなのに歩き回っても大丈夫なのか?」

実は夫の言った通りで楓の腹部には大きな傷があった。そしてベンチに座るとき、痛みを感じ一瞬だが顔を歪めた。

「大丈夫よ。それにじっとしているなんてわたくしには出来ないわ」

「そうか。だが無理はしないでくれ。ところで覚えているかな。結婚して間もない頃。私がキンモクセイの花をベッドにまき散らしたことを。身体の下に沢山の花弁を敷いて愛し合ったことを」

「ええ。覚えているわ。なんだかくすぐったい気持ちになったわ」

「そうだな。花はこんなに小さいんだ。身体のあちこちにくっついて大変なことになった。でも君はそのキンモクセイを見て笑った」

あれは結婚一年目の秋。
年の初めに結婚したふたりだったが、まだ子供が出来なかったことに悩んでいた妻を楽しませるため夫はシーツの上に橙色の花を撒いていた。

「それにしても、このキンモクセイも随分と長い間花を付けてきたが、今年はそろそろ終わりか?」

キンモクセイの花の命は約1週間だ。
夫の言葉に答えるように小さな花びらが二人の前に落ちた。
そして夫は楓の顔を見た。

「そうね。今年はもう終わりかもしれないわね。でもキンモクセイの寿命は100年あるとも言われるわ。また来年も花を咲かせてくれるはずだわ」

「そうだな。来年もここで君とふたりでこの花を見よう」

「ええ。あなた。またここに来てわたくしと一緒にこの花を見て下さいね」

















楓が邸に戻って来たのは、庭に散歩に出てから1時間経った後だった。

「お義母様…..」

なかなか戻ってこない楓を探しに出たつくしがベンチに腰を降ろした楓に後ろから声を掛けたとき、返事は無かった。慌てたつくしは直ぐに前に回り再び楓に声をかけた。
だが返事はなかった。それでも頬は紅を差したように赤らんでいて眠っているように思えた。

「おふくろは何か楽しい夢を見ながら逝ったはずだ」

司は落ち着いた声で答えた。
それは自分の母親の病状を知っている男の納得した声だった。
そして妻からあのキンモクセイが両親の思い出の木だと訊き、すぐにベンチを用意したが、そこで母親が息を引きとったことに見えない何かを感じていた。

「お義母様。まさかこんなに早く逝かれるなんて…..お医者様はあと半年は大丈夫だとおっしゃっていたのに」

道明寺楓はすい臓ガンだと言われ手術を受けた。だが転移が進んでいて身体の中にあるすべての腫瘍が取り除かれた訳ではなかった。そして医者からは余命半年だと言われていた。
だが司は医者の言葉を信じてはいなかった。それは手術が終わった時、彼だけに伝えられた言葉があったからだ。

『お母様の好きなことを好きなだけさせてあげて下さい』



「まさか。お義母様ご自分の病状のことご存知だったの?」

「どうだろうな。頭のいい人だから薄々気づいていたのかもしれねぇな。それに親父が迎えに来たような気がする」

「お義父様が?」

「ああ。なんとなくだがそんな気がする」

楓が最期に見た風景は花を散らそうとしているキンモクセイの姿。
その香りは母親がいつも纏っていた香りの中にあった。
人生の最期に花の散り際を選んだのは偶然だったのか。
そしてそこに現れたのは楓の夫であり司の父親。息子にはそう思えた。

あのベンチで交わされたはずの会話はどんな会話だったのか。
どちらにしても頬を微かに染めていたという母親の姿を息子である男は見ることは出来なかった。いや。息子である自分は見なかった方が良かったのかもしれない。

そして今、部屋の中で芳香を放っているのは、横たわる母親の枕元に飾られたキンモクセイの香り。
手折った枝はやがて枯れる。だが手折られた枝からは来年の春には新芽が出るはずだ。それは司の4番目の子供が誕生する頃。せめてその子の顔を見るまで生きていて欲しかった。
そして夫の誘いを断らなかった母親は、天国で息子には見せることがなかった恥じらいといったものを見せている。そんな気がしていた。





< 完 > *キンモクセイの誘惑*

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