1本のバラを手に持ち愛の告白をすることを恥ずかしいと思わない男。
低音でセクシーな声を出す男は、愛してると言われるために生まれてきた男。
だからと言って大勢の人間から愛してると言われることを望んでいるのではない。
そして誰もが口を揃えて言うのは、道明寺司はかっこいい。
だが男にとってかっこいいは誉め言葉ではなく正義。
つまり当たり前の言葉であり今更言われても困る。
そしてベッドの上では誰にも負けないと言われる男。
だがそんな男は遠い昔、好きな女をデートに誘いたくても誘えなかった。
それは言葉を裏返せば誘って欲しいが誘ってもらえない少年の姿と言ってもいい。
だが今では大好きな人に誘われれば何をすっ飛ばしても絶対に会いに行く男になっていた。
現に今日も西田からこちらをお読み下さいと言って渡された書類を放り出しデートの時間に当てた。
そんな男がモテたいのはたったひとりの女だけ。
男はたったひとりの人から言われる愛してるの言葉が待ち遠しくて、クールな見た目とは異なりいじらしいほど健気。そんな男だからこそ久し振りの休日デートに朝からソワソワしていた。
雨の季節にはまだ早く天気は快晴。
靴の中は乾いていてすこぶる調子がいい。
だが今日のデートは映画が見たいといった女のため、映画館を貸し切った。
勿論、世田谷の邸にはシアタールームがある。だが映画館の大画面で見ることをいとしの彼女は望んだ。
映画と言えば毎年5月にフランス南部の都市カンヌで開催されるカンヌ国際映画祭は、世界で最も有名な映画祭で、ベルリン国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭と併せ世界三大映画祭のひとつだ。
司は招待状が届いていたこともあり、カンヌまで行くか?と訊いたが牧野はいいと断った。
そして見はじめた映画は警察小説と言われる分野。
舞台は昭和の終わり。有名なヤクザ映画をオマージュしたと言われるハードボイルド作品。
現代版任侠映画のようにも思えるが何故その映画が見たいのかと訊けば、気になる俳優が出ているからという理由だった。
だが司にしてみれば気に入らなかった。
スクリーンの中とはいえ隣にはこんなにいい男が座っているというのに、自分以外の男をじっと見つめる女の姿に腹が立った。それに牧野の口から訊かされた気になる俳優という言葉にムッとした。
だがその男の身長は183センチで司より2センチ低い。そして顔も断然司の方がいい。
だが若手実力派俳優と呼ばれイケメン俳優の登竜門と呼ばれる「戦隊シリーズ」でデビューし「朝ドラ」でも活躍したと言う。訊かされた名前は…松坂….柿だったから栗だったか果物の名前がついていた。
だがどんな名前にしても桃栗三年柿八年の言葉があるように、何事も成就するためには、それ相応の年月がかかるのだから、この俳優もそれなりに努力をしていることは認めてやってもいい。
それにしても牧野が通称朝ドラと呼ばれる連続テレビ小説を見ていたとは知らなかったが、どうやら撮り溜めて見ていたらしい。
だがそれもそのはずだ。何しろあの時間の牧野は満員電車で出勤途中なのだから。
そしてその男は「R指定の舞台」と呼ばれる舞台に立ち、娼夫として艶技(えんぎ)を披露したらしいが、牧野が自分以外の男に興味を抱くことはやはり容認出来ない。
それに艶技なら司の方が場数を踏んでいる。
R指定の舞台俳優がいいなら司の方が経験豊富だ。
但し、それは司の頭の中で繰り返されることが多いのだが、司の方がいいに決まってるし、そんな男に負けるはずがない。
それにしてもまさかとは思うが牧野は「R指定の舞台」とやらを見に行ったのか?
司が知らなかっただけで男の妖艶な姿を見に行ったのか?
海外へ出張している間にその男の舞台を見に行ったのか?
そしてその舞台は映画になり、その男が大胆な濡れ場を披露したと言うが、まさか牧野は俺に隠れてこっそりと見に行ったのか?
