皆様こんにちは。
締切りまでまだ数日ありますが、アンケートへのご協力ありがとうございます。
そしてコメントをお寄せ下さった皆様ありがとうございます。
ご感想や貴重なご意見もですが、こんな話が読みたいといったコメントも数多くいただき、締切り後どのようなリクエストがあったのか、日を改めて幾つかご紹介したいと思っています。
その前にこちらのお話を書きましたので、よろしければお読み下さいませ。
***************************************
「軽井沢に行きたい」
秋風が心地よく感じられるようになると何処かへ出かけたくなる。
そんな時恋人が行きたいという所へ連れて行くのが司の役目。
だがその恋人は公共交通機関での移動を望むという考えられないことを言い出したが即座に却下された。
「お前、俺に電車に乗れって無理だろ?それに目的地まで行くのに乗り換えだのなんだの時間が無駄だろうが。車の方が効率的だ。それに腹が減ったらサービスエリアに寄れば何でも食える。お前はサービスエリアが好きだろ?」
サービスエリアという言葉に反応した女は、運転は疲れるし、危ないからと言いかけた言葉を口の中に収めた。つまりそれは司の言葉に同意したということだ。
だが彼女の言葉が普段遅くまで仕事をしている男を気遣っていることは勿論理解していた。
そしてそんな女はサービスエリアや道の駅といったものに目がない。
それはその土地の名産品を味わうことが出来るからだが、その中でも特に好きなのがソフトクリームだ。
伊豆に行けば本生すりおろしワサビ付きのソフトクリームという白いソフトクリームにワサビがトッピングされた奇妙なソフトクリームを食べ、ついでにワサビみそ付きおでんを食べる。そしてこうして軽井沢に来ればここでしか味わえないからといってやっぱりソフトクリームを食べる。ジャージー牛から取れる濃厚なミルクは最高だと言うが、とにかく食欲の秋は彼女にとっては年がら年中といった感じだが、うまそうに食べる顏に司はこの上ない幸せを感じていた。それはふたりが付き合い始めた高校生だった頃から変わらない彼女の笑顔。かつて一度だけ一緒に行った店で甘いパフェを美味そうに食べる姿に渋い顔をしたが、内心で頬を緩めたのは言うまでもない。
そして食事を楽しむことを知ったのは、彼女と出会ってからだったが、高速を降り道の駅の休憩所に座りソフトクリームを食べ終えた女は、向かいの席に座る司に言った。
「ジャージー牛のミルクから作られたソフトクリームここでしか食べられないのよね。美味しかった。それにしても道明寺の家って本当に凄いわね。だってこの前出張で北陸新幹線に乗って金沢に行く時ここを通ったけどトンネル出てから次のトンネルに入るまでの間に窓から見える建物に全部メープルって付いてるじゃない?見える景色が全部メープルってアンタん家、どれだけ金持ちなの?」
大学を卒業した彼女が就職したのは道明寺食料株式会社。
食品を専門に扱う道明寺の専門商社で、彼女は一般加工食品事業部で味噌を卸す仕事をしていた。そしてその仕事柄美味いと言われる味噌を求め全国各地を出張で飛び回っていたが、ソフトクリームを食べ終え今更分かり切ったことを、さも知らなかったとばかり聞く女は、司の財産には興味がないからだが、それがいずれ自分のものになることもどうでもいいようだ。
ふたりが婚約して2ヶ月。
司がニューヨークで4年を過ごし帰国して3年が経っていたが、ふたりは7年の交際を経て来年の5月に軽井沢のメープルで結婚式を挙げることが決まっていた。
「さあな。メープルは社長の管轄だがここは、ひいじいさんの代から道明寺の土地だった。それを開発したのはじいさんだが、ここまでの規模にしたのは社長だ」
司の母親である楓によって先代から引き継がれた土地を大規模なリゾートとしてリニューアルオープンさせたこの場所は、都会の喧騒から逃れるには打って付けの場所だ。だがその場所から少し離れた北軽井沢が本来の目的地だがそこには司名義の別荘があった。
