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2018
03.16

雨の約束 1

冬の雨は気温が下がると雪になった。
雪に慣れてない都会の人間は、足元を気にしながら滑らないように歩く。
そしてその姿はぎこちない身体の動きをする。

都会の雪というのは、大概前日の夜に降り朝になれば止んでいる。
だが今年の冬は思いのほか雪が多く降った日があり、街が真っ白に変わったことがあった。
そんな新雪の上をザクザクと踏みしめる感覚は好きだが、やがて薄日が差し始めると雪は溶け、そこに残した自分の足あとが消えてしまうと、雪が降ったことも忘れてしまう。そして道の端に寄せられていた雪も無くなり春を迎えれば、雪の季節はまた一年先のことになり、季節は移り変わっていく。

灰色の空から降る白い雪が、春になれば桜の白い花びらに変わるように。






昼休み、つくしは会社の近くのカフェで食事を済ませ、会社へ戻るため雪が溶けた道を歩いていた。
そして一つ目の交差点で立ち止まり、信号が変わるのを待っていた。
すると丁度その時、隣に立っていた黒いコートを着た女性が胸を押さえ、しゃがみ込んだ。
それは信号が青に変わり、人々が一斉に動き出した瞬間だった。

「大丈夫ですか?」

女性の一番近くにいたつくしは、その女性の隣にしゃがみ込むと声をかけた。
すると、小さな声で
「大丈夫ですから」
と声がした。
そしてその女性が顔をあげ、つくしを見た。
その顔は人形のように整った顔。ひと目見て誰もが美しいと感じる顔。
色も白く、しとやかさが感じられ唇に塗った桜色の口紅がよく似合うと感じた。

「本当に大丈夫ですから」

そうは言ったが、やがて立ち上ったその女性は、足元がおぼつかない様子で、つくしが差し出した手を掴んだ。

「申し訳ございません。ありがとうございます」

と再び言ったが、心配になりどこかでお休みされてはいかがですか、と声をかけた。
すると女性は大丈夫ですから。それでもご親切にと言い歩き出そうとした。
しかし辛そうに顔を歪め、明らかに具合が悪そうだった。
そんな女性に再び大丈夫ですか、と声をかけたとき、

「ごめんなさい。どこか座るところを」

と力のない声で言われ、その女性を連れ近くの喫茶店に入り、血の気の引いた白い顔に何か暖かいものでもいかがですか?と勧めれば、では紅茶をお願いします。と言われ、ウェイトレスにアールグレイを二つ頼むと運ばれて来るのを待った。

やがて暖房の効いた部屋と、運ばれてきた紅茶を口にしたことで、頬に微かに赤みがさした女性は静かに口を開いた。

「本当にありがとうございました。少しめまいがしてご迷惑をおかけいたしました」

そして見ず知らずの人間にご親切にありがとうございますと言われ、気にしないで下さいと言葉を返した。

正面に座る女性は人形のような顔だと感じたが、言葉遣いも、仕草も品格が感じられ、唇と同じ桜色に塗られた指先の動きも美しく、お金持ちの家のお嬢様といった雰囲気があると思った。そしてその女性は、自分と同じ年頃だとつくしは感じていた。

「私、三条桜子と申します。本当にご親切にありがとうございます。ぜひこのお礼がしたいのでよろしければ次の日曜日、私の自宅へ遊びにいらっしゃいませんか?美味しいお茶をご馳走させて下さい」

と言ってその女性はバックの中から名刺を取り出し是非ともおいで下さいと言い、にこやかにほほ笑んだ。





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2018
03.17

雨の約束 2

つくしが三条桜子の家を訪ねたのは、あれから半月ほど経った雨の日曜日だった。
介抱してもらったお礼がしたいので、次の日曜日遊びにいらっしゃいませんか。と言われたが、たまたま近くにいたのが自分だっただけで、つくしでなくても他の誰かでも同じことをしたはずだ。だから家まで訪ねて行く理由もなく丁寧に断った。

だがその女性の家を訪れたのは理由がある。
決して熱心な誘いに根負けしたのではない。
何をどう調べたのか知らないが、彼女は名前を名乗っただけの私の勤務先を知っていた。
そして電話をかけてくると、あの日のお礼がしたいのでぜひ遊びにいらっしゃって下さい、と言って私は決して怪しい者ではありませんと言った。そして今日の日を迎えた。