司が見たR指定の映画と言えばそれはニューヨークにいた頃。
決して見たいと思って見たのではない。
そこに、たまたま、手元にあったから見ただけであり、自らが率先して見たのではない。
それにポルノではない。芸術だ。
それにそもそも芸術作品というものは、初めは受け入れなくても後世になればいい作品だと受け入れられることが多い。
だから司が見たR指定の映画も芸術作品だったと思っている。
それは『エマニュエル夫人』
それから『ナインハーフ』
そして、つい先日妄想世界で牧野のバッグを味わったが、あの妄想はこの映画から来たに違いないと言える『ラストタンゴ・イン・パリ』
色々と物議を醸した作品であれは潤滑剤としてバターが使われたが、さすがに司はバターを使おうとは思わなかった。理由は事後バターに塗れた自身を見たくなかったからだ。
それにしてもスクリーンに映し出される俳優は娼夫としてどんな演技をしたのか。
だがもし司が男娼として買われるなら牧野つくしだけに買われたい。
牧野つくしだけを喜ばせる男娼に____
司は罪深いほどのテクニックと低い声で女をイカせることが出来ると言われていた。
だが司の指名料は高く、そんな男を指名することが出来るのは金持ちのマダムと決まっていた。だが司の場合、指名を受けたからといって簡単に身体を与えることはしない。
彼に抱かれたいと思っても彼の方が抱く女を選ぶことが出来た。
そして司はその日の気分で抱く女を決める。
だがある日、相手をすることになったのはマダムではなかった。
それは司とさして年齢が変わらない女で遅すぎる経験をしたいと司を指名してきた女。
名前は真紀と名乗っていた。
司は思った。今どきその年でセックスの経験がない女は余程見た目が酷いのだろう。だから男に相手にされないのだろうと笑いたい思いを堪えどんな女か見てやろう。面白そうだと指名を受けた。そして司はホテルの部屋のドアをノックした。
内側から鍵が開き、女が姿を見せたが俯いた姿勢なうえに部屋の明かりはつけられておらず、顔ははっきりと見えなかった。
「司だ」
男はそれだけ言うと一歩退いた女の横を通り抜け、室内へ入って行った。
そこはメープルの最高級スウィートで司もよく知るリビングルーム。
ゆったりと座れるソファに大画面のテレビ。バーカウンターには沢山の酒が並んでいた。
大きな窓はカーテンが開け放たれ月明りが部屋の中央まで届いていた。
司は女を抱く時ホテルの部屋を指定していた。
ホテルで一番値段の高い部屋の料金が払えないような貧乏な女は司の客にはいないからだ。
それにセックスするならどこでもいいという訳にはいかない。女を楽しませるなら最高の舞台で演技する方が自分も相手の女も楽しむことが出来るからだ。
それに司は女を抱くことが商売だが彼にもプライドがあった。
たとえ一夜限りだとしても、高い金を払う以上今までどんな男とも感じたことがないような思いをさせてやると決めていた。恋人になりきり女を抱いてやると決めていた。
だが今夜抱いてやる女は経験がないという。
比べる相手はおらず、司がはじめての男になる。
それならどんなことをしてやろうか。司が経験のない女を抱くのは初めてだが、どんな女もすることは同じ。アバンチュールを求める女もいれば、欲求不満を解消したい女もいるが、どの女も自分をひとりの女として求めてくれる男を求めていた。
男を買う女は、ただ刺激が欲しいだけで、決して危険な関係を求めているのではない。
だから今までの司はそんな女たちの欲望を満たしていた。
だが今夜の女は自分のはじめてを見知らぬ一晩だけの男に捧げようとしていた。
それなら女の望みを訊いてやろうと思った。ロマンス映画やその手の小説の読みすぎで、どこかの国の王子様に愛される、大富豪に求愛されるといったありえない夢を持つ女もいるからだ。だからそんなフリをして女を愛してやるのも一興だと思った。
「それで?どうして欲しい?俺にどんなことをして欲しい?」
窓の外の景色を眺めていた男は振り返ったが、司の目の前に立つ女は既に着ていたものを脱ぎ、裸で立っていた。
黒い髪に黒い大きな瞳。司と同年代の女にしては童顔だ。可愛らしい顔をしていると思った。
そして小さな乳房に薄いピンク色の乳首。透き通るように白い肌。
誰にも抱かれたことがない女の身体は降り積もったばかりの雪のように無垢だ。
視線を下へ巡らせると肌の白さとは対照的に下腹部の小さな丘は生まれた時と同じ黒い毛が秘めた場所を守っていた。
下半身が疼いた。そこにはじめて分け入る男が自分だと思うとスラックスの中に硬く張りつめるものを感じた。
中に早く入りたいという衝動が湧き上がり、じっとしてなど居られないと女を抱き上げるとベッドルームへ向かった。
開け放たれた扉の向うには見慣れた大きなベッド。そこに女を下ろし司も服を脱いだ。
「俺がお前のはじめてを一生忘れられないものにしてやる」
そう言った司は女に触れた途端、まるで魂の片割れに出会ったような気がした。
何かが心の内に生じた。女の顔立ちも身体も今まで抱いてきたどんな女とも違うと感じた。
手ははじめての女を気遣いたいと思うも乳房を包む掌は力を弱めることはなかった。
唇を吸い舌を蛇のように絡め、柔らかな胸を揉みしだき、尖った乳首を舐め濡らし、さらに硬くなったところで口に含み舌で転がした。