そして今回訪れる場所はその近くにある禅寺。自然の音以外何も聞こえない大自然の懐に包まれた場所で座禅を組もうと彼女は言い出した。
「一度経験してみたかったの。無心になって自分を見つめたいと思ってたの」
先程までの明るかった口調と打って変わって静かな口調でそう言った彼女の心には何か心配事でもあるのか。
司のそんな思いが伝わったのか。彼女は違うからね、と言った。
「司はあたしが婚約をしたことを後悔してるとでも思ったんじゃない?バカね。昔みたいに迷ったりしてないから。ただ心を落ち着けたかったの。ほら今年の夏は暑かったし忙しかったから疲れている身体と心を癒したかったの。本当にそれだけだから」
とは言え、彼女のことになると途端に心配症になる男は、言わないだけで何かあるのではないかと思った。
「つくし。お前本当か?今まで何度もこの場所には来たが座禅を組みたいなんて言ったことはなかったよな?本当は何か考えてるんじゃねぇのか?」
「だ、だから違うってば。何も考えてないから。ええっと…でも何も考えて無いって言ったらバカみたいだけど、司との結婚で何かを迷ってるとか、考えてるとかそんなことは絶対にないから」
そう言われたが、それでも司は考えていたことがあった。
それは当ての無い不安だと言われるかもしれないが、結婚によって彼女が飛べない羽根を羽ばたかせるようになるのではないか。
道明寺という大きな鳥かごの中で出口を探しグルグルと回るだけの鳥になってしまうのではないかという思いがあった。
たとえばそれは公園などで見られる遠くへ飛んで行かないようにと羽根を切られている鳩を指していたが、自分と結婚することで彼女がそんな風になってしまうのではないかと心配していた。
「司?なに?そんな顏して?やだ何か変なこと考えてるでしょ?普通結婚について不安に思うのは女性の方よ?マリッジブルーって言葉は女性の為にあるようなものでしょ?」
司の目の前でそう言う女は笑っていた。
そして堂々とした態度に大きな目をまん丸にした顔は、まるで自分を大きく見せようと胸を膨らませた鳩のようだった。だが司にとって彼女は小さくて白い鳩。白い鳩は出会うと幸せになれると言われるが、どうでもいいと思っていた学園生活で見つけた彼女が鳩なら司は猛禽類だった。
猛禽類は鋭い爪とくちばしを持ち、他の動物を捕食する。
そんな猛禽類が恋をしたのは平和の象徴とされる鳩。彼女を見つめるだけで胸が熱くてたまらなかった。だが彼女は捕まえようとしても簡単には捕まらなかった。
そして極彩色の羽根を持つ鳥の群れの中に迷い込んだ灰色の鳩は、はじめは明るすぎる周囲の環境に身を縮めるように過ごしていた。
やがて他の鳥から攻撃されるようになったが逃げなかった。傷つけられ飛べなくなっても闘うことを選んだのが彼女だ。そしてそんな彼女を好きになった男は、誰にも傷つけられないように、そして彼の傍にずっといてくれるように自分の持つ大きな羽根で彼女を守ることを決めた。
「ねえ、司。あたしは迷ってなんかないから。ニューヨークと東京で離れ離れになった時、あたしにも大きな翼があればいいと思った。そうすれば司の元に飛んでいけたから。だけどあたしはこっちで頑張った。あんたと一緒にいることが出来るように頑張ったよ?だから今があると思ってる。ふたりはもう離れることはないんだし、もしかすると来年の今頃は新しい命が宿っているかもしれないでしょ?あたし達には明るい未来があるんだから!それからね、禅寺に行きたいって言ったのは、司と一緒に行って見ろって西門さんから言われたからなの」
「総二郎が?」
彼女は花嫁修業の一環として総二郎の所で茶道を学んでいた。