確かに三条桜子という人物は怪しい人物ではないはずだ。
だがそれが、渡された名刺の通りの人物ならの話だ。
あの時手渡された名刺は、三条桜子が道明寺HD副社長 道明寺司の秘書であるということを表していたからだ。

小さな商社に勤めるつくしは、道明寺という会社がどれほどの規模であるか知っている。
道明寺HDと言えば財閥系の名の知れた企業であることはもちろん、世界的な企業でもあり知らない人間はいない。そして三条桜子が本当に道明寺司の秘書なら、彼女に近づきたいという人間は多いはずだ。何しろ道明寺司に近づくなら秘書を攻落するのが一番の近道だと言われるからだ。

しかしそう簡単に近づくことは出来ないのが実情であり、そんな相手が向うから是非会いたいと言ってくることを不思議だと思うのがつくしだ。だが社会的信用といったものに重きを置くのが人間だ。道明寺といった名前がこの日本でどれほどの力を持つか。つくしとて理解している。

そして、三条桜子が秘書として仕えている道明寺司という人物は、若い独身女性なら誰もが憧れる男。
ゴージャスな佇まいとセクシーさ。
威厳と華やかさといったものを感じさせる男。
特徴のある黒髪に長身の男は経済界の有力者で政界にも顔が利き、国内のみならず海外の有力政治家とも親交があり、経済誌から女性週刊誌まで幅広く彼のことを載せ、そんな男に近づきたいと願う女性は多く、実際彼の気を惹くためならどんなことでもすると訊く。
けれど、つくしは彼らと積極的に親しくなりたいという訳でもない。
それなら何故断ることが出来なかったのか。
それは三条桜子からお迎えに参りますからと言われ、自宅マンションの前に迎えの車が来たからだ。





「牧野さん。ようこそ。来て下さるのを楽しみにしていたのよ?」

連れて来られたのは、都内でも有数の高級住宅街にある大きな洋館。
延々と続く石造りの塀は、選ばれた人間だけが住むことが出来る場所。塀の内側にあるのは、木立に囲まれた広い庭。どこかに沈丁花が植えられているのだろう。さわやかな甘い香りが漂っていた。
そして、大理石の玄関とそこに飾られた胡蝶蘭の鉢は美しい花を咲かせていた。
そんな普通の家とはかけ離れた建物に驚いた様子のつくしに彼女は説明した。

「驚いた?私の家は元華族なの。だから先祖から受け継いだこの地に邸があるの。でも驚かないで。私は働かなくてはならないごく普通の暮らしをしている会社員よ。華族といっても今は名前だけよ。それにこの邸はただ広いだけで冬はとっても寒いの」

そう言った三条桜子は、柔らかい雰囲気と共に悪戯っぽい微笑みを浮かべているが、その笑顔は自然に作られたものだと感じられ、つくしは自分の中で緊張が解けるのが感じられた。
そして桜子は、広い応接間へと彼女を通した。

「牧野さん。どうぞお掛けになって。今日はあなたに飲んで頂きたいと思ってとっておきの紅茶を用意したの」

座るように言われ、柔らかな革張りソファに腰を降ろしたが、お茶をお持ちするわ、と言い残し三条桜子が部屋を出て行くと、つくしは広い部屋の中でひとりになった。
そして暫くじっと座っていたが、募る好奇心に逆らえず、立ち上がると部屋の中を見回した。

そこは応接間だが、一般家庭での応接間とは比べものにならないほど広く、軽く三十畳ほどありそうだ。そんな部屋の中をゆっくりと見て回ったが、カーテンも壁も色合いは柔らかなパステルグリーン。壁に掛かった何枚かの絵は、イギリス人の有名画家が描いた穏やかな田園風景の絵。
そして、壁には暖炉があり、燃やされた薪と思われる残りがあった。マントルピースの上には金色の縁取りがされた漆黒のライターが置いてあり、思わず手に取ったが、側面にはイニシャルらしきものが刻まれていた。

