<時の轍(わだち)>
こちらのお話は明るいお話ではありません。
お読みになる方はその点をご留意下さい。
**********************
「お願いがあります。あなたのお母様の骨を私の父に分けて頂けませんか?」
ある日そう言って尋ねて来たのは、周子と同じ年頃の男性だった。
それは桜の花が咲き始めた頃。
川を渡る風を暖かく感じ始めた3月のよく晴れた木曜の午後だった。
亡くなった母親の骨を分けて欲しい。
その言葉は日本語だが、どこか理解できない未知の言葉のように感じられた。
それは見ず知らずの男性の口から出る言葉としては、どう考えても非常識だからだ。
それに何故その男性の父親が私の母の骨を欲しがるのか分からなかった。
それにもしそうだとしても、骨を分けて欲しいという父親本人が来ればいいはずだ。
それにしても、何故私の母の骨を欲しがるのか。
だが考えられることがあった。
それは身寄りがないと言っていた母の親戚といった血縁者が母を見つけだし、分骨して欲しいといったことだ。それなら目の前に現れた男性は母の血縁者で彼の言葉も納得できるような気がするが、それ以外の理由が思いつかなかった。
母の名前は西野つくしと言う。
5年前56歳で亡くなった。
それは母の誕生日の2週間前。風呂場の脱衣所で倒れているのを見つけたが、その時はすでに遅かった。死因はいわゆる突然死。心不全と言われるものだった。
私の家は代々医者の家系であり、母よりも早く亡くなった父も開業医で私も医者だ。
実家はやはり医者になった兄が継ぎ、私は都内の大学病院で内科医として働いている。
そして母は、兄が結婚したのを機に家を出て、父が残した遺産で近くにマンションを買い一人暮らしをしていた。
何故そうしたのか。
母はそう訊いた私にこう答えた。
「お嫁さんに気を遣わせたくないし、私はひとりの方が気が楽だから」
だがある日、何度電話をしても電話に出ないことから心配して尋ねたところ、倒れている母を発見した。私は医者だが医者でも助けることが出来ない。手の施しようがないことがあるが、母のことはまさにその通りだった。
あの時、生前から母がよく言っていた言葉を思い出した。
「死ぬ時は誰にも迷惑を掛けることなく逝きたいから」
だが実際にその通りになり母の願いは叶えられたのだと思ったが、残された私は寂しかった。そして何故もっと早く連絡を取らなかったのかと悔やんだ。
医者の妻でありながら、質素で地味な生活が身に付いていた母。
よく笑いよく動き回る人で、そして身体が丈夫なのが自慢だと言った母。
とはいえその言葉は果たして本当だったのか。と思うが命の長さがどれくらいあるかということは誰にも分らない。だから母の命はあの日が決められた日だったのだ。
そんな母の骨を別けて欲しいという男性。
「いきなり尋ねて来てこのようなことを言って驚かれたでしょうね。本当に申し訳ないと思っています。ですが、手紙を書こうにもどうも説明するには難しいと思いましてね。それにどちらにしてもお会いしなければ話は進みませんので、こうしてお尋ねしたということです」
ダークスーツを着たその男性は、午前の外来診察が終わり午後の診療が休みの木曜。
カルテの整理をしているとき、医局を尋ねて来くると名刺を差し出した。
背の高い男の立ち姿はサラリーマンとは思えない雰囲気があった。そして細身だがどこか迫力がある身体をしていると感じた。
端正な顔は初対面の相手を圧倒するだけの力があり、ウェーブがかかった黒髪に、突き刺さるような鋭い瞳の色は漆黒。背広も靴も高級品。左手首にはゴールドの薄い時計がはめられていた。
そして名刺を掴む指先はきれいに手入れがされていて、まるで外科医の指先のようだと感じた。もしかすると同業者かと一瞬思ったが、受け取った名刺に書かれていたのは、<道明寺ホールディングス株式会社、代表取締役社長 道明寺悠>。都内の住所と電話番号が印刷されていた。