「うん。ほら。あたし今西門さんの所でお茶習ってるでしょ?それで教えてもらったの。日本にお茶の種を持ち帰ったのは栄西っていう禅僧で、その人が禅を広めたの。だからお茶と禅っていうのは切っても切れない仲なの。それで西門さんが最近道明寺が忙しくて疲れてるみたいだから気持ちが落ち着ける場所に行って来いって北軽井沢の禅寺を紹介してくれたの。それにあたしも今年の夏は忙しかったから身体が疲れてるし、ちょうどいいって思ったから行きたいって言ったの。だから何か悩みがあるとか、そういったことじゃないから」
確かに9月は中間決算で忙しい日々が続いていた。
そして司はそう言われ、彼女に何かあったのではないかと彼女の小さな変化を気にしていた自分が逆に気遣われていたことで、互いが互いを思いやり気遣っていたということを知り嬉しかった。だが誰もが自分のことより恋人のことを思うとは限らない。それでもふたりの場合は互いを思いやる気持ちが強かった。それは離れ離れになっていた4年間という時間と距離が人を思いやる優しい気持ちを育ててくれた。
「座禅って心が落ち着いて集中力も養われるって言うし、そこではお茶もだけど、精進料理も出して下さるの。だからそこでゆっくりしよう?それに森林セラピーって言うのもあるらしいから色付いて来た森の中を散策しようよ!ふたりでゆっくりしよう?」
そう言って司を見つめる彼女の存在は、彼にとって青い空に下に果てしなく広がる砂漠の中から見つけ出した宝石のような存在だ。
だがそれは、もしかすると司が永遠に見つけることが出来なかった路傍の石だったかもしれない。だが司は見つけた。そしていくら強い男と言われても、そんな男にも寄りそう人がいることでどれほど心が安らぐことか。
彼女の言葉のやさしさと笑顔が司にとっては最上の癒しであり尊いものであるかを今は知っていた。
「散歩か…..なんかまるでじいさんだな。ま、俺がじいさんならお前はばあさんか。なんなら山へ芝刈りに行って川で洗濯でもするか?そうすりゃ桃が流れてきてその中に俺たちの子供がいるかもな。そうだ俺たちは婚約したんだ。結婚式より前に子供が出来ても誰も文句は言わないはずだ。なあつくし。なんなら今夜から頑張ってみるか?大きなお腹でウエディングドレスを着るってのもいいんじゃねぇの?」
だが司の言葉に顔を真っ赤にして順序が違うでしょう!何言ってんのよ!と怒られるのも楽しかった。
こんな冗談が言えるのも彼女とだからだが、人が人を愛する意味を教えてくれたのは彼女で、彼女が傍にいるから心から笑える。
そして人生に答えを求めることを止めたら気持ちが楽になったのは、彼女と出会ったから。
司にとって彼女は青空であり大きな海であり司を受け止めてくれる人だ。
「…..つくし。ありがとな。悪かったな。色々気を遣わせたようだが心配するな。忙しかったのも峠は越えた。あとは数字の魔女が、いや社長が何と言うかだが前年同期と比べて数字はいいはずだ」
まだ若輩と言われる男は社長である母親の下に身を置き経営の全てを学んでいた。
だが接する態度は息子でありながら息子ではない。あくまでも社長と専務という立場で接していた。そしてその社長がふたりの結婚を認めたのは、社長というよりも母親の顔になった時だった。
それは彼女が司のいない間にどれだけ頑張っていたか。生まれや育ちや家柄が違うと言っていた母親も司と一緒に歩む人生を考えた彼女が、道明寺という家を理解しようとしている姿を認めたからだ。
そしてどこかぎくしゃくとしていた男と母親との関係を取り持ったのも彼女だった。
「ねえ。お母様もお疲れじゃない?」
それは彼女のやさしさが感じられる言葉。
「社長か?心配するな。社長は鋼の女だ。少々のことじゃあの身体はびくともしない。それにああ見えて健康には人一倍気を付けてる。お前がいいと言った味噌。最近はそれを毎朝飲んでるそうだ」
母親が少し丸くなったと感じたのは、決して彼女が母親に渡した味噌のせいではないが、それでも一人の女性が彼の人生を変えたことは間違いない。
そしてこれからもきっと彼の人生をいい方向へ導いてくれるはずだ。
