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2017
07.06

比翼の鳥 ~Collector 番外編~ 

Category: 比翼の鳥
風が吹いた。

いのちの風が。


広がる空の青さに比例するように大きな雲が横切った。
冬の寒いその日、二人にとって初めての子供は、予定日より早く生まれた。
もちろん司はいい父親になるつもりでいた。
それは、かつて自分が父親から与えて貰えなかった全てのものを我が子に与えたいと思うことから始まった。

家族の団欒や温かさといったものを知らなかった彼にとっては、まずそういったものを子供に与えたいと考えていた。それは子供の頃、ありもしない家族の繋がりといったものを求めたが、手にすることはなかったからだ。

狂気と正常の世界のどちらにいたかと言われれば、狂気の世界に暮らしていた男。
不幸の種をばら撒き、水をやり、その不幸が育つことが楽しいといった男。
そんな男が今では目の前にいる小さな我が子に戸惑いを隠せなかった。

物を与えるだけでは愛情を与えたことにはならない。それはもちろん分かっていた。
自分自身が経験した思いがあるからだ。
だがそれは、もう少し大きくなってからの話だ。
何しろ司の子供はまだ生まれて3週間しかたっていないのだから。

赤ん坊の世話をすることがどれだけ大変なことか、司には分かってなかった。
そして親というものは、子供に対しどんなことでも出来るものだと聞かされた。
それはもちろん妻であるつくしから言われたことだ。

「なあ、つくし。赤ん坊ってのはどうしてこうも泣くんだ?」

「ん?だって赤ちゃんはそれが仕事だから」

と、返されれば、そうかとしか答えることが出来ないが、産婦人科の病室で生まれた我が子を見たとき、そして初めて抱いたとき、この子をどんなことをしても守ってやるという感情が沸き起こっていた。

眼光鋭い男が、小さな赤ん坊に優しい瞳を向ける。
彼の過去を知る人間のうち、いったい何人がその光景を信じるだろうか?彼の家族に向けられる視線は温かく、そして言葉は柔らかだった。かつて頑なだった心があったが、それを溶かしたのは妻となった女性。そして生まれた子供だ。

彼には意味のない視線はない。
遠い昔、癖のある髪がストレートになり、雫を垂らしながら彼女だけを見ていたあの時。
たとえずぶ濡れになったとしても、その視線が一瞬たりとも彼女から離れることはなかった。

あのとき、彼女と別れた。
そして再会し、今では涸れることのない愛をこの手に掴み、生きる希望といったものを与えて貰った。

あの日の雨から抜け出した二人がたどり着いたのは、揺るぎのない愛の世界。
その世界で互いを理解することを学んだ。
二人は限界の世界まで行き、絶望的だと言われた夜が二度あった。だがそれも乗り越えた。
それは確かな愛が二人を待っていてくれていたからだ。


司は一時左脚が不自由だった。
杖をつきながら歩くことを強いられたことがあった。
二本の脚で杖をつくことなく歩くことは、不可能と見えた状態があった。
だが司の強さは、己の身体が不自由になったからといって損なわれることはなかった。
辛い真実があったとしても、そのことに目をつぶるのではなく、前を向いて歩くことを選んだ。過去ではなく、今を強くしていくことを選んだ。

人が恐れるものがあれば、それを乗り越えていくだけの強さが彼にはあった。
たとえ真夜中に、ひとり血を吐く思いをしたとしても、愛する人が傍にいてくれるなら乗り越えることが出来た。


勿論そんな姿を妻には見せたくなかった。だが、彼女は夫の姿で見てはならない姿などないはずだと言った。そしてどんなに強い男だとしても、たったひとり心を許せる人間がいるとすれば、それは自分のはずだと。
そして、その言葉が司の心の支えとなったことは間違いない。


二人が出会った頃、司は余りにも多くの物を持ち過ぎていたため、自分が何者であるか分からなくなっていた。
そんな男は、一人の少女に出会ったことにより、この世に生まれた喜びを知り、魂をもらうことが出来た。その少女は彼の心を、魂を求めてくれた。
それまで彼の魂を求めた人間などいなかった。
彼の魂まで求めてくれた人間は彼女以外いなかった。