そしてその男性は、病院内のカフェテリアでテーブルを挟んだ真正面の席に座り私の顔をじっと見つめていた。
「何故私があなたのお母様の骨を分けてほしいか。理由が知りたいと思われるのは当然です。それにあなたが驚かれるのも無理はありません。そういう私も常識に外れたことをしていると思っています。ですがどうしても分けて頂きたいんです。あなたのお母様の骨を」

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「お願いがあります。あなたのお母様の骨を私の父に分けて頂けませんか?」
ある日そう言って尋ねて来たのは、周子と同じ年頃の男性だった。
それは桜の花が咲き始めた頃。
川を渡る風を暖かく感じ始めた3月のよく晴れた木曜の午後だった。
亡くなった母親の骨を分けて欲しい。
その言葉は日本語だが、どこか理解できない未知の言葉のように感じられた。
それは見ず知らずの男性の口から出る言葉としては、どう考えても非常識だからだ。
それに何故その男性の父親が私の母の骨を欲しがるのか分からなかった。
それにもしそうだとしても、骨を分けて欲しいという父親本人が来ればいいはずだ。
それにしても、何故私の母の骨を欲しがるのか。
だが考えられることがあった。
それは身寄りがないと言っていた母の親戚といった血縁者が母を見つけだし、分骨して欲しいといったことだ。それなら目の前に現れた男性は母の血縁者で彼の言葉も納得できるような気がするが、それ以外の理由が思いつかなかった。
母の名前は西野つくしと言う。
5年前56歳で亡くなった。
それは母の誕生日の2週間前。風呂場の脱衣所で倒れているのを見つけたが、その時はすでに遅かった。死因はいわゆる突然死。心不全と言われるものだった。
私の家は代々医者の家系であり、母よりも早く亡くなった父も開業医で私も医者だ。
実家はやはり医者になった兄が継ぎ、私は都内の大学病院で内科医として働いている。
そして母は、兄が結婚したのを機に家を出て、父が残した遺産で近くにマンションを買い一人暮らしをしていた。
何故そうしたのか。
母はそう訊いた私にこう答えた。
「お嫁さんに気を遣わせたくないし、私はひとりの方が気が楽だから」
だがある日、何度電話をしても電話に出ないことから心配して尋ねたところ、倒れている母を発見した。私は医者だが医者でも助けることが出来ない。手の施しようがないことがあるが、母のことはまさにその通りだった。
あの時、生前から母がよく言っていた言葉を思い出した。
「死ぬ時は誰にも迷惑を掛けることなく逝きたいから」
だが実際にその通りになり母の願いは叶えられたのだと思ったが、残された私は寂しかった。そして何故もっと早く連絡を取らなかったのかと悔やんだ。
医者の妻でありながら、質素で地味な生活が身に付いていた母。
よく笑いよく動き回る人で、そして身体が丈夫なのが自慢だと言った母。
とはいえその言葉は果たして本当だったのか。と思うが命の長さがどれくらいあるかということは誰にも分らない。だから母の命はあの日が決められた日だったのだ。
そんな母の骨を別けて欲しいという男性。
「いきなり尋ねて来てこのようなことを言って驚かれたでしょうね。本当に申し訳ないと思っています。ですが、手紙を書こうにもどうも説明するには難しいと思いましてね。それにどちらにしてもお会いしなければ話は進みませんので、こうしてお尋ねしたということです」
ダークスーツを着たその男性は、午前の外来診察が終わり午後の診療が休みの木曜。
カルテの整理をしているとき、医局を尋ねて来くると名刺を差し出した。
背の高い男の立ち姿はサラリーマンとは思えない雰囲気があった。そして細身だがどこか迫力がある身体をしていると感じた。
端正な顔は初対面の相手を圧倒するだけの力があり、ウェーブがかかった黒髪に、突き刺さるような鋭い瞳の色は漆黒。背広も靴も高級品。左手首にはゴールドの薄い時計がはめられていた。