この女が欲しい。今すぐに欲しい。女の全てが欲しい。
そんな思いが湧き上がり、硬く太くなったものをすぐにでも女の中に突き入れたかった。
下半身の高ぶりは勢いよく直立して女の濡れたソコを求め痛いくらいだ。
だが女は今夜がはじめてだ。
その証拠に指を挿れた空洞の奥に抵抗を感じた。そこを指で破ることも出来るが司は硬くなった身体ですぐさまその場所を自分のものにしたかった。
だが司は男娼だ。
自分の快楽よりも女を喜ばせることが仕事だ。
それに今までどれだけ身体を重ねても、どんな女にも本気になったことはない。
お願いなどされなくても女を貫いてきた。
それが彼の仕事だから。
だが今は、目の前の女に懇願されたいと感じた。
仕事ではなく恋人として司を欲して欲しいと望んだ。
大切にとっておいたものを司にくれることに歓びを感じていた。
司はハアハアと荒い息を繰り返す女の顔を見た。
「どうした?辛いのか?」
その問いかけに首を横に振る女。
「そうか?それならこのまま続けてもいいか?」
司は声を和らげ訊いた。
女は返事を返す代わりに司の首に手をまわした。
それを合図に司は中断していた行為を続けようとキスを貪ったが、商売抜きで女が欲しかった。
果てしなくキスを続けると、やがて黒い大きな瞳が濡れた黒曜石のようになるのを見た。
女は間違いなく感じていた。
だがはじめての感覚に戸惑いもあるのか、感じているのを悟られまいと声を上げようとしない。
司は女の声が訊きたかった。名前を呼んで欲しかった。そして真紀と名乗った女の本当の名前が知りたかった。イク時その名前を叫びたかった。
司は頭を下げ乳房にきつく吸い付いた。
「…んはぁっ.....はぁッ」
はじめて上がった女の甘い声。
だがその声に司は余計に渇望を感じもう一度声を上げさせたくて、今度は女の足首を掴み、大きく開脚させると濡れそぼった秘部を舐め上げた。
「あっ…あん….あっ….はぁ….」
逃げようとした腰を掴み、引き寄せさらに舐め、溢れ出した蜜を指先で掬い取り肉襞を押し分け指を挿し入れた。
「あああっ…!はぁ…っつ…」
司は本当の恋をしたことがなかった。
だが汚れた恋なら数えきれないほどした。
どこの女を抱こうと、誰が誰を好きになろうが関係なかった。
だが恋も愛も感じたことがない男がはじめてときめきを感じた。
そして生まれてはじめて男であることの意味をなぞった。
それはごく普通の男として恋をすること。
今、本当の恋をした。
それが体から始まる恋だとしてもいいはずだ。
司は下方から女を見上げ言った。
「名前を教えてくれ。お前の本当の名前を」
司は真紀と名乗った女の名前が知りたかった。
「あたしの名前?知ってどうするの?あなたとあたしは一夜限りの恋人でしょ?それなら知らない方がいいに決まってるわ」
「俺はお前の名前を知りたい。本当の名前を教えてくれ。イクときお前の名前を呼びたい。それに俺はお前に惚れた。だから名前を教えてくれ、本当の名前を」
「駄目よ。あたしは来月結婚するの。好きでもない人と結婚させられるの。だから名前は教えられないの。あたしはその人のことが嫌いなの。でもあたしはその人から逃げることが出来ないの。だからあの男以外の人にあたしのはじめてを奪ってもらいたかったの」
自分の意思ではない結婚から逃げることが出来ない。
嫌いな男に自分のはじめてを与えたくないから他の男に奪わせるという女。
司は女を守りたいと思った。だから相手の男の名前を訊いた。
「相手の男は誰だ?」
「知ってどうするの?あたしを連れて逃げてくれるの?」
「ああ。そうして見せる。逃げてやるよ。お前を連れてな!それで相手の男の名前は?」
「その人ね。子供の頃親が決めた婚約者なの。パパが借金をしてそのお金を肩代わりした代わりとしてあたしを…..」
司は泣き出した女を慰めようと唇に優しくキスをした。
「なあ名前を言え。言ってくれ」
「その人の名前は道明寺司って言うの。道明寺財閥の御曹司で冷たい男って訊くわ。あたしが会ったのは高校生の頃一度だけで爬虫類のような目をしてた。それに髪の毛がくるくるしてて、おかしな髪型だと思ったわ。それに日本語が不自由で暴力的で怖かったのを覚えてるわ。でも10年経った今はどんな男になってるのか分からないの。見たくもないし、知りたくもないからテレビも新聞もあの男の名前が挙がった途端、目を閉じてるの。耳を塞いでるの。あたし、本当にあんな男と結婚なんてしたくない!だからお願い!あたしを連れて逃げて!」
「わかった。俺がおまえを連れて逃げてやるよ。地の果てだろうが宇宙の果てだろうが逃げればいい。だから心配するな。俺と一緒に逃げてくれ!」
おい!おい!おい!
待て!待て!待て!
ちょっと待て!
これじゃああきらじゃねぇか!
大体なんで俺が男娼やって金持ちのマダム相手なんぞしなきゃなんねぇんだよ!
それになんだよこれは!
牧野は俺と結婚することになってるのに、どうしてその男と逃げんだよ!
いや。でもあの男娼も俺だよな?
もしかして一人二役?そして二人は一人の女を巡って争う?
だがどっちも俺だろ?そんなアホな話があるか?
クソッ!!それもこれも牧野が気になるって言った俳優のことが頭の中にあったからだ!
それに柿だか栗だか知らねぇけどそんな名前の男に牧野を取られてたまるか!
