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2018
08.31

夏の終わりのハーモニー

しんと静まり返った離れの縁側に座った二人は小さな光の花を見つめていた。
それは自分を見つめ直す時間を持つことがない人間にとって貴重な時間。
火を点けたそれは大空に上がる大輪の花とは異なり撚られた紐の先に僅かな火薬がついている一番簡単な花火。
手元でパチパチと火花を散らす線香花火は、夏の終わりを飾るに相応しいと思えた。







「きれいね。でも線香花火って夏が終わる感じでなんだか物悲しいわね」

「そうか?こいつは小さな花火だが最後まで精一杯自分の花を咲かそうとしている。打ち上げ花火とは違って地味だが地面に近いところで綺麗な花を咲かしてるじゃねぇか」

「うん。でも線香花火って人生の最後の一瞬のように例えられるでしょ?最後にぱあっと燃えて終わる。私たちの人生の終わりもこの花火みたいに最後に輝きを放って終わるのかな?」

「どうだろうな。俺たちの人生は色々あっても最後は穏やかに終わりたいと思うがな」

「そうね。本当に色々あった。出会いからそうだったもの。ストーカーだし厭な男に目をつけられたって思ったわ」

「厭な男か…..確かにあの頃の俺はお前のことが気になり過ぎてどうしようもなかった。お前のすることが気になってどうしようもなかった。お前が欲しくて気持ちを抑えることが出来なかった。お前を手に入れる為ならどんなことでもするつもりでいた。だからお前と結婚出来たとき夢が叶ったと同時に未来を考えた。二人の未来をな。苦労させることもある。そう思った」



道明寺財閥の後継者とごく普通の女性の結婚は真っ直ぐな並木道を歩くように簡単にはいかなかった。道が曲がりくねったこともあった。色々なことがあった。だが時が過ぎたふたりは結婚して家庭を手に入れた。

そして2ヶ月に渡った海外生活から戻った夫は妻の言葉に苦笑いしていた。
彼が過ごした場所は季節が逆転した地球の裏側にある日本から一番遠い場所。
世田谷の土地を掘れば行くことが出来ると言われる国は冬でコートが必要だったが、地球を半周して戻ってきた場所は季節が移ろい夏が終ろうとしていた。


「それで?子供たちの夏休みはどうだった?」

夫が共に過ごすことが出来なかった夏休み。
二人の間には男の子がふたりいて、子供たちにとっては父親が出張で不在になることはしょっちゅうだったが、夏休みの2ヶ月まるまる居ないことは初めてだった。
そして今夜戻って来た夫は、久し振りに会った子供たちの寝顔を見ると、嬉しそうに目を細めた。

「夏休みはいつもと同じ。朝起きたら朝顔の水やりをして、それからラジオ体操をして朝食を食べる。その繰り返しの後に野菜の収穫をしたり、虫取りをしたり、プールで泳いだり、ひまわりの絵を描いたり、シアタールームで映画を見たり。そんな毎日を過ごしたわ。
あ、それから北軽井沢の別荘で星空を眺めたり川で魚を取ったりしたわね」

「そうか。相変らず金をかけずに過ごしたって訳か」

「当たり前じゃない。あの子たちはまだ幼稚舎よ。元気一杯で夜になれば一日にあったことを最初から最後まで話してママ明日は何をする?って眠る子供たちだもの。太陽の下で走り回ることが楽しいに決まってるでしょ?それに小さな頃は外で遊ぶことがあの子たちの仕事。それにあの子たちあたしに似て頭がいいから勉強はまだ先で充分。今は外で遊ぶことがあの子たちのすべきことよ」

父親が不在になれば母親が子供たちを楽しませることになるが、退屈な夏休みだなんて言わせなかった。それにお金をかけずに遊ぶことについては自信があった。
何しろ彼女自身がそうやって育ったのだから遊び方は幾らでも思いついた。
それに勉強するにはまだ早い。幼い子どもに英才教育だといっていた時代は夫だけで充分だと思っていた。そして好奇心旺盛な子供たちは、虫にしても植物にしても、目にしたもの手に触れたもの全てに興味をいだき、これは何?あれは何?と言って母親を質問攻めにする。
そして知り得たことをグングン吸収していき、子供の将来を期待して言われる『末は博士か大臣か』で言えば博士だと感じていた。


「それに今年の夏は蝉が多くてね。まるで庭にある木すべてに蝉がいるみたいに合唱するから煩いくらい。だから子供たちは蝉取りに夢中。かごの中が蝉だらけになったことがあったのよ?」