応接セットの他にあるのは、部屋の片隅にある洋酒が揃えられたキャビネットだが、そこはホームバーのような設えでカウンターもあった。
だがここは、広すぎて家庭的な雰囲気といったものが全く感じられないと思っていた。
それは、この部屋だけではなく、この立派な洋館自体がどこか現実とは思えない雰囲気があるからなのかもしれない。

だがこの場に相応しい人物は、やはり三条桜子のような雰囲気のある女性だと感じていた。
それにしても、ただ具合の悪くなった彼女に手を貸しただけで、家に招く、歓待しようとする理由は何なのか。それに見ず知らずの人間を家に呼ぶことを怖いとは思わないのだろうか。
だが自分で言うのも可笑しいかもしれないが、私は生真面目なところがある、どこにでもいる平凡な女だ。そんな女の勤務先も自宅も知っているなら、他の事も知っているはずだ。
それは調べられたということだが、何故そこまでする必要があるのか。

その時、扉が開き三条桜子がトレイを手に戻って来た。





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2018
03.18

雨の約束 3

「あら。牧野さんもお酒を嗜むのかしら?お茶じゃなくてお酒の方がよければ、ウィスキーの水割りでも作りましょうか?」

「いえ。私はお酒を飲みませんのでお茶の方がありがたいです」

つくしはバーカウンターの傍にいたが、三条桜子の申し出を断るとソファまで戻り腰を下ろした。
それにつくしはお酒が苦手だ。だから忘年会や送別会といったものでも、初めの一杯だけは付き合い程度に口をつけるが、二杯目からは遠慮している。

「そう?じゃあお茶にしましょうよ。ね?牧野さん。それから今日はどうしてもあなたに会いたいという方がお見えなの」


そう言った三条桜子の後方の扉が開き現れたのは、目の鋭い背の高い男性。
一瞬でその場の空気が変わるという言葉があるが、それはその人が持つ雰囲気、つまり風格がそうさせるのだが、まさにオーラがあるという言葉がその男性にはピッタリだった。
そして女二人しかいなかった広い部屋は、その男性が現れた途端空気が変わったように感じられた。

「あなたでしたか。うちの秘書の具合が悪くなったところを助けて下さったのは」

しっかりした足の運びで近づいて来たスーツ姿の男性は、つくしの前まで来ると、真正面の椅子に腰を下ろした。

「あの….」

「いきなり申し訳ない。私は道明寺司と言います。彼女の、三条の上司です。三条は元々身体が弱かったこともあり、貧血を起こすことがありましてね。助けて頂いた日も立ち眩みを起したそうですが、あなたは三条の我儘に付き合い暖かいお茶をご馳走して下さったそうですね。社に戻った三条は、見ず知らずの自分に親切にしてくれたことにいたく感激していましてね。私にもあなたのことを話してくれたんです。それなら私も彼女の上司としてあなたにお礼を申し上げたいと思い、今日こうしてこちらへ足を運ばせて頂きました。いや。突然私のような者が現れてはご迷惑ではと考えましたが、やはりご迷惑でしたか?」

「いえ。そんなことは…..」

そうは言ったが、突然現れた道明寺司に驚いた。
各界に著名人と言われる人物は数多くいるが、目の前に現れた人物はビジネス界では最たるものだ。
本人を間近に見るのは勿論初めてだが、その圧倒的な存在感は今まで感じたことがなく、身体がすくむではないが動くことが躊躇われるほどだ。
それに扉から現れた時、鋭い目に怖さを感じた。だがつくしの真正面のアームチェアに腰を下ろした男は、低くよく通る声の持ち主で、それは思いもしなかった優しさを感じさせる口調だった。
そして自分を見つめる真っ直ぐな視線をかわすことは出来ず、否応なく見つめ合う形になっていた。

「道明寺副社長。牧野さんが緊張していらっしゃいますよ。彼女私がお話しした通り可愛い方でしょ?とても私と同じ年だとは思えませんよね?」

「ああ。そうだな。牧野さんはまだ20歳くらいに見える。とても君と同じ33歳だとは思えないよ」

「まあ道明寺副社長。随分と失礼なことをおっしゃいますね?私だって見方によっては20歳にだって見えますから」

三条桜子は道明寺司の隣のアームチェアに腰を下ろし、運んで来た磁器製のポットから、紅茶をカップに注いたが、立ち昇る香りはあの時と同じアールグレイだった。
そして可愛いと言われてつくしは困惑した。手渡されたカップの茶色い液体に自分の顔が映っているとすれば、赤くなっているはずだ。