司は隣にいる女を見た。
いや。いるはずの女を見た。
だがいなかった。
「ま、牧野?まき…..?」
司は立ち上ると辺りを見回したがつくしはいなかった。
そして目の前にあるスクリーンに映し出されていた映画はとっくの昔に終わっていた。
「ゴホン。支社長。おやすみのところ申し訳ございません」
司は秘書の声に振り返った。
そしてそこにいる男を見据えた。
「…….西田。今日は休みだろうが。なんでお前がここにいる?まあいい。そんなことよりあいつがいなくなった。牧野が_」
「はい。牧野様でしたら少し前にこちらをお出になられました」
「なんだと?なんで牧野は_」
と司が言いかけたところで西田が遮るように話しを継いだ。
「実はこの映画館の近くでドラマのロケがございまして。そちらに牧野様の好きな_いえ。気になる俳優の方がいらっしゃっていることをお知りになられたようでして、その現場にお出かけになられたようです」
「誰だよ?その俳優ってのは!あれか?松坂…..柿か栗かそんな名前の男か?それにしてもなんであいつは俺を起さねぇんだよ!」
映画館で二人並んで座っていたはずなのに、目が覚めてみれば隣にいたはずの女はいない。
それがどれだけ虚しいことか。
「支社長。それは牧野様の思いやりです。映画が始まってすぐにお休みになられた支社長を気遣ってのことです。疲れが溜まっている支社長を思い、目が覚めるまで寝させてあげようというお心遣いです。ですからそうお怒りになられませんようお願いいたします。それに牧野様もせっかくお気に入りの…..いえ。気がかりの俳優の方を生で御覧になることが出来るのですからいいではありませんか。男たるもの女性の我儘も悩みも全て受け止めることが出来てこそ男です。それにいつか支社長のDNAの種の保存がされるとき、牧野様が結婚してよかったと思われる男性でいなければ未来はございません」
「………」
司は映画館を出るとドラマのロケ現場と言われる場所まで車で向かった。
そして彼女が戻って来るのを待っていた。
すると急いで走って来る女の姿があった。
「ごめん道明寺。映画が終ってね、支配人さんから近くでドラマのロケしてるって言われて見に行ってたの。凄かったよ。ドラマの撮影って初めて見たけどああやって撮るんだって勉強になった。それに役者さんってオーラがあるのよね….。簡単には近寄れない雰囲気があった。スターがスターって言われるだけのことはあると思った。手を伸ばしても届かない場所にいるからスターなのよね?」
司は息を切らせながら興奮気味に喋る女を見ていた。
「俺のスターはお前だな」
「え?」
「だからお前が俺の輝く星。ガギの頃は手が届かなかったお前がいた。だってそうだろ?すぐには俺のこと振り向いてくれなかっただろ?」
司は出会った頃、何をしてもつくしに振り向いてはもらえなかった頃のことを思い出していた。世間的に言えば、道明寺財閥の跡取りである司の方が天に輝く星と言われていた。
決して地上に降りて来ることのない男だと言われていた。だがそんな男は地上で輝く自分だけの小さな星を見つけた。そしてその小さな輝きが消えてしまわないように守っていくと決めたのが18歳の時。それ以来ずっとその星を守って来た。
自分だけの輝ける小さな煌めきを。
「あの頃の俺は褒められた男じゃなかった。けど今は違うだろ?」
過去を語る声はいくらか自嘲な調子があった。
だが今だから言える話であり、彼女と出会わなければ自身が変わることはなかった。
だから彼女に会えたことは司にとって人生の中で一番の贈り物だ。
「道明寺….。ありがと」
「何がだ?」
「だってこれ。サイン。貰ってくれたんでしょ?」
つくしは走って車に戻って来る途中、映画館の支配人に呼び止められた。
そして茶封筒を渡されたが、その中につくしが気になっていた俳優のサインが収められていた。
「まあな。お前が気になってんだから仕方ねぇだろ?それにあんな男のサインの一枚や二枚どうにでもなる。それに今度うちとCM契約することになったから撮影もあるぞ?」
司は好きな女のためなら何でもするが、自分はなんて甘い男だと思った。
そして笑った。
「お前のためならどんなことでもしてやりてぇって思うのが俺だ」
それはまだ二人が高校生だった頃、司が言った言葉。
お前のためなら親と縁を切ってもいい。なんだってしてやる。
その言葉は今も司の中では生きてきて、何があろうとその思いは変わらない。
好きな女が傍で笑ってくれることが司の幸せで、彼女が司にとっては輝く星。
そしてこれから日が暮れれば、二人だけの世界で共に高みに昇り空に輝く星になるはずだ。
何しろ二人にとってままならない休日昼間のデート。
そんな二人のデートはどんなことがあっても最後は必ず愛し合うことが決め事。
