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2018
09.03

蒼茫 1

Category: 蒼茫(完)
<蒼茫(そうぼう)>






バンクーバーから車で3時間ほど走った場所にあるのは美しい建物だった。
部屋は50位あると訊いたが、普段は人が住んでおらず静かな佇まいだけを感じさせた。
そして明らかにお金がある人間が建てたと感じたのは、外観もそうだが内装から家具や調度品に至るまですべてが品のいいもので揃えられているからだ。
だが何年も使われないのは勿体ないと思うも、主は遠い国に住んでいると訊いた。
そこは太平洋を挟んだ極東の島国。ここの持ち主は日本に住むというのだから、普段使われてなくて当然かと思った。


「ジョージ。君にここの管理を任せるのは、この別荘の持ち主が日本人だからだ。君は日本語が話せるんだろ?確かお祖母さんが日本人だったよな?」

「はい。母方の祖母は日本人でした。ですから日本語は問題ありません」

「じゃあ日本語で電話がかかって来ても問題ないな?」

「ええ。問題ありません。日常会話は不自由しませんから」

「そうか。まあ日本から電話がかかってくることは殆どないとは思うが例え相手が英語を話せるとしても、君が日本語を話せると分かれば相手は安心するからな。じゃあ色々と説明するから付いて来てくれないか?」

マイクはそう言って長い廊下を歩き始めた。




ジョージは大学を卒業してバンクーバーの不動産管理会社に就職したが、マイクはジョージの上司で長年この別荘の管理を任されて来た。
そしてジョージの初仕事は、この度マイクから引き継がれることになった日本人の所有する豪華な別荘の管理だ。ここは、山がまるごと別荘の敷地で、つまりここから見える範囲のすべてがこの別荘の敷地だ。

それにしても何故自分が選ばれたか。
それはやはり、身体の中に日本人の血が流れているからなのか。
それにジョージという名前はキリスト教の聖人からではなく、若くして亡くなった祖母の弟の名前が丈二だったことから付けられた名前だ。だから自分が四分の一は日本人であることを意識しているが、どんな理由にしても大学を卒業したばかりの新人が任されるにしては、分不相応なような気がした。

そしてこの辺りは周囲には何もなく、あるのはこの別荘だけで、冬に雪が降れば何日間もここに閉じ込められることもあるという。
だがジョージは元々雪深い山奥で育ち、雪には慣れていた。それに子供の頃からクロスカントリースキーを楽しんで来た。だから雪については都会に暮らす人間よりも詳しかった。
そして長い雪のシーズンをどう過ごせばいいかも知っていた。


静かに降り積もる雪が大地を真っ白に変えることもあれば、暴風雪となり見える世界を一瞬にして変えてしまうこともある。
そしてホワイトアウトで視界が白一色になれば、方向感覚を失うため、そこから動くことが危険だということも知っている。
それにこれから春までの半年間。仮にここに閉じ込められたとしても、食料や水は十分備蓄されていて、非常用発電機や衛星携帯電話もある。間違っても遭難するようなことにはならないと知った。


「ところでジョージ。この別荘が誰のものか知ってるか?ここが日本人のものだと言ったが、ここはな。日本でも有数の金持ち。いや世界的な金持ち道明寺一族のものだ。お前も名前くらい訊いたことがあるだろ?何しろ道明寺と言えば、うちの会社のその上の、そのまた上の会社の親会社だ。ニューヨークにデカい本社ビルを持つコングロマリットだ。唸るほどの金持ちの一族だ。だからこんな別荘は世界各国にある。それも年に一度行くか行かないかと言われてる。だがいつ来てもいいように管理されているのが彼らの別荘だ。だからうちは万全の体勢でこの別荘を管理しておかなきゃならんのだよ。うちの会社はそのためにあるんだからな」