そして副社長と秘書の会話は和やかで、感じたのは、このふたりは恋人と呼べる関係ではないかということだ。
人形のように美しい顔した女と、モデルのように抜きんでた容姿を持つ男。
旧華族の家柄の女と、大財閥の家の男。二人とも世間が夢見る要素を持つ人間。
そう言えば、先ほどマントルピースの上で手をとったライターに刻まれていたイニシャルは『T・D』だった。それは彼のイニシャルだと思った。男がライターを忘れ、そのままになっていると感じた。

「牧野さん。道明寺副社長は時々酷いことを言うんですよ?でも気にしないで下さいね。私に対して口が悪いのは昔からなんですよ。さあ、どうぞ召し上がって。お茶は熱いうちに召し上がらないと冷めては美味しくないもの」

そう言われカップを口元へ運びひと口飲んだが、昔からと言った三条桜子の言葉に、この二人はやはり長い付き合いなのだと思った。
そして口へ運んだ紅茶は、心が弾む幸福な香りがした。だからその思いをそのまま口にした。

「美味しい・・これ本当に美味しいです」

「そうでしょ?美味しいでしょ?」

「ええ」

「このアールグレイ。特別な農園で作られたお茶の葉を使っているの。そうですよね?道明寺副社長?」

「ああ。これは特別な農園で特別な人の為だけに栽培された葉を使った」

つくしを真っ直ぐに見つめながら放たれた言葉。
そして特別な人の為だけに栽培された葉という言葉に心が動いた。
その意味を知りたいと思う気持が押し寄せて来たが聞かなかった。
やはりこの二人は恋人同士なのではないかといった気がしたからだ。
だが男が放った言葉のニュアンスは、三条桜子が彼の言う特別な人には感じられなかった。それならこの二人は恋人関係ではなく、ただの上司と秘書ということだろうか。

そしてその時、感じた。
テレビや雑誌では見た事がある男性は、初めて会う相手だが、どこかで見かけたことがある。
曖昧ではあるがどこかで会ったことがある。具体的なことは分からないが、何か引っ掛かるものが確かにある。
そう思いながら熱い紅茶をゆっくりと口にしたが、ベルガモットの柑橘の香りと、すっきりとした味わいが感じられ本当に美味しいと感じられた。

「ねえ。牧野さん。突然だけどあなたお付き合いしている人はいるの?」

「え?」

「だから牧野さんお付き合いしている人はいるの?」

いきなりプライベートなことを訊かれ、答えに躊躇した。
偶然知り合った三条桜子。そしてそういった個人的なことを訊くほどの関係ではない相手への質問としては適切とは言えないはずだ。だが目の前の女性はつくしの躊躇と困惑を消し去ろうとするような柔らかな笑みを浮かべたが、その微笑みは多くの男性を虜にする笑みだ。恐らく彼女ににこやかにほほ笑みかけられれば、どんな男性でも気持ちが動くはずだ。何でも彼女の言う通りにするはずだ。そして女性であるつくしも何故か簡単に答えを返していた。

「いえ。…いません」

「そうなの?でも牧野さん可愛いからいたでしょ?それとも、もしかして最近別れたとか?」

「あの。そういったことではなく、私誰かと付き合おうといった気にならなくて…」

そう曖昧に答えながら、真正面に座る男性の瞳を意識しない訳にはいかなかった。
どこかで見た瞳。どこかで会った気がする。それがいつどこだったのか。
そんなことを考えながらカップを口に運んだが、それから少しすると眠気が感じられ、真正面に座る男の顔が横に流れたように歪んでいた。





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2018
03.19

雨の約束 4

「大丈夫ですか?」

そう声を掛けられ、いったい自分がどういった状況に置かれているのか確かめずにはいられなかった。
確か三条桜子にお茶を飲むように勧められ、香りのよいアールグレイの茶葉を楽しんだ。
だが頭がすっきりとしない。
いつもなら紅茶を飲めば気持ちが落ち着くが、今日はそうはならなかった。
何故か急に心地良い眠気が訪れ意識は薄れていった。そしてソファに横になり全身に肌触りのよい毛布が掛けられていることを知った。