愛の言葉も零れるようなキスも全てが明日の活力となるから。
そして司の人生は最高の女が永遠に隣にいてくれることだけを望んでいた。
司は隣に座った女が彼の手をぎゅっと握ると同じように握り返した。
そしてその時、頬に彼女のささやきが当たった。
「道明寺。愛してる」
「俺も」
司は顔を横に向けると女の唇にキスをした。
そして今日一番の笑顔を愛しい人に向けた。
『ラストタンゴ・イン・パリ』(Last Tango in Paris)1972年 イタリア映画
『エマニュエル夫人』(Emmanuelle)1974年 フランス映画
『ナインハーフ』(9 1/2 Weeks)1986年 アメリカ映画

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低音でセクシーな声を出す男は、愛してると言われるために生まれてきた男。
だからと言って大勢の人間から愛してると言われることを望んでいるのではない。
そして誰もが口を揃えて言うのは、道明寺司はかっこいい。
だが男にとってかっこいいは誉め言葉ではなく正義。
つまり当たり前の言葉であり今更言われても困る。
そしてベッドの上では誰にも負けないと言われる男。
だがそんな男は遠い昔、好きな女をデートに誘いたくても誘えなかった。
それは言葉を裏返せば誘って欲しいが誘ってもらえない少年の姿と言ってもいい。
だが今では大好きな人に誘われれば何をすっ飛ばしても絶対に会いに行く男になっていた。
現に今日も西田からこちらをお読み下さいと言って渡された書類を放り出しデートの時間に当てた。
そんな男がモテたいのはたったひとりの女だけ。
男はたったひとりの人から言われる愛してるの言葉が待ち遠しくて、クールな見た目とは異なりいじらしいほど健気。そんな男だからこそ久し振りの休日デートに朝からソワソワしていた。
雨の季節にはまだ早く天気は快晴。
靴の中は乾いていてすこぶる調子がいい。
だが今日のデートは映画が見たいといった女のため、映画館を貸し切った。
勿論、世田谷の邸にはシアタールームがある。だが映画館の大画面で見ることをいとしの彼女は望んだ。
映画と言えば毎年5月にフランス南部の都市カンヌで開催されるカンヌ国際映画祭は、世界で最も有名な映画祭で、ベルリン国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭と併せ世界三大映画祭のひとつだ。
司は招待状が届いていたこともあり、カンヌまで行くか?と訊いたが牧野はいいと断った。
そして見はじめた映画は警察小説と言われる分野。
舞台は昭和の終わり。有名なヤクザ映画をオマージュしたと言われるハードボイルド作品。
現代版任侠映画のようにも思えるが何故その映画が見たいのかと訊けば、気になる俳優が出ているからという理由だった。
だが司にしてみれば気に入らなかった。
スクリーンの中とはいえ隣にはこんなにいい男が座っているというのに、自分以外の男をじっと見つめる女の姿に腹が立った。それに牧野の口から訊かされた気になる俳優という言葉にムッとした。
だがその男の身長は183センチで司より2センチ低い。そして顔も断然司の方がいい。
だが若手実力派俳優と呼ばれイケメン俳優の登竜門と呼ばれる「戦隊シリーズ」でデビューし「朝ドラ」でも活躍したと言う。訊かされた名前は…松坂….柿だったから栗だったか果物の名前がついていた。
だがどんな名前にしても桃栗三年柿八年の言葉があるように、何事も成就するためには、それ相応の年月がかかるのだから、この俳優もそれなりに努力をしていることは認めてやってもいい。
それにしても牧野が通称朝ドラと呼ばれる連続テレビ小説を見ていたとは知らなかったが、どうやら撮り溜めて見ていたらしい。
だがそれもそのはずだ。何しろあの時間の牧野は満員電車で出勤途中なのだから。
そしてその男は「R指定の舞台」と呼ばれる舞台に立ち、娼夫として艶技(えんぎ)を披露したらしいが、牧野が自分以外の男に興味を抱くことはやはり容認出来ない。
それに艶技なら司の方が場数を踏んでいる。
R指定の舞台俳優がいいなら司の方が経験豊富だ。
但し、それは司の頭の中で繰り返されることが多いのだが、司の方がいいに決まってるし、そんな男に負けるはずがない。
それにしてもまさかとは思うが牧野は「R指定の舞台」とやらを見に行ったのか?
司が知らなかっただけで男の妖艶な姿を見に行ったのか?
海外へ出張している間にその男の舞台を見に行ったのか?
そしてその舞台は映画になり、その男が大胆な濡れ場を披露したと言うが、まさか牧野は俺に隠れてこっそりと見に行ったのか?