ジョージが入社した不動産管理会社は小さな会社だが、道明寺グループの一員で、世界各国にある道明寺一族の別荘の管理を専門にしていると知ったのは入社してからだ。

「まあ、実際はここ何年もこの別荘に彼らが来たことはないが、それでもいつ突然現れてもおかしくないからな」

金持ちは気まぐれだ。
だが日本からここまで来るとしても、随分と時間がかかるはずだが彼らは自家用ジェットで軽々と海を越えてくるはずだ。それにニューヨークに会社があるなら、東海岸からやって来ることもあるはずだ。だがどちらにしても、ジョージの仕事は彼らの行動に左右されてはいけないのだ。いつ彼らが来てもいいように管理しておくのがジョージの仕事なのだから。

「ジョージ。ここの冬は長いぞ。本当にひとりで大丈夫か?分かっていると思うが、ここの周りには何もない。いるとすれば森の動物くらいだが、お前大丈夫か?」

マイクは心配そうに訊いたが、ジョージは本当に大丈夫だった。
長い冬は人生の中で今まで何度も経験した。それにジョージにすれば山の中は住み慣れた環境と言っていい。森の動物の行動も知っていて、出くわしたところで逃げる方法も知っていた。

「僕は山奥で育ちました。雪が多いのには慣れています。それに冬山は静かでいいですよ。だからひとりでも何をするとかしないとかないですよ。それに晴れたらクロスカントリーに出掛けますから、その楽しみがあります」

「そうか。君は山で育ったから都会の若者とは違うんだったな。君の言葉を聞いて安心した。何しろこんな何もない場所で半年も過ごせと言われたら気が狂うかもしれないと思ってな」

マイクは本当に心配しているようだが、ジョージはそんなマイクに笑って答えた。

「大丈夫ですよ。山で育った人間は山のことはよく知っていますから」





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2018
09.04

蒼茫 2

Category: 蒼茫(完)
別荘管理の仕事は毎日が坦々としたものだった。
水がちゃんと出るか。湯が出るか。コンロは使えるか。冷暖房設備は使えるか。
窓や扉の破損はないか。各部屋にある時計はちゃんと時を刻んでいるか。
広い別荘の部屋をひとつひとつ異常がないかを見て回り、広大な敷地も見て回るのがジョージの仕事だった。
だが山がまるごと別荘の敷地ともなれば、かなりの広さだが、車窓から見える景色はこの国の雄大さと美しさを感じさせてくれ、子供の頃から慣れ親しんだ風景と同じだと思うと、やはり自分はこういった自然の中で暮らすことが好きなのだと感じていた。


そして秋から始まった仕事は、雪が降るまでは週に一度は山から下り生活に必要な物を買いそろえる。それは食料だったり、日用品だったりした。そして誰も住んでいない別荘なのだから届くはずがないのだが、郵便局へ行き私書箱の郵便物を確認した。
そして山を下りた日は、管理会社のオフィスへ行き異常がないことの報告を済ませると、会社が用意した自宅アパートでコーヒーを飲みながらぼんやりと過ごす。それが彼の休日の過ごし方だった。


ジョージは特段話し相手が欲しいとは思わなかった。
元々ひとりでいることが好きだから、ひとりで過ごすことを苦痛だと感じることはなかった。
そして山の中の別荘はただでさえ静かだが、夜になれば尚更のこと静かだった。
だが心細さは感じなかった。何しろ大学へ通うまでの生活は、ここと同じで夜は満天の星を眺めて過ごすのが当たり前だったから。
そんな環境で好きな音楽を聴きながら、読書をすることに飽きることはなく、静けさを楽しむことが出来た。都会暮らしよりも田舎でこうして暮らす方が自分に向いている。そう思っていた。

そしてここは、何もない場所で自分と向き合うことが出来る場所でもあった。
ジョージは大学時代恋人がいたが、卒業する前に別れた。些細な喧嘩だった。だからやり直しが出来ると思っていた。だが関係が修復されることはなかった。
そんなことを思い出したのも、やはりここが何も無い場所だからなのか。
それとも今の自分には他に考えることがないからなのか。だが二人は別れたのだ。考えたところでどうにもならないはずだ。