ゆっくりと半身を起し、足を床に着け身体に掛けられていた毛布を取り畳んだが、アームチェアに座る男の背後に見える窓の外の景色は、既に日が落ち、ライトアップされた庭が見えた。漆黒の闇の中に浮かぶのは桜の木。いったい自分はどれくらいこの場所で眠っていたのか。腕時計を見たが針は止まっていた。

「あの。すみません。今何時でしょうか?」

その時、風が吹き白い花がはらはらと舞う様子が見えた。
雪のように降る桜の花びらは、地面に落ちた途端、消えてなくなることはないが、その風景は積もれば雪のように見えるのではないかと感じた。

「今ですか?午後9時ですね。あなたが気持ちよさそうに眠っていたので起こすことは躊躇われました。ですから目覚めるまでそっとしておこうと思いましてね」

そう言われ戸惑った。
なぜならその言葉は、寝顔をずっと見つめられていたということを意味するからだ。
出会ったばかりの全く知らない人間に寝顔を見つめられるのは正直気味が悪い。
そして突然言われた言葉に返す言葉が見つからなかった。

「牧野さん。私と付き合ってくれませんか?」

その言葉は聞き間違いではないか。
冗談ではないか。そう思った。
何故なら道明寺司という人物が、大勢の女性が思いを寄せる名の知れた人物であることは知っている。
そんな人物が今日会ったばかりの女性に対しそんなことを言うことが信じられないからだ。
それに彼とつくしとでは立場が違い過ぎる。そして出会ったばかりの人間からの言葉にしては、いきなり過ぎる。
だが彼はそんなことなど全く気にしないように言葉を継いだ。

「あなたは先ほど三条の質問にこう答えた。付き合っている男性はいないと。それなら私とお付き合いして下さい。誰かと付き合おうという気にならなかったとおっしゃいましたが、今は違う。そうじゃないですか?私のことが気になるはずだ。だから私と付き合って下さい。ここでこうして会ったのが運命だとすれば、私はこの奇跡のようなこの出会いを逃したくはない」

つくしの戸惑いをよそに、男は真面目な顔で、その目は彼女をしっかりと捉えていた。
そしてその漆黒の瞳に囚われたと感じていた。

だが相手が真面目ならつくしも真顔で口を開いた。

「あの。私は誰かと付き合おうといった気になれなかったと言いましたが、今もそうなんです。誰かと付き合おうという気にはなれないんです」

同じ言葉の繰り返しになったが、そうとしか言えなかった。
たが返事は今すぐとは言わない。だから考えて欲しいと言われ、その日は三条桜子に見送られ男の車で自宅まで送られた。そして「おやすみなさい」と低い声で言われ、同じ言葉を返した自分がいた。


そして日曜日に会って以来度々会社に電話がかかってくるようになった。
だが何故か嫌な気はしなかった。電話を切ればあの日のことを思い出し、顔や声。静かに漂うオーラといったものが感じられ、まるで目の前に本人がいるように感じられた。
大した会話を交わしてもいない。ただ声だけでそんなことを思う。
それは何故ともなく気になるということであり、彼に惹かれている自分がいた。
だから携帯電話の番号を彼に教えた。

そんなある日、携帯電話に初めてかかってきた声の向うに微かな沈黙が感じられたとき、彼が聞いた。

『明日は何か予定はありますか?』

「明日ですか?」

『ええ。明日です。日曜日。牧野さんは何か予定がありますか?』

「いいえ。ありません」

つくしは即座に答えていた。








日曜日。午前11時。雨が降っていた。
迎えに来たのは、本人が運転する黒のメルセデス。
軽い挨拶のあと食事をしようと連れて行かれたのは、ホテルメープルのメインダイニングであるフレンチレストラン。休日の昼間ということもあり、8割がた埋まっていた。


「あなたのことを教えてくれないか?」

「…..私のことですか?」

「ああ。あなたのことを教えて欲しい。あなたのことを知りたい」

だが私のことを話して欲しいと言われても、何を話せばいいのか。
そして付き合って欲しいと言われたが、なぜ私のような人間と付き合いたいと思うのか。
なぜ道明寺司のような人物が自分に興味を抱くのか。
わからない。わからなかった。この人の真意が。
だがそんな私の思考を読んだのか。真摯な声で言った。