司が見たR指定の映画と言えばそれはニューヨークにいた頃。
決して見たいと思って見たのではない。
そこに、たまたま、手元にあったから見ただけであり、自らが率先して見たのではない。
それにポルノではない。芸術だ。
それにそもそも芸術作品というものは、初めは受け入れなくても後世になればいい作品だと受け入れられることが多い。
だから司が見たR指定の映画も芸術作品だったと思っている。
それは『エマニュエル夫人』
それから『ナインハーフ』
そして、つい先日妄想世界で牧野のバッグを味わったが、あの妄想はこの映画から来たに違いないと言える『ラストタンゴ・イン・パリ』
色々と物議を醸した作品であれは潤滑剤としてバターが使われたが、さすがに司はバターを使おうとは思わなかった。理由は事後バターに塗れた自身を見たくなかったからだ。
それにしてもスクリーンに映し出される俳優は娼夫としてどんな演技をしたのか。
だがもし司が男娼として買われるなら牧野つくしだけに買われたい。
牧野つくしだけを喜ばせる男娼に____
司は罪深いほどのテクニックと低い声で女をイカせることが出来ると言われていた。
だが司の指名料は高く、そんな男を指名することが出来るのは金持ちのマダムと決まっていた。だが司の場合、指名を受けたからといって簡単に身体を与えることはしない。
彼に抱かれたいと思っても彼の方が抱く女を選ぶことが出来た。
そして司はその日の気分で抱く女を決める。
だがある日、相手をすることになったのはマダムではなかった。
それは司とさして年齢が変わらない女で遅すぎる経験をしたいと司を指名してきた女。
名前は真紀と名乗っていた。
司は思った。今どきその年でセックスの経験がない女は余程見た目が酷いのだろう。だから男に相手にされないのだろうと笑いたい思いを堪えどんな女か見てやろう。面白そうだと指名を受けた。そして司はホテルの部屋のドアをノックした。
内側から鍵が開き、女が姿を見せたが俯いた姿勢なうえに部屋の明かりはつけられておらず、顔ははっきりと見えなかった。
「司だ」
男はそれだけ言うと一歩退いた女の横を通り抜け、室内へ入って行った。
そこはメープルの最高級スウィートで司もよく知るリビングルーム。
ゆったりと座れるソファに大画面のテレビ。バーカウンターには沢山の酒が並んでいた。
大きな窓はカーテンが開け放たれ月明りが部屋の中央まで届いていた。
司は女を抱く時ホテルの部屋を指定していた。
ホテルで一番値段の高い部屋の料金が払えないような貧乏な女は司の客にはいないからだ。
それにセックスするならどこでもいいという訳にはいかない。女を楽しませるなら最高の舞台で演技する方が自分も相手の女も楽しむことが出来るからだ。
それに司は女を抱くことが商売だが彼にもプライドがあった。
たとえ一夜限りだとしても、高い金を払う以上今までどんな男とも感じたことがないような思いをさせてやると決めていた。恋人になりきり女を抱いてやると決めていた。
だが今夜抱いてやる女は経験がないという。
比べる相手はおらず、司がはじめての男になる。
それならどんなことをしてやろうか。司が経験のない女を抱くのは初めてだが、どんな女もすることは同じ。アバンチュールを求める女もいれば、欲求不満を解消したい女もいるが、どの女も自分をひとりの女として求めてくれる男を求めていた。
男を買う女は、ただ刺激が欲しいだけで、決して危険な関係を求めているのではない。
だから今までの司はそんな女たちの欲望を満たしていた。
だが今夜の女は自分のはじめてを見知らぬ一晩だけの男に捧げようとしていた。
それなら女の望みを訊いてやろうと思った。ロマンス映画やその手の小説の読みすぎで、どこかの国の王子様に愛される、大富豪に求愛されるといったありえない夢を持つ女もいるからだ。だからそんなフリをして女を愛してやるのも一興だと思った。
「それで?どうして欲しい?俺にどんなことをして欲しい?」
窓の外の景色を眺めていた男は振り返ったが、司の目の前に立つ女は既に着ていたものを脱ぎ、裸で立っていた。
黒い髪に黒い大きな瞳。司と同年代の女にしては童顔だ。可愛らしい顔をしていると思った。
そして小さな乳房に薄いピンク色の乳首。透き通るように白い肌。
誰にも抱かれたことがない女の身体は降り積もったばかりの雪のように無垢だ。
視線を下へ巡らせると肌の白さとは対照的に下腹部の小さな丘は生まれた時と同じ黒い毛が秘めた場所を守っていた。
下半身が疼いた。そこにはじめて分け入る男が自分だと思うとスラックスの中に硬く張りつめるものを感じた。
中に早く入りたいという衝動が湧き上がり、じっとしてなど居られないと女を抱き上げるとベッドルームへ向かった。
開け放たれた扉の向うには見慣れた大きなベッド。そこに女を下ろし司も服を脱いだ。
「俺がお前のはじめてを一生忘れられないものにしてやる」
そう言った司は女に触れた途端、まるで魂の片割れに出会ったような気がした。
何かが心の内に生じた。女の顔立ちも身体も今まで抱いてきたどんな女とも違うと感じた。
手ははじめての女を気遣いたいと思うも乳房を包む掌は力を弱めることはなかった。
唇を吸い舌を蛇のように絡め、柔らかな胸を揉みしだき、尖った乳首を舐め濡らし、さらに硬くなったところで口に含み舌で転がした。