やがて時が流れ、涼やかな風が木々の葉を落とし、初冬の空気が感じられ雪が降る季節が来たが、山の中の別荘はいつもと変わらず静かな時が流れていた。
そして雪が降る前に準備した薪は倉庫に積まれていて、暖炉の火はいつでも起こせる状態にしてあった。
それでもジョージは、長年の雪山暮らしの経験から、今年の冬は例年になく寒いはずだ。薪はもっとあった方がいいと感じていた。
だから、準備されていた薪とは別に、自らの手で薪割り作業をすると倉庫へ運んでいた。

そしてその日は風のない穏やかな午後だった。
倉庫から出ると、別荘へ続く道を白い大きな四輪駆動車が走っているのが見えた。
やがて近づいてくると、エンジンの唸る音が聞え、スピードが落ちた。
そして車は建物の正面に止まり、ひとりの男性が降りて来るのが見えた。




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2018
09.05

蒼茫 3 

Category: 蒼茫(完)
別荘の前に一台の車が止る。
ジョージがここを管理するようになって誰かが訪れたことはなく、管理会社の業務もパソコンのメールでのやり取りか、週に一度山を下りた時オフィスを訪れ済ませていた。
それに誰かが来るといった連絡はなかった。
それなら一体誰が来たのか。

だがここの持ち主ならいつ訪れようと、誰に断りを入れることもないはずだ。すると車から降りて来た人物は、この別荘の持ち主である日本人ということになるはずだ。
だからジョージは慌てて倉庫から建物へ向かって走っていった。そして英語で声をかけた。

「あの失礼ですが?」

それはこの別荘の管理人として訪問者が誰であるかを確かめるためだが、相手はジョージよりも背が高く、特徴のある黒い髪をした青年。
ラフな服装の日本人は若く見られることが多いが、ジョージは母方の祖母が日本人だったこともあり、その青年の年齢が自分とさして変わらないのではないかと感じた。

そして青年はジョージを一瞥し車を離れると真っ直ぐに建物に向かって歩き始めた。
だから再び今度は日本語で声をかけた。すると青年は、

「英語で結構だ」と流暢な英語で返事をして来た。
そして青年の手にはこの別荘の鍵が握られていて、それをジョージに見せ、

「怪しいモンじゃねぇから心配するな。俺は道明寺司。この別荘の持ち主の息子だ。お前はここの管理人か?ちょっとばかり世話になるがよろしく頼む」

と言ってニヤッと笑った少年じみた笑顔には好感が持てた。









ジョージは道明寺司と名乗った人物が道明寺一族の誰であるかまでは知らなかった。
だが、この別荘の鍵を持ち、建物の内部を知っていることもだが、堂々とした態度に、間違いなくこの別荘を所有する一族のひとりであることを確信した。

そして自分はここの管理人で秋から来年の春。雪が溶けるまでの間、ここに住み込んで管理をしていること。母方の祖母が日本人であり、日本語は不自由しないと伝え、二人は日本語で会話をしていたが、見た目からして互いに年齢が近いことが分かっているのか。主と管理人という立場よりも、誰もいないこの場所で堅苦しさのない会話を交わしていたが、まさか突然主が訪問して来るとは思いもしなかった。

だから当然料理人はおらず、食事はジョージが用意したものになるが、それで構わないと言った。そうなるとコールドミートやチーズといったものになるが、ジョージが出来る料理と言えばパスタがあった。だからオリーブオイルでニンニクを炒め、缶入りトマトを開け、茹でたパスタに和え、乾燥バジルをかけた。


「そうか。半年もここで過ごすとなれば退屈するだろ?」

「いえ。そうでもないんですよ。雪が降らなければ週に一度山からバンクーバーの街まで下りますからそうでもありませんよ。それに僕は元々山育ちですから、山で暮らすのは慣れています。特に寒い冬は好きですよ。道明寺さんはどうですか?」