二人の親友が言った魂が結ばれた二人。
今はパリに住む類が言ったその言葉。
過去、司と類は彼女を挟んで険悪な関係に陥ることがあった。だがそれもすぐに仲直りした。
それに司は、認めたくはないが類がいたからこそ、今の妻がいるということは、分かっていた。
遠い昔、ただのワルではなく、権力をふりかざし、学園の支配者と言われた男の傲慢さを嫌った妻は、一時類に心があった。そんな彼女を一度は諦めようとした。けれど、出来なかった。
どんな人間にも、たった一人、その人間の魂に沿うことが出来る人間がいる。
その人間が誰であるのか。既に出会っていたとしても、気付かないこともある。
だが司は、すぐに気付いた。
牧野つくしが自分の魂の伴侶であることに。






人生の転換期といったものが、ある時期に集中して起きるとすれば、それが今だろう。
二人はそれぞれ身体に傷を負ったが、共に生きていくことを決めた。そして新しい命が誕生した。名前は道明寺 英(すぐる)。麗しい、優れている、秀でた者といった意味を持つ名前が彼の名前だ。

「おい。司。それで生まれた時、おまえは牧野の傍にいたんだろ?」
「まさか、おまえ出産に立ち会ったのか?」

司の親友である三人の男たちは、牧野つくしが司によく似た男の子を生んだと聞き、邸を訪ねていた。
本当ならもっと早く二人の間に生まれた男の子を見たかったが、父親である司がうんと言わなかった。それはつくしの体調を気遣ってのことだった。
それに、子供を産んだばかりの妻と我が子と三人だけの時間が欲しかった。
どうせこれから引っ切り無しにこの邸を訪れること間違いない仲間たちなのだから。


夜中にトイレに行ったつくしは、破水したと言って司を慌てさせた。
どうしたらいいんだと慌てる夫に冷静に言葉をかけた妻。

「病院で赤ちゃんを産むから」
の言葉に、おおそうだ、と頷く夫と病院に入り、明け方に男の子を出産した。
流石に司は立ち会う勇気はなかった。それに彼女もそれを望まなかった。

「司はここで待っていて」
と言って扉の向うに消えた彼女が男の子を生んだと知らされ、赤ん坊を胸に抱いた姿を見て、我が子の誕生がこんなにも嬉しいものだと初めて知り、目に涙が滲んだ。





「それにしても、まだ3週間だってのに、この顔は紛れもなく司の目鼻立ちだな」
「ああ。まさに親子そっくりになるぞ?」
「でも牧野にも似てる」

パリから一時帰国した類は、土産に持参した熊のぬいぐるみをベビーベッドの隅に置いた。

「そりゃあ母親だからどこか似てるところがあるのは、あたり前だ」
「うん。俺が言ってるのは顔じゃなくてこの子の性格だよ」

それを聞いた司の表情には、すぐさま敵愾心といったものが現れ、類に聞いた。

「類、おまえ英の性格が分かるって?」
「うん。この子、絶対頑固な子だ。それに曲がったことが嫌いな子だよ」
「なんでおまえがそんなことが分かるんだ?」

父親でもない男に我が子の性格が分かるとは思えないと、その根拠を求めた。

「だって、この子の眉間。皺が寄ってるだろ?これって牧野の癖だよ」

類はベビーベッドから見上げる赤ん坊の眉間を指差した。

「アホか類!赤ん坊にはよくあるんだよ!別につくしの癖だからって赤ん坊の時からそんな癖があるわけねぇだろうが!」

「そう?でもなんとなくこの子は頑固な子だって感じるよ?司だって感じてるはずだ」

確かに司も我が子が頑固な性格ではないかと思っていただけに、それを類の口から聞かされ驚いていた。そして今の我が子が見せる仕草といえば、泣くことだけだが、そんな我が子が愛おしかった。時に自分を見上げて笑う顔が、彼が愛して止まない妻に似ていると感じていたからだ。


「おいおい、そんなことで揉めるな。どっちに似てるかなんて大きくなるにつれ変わるんだからまだ分かんねぇだろ?それに司と牧野の間に生まれた子供であることに間違いねぇんだからどっちに似ようがいいじゃねえぇか」