この女が欲しい。今すぐに欲しい。女の全てが欲しい。
そんな思いが湧き上がり、硬く太くなったものをすぐにでも女の中に突き入れたかった。
下半身の高ぶりは勢いよく直立して女の濡れたソコを求め痛いくらいだ。
だが女は今夜がはじめてだ。
その証拠に指を挿れた空洞の奥に抵抗を感じた。そこを指で破ることも出来るが司は硬くなった身体ですぐさまその場所を自分のものにしたかった。
だが司は男娼だ。
自分の快楽よりも女を喜ばせることが仕事だ。
それに今までどれだけ身体を重ねても、どんな女にも本気になったことはない。
お願いなどされなくても女を貫いてきた。
それが彼の仕事だから。
だが今は、目の前の女に懇願されたいと感じた。
仕事ではなく恋人として司を欲して欲しいと望んだ。
大切にとっておいたものを司にくれることに歓びを感じていた。
司はハアハアと荒い息を繰り返す女の顔を見た。
「どうした?辛いのか?」
その問いかけに首を横に振る女。
「そうか?それならこのまま続けてもいいか?」
司は声を和らげ訊いた。
女は返事を返す代わりに司の首に手をまわした。
それを合図に司は中断していた行為を続けようとキスを貪ったが、商売抜きで女が欲しかった。
果てしなくキスを続けると、やがて黒い大きな瞳が濡れた黒曜石のようになるのを見た。
女は間違いなく感じていた。
だがはじめての感覚に戸惑いもあるのか、感じているのを悟られまいと声を上げようとしない。
司は女の声が訊きたかった。名前を呼んで欲しかった。そして真紀と名乗った女の本当の名前が知りたかった。イク時その名前を叫びたかった。
司は頭を下げ乳房にきつく吸い付いた。
「…んはぁっ.....はぁッ」
はじめて上がった女の甘い声。
だがその声に司は余計に渇望を感じもう一度声を上げさせたくて、今度は女の足首を掴み、大きく開脚させると濡れそぼった秘部を舐め上げた。
「あっ…あん….あっ….はぁ….」
逃げようとした腰を掴み、引き寄せさらに舐め、溢れ出した蜜を指先で掬い取り肉襞を押し分け指を挿し入れた。
「あああっ…!はぁ…っつ…」
司は本当の恋をしたことがなかった。
だが汚れた恋なら数えきれないほどした。
どこの女を抱こうと、誰が誰を好きになろうが関係なかった。
だが恋も愛も感じたことがない男がはじめてときめきを感じた。
そして生まれてはじめて男であることの意味をなぞった。
それはごく普通の男として恋をすること。
今、本当の恋をした。
それが体から始まる恋だとしてもいいはずだ。
司は下方から女を見上げ言った。
「名前を教えてくれ。お前の本当の名前を」
司は真紀と名乗った女の名前が知りたかった。
「あたしの名前?知ってどうするの?あなたとあたしは一夜限りの恋人でしょ?それなら知らない方がいいに決まってるわ」
「俺はお前の名前を知りたい。本当の名前を教えてくれ。イクときお前の名前を呼びたい。それに俺はお前に惚れた。だから名前を教えてくれ、本当の名前を」
「駄目よ。あたしは来月結婚するの。好きでもない人と結婚させられるの。だから名前は教えられないの。あたしはその人のことが嫌いなの。でもあたしはその人から逃げることが出来ないの。だからあの男以外の人にあたしのはじめてを奪ってもらいたかったの」
自分の意思ではない結婚から逃げることが出来ない。
嫌いな男に自分のはじめてを与えたくないから他の男に奪わせるという女。
司は女を守りたいと思った。だから相手の男の名前を訊いた。
「相手の男は誰だ?」
「知ってどうするの?あたしを連れて逃げてくれるの?」
「ああ。そうして見せる。逃げてやるよ。お前を連れてな!それで相手の男の名前は?」
「その人ね。子供の頃親が決めた婚約者なの。パパが借金をしてそのお金を肩代わりした代わりとしてあたしを…..」
司は泣き出した女を慰めようと唇に優しくキスをした。
「なあ名前を言え。言ってくれ」
「その人の名前は道明寺司って言うの。道明寺財閥の御曹司で冷たい男って訊くわ。あたしが会ったのは高校生の頃一度だけで爬虫類のような目をしてた。それに髪の毛がくるくるしてて、おかしな髪型だと思ったわ。それに日本語が不自由で暴力的で怖かったのを覚えてるわ。でも10年経った今はどんな男になってるのか分からないの。見たくもないし、知りたくもないからテレビも新聞もあの男の名前が挙がった途端、目を閉じてるの。耳を塞いでるの。あたし、本当にあんな男と結婚なんてしたくない!だからお願い!あたしを連れて逃げて!」
「わかった。俺がおまえを連れて逃げてやるよ。地の果てだろうが宇宙の果てだろうが逃げればいい。だから心配するな。俺と一緒に逃げてくれ!」
おい!おい!おい!
待て!待て!待て!
ちょっと待て!
これじゃああきらじゃねぇか!
大体なんで俺が男娼やって金持ちのマダム相手なんぞしなきゃなんねぇんだよ!
それになんだよこれは!
牧野は俺と結婚することになってるのに、どうしてその男と逃げんだよ!
いや。でもあの男娼も俺だよな?
もしかして一人二役?そして二人は一人の女を巡って争う?
だがどっちも俺だろ?そんなアホな話があるか?
クソッ!!それもこれも牧野が気になるって言った俳優のことが頭の中にあったからだ!
それに柿だか栗だか知らねぇけどそんな名前の男に牧野を取られてたまるか!