「あのお味噌気に入って下さったのね?やっぱりああいった発酵食品は日本人の身体に合ってるのよ」
自分の仕事に誇りを持つことを忘れない彼女。
司はそんな彼女の姿が好きだ。だが時に不安そうな顔をすることがあった。
その姿は青い空に一片の雲が浮かんだようなもの。
だから司はその雲を吹き払う風になりたかった。
雨が降れば大きな傘になって彼女を守りたかった。
司が見上げる空の色が変わったのは、彼女と出会ってからだ。
そして今ふたりが見上げる青い空は天高く馬肥える秋の空。
この空の欠片を今日の想い出として彼女と一緒に東京へ持ち帰りたい。
一度として同じ空は無いのだから。
そしてきっとふたりの結婚式の日はここの空は青が濃く空気も緑が濃いはずだ。
その日、ふたりは永遠を誓いキスをする。
「.....つくし」
「ん?なに?」
「.....いや。なんでもねぇ」
「そう?変なの。もしかして座禅に緊張してる?警策で後ろから肩を叩かれると思うと怖いんでしょ?」
「バカ言え。俺があんな木の棒で叩かれるヘマをするか!」
「ふふふ。どうだか。あれはね、叩いて下さいって気持ちでいなきゃ叩かれるんだからね!」
守りたい女は笑顔で司を見つめているが、その微笑みがこれからも永遠に続くようにするのが司の役目だ。晴れた秋の空のような清々しい微笑みが続くように。
「そろそろ行くか?」
立ち上った司は彼女の方へ回ると、彼女の手を取った。
そして自分よりかなり背の低いつくしへと身を屈め、ささやくようにして言った。
「ソフトクリーム。口元に付いてる」
その言葉に女が慌ててハンカチを出し拭おうとしたが、司がそれを止めた。
「嘘だ」
「え?」
大きな黒い瞳がびっくりしたように司を見たが、司は彼女の唇にキスをした。
そのとたん、彼女の唇が微笑みの形に変わったのが分かった。
もちろん、司もそうだ。
愛も切なさも経験したふたりが未来へと飛び立つには、少しの風が吹けばいい。
ふたりは来年の5月にその風が吹くことを心の中で感じていた。
導かれるように巡り合えたふたりのスタートは緑溢れる場所から始めようと決めたのだから。
そんなふたりの唇は重ねられたまま笑っていた。
< 完 > *空へ続く未来へ*

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「軽井沢に行きたい」
秋風が心地よく感じられるようになると何処かへ出かけたくなる。
そんな時恋人が行きたいという所へ連れて行くのが司の役目。
だがその恋人は公共交通機関での移動を望むという考えられないことを言い出したが即座に却下された。
「お前、俺に電車に乗れって無理だろ?それに目的地まで行くのに乗り換えだのなんだの時間が無駄だろうが。車の方が効率的だ。それに腹が減ったらサービスエリアに寄れば何でも食える。お前はサービスエリアが好きだろ?」
サービスエリアという言葉に反応した女は、運転は疲れるし、危ないからと言いかけた言葉を口の中に収めた。つまりそれは司の言葉に同意したということだ。
だが彼女の言葉が普段遅くまで仕事をしている男を気遣っていることは勿論理解していた。
そしてそんな女はサービスエリアや道の駅といったものに目がない。
それはその土地の名産品を味わうことが出来るからだが、その中でも特に好きなのがソフトクリームだ。
伊豆に行けば本生すりおろしワサビ付きのソフトクリームという白いソフトクリームにワサビがトッピングされた奇妙なソフトクリームを食べ、ついでにワサビみそ付きおでんを食べる。そしてこうして軽井沢に来ればここでしか味わえないからといってやっぱりソフトクリームを食べる。ジャージー牛から取れる濃厚なミルクは最高だと言うが、とにかく食欲の秋は彼女にとっては年がら年中といった感じだが、うまそうに食べる顏に司はこの上ない幸せを感じていた。それはふたりが付き合い始めた高校生だった頃から変わらない彼女の笑顔。かつて一度だけ一緒に行った店で甘いパフェを美味そうに食べる姿に渋い顔をしたが、内心で頬を緩めたのは言うまでもない。