そして名刺を掴む指先はきれいに手入れがされていて、まるで外科医の指先のようだと感じた。もしかすると同業者かと一瞬思ったが、受け取った名刺に書かれていたのは、<道明寺ホールディングス株式会社、代表取締役社長 道明寺悠>。都内の住所と電話番号が印刷されていた。
そしてその男性は、病院内のカフェテリアでテーブルを挟んだ真正面の席に座り私の顔をじっと見つめていた。
「何故私があなたのお母様の骨を分けてほしいか。理由が知りたいと思われるのは当然です。それにあなたが驚かれるのも無理はありません。そういう私も常識に外れたことをしていると思っています。ですがどうしても分けて頂きたいんです。あなたのお母様の骨を」

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母の骨を分けて欲しいと言って来た道明寺悠。
その人物が社長を務める会社は周子にもすぐに分かった。
道明寺HDと言えば、日本だけでなく世界展開をする大企業で誰もが知る会社だ。
そして道明寺悠という名前も訊いたことはあるが、顔はよく知らなかった。
だが目の前に現れた本人は、理知的な顔立ちで頭の良さを感じさせた。そして二枚目という言葉があるが、その言葉は彼のためにある言葉だと感じた。
「どうみょうじ…さんですか」
珍しい名前だがよく知られた名前を声に出し読み、相手の顔をじっと見つめた。
「申し訳ない。私は先ほどからあなたのお母様の骨を分けて欲しいを口にするだけで理由を申し上げるのが後回しになってしまった」
そう言って道明寺悠は少し黙ったが、それからすぐに口を開いた。
「私の父にあなたのお母様の骨を分けて頂きたい。その理由は父とあなたのお母様が昔….二人が高校生の頃ですが付き合っていたからです。つまり二人は恋人同士だった。だから父はあなたのお母様の骨が欲しいと、亡くなったかつての恋人の骨を、ほんの少しの骨でいいから分けて欲しいと望んでいるんです。ですがこんな話をされても気味が悪いはずだ。
それに昔の恋人の骨が欲しいと言う男など、私があなたの立場だとしても簡単にはい分かりましたと言えるはずがない。ですから私も正直なところここに来ることを迷いました。ご家族がどう思われるか考えました。ですが、やはり父の想いを汲んでやることが私の仕事だと、息子である私の勤めだと思いこうしてお願いに上がりました。ああ、申し遅れましたが私の父の名前は道明寺司と言います」
突然聞かされた母の昔の恋人の話。
それも相手は道明寺財閥の道明寺司。
道明寺悠の父親なのだから、道明寺司が父親なのだろうとは思っていたが、正直驚いた。
何しろ道明寺と言えば大企業であることは勿論だが日本で一、二を争う財閥。
日本経済の重要な部分を占める産業には必ずその名を頂く会社が含まれている。
そして日本だけではなく、世界的な規模の会社であることは間違いないのだが、一時財閥の経営状態が急速に悪化したことがあったという。だがその時、他に頼ることなく自主再建の道を選び、苦しいながらも再建を果たし、財閥の危機を救ったのが道明寺司だ。
その道明寺司は数年前第一線を退き、今目の前にいる息子に後進を譲った。それ以来表に出て来ることが無くなった。
そんな男性と母がかつて恋人同士だったとは正直信じられない思いがするが、目の前の男性はそうだと言う。
「ここに手紙があります。これはあなたのお母様が私の父に送った手紙です。
御覧のように色が変わって来ていますから、もう随分と昔の手紙ですが父は大切に保管していました」
そう言ってテーブルの上へ置かれた封筒には、今は見かけることのない金額の切手が貼られ、道明寺司様と書かれ、時の流れを感じさせるように黄ばんでいた。
そしてその手紙が何であるか。はっきりとは言わなかったが、恋人だった男女の間に交わされた手紙だというなら、所謂ラブレターのようなものなのだろう。
そしてそれを二人の関係を証明するものとして持参したというのだろうか。