司は隣にいる女を見た。
いや。いるはずの女を見た。
だがいなかった。
「ま、牧野?まき…..?」
司は立ち上ると辺りを見回したがつくしはいなかった。
そして目の前にあるスクリーンに映し出されていた映画はとっくの昔に終わっていた。
「ゴホン。支社長。おやすみのところ申し訳ございません」
司は秘書の声に振り返った。
そしてそこにいる男を見据えた。
「…….西田。今日は休みだろうが。なんでお前がここにいる?まあいい。そんなことよりあいつがいなくなった。牧野が_」
「はい。牧野様でしたら少し前にこちらをお出になられました」
「なんだと?なんで牧野は_」
と司が言いかけたところで西田が遮るように話しを継いだ。
「実はこの映画館の近くでドラマのロケがございまして。そちらに牧野様の好きな_いえ。気になる俳優の方がいらっしゃっていることをお知りになられたようでして、その現場にお出かけになられたようです」
「誰だよ?その俳優ってのは!あれか?松坂…..柿か栗かそんな名前の男か?それにしてもなんであいつは俺を起さねぇんだよ!」
映画館で二人並んで座っていたはずなのに、目が覚めてみれば隣にいたはずの女はいない。
それがどれだけ虚しいことか。
「支社長。それは牧野様の思いやりです。映画が始まってすぐにお休みになられた支社長を気遣ってのことです。疲れが溜まっている支社長を思い、目が覚めるまで寝させてあげようというお心遣いです。ですからそうお怒りになられませんようお願いいたします。それに牧野様もせっかくお気に入りの…..いえ。気がかりの俳優の方を生で御覧になることが出来るのですからいいではありませんか。男たるもの女性の我儘も悩みも全て受け止めることが出来てこそ男です。それにいつか支社長のDNAの種の保存がされるとき、牧野様が結婚してよかったと思われる男性でいなければ未来はございません」
「………」
司は映画館を出るとドラマのロケ現場と言われる場所まで車で向かった。
そして彼女が戻って来るのを待っていた。
すると急いで走って来る女の姿があった。
「ごめん道明寺。映画が終ってね、支配人さんから近くでドラマのロケしてるって言われて見に行ってたの。凄かったよ。ドラマの撮影って初めて見たけどああやって撮るんだって勉強になった。それに役者さんってオーラがあるのよね….。簡単には近寄れない雰囲気があった。スターがスターって言われるだけのことはあると思った。手を伸ばしても届かない場所にいるからスターなのよね?」
司は息を切らせながら興奮気味に喋る女を見ていた。
「俺のスターはお前だな」
「え?」
「だからお前が俺の輝く星。ガギの頃は手が届かなかったお前がいた。だってそうだろ?すぐには俺のこと振り向いてくれなかっただろ?」
司は出会った頃、何をしてもつくしに振り向いてはもらえなかった頃のことを思い出していた。世間的に言えば、道明寺財閥の跡取りである司の方が天に輝く星と言われていた。
決して地上に降りて来ることのない男だと言われていた。だがそんな男は地上で輝く自分だけの小さな星を見つけた。そしてその小さな輝きが消えてしまわないように守っていくと決めたのが18歳の時。それ以来ずっとその星を守って来た。
自分だけの輝ける小さな煌めきを。
「あの頃の俺は褒められた男じゃなかった。けど今は違うだろ?」
過去を語る声はいくらか自嘲な調子があった。
だが今だから言える話であり、彼女と出会わなければ自身が変わることはなかった。
だから彼女に会えたことは司にとって人生の中で一番の贈り物だ。
「道明寺….。ありがと」
「何がだ?」
「だってこれ。サイン。貰ってくれたんでしょ?」
つくしは走って車に戻って来る途中、映画館の支配人に呼び止められた。
そして茶封筒を渡されたが、その中につくしが気になっていた俳優のサインが収められていた。
「まあな。お前が気になってんだから仕方ねぇだろ?それにあんな男のサインの一枚や二枚どうにでもなる。それに今度うちとCM契約することになったから撮影もあるぞ?」
司は好きな女のためなら何でもするが、自分はなんて甘い男だと思った。
そして笑った。
「お前のためならどんなことでもしてやりてぇって思うのが俺だ」
それはまだ二人が高校生だった頃、司が言った言葉。
お前のためなら親と縁を切ってもいい。なんだってしてやる。
その言葉は今も司の中では生きてきて、何があろうとその思いは変わらない。
好きな女が傍で笑ってくれることが司の幸せで、彼女が司にとっては輝く星。
そしてこれから日が暮れれば、二人だけの世界で共に高みに昇り空に輝く星になるはずだ。
何しろ二人にとってままならない休日昼間のデート。
そんな二人のデートはどんなことがあっても最後は必ず愛し合うことが決め事。
愛の言葉も零れるようなキスも全てが明日の活力となるから。
そして司の人生は最高の女が永遠に隣にいてくれることだけを望んでいた。
司は隣に座った女が彼の手をぎゅっと握ると同じように握り返した。
そしてその時、頬に彼女のささやきが当たった。
「道明寺。愛してる」
「俺も」
司は顔を横に向けると女の唇にキスをした。
そして今日一番の笑顔を愛しい人に向けた。
『ラストタンゴ・イン・パリ』(Last Tango in Paris)1972年 イタリア映画
『エマニュエル夫人』(Emmanuelle)1974年 フランス映画
『ナインハーフ』(9 1/2 Weeks)1986年 アメリカ映画

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