「俺は夏の暑さも冬の寒さもどっちも好きだ。夏は暑いのが当たり前で冬は寒いのが当たり前だろ?季節があるからこその楽しみってのがある。ガキの頃はそんなことは気にも留めなかったが、大人になれば若い頃は分からなかったことも分かる。見えなかったものも見えるようになる。そんなモンだろ大人になるってのは」

ジョージは、その言葉に頷いていいのか分からなかった。
それは大学を卒業して就職をしたが、こうして数ヶ月山の中の豪華な別荘の管理人として働いていれば、社会との接触は少ない。はっきり言って外界とは遮断された場所にいる。
だから街中を忙しそうに歩く人間とはまた別の世界で暮らしているように思え、大人になったから分かるというものも、まだはっきりと見つけられないでいるような気がしていた。


それにしても、ジョージと同じ年頃だと思われる青年は、何をするためひとりでこの別荘を訪れたのか。来るとすぐ部屋へ向かい何かをしているように思えた。
だが管理人が何をしに来たのですか?など主に訊くべきことではない。
それでも、何をするためとまでは言わないが、何か理由があってこの別荘に足を運んだのだろうということは想像出来た。

それはもしかすると失恋をした。ジョージと同じで恋人と別れたことで心の傷を癒すではないが、考えることがあってこの場所を選んだのではないだろうかと思った。
そして、今はまだそうではないが、天気予報によれば、この先数日間は非常に強い寒気が押し寄せ、大雪に見舞われると言っていた。そうなると暫くはここから出ることが不可能になるが、いつ帰るとは言わなかった。
だがだからといって、来た理由と同じでいつ帰るんですか?とは訊かなかった。ここは彼のものであり、ジョージはただの管理人なのだから。


そして食事をしながら二人の会話は続いたが、日本から来た男は彼が生まれ育った東京の話を、ジョージは彼が育った山奥の小さな街の話をした。
そして、この国には他国では見たことがないような野性動物に会えるといった話を始めたが、それは豊な自然環境を誇るこの国でも珍しいものだからだ。

「バンクーバーの近くにあるバンクーバー島には海辺のオオカミと言う珍しいオオカミがいますがご存知ですか?彼らは内陸のオオカミとは違い主食はシーフードで鮭や二枚貝を食べるんですよ。何しろ彼らは泳ぎが得意です。もしバンクーバーからお帰りになるなら、そちらの島に立ち寄られてはいかがですか?」

ジョージはそう話したが、どうやら野生動物にはさして興味がないのか、「そうか」と言っただけで話しは終わった。

そして二人はそれぞれの部屋へ足を向けた。






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2018
09.06

蒼茫 4

Category: 蒼茫(完)
天気予報は当たっていた。
3日前。ちょうど道明寺司が来てから雪が降り始めたが、テレビのニュースによると、この雪はますます強く降り続き、一晩で1メートルは積もると言われていた。
だがジョージは雪には慣れている。だから1メートル程度の雪を大雪とは思わなかった。

そしてジョージと司は、いつものようにジョージが用意した簡単な夕食を終えると、暖炉のある部屋に移りソファに腰を下ろし話し始めた。
ひとりには慣れていたはずのジョージだが、それまで忘れていた人恋しさを感じ、この別荘の主と会話を始めれば、今では話しをすることが楽しいと感じていた。

「道明寺さんは今何をなさってるんですか?」

会話のマナーとして相手が言わない限り職業を訊くことは、いいとは言えなかったが思わず訊いていた。
もしかすると大学生なのか?
そんな気がしていたのは、もし社会人なら冬の雪山の別荘でゆっくりとしている時間など取れるはずがないと思うからだ。だが富豪一族の人間なら、働く必要がないのかもしれない。
それにジョージと同じ年頃ならまだ学生でいたとしてもおかしくないことから、社会人ではなく大学生、または院生ではないかと思った。