「この住所は鎌倉にあるうちの別荘のものです。父はこの別荘が気に入っていました。5年前に社長の座を退いてからはずっとそちらで暮らしています。それは恐らくあなたのお母様との思い出があるからでしょう」
母との思い出がある場所。
だがその場所にいったいどんな思い出があるというのか。
ただでさえ突然現れた男性に、あなたの母親は自分の父親とかつて恋愛関係にあり、その父親が恋人だった母の骨を欲しがっていると言われ戸惑っているというのに、二人の想い出の場所の話をされ何をどう答えればいいのか分からなかった。
そして社長の座を息子に譲った5年前と言えば母が亡くなった年だが、何か関係があるのだろうか。
そんな私の思いが伝わったのか、彼は言った。
「5年前社長の座を退いたのはあなたのお母様がお亡くなりになったからです。彼女が亡くなった事がこたえたとしか思えませんでした。ある日私を呼び、社長の座を降りると言い世田谷から鎌倉へ住まいを移すと言いました。元々父は仕事以外の場所ではひきこもることが多かった。孤独を愛する人でした。ですから以前からよく一人で鎌倉の別荘へ足を運んでいましたが、あなたのお母様が亡くなってからは都内で暮らすよりも鎌倉の方が気持ちも落ち着くのでしょう。すっかり隠居して鎌倉の御大と呼ばれるようになりましたが、父はそれで良かったようです」
道明寺司が社長の座を退いたのが、1人の女性の死がきっかけだということは、にわかには信じがたい話しだが、身近にいる息子が言うならそうなのだろう。
「それから娘であるあなたにはショックかもしれませんがこちらの封筒の消印からして、あなたのお母様と父との付き合いは、あなたのお父様と結婚してからも続いていたようです」
どうぞ。
と言った彼は、封筒を手に取ることなくじっとしている私に読むように勧め、少し席を外しますのでと言い立ち上がった。

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その人物が社長を務める会社は周子にもすぐに分かった。
道明寺HDと言えば、日本だけでなく世界展開をする大企業で誰もが知る会社だ。
そして道明寺悠という名前も訊いたことはあるが、顔はよく知らなかった。
だが目の前に現れた本人は、理知的な顔立ちで頭の良さを感じさせた。そして二枚目という言葉があるが、その言葉は彼のためにある言葉だと感じた。
「どうみょうじ…さんですか」
珍しい名前だがよく知られた名前を声に出し読み、相手の顔をじっと見つめた。
「申し訳ない。私は先ほどからあなたのお母様の骨を分けて欲しいを口にするだけで理由を申し上げるのが後回しになってしまった」
そう言って道明寺悠は少し黙ったが、それからすぐに口を開いた。
「私の父にあなたのお母様の骨を分けて頂きたい。その理由は父とあなたのお母様が昔….二人が高校生の頃ですが付き合っていたからです。つまり二人は恋人同士だった。だから父はあなたのお母様の骨が欲しいと、亡くなったかつての恋人の骨を、ほんの少しの骨でいいから分けて欲しいと望んでいるんです。ですがこんな話をされても気味が悪いはずだ。
それに昔の恋人の骨が欲しいと言う男など、私があなたの立場だとしても簡単にはい分かりましたと言えるはずがない。ですから私も正直なところここに来ることを迷いました。ご家族がどう思われるか考えました。ですが、やはり父の想いを汲んでやることが私の仕事だと、息子である私の勤めだと思いこうしてお願いに上がりました。ああ、申し遅れましたが私の父の名前は道明寺司と言います」
突然聞かされた母の昔の恋人の話。
それも相手は道明寺財閥の道明寺司。
道明寺悠の父親なのだから、道明寺司が父親なのだろうとは思っていたが、正直驚いた。
何しろ道明寺と言えば大企業であることは勿論だが日本で一、二を争う財閥。
日本経済の重要な部分を占める産業には必ずその名を頂く会社が含まれている。