司のこめかみに浮かぶおなじみの青筋は、彼の気持ちを如実に表していた。
それは、俺以外誰の子だと言わんばかりであきらを睨んだ。

「ところで肝心の牧野はどこ?せっかく久しぶりに会えると思ったのにさ」
と、類はどこかすねた口調でチラッと司を見た。

「ああ。あいつなら今.....アレだ。こいつのミルクを用意_」

「牧野搾乳してるの?」

「類!!」

あきらが警告するように言った。
相変わらず類の率直な言葉は、その場にいた二人の男を慌てさせ、一人の男を怒らせた。
だが、次に類が口にした言葉に三人は口を閉じた。

「俺たちで英を必ず幸せにしてやらないとね。司も牧野も沢山のことを乗り越えて一緒になったんだ。二人が英の親として責任を持って育てることは分かる。英は二人の過去から未来への希望だってことも。だから俺たちも英の幸せを祈らずにはいられない」



必ず幸せに。

それは二人の過去から未来への希望。
四人ともその言葉の持つ大きな意味を知っていた。
そして彼ら四人の沈黙は、この約束は必ず守るといった誓いでもあった。









つくしは子供部屋のドアを開け、ベビーベッドの前の椅子に腰かけた夫を見た。
背中を向け我が子を胸に抱き、あやしている姿を見ることは今では珍しくないが、見るたび驚いていた。それは、かつて暴力に明け暮れていた男の姿とは思えなかったからだ。 
そしてその姿は、大きな鷲が高い場所から舞い降り、その翼に大切な我が子を抱え、守っているように見え、どこか雄々しく感じられた。

自分と同じ癖のある髪を持つ小さな我が子を守る大きな翼。
今は自分もその大きな翼の中で守られていると感じていた。
だが二人は比翼の鳥だ。
共に一緒でなければ高い空を飛び、山を越えて行くことは出来なかった。
それはこれからの人生に於いて必ずある山であり谷。


「つかさ、英にミルクをあげなきゃ」

つくしは夫に声をかけた。
身体こそ痩せているが、子供を産んだ名残というものがまだ胸に残っていた。
乳房が大きく張り母乳の出は良かった。

振り向いた夫の腕に抱かれた赤ん坊は、頬をバラ色に染め、父親の顔をじっと見つめていた。
そしてじっと見つめられる男は、その視線を妻へと向けた。

「英。ママだぞ?ママのおっぱいの時間だ」

と、優しそうに笑う顔が眩しかった。









よく似ていると言われる親子は、これから先どんな人生を歩むのか。

ひとつ言えるのは、司は決して自分の幼い頃のような寂しさを我が子に味合わせるつもりはないということ。そして親であることは当然だが、息子の人生の手本でありたいと思った。

息子がどんな人生を歩もうが、反対するつもりはない。
ただ、司が父親として望むのは、自由闊達な精神を持つ人間でいて欲しいということ。
そして生きていく上で、悩むことがあれば、どんなことでも力になってやるということ。
司がこれから成し遂げなければならないことは、数限りなくある。
だが親と子の絆といったものを強固にするため、最善を尽くすと誓える。

家族が増えた今、数えきれない思い出をこれからの人生で作ればいい。
最愛の伴侶となった女と二人、あの頃の二人を忘れることなく家族の絆を深めていけばいい。
二人の愛が変わっていくことはない。
だが愛は成長していくものだ。
二人の愛の結晶である息子が成長すれば、二人の愛も成長する。
そして、愛そのものが家であり、司の帰る場所だ。

今、目の前で息子に乳房を吸わせている妻を見て、司は自分の口がその乳房を激しく吸った時のことを思い出していた。

もうそろそろ愛し合ってもいいころか?
そんな思いが彼の頭を過り、その思いが妻に伝わったのか、視線を合わせた大きな瞳が恥ずかしそうな表情を見せた。

司は妻の唇に自分の唇を押し付け、その唇を貪った。
暫くしてやっと唇を離した男は、目を大きく見開いた妻に向かって囁いた。

「初恋のときよりおまえを愛してる」

初恋は彼女だが、それ以上、今の方が彼女を愛おしいと思えていた。
そうは言っても、彼女を初めて見つけた時から変わらぬ思いを満足させるには、この胸の中に、心臓の近くに抱き寄せ、鼓動を重ねなければ満足できそうにない。

司は妻の頭を支え、再びキスをした。

司の情熱は永遠に妻のもの。

そして子供のもの。


今では誰よりも家族を思う男は、早くも次の子供が欲しいと望み、息子を抱く妻を抱きしめていた。そして愛してる。おまえへの愛は永遠に変わらない。と囁いていた。






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