「俺か?特に何って決まったことはやってない。言うなれば今は人生の過渡期ってところだ。だから人生をリフレッシュしてるってやつだ」

「そうですか。羨ましいです。僕は奨学金で大学を卒業しましたから、返済があります。だからその為にも働かなければいけない義務がありますから」

ジョージはそう答えると、テーブルの上のバーボンの瓶を傾け空になっていた司のグラスに注いだが、それは何かしらのアクションを起こさなければ、どこか気詰まりな感覚を覚えたからだ。
それは、何も決まったことはやってないと言った同じ年頃の青年に対し口にした言葉が、まるで金持ちに対する嫌味のように取られないかと思ったからだ。


「だがな」

「え?」

「だが人生をリフレッシュするのも大変だ。俺は好きな女がいる。あいつの傍でなきゃ生きていく意味がないと思ってる。けど今はそいつと喧嘩中だ」

どうやら口にした言葉と考えていたことは杞憂に終わったようで、相手はジョージの言葉を気に留めていないようだ。
そして男の口から出た言葉は、好きな女性がいてその人の傍で一緒に生きることが彼の望みだが、今はその女性と喧嘩をしていると言うこと。
するとこの別荘に来たのは、もしかすると彼の言葉通り、リフレッシュではないが静かな場所で自分を見つめ直す時間が欲しかったのだろうか。

「ただその女が意地っ張りな女で素直じゃない。けどそうは言っても俺も人の事は言えねぇな。我儘な男だと言われた。出会った初めの頃はあんたなんか嫌いだって何度も言われた。それでも俺はあいつの事が好きだ。離れたくないと思ってる。あいつは俺が初めて愛した女で、あいつ以外の女は欲しくない。そう気付いたとき、俺はあいつを絶対に離さないと決めた。それにどんなことがあってもあいつを守ると誓った」

男はバーボンの入ったグラスを一気に空け、テーブルに置いた。

そしてジョージは彼自身が別れた恋人のことを思い出していた。
今目の前で好きな女性について語る男は、何があっても彼女を離さないと言う熱い気持ちを持っていて、どんなことがあってもその人を守ると言う。
それに比べジョージは些細なことで喧嘩をして別れたが、本当は悪かった。自分が悪かったと言いたかった。やり直したいんだと言いたかった。だが言えなかった。そして就職したことでなし崩し的に別れた。


「ジョージ。お前も好きな女がいるんだろ?」

「え?」

「俺の話を訊いてるお前の顔は、好きな女を思う男の顔だ。そうだろ?」

そう訊かれたジョージは、大学を卒業するまで付き合っていた女性がいたが、卒業を迎える頃、些細な喧嘩がきっかけで別れたことを話した。

「そうか。でもお前は今でもその女のことが好きなんだろ?」

そう訊いた男の口許は微笑んでいた。

「今からでも遅くねぇんじゃねえのか?その女に今でも好きだと伝えればいい。どこにいるか知ってんだろ?」

「居場所は分かってます。でももう別れて3ヶ月以上経っているから彼女には他に好きな人がいるかもしれない。僕のことはもう忘れてしまっている。そんな気がしてならないんです」

ジョージは彼女が同じ州の出版社で働いていることを知っている。
だがもしかすると新しい恋人がいるかもしれないと思った。

「そうか。それなら会いに行け。確かめてみろ。きびきび動け。
他の男が傍にいたら、そいつを蹴落とせ。排除しろ。もしそうじゃなかったとしても、いつまでもグズグズしてたら他の男に取られちまうぞ。いいか。この雪が止んだら会いに行け。俺が許す。だから必ず会いに行け。でねぇと後悔することになる。本気で好きな女なら全部を投げ出してもその女が欲しいと思うはずだ。頭で考えてもお前の思いは伝わんねぇぞ。だから行動しろ。行動あるのみだ。お前まだ若いんだろ?それなのに、こんな山奥の暮らしが好きだなんて今から世捨て人になってどうすんだよ?」

同じ年頃の男性からの言葉には意味があるような気がしていた。
それは説得力が感じられる強い言葉だと思った。
そして後悔をするという言葉が使われたが、確かにジョージはなし崩し的に別れたことを後悔していた。そして彼の言う通りでジョージに足りないのは行動力だ。
だが今、目の前ではっきりと言われたことで勇気が出た。力を貰ったような気がした。背中を押されたような気がした。