そして食事を楽しむことを知ったのは、彼女と出会ってからだったが、高速を降り道の駅の休憩所に座りソフトクリームを食べ終えた女は、向かいの席に座る司に言った。
「ジャージー牛のミルクから作られたソフトクリームここでしか食べられないのよね。美味しかった。それにしても道明寺の家って本当に凄いわね。だってこの前出張で北陸新幹線に乗って金沢に行く時ここを通ったけどトンネル出てから次のトンネルに入るまでの間に窓から見える建物に全部メープルって付いてるじゃない?見える景色が全部メープルってアンタん家、どれだけ金持ちなの?」
大学を卒業した彼女が就職したのは道明寺食料株式会社。
食品を専門に扱う道明寺の専門商社で、彼女は一般加工食品事業部で味噌を卸す仕事をしていた。そしてその仕事柄美味いと言われる味噌を求め全国各地を出張で飛び回っていたが、ソフトクリームを食べ終え今更分かり切ったことを、さも知らなかったとばかり聞く女は、司の財産には興味がないからだが、それがいずれ自分のものになることもどうでもいいようだ。
ふたりが婚約して2ヶ月。
司がニューヨークで4年を過ごし帰国して3年が経っていたが、ふたりは7年の交際を経て来年の5月に軽井沢のメープルで結婚式を挙げることが決まっていた。
「さあな。メープルは社長の管轄だがここは、ひいじいさんの代から道明寺の土地だった。それを開発したのはじいさんだが、ここまでの規模にしたのは社長だ」
司の母親である楓によって先代から引き継がれた土地を大規模なリゾートとしてリニューアルオープンさせたこの場所は、都会の喧騒から逃れるには打って付けの場所だ。だがその場所から少し離れた北軽井沢が本来の目的地だがそこには司名義の別荘があった。
そして今回訪れる場所はその近くにある禅寺。自然の音以外何も聞こえない大自然の懐に包まれた場所で座禅を組もうと彼女は言い出した。
「一度経験してみたかったの。無心になって自分を見つめたいと思ってたの」
先程までの明るかった口調と打って変わって静かな口調でそう言った彼女の心には何か心配事でもあるのか。
司のそんな思いが伝わったのか。彼女は違うからね、と言った。
「司はあたしが婚約をしたことを後悔してるとでも思ったんじゃない?バカね。昔みたいに迷ったりしてないから。ただ心を落ち着けたかったの。ほら今年の夏は暑かったし忙しかったから疲れている身体と心を癒したかったの。本当にそれだけだから」
とは言え、彼女のことになると途端に心配症になる男は、言わないだけで何かあるのではないかと思った。
「つくし。お前本当か?今まで何度もこの場所には来たが座禅を組みたいなんて言ったことはなかったよな?本当は何か考えてるんじゃねぇのか?」
「だ、だから違うってば。何も考えてないから。ええっと…でも何も考えて無いって言ったらバカみたいだけど、司との結婚で何かを迷ってるとか、考えてるとかそんなことは絶対にないから」
そう言われたが、それでも司は考えていたことがあった。
それは当ての無い不安だと言われるかもしれないが、結婚によって彼女が飛べない羽根を羽ばたかせるようになるのではないか。
道明寺という大きな鳥かごの中で出口を探しグルグルと回るだけの鳥になってしまうのではないかという思いがあった。
たとえばそれは公園などで見られる遠くへ飛んで行かないようにと羽根を切られている鳩を指していたが、自分と結婚することで彼女がそんな風になってしまうのではないかと心配していた。
「司?なに?そんな顏して?やだ何か変なこと考えてるでしょ?普通結婚について不安に思うのは女性の方よ?マリッジブルーって言葉は女性の為にあるようなものでしょ?」
司の目の前でそう言う女は笑っていた。