「ひと目ぼれだ。だから私の気持を素直に受け取って欲しい。それにあなたは気持ちがきれいで我慢強い人だ」

そう言われたつくしは、自分のことを話し始めた。
付き合うならどうしても知っておいて欲しいことがあると。
そのことを理解してくれるなら、という条件を付けた。

家族は両親と弟の4人家族だったこと。だったと過去形で語られたのは、両親は既に亡くなり今は弟と二人になっているからだ。だがその弟も2年前に結婚したこと。
平凡で特段変わったことのない人生を歩んできたこと。

だが27歳のとき交通事故に遭い生死の境を彷徨ったこと。
そしてその時の記憶が全く無く、なぜ交通事故に遭ったのか分からないこと。
無理矢理思い出そうとすると動悸が激しくなり全身が震え出すこと。頭の芯がズキズキと痛み、吐き気がすること。
だからその時のことは思い出さないようにしていること。
その事故に関係することは家族の誰も話さない、話さなかったこと。今ではあの日の出来事は封印され思い出すことはないこと。だが自分では完全に立ち直っていると思うが、それでも何故自分が瀕死の重傷を負うような事故に遭ったのか考えると哀しみが押し寄せ、息が止まりそうになることがあること。
そんなこともあり、あの日以来誰かと付き合おうといった気にはなれずにいた。 
彼はそんな話しをただ黙って訊いていた。





そしてあれから一ケ月。
緑が街を包み、新芽の匂いが感じられる頃二人は付き合い始めた。
それは毎週日曜日の午前11時に彼が迎えに来るといった約束から始まったが、この約束だけはどんなことをしても守るからと言われた。だから日曜日は予定を入れないで欲しいと言われた。

そして普段は忙しい彼に遠慮して電話をすることはなかった。だからメールを送り合うことで二人の気持を確かめることをした。
ひと目ぼれだと言われたが、いつの間にかつくしも好きになっていた。
どんどん気持ちが彼に惹かれていくのが分かった。
初めて会った時は感じられなかった相手に対する愛しさといったものが溢れてくるようになった。
しかし、すぐに平凡で単調な生活を送る女に退屈するだろうと思っていた。ある日、一方的な別れのメールといったものが送られてくるのではないかと思っていた。

そして会う約束の日曜の前日、不意に声が訊きたいと思い自分から初めて電話をした。しかし、何度呼び出し音を鳴らしても相手は出なかった。それを翌日会ったとき告げたが、すまない電話の傍にいなかったと言った。
そしてそれが特段不思議だとは思わなかった。
相手は忙しい人なのだから仕方がないと思った。

毎週日曜にデートをする。
過去の経験からそういったことは無かった。
そしてこんなに人を好きになるという気持は初めてだ。
つくしよりひとつ年上の男性は、都会的で洗練されているが、時に少年のような清々しい笑みを浮かべることがある。
そして知り合ってまだ間もないというのに、何年も前から彼を知っていて、深く関わってきた人のように感じる。その感覚がどこから来るものなのか分からなかったが、それを運命というならそうなのだろう。

そして、そんな彼に連れられ毎週のように色々な場所に連れて行かれた。
可愛らしい内装の喫茶店では、これ美味いからと言われパフェを食べた。
学生が多くたむろするゲームセンターでは、彼がパンチングマシーンを叩き壊した。
マルゲリータピザが絶品だというイタリアンレストランで熱いピザを頬張った。
まるで少年少女のように過ごすことが懐かしいと感じた。だが何故自分がそう感じるのか分からなかった。





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2018
03.20

雨の約束 5

『姉さん。最近日曜に電話しても全然出ないけど、どこか出かけてるのか?』

「え?うん…友達と会って食事したりしてるから」

『そっか。それで、最近身体の調子はどうなんだ?』

「うん。いいわよ?でもどうしてそんなこと聞くの?」

『いや。別に深い意味はないんだけどさ。なんか最近楽しそうだから何かいいことでもあったのかと思って』

弟の進が電話をかけて来たのは、月曜の夜だった。
結婚した弟とは滅多に会うことはないが、たった二人の姉弟だ。
かつては姉の方がどこか気の弱い弟の心配をしていたが、今では結婚と同時に家長としての自覚が芽生え、家族を養うため銀行員として真面目に働いている。そして時にひとり暮らしの姉が心配なのか電話をかけてくるが、今ではそんな弟が自慢だ。