「分かったよ。会いに行くよ。この雪が止んで晴れたら会いに行く」

「そうか。じゃあそれに乾杯だ。お前のその決心にな。ジョージ、グラスを持て」

そう言った男は自らバーボンの瓶を持ち、お代わりを注いだ。
そして二人は静かにグラスを傾けた。





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2018
09.07

蒼茫 最終話

Category: 蒼茫(完)
次の日の朝。
ジョージが目覚めたとき雪は止んでいた。
3日降った雪は全てを覆い尽くし、窓の外は真っ白な世界に変わっていた。
そして空は昨日までの灰色の空が嘘のような青い空が広がっていた。

昨夜はこの別荘の主である道明寺司と飲み明かしたが、彼は強かった。
初めこそ水割りで飲んでいたバーボンも、やがてストレートで飲み始めるとピッチが上がった。
だがジョージは彼ほど酒が強くはなかった。だから朝目覚めた時にはソファで横になっていて、身体の上には毛布が掛けられていた。だが道明寺司は、そこにいなかった。つまり彼は自分の部屋に戻り休んだということだろう。

ジョージは今朝の朝食はいつもに増して簡単でいいだろうと思った。
それにいくら酒に強いとはいえ、あれだけ飲めば二日酔いで寝ていてもおかしくない。
だから起きてくる時間も遅いはずだ。現に時計の針は既に9時を回っているが、リビングダイニングとして使っているこの部屋へ下りて来た気配はなかった。

そしてジョージは、二日酔いであるはずの主のために、いつもより濃いコーヒーを淹れようと思った。
そう思いながら窓の外の景色を見れば、いつも思うことがあった。
それは自然に対して人間がいかに非力かをということだ。

これだけの雪を降らせた雲はとっくにどこかへ去ってはいたが、それは人の意思が働くものではない。世の中は自然の摂理で成り立っていて、雪が降るのも雨が降るのも理由がある。
風だってそうだ。
そして物事は均衡を保たれていて、人はその均衡の中で生きている。出会うべきして出会い、別れるべくして別れる。そして再会というのもまた自然の摂理のひとつだとすれば、別れた恋人に会いに行こうと思えるのも自然の摂理のひとつなのかもしれなかった。

ジョージの携帯電話が着信音を鳴らしたのは、そんな風に別れた恋人のことを考えていた時だった。

『ジョージ。大丈夫か?こっちの雪はそれほどでもないが、山は大雪じゃないのか?』
電話をかけて来たのは、上司のマイクだ。
『3日間どうしていた?様子を訊こうと思って電話をしたが繋がらなかった。まあこれだけ雪が降れば通信障害があってもおかしくはないが、大丈夫か?』

マイクの声は心配そうで緊張していた。

「大丈夫です。何も問題はありません。でも本当によく降りましたよ。3日間ずっと降り続いていましたから。でも食料も充分あります。薪も沢山準備してあったのでたとえ暖房設備が壊れたとしても生き延びることは出来ますから安心して下さい」

『そうか。それを訊いて安心した。まあそこはある意味要塞のような造りだから、大丈夫だと思ってはいたが、心配したんだぞ』

「すみません。僕も連絡を入れればよかったんですけど、あれだけ雪が降ると電波状態がよくなくて….ネットも繋がらなかったんです。でも御覧の通り、と言っても電話ですから見えませんけど、僕は元気ですから。それからこの雪が降る前に道明寺司さんがお見えになられました。ちょうど雪が降る前だったので道も問題なく通ることが出来たようです。でもこれから数日間は二人とも文字通りここに缶詰状態ですよ」

『おい…今なんて言った?お前道明寺司って言ったか?』

電話の向うのマイクは驚いた様子で言ったが、それもそうだと思った。
ここ数年この別荘が使われたことはなかったというのだから、ジョージも驚いたが前任のマイクも驚いて当然だ。