そして堂々とした態度に大きな目をまん丸にした顔は、まるで自分を大きく見せようと胸を膨らませた鳩のようだった。だが司にとって彼女は小さくて白い鳩。白い鳩は出会うと幸せになれると言われるが、どうでもいいと思っていた学園生活で見つけた彼女が鳩なら司は猛禽類だった。
猛禽類は鋭い爪とくちばしを持ち、他の動物を捕食する。
そんな猛禽類が恋をしたのは平和の象徴とされる鳩。彼女を見つめるだけで胸が熱くてたまらなかった。だが彼女は捕まえようとしても簡単には捕まらなかった。
そして極彩色の羽根を持つ鳥の群れの中に迷い込んだ灰色の鳩は、はじめは明るすぎる周囲の環境に身を縮めるように過ごしていた。
やがて他の鳥から攻撃されるようになったが逃げなかった。傷つけられ飛べなくなっても闘うことを選んだのが彼女だ。そしてそんな彼女を好きになった男は、誰にも傷つけられないように、そして彼の傍にずっといてくれるように自分の持つ大きな羽根で彼女を守ることを決めた。
「ねえ、司。あたしは迷ってなんかないから。ニューヨークと東京で離れ離れになった時、あたしにも大きな翼があればいいと思った。そうすれば司の元に飛んでいけたから。だけどあたしはこっちで頑張った。あんたと一緒にいることが出来るように頑張ったよ?だから今があると思ってる。ふたりはもう離れることはないんだし、もしかすると来年の今頃は新しい命が宿っているかもしれないでしょ?あたし達には明るい未来があるんだから!それからね、禅寺に行きたいって言ったのは、司と一緒に行って見ろって西門さんから言われたからなの」
「総二郎が?」
彼女は花嫁修業の一環として総二郎の所で茶道を学んでいた。
「うん。ほら。あたし今西門さんの所でお茶習ってるでしょ?それで教えてもらったの。日本にお茶の種を持ち帰ったのは栄西っていう禅僧で、その人が禅を広めたの。だからお茶と禅っていうのは切っても切れない仲なの。それで西門さんが最近道明寺が忙しくて疲れてるみたいだから気持ちが落ち着ける場所に行って来いって北軽井沢の禅寺を紹介してくれたの。それにあたしも今年の夏は忙しかったから身体が疲れてるし、ちょうどいいって思ったから行きたいって言ったの。だから何か悩みがあるとか、そういったことじゃないから」
確かに9月は中間決算で忙しい日々が続いていた。
そして司はそう言われ、彼女に何かあったのではないかと彼女の小さな変化を気にしていた自分が逆に気遣われていたことで、互いが互いを思いやり気遣っていたということを知り嬉しかった。だが誰もが自分のことより恋人のことを思うとは限らない。それでもふたりの場合は互いを思いやる気持ちが強かった。それは離れ離れになっていた4年間という時間と距離が人を思いやる優しい気持ちを育ててくれた。
「座禅って心が落ち着いて集中力も養われるって言うし、そこではお茶もだけど、精進料理も出して下さるの。だからそこでゆっくりしよう?それに森林セラピーって言うのもあるらしいから色付いて来た森の中を散策しようよ!ふたりでゆっくりしよう?」
そう言って司を見つめる彼女の存在は、彼にとって青い空に下に果てしなく広がる砂漠の中から見つけ出した宝石のような存在だ。
だがそれは、もしかすると司が永遠に見つけることが出来なかった路傍の石だったかもしれない。だが司は見つけた。そしていくら強い男と言われても、そんな男にも寄りそう人がいることでどれほど心が安らぐことか。
彼女の言葉のやさしさと笑顔が司にとっては最上の癒しであり尊いものであるかを今は知っていた。
「散歩か…..なんかまるでじいさんだな。ま、俺がじいさんならお前はばあさんか。なんなら山へ芝刈りに行って川で洗濯でもするか?そうすりゃ桃が流れてきてその中に俺たちの子供がいるかもな。そうだ俺たちは婚約したんだ。結婚式より前に子供が出来ても誰も文句は言わないはずだ。なあつくし。なんなら今夜から頑張ってみるか?大きなお腹でウエディングドレスを着るってのもいいんじゃねぇの?」