「蝉か?」

「そうよ。ミーンミーンって鳴くあの蝉よ。あ、ジージーっても鳴くわね?種類によって違うけどね?」

司は子供の頃、蝉取りをしたことがなかった。
庭で鳴く蝉という昆虫に興味がなかった。いや。興味がなかったというよりも、子供の頃の彼の夏休みと言えば毎日勉強をさせられていた。
細かく区切られたスケジュールで英語や算数、国語は勿論のことフランス語やドイツ語の勉強もさせられた。そしてピアノや絵画といったものを学び外で遊ぶ時間などなかった。外に出ると言えば夕方日が暮れた時間、バスケットゴールのバックボードに向かう時だけだった。それが幼かった彼に唯一許された自由時間。そこで無心になって球を投げ入れていた。

「それで?」

「ん?それでって何が?」

「お腹の中の子供はどうしてる?順調か?」

「もちろん。この子も早く出て来たいってお腹を蹴るから大変。多分お兄ちゃんたちの声が聞こえてるのよ。だから一緒に遊んでる気分なのよ。本当に凄い動くんだから」

「そうか。でも女の子なんだろ?」

「うん。女の子よ。とっても元気な女の子よ」

司が地球の裏側にいる間に大きさを増した妻のお腹にいるのは三番目の子供。
二人の男の子の親である彼が妻に似た女の子が欲しいと願ったからなのか。
赤ん坊が女の子だと分かると、思わず妻を抱き上げ回っていた。

「そうか。赤ん坊は元気か。それを訊いて安心した」

「安心したっていつもネット経由で見てたでしょ?」

「ああ。まあな」

地球の裏側とも簡単に繋がることが出来るのは、離れ離れになった夫婦にとって嬉しいことだが、毎晩服を脱ぎ大きなお腹をパソコンに向かって見せる女は恥ずかしかった。
けれど我が子から遠く離れた場所にいる夫のことを考えれば恥ずかしいとは言えなかった。
そして、離れていて寂しくない?と訊いたとき、

「家族がいるから強くなれる。離れた場所にいても家族が待っていると思えば寂しさは感じねぇな」

そう言って異国の地で頑張る夫の姿に早く帰って来て。会いたいと言う言葉は言えなかった。
実はつくしは寂しかった。子供たちがいても夫とは違うのだ。
だが2ヶ月振りに会った夫はいつもの夫で優しさが感じられた。
結婚して子供を持つまで夫が子煩悩だとは知らなかったが、新しい生命を産みだす瞬間。まさか立ち会いたいと言うとは思わなかった。だが男の子二人の時はその願いは叶わなかった。
そして間もなく生まれる我が子の誕生を待ちわびる男は、妻の三度目の出産に立ち会うつもりでいた。だから帰国するために無理をしたことは知っていた。



「おい、花火。終わるぞ」

「あ…….」

その声と同時に小さな赤い火の玉は消え地面に落ちた。


だが最後の輝きを放った線香花火がひと際の明るさが感じられたのは、傍に愛する人がいるからだろうか。
そして消えてしまった後の闇に残った火薬臭い煙は8月の終わりに相応しいと感じられたが、その臭いもすぐに消えた。

「風がひんやりして来た。中に入ろう」

空気が入れ替わって秋の気配を感じたのは、花火が消え風がひんやりと感じたからなのか。
いや。そうではない。季節は確実に移ろい夏の終わりはすぐそこまで来ているはずだ。
そして本格的な秋が訪れる頃、ふたりは新しい命が誕生するのを指折り数えて待つはずだ。

「立てるか?掴まれ」

「うん。ありがと」

縁側の椅子に腰を降ろしていた女は差し出された夫の手を取った。
その手から感じられる温もりはひとりでは味わえなかった暖かさ。
一度は離れた手を繋ぎ合わせた瞬間からもう二度と離さないと誓った優しい手。
離れた場所にいたとしても、その手はずっと繋がっていると分かっていたが、それでもこうして直接感じられる手のひらの温もりは、何も考えず感じることだけを信じればいいと言っていた。

「つくし。明日は俺とお前と子供たちだけで過ごそう。仕事はなんとでもなる。けどあいつらの夏休みはあと二日だ。一緒に蝉取りは出来なかったが、二日間はあいつらがやりたいことに付き合ってやるつもりだ」

静かに語られた言葉と大きなお腹に置かれた優しい手は我が子の誕生を待ちわびる父親の手。
その手の下で寝ている我が子はどんな夢を見ているのか。
きっと今日起きた事を思い出しているはずだ。パパが地球の裏側から戻って来てくれたことを歓びながら。











無機質な都会の明かりの中ではじける小さな光があるとすれば、それは夏の置き土産の線香花火。
夏の夜空を彩る花火とは違い手元を照らすその光は、すぐに消えることはなく二人の前でかわいらしい花を咲かせてくれたが、お腹にいる新しい命はどんな花を咲かせてくれるのか。
二人が奏でた愛のハーモニーが誕生するのはもう間もなくのこと。

そして、二人が去ったその場所では昼間は感じられなかった秋の虫が鳴いていた。






< 完 > *夏の終わりのハーモニー*

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