「ええ。ここの持ち主の息子さんとおっしゃいました。連絡もなく突然でしたので驚きましたよ。それもはるばる日本から来たそうです。でも料理人もいないし、メイドもいないじゃないですか。どうしようかと思いましたよ。でも彼はそんなことはどうでもいいようでした。僕が作ったパスタを食べたり酒を飲んだりして楽しく過ごしていますから安心して下さい。それに会った時は眼光が鋭くてちょっと怖いと感じましたが、話してみると気さくな人ですよ」

と、ジョージは笑って言った。

『ジョージ。その男は本当に道明寺司か?』

マイクはまだ信じていないようだ。
だが金持ちは気まぐれで、思い立ったら即行動する人間も多い。
だから突然ここを訪れたとしても、彼らにすれば驚くことではないはずだ。
それに彼らは決断力に優れていて、行動力がある人間だ。だから大勢の社員を引っ張って行くことが出来るのだ。そしてジョージは道明寺司の中にその一端を見た。彼もリーダーの素質を備えた人間だと感じた。今は好きな女性と喧嘩をしてリフレッシュするためにここに来たと言う男の中には、確固たる信念というものが見えた。
そして彼の行動力の強さを自分も見習わなければと感じていた。だから雪が止んだら山を下りて別れた彼女に会い、やり直したいと告げるつもりでいた。だがいくら別荘の主がいいと言っても、勝手にここを離れるわけにはいかなかった。だからマイクには話をするするつもりでいたが、マイクは電話口の向うで押し黙っていた。

「マイク。本当に彼です。本人がそう名乗りましたよ。それにこの別荘の鍵も持っていたし、この別荘のことを隅々まで知っていましたよ。家人じゃなきゃ知らないような設備のことまで知っていましたから。地下には核爆発にも耐えられるシェルターがあるってことをね」

『ジョージ…..。そんなはずはない』

「え?」

『いいかよく訊け。道明寺司はな、6年も前に亡くなってる。彼が18の時の話だ。それもその雪山でな』















『6年前の冬だ。彼は友人たちとその別荘に遊びに来た。その中に彼が愛していた女性がいた。その女性が吹雪の中。友人を探すため外へ出たんだが、行方不明になった。遭難したんだよ。外は零下15度。その女性は装備どころか、そのままの格好で出たそうだ。暫くして彼女がいないことに気付いた彼はスノーモービルで彼女を探しに出た。
それで何とか彼女を見つけたのは別荘から2キロほど離れた場所だ。それから近くにあった監視小屋に二人は避難した。だが寒かったはずだ。薪が炊かれた跡があった。二人は暖を取るため裸で抱き合ってたようだが……。かわいそうに。彼は余程彼女のことが好きだったんだろうな。しっかりと彼女を包み込んでた。だから凍ってカチコチになった身体を離すことは容易じゃなかった。そうだ。今日がちょうどその日だ。6年前の今日が二人が発見された日だ』

ジョージは駆け出していた。
道明寺司が使っている部屋を目指し廊下を走り、階段を駆け上がった。
そして部屋の扉をノックした。返事はなかったが扉を開け広い部屋の中を見渡したが男の姿はなかった。そしてベッドの上を見たが、そこにはシーツがよじれた跡はなく、寝た形跡がなかった。それならとバスルームへ行った。だがバスルームが使われた跡はなかった。
もしかするとこの部屋で休んだのではない。隣の部屋なのかもしれないと隣の部屋の扉を開けた。だが誰も居なかった。

「嘘だ……確かに彼と話しをした。食事をした。酒を飲んだ」

ジョージは玄関へ走った。
そこへ止めてあった車を見る為に外へ出た。
もしかすると来る時が突然だったなら帰りも突然で既に出発したのではないか。
そんな思いがあった。だが外は一面の銀世界だ。車は雪に埋もれ身動きが取れないはずだ。
そしてジョージは道明寺司の車を探したが、見つからなかった。いや、それ以前に車があるはずの場所には、ただ雪が降り積もっているだけだった。