だが司の言葉に顔を真っ赤にして順序が違うでしょう!何言ってんのよ!と怒られるのも楽しかった。
こんな冗談が言えるのも彼女とだからだが、人が人を愛する意味を教えてくれたのは彼女で、彼女が傍にいるから心から笑える。
そして人生に答えを求めることを止めたら気持ちが楽になったのは、彼女と出会ったから。
司にとって彼女は青空であり大きな海であり司を受け止めてくれる人だ。
「…..つくし。ありがとな。悪かったな。色々気を遣わせたようだが心配するな。忙しかったのも峠は越えた。あとは数字の魔女が、いや社長が何と言うかだが前年同期と比べて数字はいいはずだ」
まだ若輩と言われる男は社長である母親の下に身を置き経営の全てを学んでいた。
だが接する態度は息子でありながら息子ではない。あくまでも社長と専務という立場で接していた。そしてその社長がふたりの結婚を認めたのは、社長というよりも母親の顔になった時だった。
それは彼女が司のいない間にどれだけ頑張っていたか。生まれや育ちや家柄が違うと言っていた母親も司と一緒に歩む人生を考えた彼女が、道明寺という家を理解しようとしている姿を認めたからだ。
そしてどこかぎくしゃくとしていた男と母親との関係を取り持ったのも彼女だった。
「ねえ。お母様もお疲れじゃない?」
それは彼女のやさしさが感じられる言葉。
「社長か?心配するな。社長は鋼の女だ。少々のことじゃあの身体はびくともしない。それにああ見えて健康には人一倍気を付けてる。お前がいいと言った味噌。最近はそれを毎朝飲んでるそうだ」
母親が少し丸くなったと感じたのは、決して彼女が母親に渡した味噌のせいではないが、それでも一人の女性が彼の人生を変えたことは間違いない。
そしてこれからもきっと彼の人生をいい方向へ導いてくれるはずだ。
「あのお味噌気に入って下さったのね?やっぱりああいった発酵食品は日本人の身体に合ってるのよ」
自分の仕事に誇りを持つことを忘れない彼女。
司はそんな彼女の姿が好きだ。だが時に不安そうな顔をすることがあった。
その姿は青い空に一片の雲が浮かんだようなもの。
だから司はその雲を吹き払う風になりたかった。
雨が降れば大きな傘になって彼女を守りたかった。
司が見上げる空の色が変わったのは、彼女と出会ってからだ。
そして今ふたりが見上げる青い空は天高く馬肥える秋の空。
この空の欠片を今日の想い出として彼女と一緒に東京へ持ち帰りたい。
一度として同じ空は無いのだから。
そしてきっとふたりの結婚式の日はここの空は青が濃く空気も緑が濃いはずだ。
その日、ふたりは永遠を誓いキスをする。
「.....つくし」
「ん?なに?」
「.....いや。なんでもねぇ」
「そう?変なの。もしかして座禅に緊張してる?警策で後ろから肩を叩かれると思うと怖いんでしょ?」
「バカ言え。俺があんな木の棒で叩かれるヘマをするか!」
「ふふふ。どうだか。あれはね、叩いて下さいって気持ちでいなきゃ叩かれるんだからね!」
守りたい女は笑顔で司を見つめているが、その微笑みがこれからも永遠に続くようにするのが司の役目だ。晴れた秋の空のような清々しい微笑みが続くように。
「そろそろ行くか?」
立ち上った司は彼女の方へ回ると、彼女の手を取った。
そして自分よりかなり背の低いつくしへと身を屈め、ささやくようにして言った。
「ソフトクリーム。口元に付いてる」
その言葉に女が慌ててハンカチを出し拭おうとしたが、司がそれを止めた。
「嘘だ」
「え?」
大きな黒い瞳がびっくりしたように司を見たが、司は彼女の唇にキスをした。
そのとたん、彼女の唇が微笑みの形に変わったのが分かった。
もちろん、司もそうだ。
愛も切なさも経験したふたりが未来へと飛び立つには、少しの風が吹けばいい。
ふたりは来年の5月にその風が吹くことを心の中で感じていた。
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