『姉さん。例えばの話しだけど、もし好きな人が出来て恋がしたいって思ったらすればいいんだからね?』

「何?どうしたの急に?」

『いや。別にどうもしないけど、もしそうならそれでいいと思うからさ。俺どんな人が相手でも姉さんがよければ反対なんて絶対しないからさ』

弟の口ぶりは、まるで最近の姉の様子を知っているようだと思えた。
だが知るはずもないのだが、たった二人の身内となった今、姉の微かな変化を感じ取ることが出来るようになったのだろうか。
最後は陽気な声で、じゃあ姉さん身体に気を付けてと言って電話を切った。








6月に入り雨が降る日が多くなった。
二人が会う日曜はいつも雨だったが、その週の始まりの日曜も雨だった。
梅雨という季節は、梅雨寒と言う言葉があるように時に肌寒さを感じさせる日がある。
そんな日は暖房があってもいいと思えるが、エアコンのスイッチを入れるほどでもない。
それならと長年愛用しているファンヒーターのスイッチを入れた。

それは随分と長い間愛用している代物だが、実によく働いてくれる。
恐らく10年は使っているはずだ。
物を大切にする家庭で育ったことから、たとえ時代遅れになろうと、電気代がかかろうと、おいそれと処分することは出来ない。だから壊れない限り現役で、出かける前の身支度をする間、ちょっとした短い時間に対応してくれる使い勝手の良さが気に入っている。
それにどこにでも持ち運びができ便利だ。だから冬になれば浴室の脱衣所に持ち込むこともあった。

だがこのヒーターがどういった経緯で自分の手元にあるのか。
10年も前のつくしは、就職したばかりで、ヒーターを買う余裕は無かったはずだ。
それなら貰ったのかと考えるが、いったい誰からと考えるも思い出せなかった。




時計の針が11時を指す前、つくしは待ち合わせの場所に急いだ。
それは彼女が暮らすマンションから少し離れた場所にある公園の前。
いつもの通り黒のメルセデスが止り、その横に黒い傘をさした男が立っていた。
そしてつくしに笑顔を見せた。

車の中で待っていればと言ったことがあるが、それでも彼は外で傘をさし彼女を待つ。
それが彼の流儀ならそれでいいのだが、言われたことがあった。
黒い車に黒い服を着た男が乗っている車は怖いだろ?だから外に出て人待ち顔でいる方がいいんだと。

確かに彼は黒い服装が多かった。
だが彼の立場を考えれば外に出ていることは、安全上問題があるのではないかと思った。
それに彼のような男性が傘をさし立っていればひと目を引くはずだと思ったが、気にしなくていいと言われた。
それは、つくしには見えないが、どこかに警護の人間がいるという意味なのだろう。

そして最初に交わされる言葉は、

「よく降る雨だな」

「そうね」

そんな短い言葉を交わすことが二人の間の決まり事のようになったのは、いつの頃からだったのか。今では日曜に雨が降ることが当たり前のように感じられるようになっていた。

「今日は少し遠出をしようと思う。いいか?」

初めから決めていたかのように車が向かったのは北軽井沢。
行き先は道明寺家の別荘だと言われた。

東京を出た時は雨で暫く降り続いていたが、軽井沢の街を抜ける頃には止んだ。
そして国道146号線を北上するうちに太陽が顔を覗かせるようになった。
すると雨に洗われた木々の葉の一枚一枚が目に入るようになり、緑が迫るように感じられ、左手に見える茶色の浅間山とのコントラストが鮮やかに感じられた。やがて葉の間から漏れる光りが強くなり、道路にまだらな影を落とすようになった。
そして柔らかな風が吹けばプリズムのようにキラキラと反射する様子があった。


「もう少しで着く」

そう言われたが車は暫く走った。
別荘地として有名なこの場所は、道からは見えない場所に豪華な建物が立つ。
だが別荘地であるがゆえに、普段は住む人もおらず、人の気配もなく今は静な佇まいを見せている。何しろこの場所に人が戻るのは夏を迎えてからだ。