「そんなバカな」

その時だった。
何の前触れもなく、動物の鳴き声が響き渡った。
それはウォーンという遠吠え。
そして見つめる雪原に大きな灰色のオオカミがいることに気付いた。
すると後ろから白い小さなオオカミが走って来て、そのオオカミを抜いた。そして少し先で止り後ろを振り返った。すると今度は灰色のオオカミが白いオオカミの傍へ走って行き、顏を寄せると甘噛みするのが見えた。そして口を離すと今度は愛おしそうに顏を舐め始めたが、そこに感じられるのは甘い雰囲気。

ジョージは子供の頃、読んだ物語を思い出していた。
それはイギリス生まれでカナダ育ちの博物学者であり作家であり画家であるアーネスト・トンプソン・シートンが書いたアメリカのニューメキシコ州が舞台のオオカミの物語。
100年以上前の話だが、「オオカミ王ロボ」と呼ばれるオオカミが主人公の話。

ロボと呼ばれるオオカミと仲間たちは、毎日牧場で狙った家畜を確実に仕留めるため、牧場は多額の被害を被っていた。
何しろ、どんな巧妙な罠を仕掛けても、どんなに腕に自信があるハンターでもそのオオカミを倒すことは出来なかった。そして頭のいいボスオオカミはまるで人間の考えが読めるのではないかと言われていた。そんなオオカミを倒すため、呼ばれたのが博物学者であるシートン。
学者の彼はただ追いかけるのではなく、ロボの残した痕跡を観察し、考えや行動を理解しようとした。
そして注意深く観察した結果。足あとの中に、ロボより先に走る小さなオオカミの足あとがあることに気付いた。
オオカミは縦社会で群れを乱すものはボスから制裁が加えられるはずだが争った跡はなかった。

「シートンさん。それは小さな白いオオカミだ。そいつはロボの奥さんだって言われてる。だからロボはそのオオカミに制裁を加えないんだよ。ロボにとってそのオオカミは特別だよ。白いオオカミは彼にとっては大切な存在だ」

群れの中にいる唯一の雌の白いオオカミ。
そのオオカミはその色からスペイン語で白を意味するブランカと呼ばれ、ロボの妻だと言われていた。
シートンはロボの弱点を見つけたと思った。
妻である雌のオオカミを捕まえることでロボを捕まえようとした。そして妻であるオオカミは罠にかかり殺され、ロボはブランカを失い哀しく吠えた。
やがて妻を失ったロボはそれまでの冷静さを失い、今までなら決してかからなかった罠にかかり、人間に捕らわれた。そして生け捕りにされたロボは与えられた餌や水には見向きもせず静かに息を引き取った。
つまり凶暴なオオカミは、愛する妻を亡くしたことで生きることを止め愛ゆえに死を選んだ。
その物語を読んだジョージは、悪いことをしたオオカミだが、それは生きるためであり、オオカミは悪くないと感じオオカミにも人間と同じような感情があることを知った。

そして頭の中を過ったのは、監視小屋で亡くなった二人はもしかするとオオカミに生まれ変わったのではないかということ。
もしそうだとすれば、氷の世界に旅立った二人が最後に思ったのは何だったのか。
そしてオオカミに生まれ変わったとすれば、彼らは尊い生き物だ。
一夫一妻制の彼らは家族で行動し、家族に愛情を注ぐ。そしてパートナーが亡くなれば残されたたオオカミは愛しい人の魂と広大無辺の大地で生きていくのだから。





雪原を二頭が寄り添って走って行く姿が見えた。
だが灰色のオオカミは足を止めると振り返ってジョージの方を見た。
オオカミは彼を見ているのか。それともただこちらを振り向いただけなのか。彼の方を向いたまま低い声をあげた。
それはオオカミの遠吠えと言われるもの。仲間のオオカミに対して呼びかける声。
それが雪原とは対照的な蒼茫な空に響いた。
ジョージには、それが一緒に飲めて楽しかったぜ。と言ったように聞こえた。






< 完 > *蒼茫(そうぼう)=見渡す限り青々として広いさま*

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