やがて幹線道路から脇道に入り、右手に高く長い塀が続く場所まで来ると、その先に見える大きな鋳鉄の門が自動で開くのが見えた。そして車は門を抜け、塀に囲まれた敷地内の道を進んで行くと、目の前には周囲に背の高いカラマツを配し、緑に囲まれるように二階建ての大きな洋館が立っていた。

カラマツは、秋になれば黄金色に紅葉してその葉を落し、一面が黄金を敷き詰めたようになり、楓とはまた別の紅葉する風景を楽しむことが出来るが、つくしはその風景を見たことがあるような気がした。

そしてカラマツの紅葉と言えば、北軽井沢だと誰かから訊いたことを思い出した。
だが北軽井沢に来た覚えはなく、それならテレビで黄金色に紅葉したカラマツを見たのだろうか。それとも雑誌か何かで目にしたのだろうか。秋の空を黄金色に染めるカラマツを。

やがて車は建物の正面で動きを止めた。そしてエンジンが切られると外へ出た。

「冬の間は誰もここに来ることはない。だからって管理が行き届いていないことはない」

それは管理人が定期的に窓を開け、風を通し手入れをしているという意味だと分かる。
そのとき、東京では訊く事のないピリリリッという鳥の鳴き声が聞えた。

「今のはエナガって鳥だ。14センチくらいの小さな鳥で綿を丸めたようなふわふわした毛で覆われてる。森の妖精って言われる鳥だ。北海道にいるヤツは真っ白で雪の妖精って言われてる。ここは野鳥が多いが窓辺にエサを置けば来ることもある。それにリスもいる」

そう言って建物の中に案内されたが、中は普段使われていないことを示すように、調度品には白い布が掛けられていたが、彼はひとつの部屋に入るとそれを一枚一枚剥がしていく。

「ここは俺が子供の頃、親父が建てたが本人は殆ど来たことはない。高校生の頃名義を俺に書き換えてからは俺が勝手に使っていたが静かでいい所だ。ひとりになりたい時はここによく来た。好きな女を連れて来たこともあったが彼女もここが気に入っていた。いつだったかエナガが可愛いって言うから、とっ捕まえて飼うかって言ったら野鳥を捕まえて飼うのは法律違反になるって怒られた。…あいつ堅苦しい女でそんなモンばれなきゃいいんだろって言ったがアンタが良くてもあたしは法律を破ってまで鳥を飼いたいと思わないからって怒ってたな」

問わずとも語られた過去の話し。
二人が付き合い始めてまだ間がないが、そういった話しが今までされたことは無かった。
好きな女を連れて来た。
彼女もここが気に入っていた。
その声が今まで訊いたことがないほど寂しそうで耳に残る。
そして何かひっかかる。

「けどあいつ、本当にその鳥のことが気に入ってた」

再び呟かれた声は懐かしそうだった。
つくしは、改めて思考の全てを整理することにした。
それは、以前から感じていたこの人を何年も前から知っていて、深く関わって来たという感覚。その感覚の正体は一体何なのか。

それは、部屋の入口に立つつくしに視線を向けることなく、呟かれるように言われた言葉。

『けどあいつ、本当にその鳥のことが気に入ってた』

そしてエナガという鳥の名前。
ピリリリッ。と鳴く鳥の声。
ねえ。バードウォッチングに行こうよと言った自分の声。
それに応えるように誰かの声が頭の中に響き渡った。

『そんなにバタバタ音立てると鳥は逃げちまうぞ?』



記憶を全て失った人の感覚というのは、どういったものなのだろう。
思い出すことの出来ない自分というのは辛いはずだ。
だが、閉ざされていた記憶の扉が音を立て開いたとき、人はどういった行動を取るのか。

突然甦ってきたあの日の光景。
この別荘に来たことがある。
あの時も彼はああやって掛けてあった白い布を剥がしていた。
それを一緒に手伝った。
そして二人で台所に立ち料理をした。
夜は二階の部屋の同じベッドに寝て、翌朝パンの欠片を窓辺に置き、窓を閉めエナガが来るのを二人で待った。
鳴き声が可愛らしくて、その姿を近くで見たいと思った。

二人?

誰と?

それは今目の前にいる男だ。




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