そして日本だけではなく、世界的な規模の会社であることは間違いないのだが、一時財閥の経営状態が急速に悪化したことがあったという。だがその時、他に頼ることなく自主再建の道を選び、苦しいながらも再建を果たし、財閥の危機を救ったのが道明寺司だ。
その道明寺司は数年前第一線を退き、今目の前にいる息子に後進を譲った。それ以来表に出て来ることが無くなった。
そんな男性と母がかつて恋人同士だったとは正直信じられない思いがするが、目の前の男性はそうだと言う。
「ここに手紙があります。これはあなたのお母様が私の父に送った手紙です。
御覧のように色が変わって来ていますから、もう随分と昔の手紙ですが父は大切に保管していました」
そう言ってテーブルの上へ置かれた封筒には、今は見かけることのない金額の切手が貼られ、道明寺司様と書かれ、時の流れを感じさせるように黄ばんでいた。
そしてその手紙が何であるか。はっきりとは言わなかったが、恋人だった男女の間に交わされた手紙だというなら、所謂ラブレターのようなものなのだろう。
そしてそれを二人の関係を証明するものとして持参したというのだろうか。
「この住所は鎌倉にあるうちの別荘のものです。父はこの別荘が気に入っていました。5年前に社長の座を退いてからはずっとそちらで暮らしています。それは恐らくあなたのお母様との思い出があるからでしょう」
母との思い出がある場所。
だがその場所にいったいどんな思い出があるというのか。
ただでさえ突然現れた男性に、あなたの母親は自分の父親とかつて恋愛関係にあり、その父親が恋人だった母の骨を欲しがっていると言われ戸惑っているというのに、二人の想い出の場所の話をされ何をどう答えればいいのか分からなかった。
そして社長の座を息子に譲った5年前と言えば母が亡くなった年だが、何か関係があるのだろうか。
そんな私の思いが伝わったのか、彼は言った。
「5年前社長の座を退いたのはあなたのお母様がお亡くなりになったからです。彼女が亡くなった事がこたえたとしか思えませんでした。ある日私を呼び、社長の座を降りると言い世田谷から鎌倉へ住まいを移すと言いました。元々父は仕事以外の場所ではひきこもることが多かった。孤独を愛する人でした。ですから以前からよく一人で鎌倉の別荘へ足を運んでいましたが、あなたのお母様が亡くなってからは都内で暮らすよりも鎌倉の方が気持ちも落ち着くのでしょう。すっかり隠居して鎌倉の御大と呼ばれるようになりましたが、父はそれで良かったようです」
道明寺司が社長の座を退いたのが、1人の女性の死がきっかけだということは、にわかには信じがたい話しだが、身近にいる息子が言うならそうなのだろう。
「それから娘であるあなたにはショックかもしれませんがこちらの封筒の消印からして、あなたのお母様と父との付き合いは、あなたのお父様と結婚してからも続いていたようです」
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私は封筒を開けるのが怖かった。
娘の私が母親の過去を知ることが怖かった。
母親が母である前に女であることを知るのが怖かった。
それは、母は母親であり、それ以外の人種として見たことはなく、女ではないと思っているからだ。だが娘なら誰でもそう思うはずだ。
そして母親も娘の前では自分が女でいることを示そうとはしない。
けれど、この封筒の中は母が女であることを告げる手紙が入っているということになるのだが、道明寺司の息子である男は、当然のように書かれている内容を知っているようだ。
だから、ああいったことが言えたのだろう。
『それから娘であるあなたにはショックかもしれませんがこちらの封筒の消印からして、父とあなたのお母様の付き合いはあなたのお父様と結婚してからも続いていたようです』
遠い過去から突然届けられた封筒の表に書かれた文字は確かに母の字。
改めて表書きをしげしげと眺めた。そして裏を返して見た差出人の名前は西野つくしとなっていた。
それは女性らしい柔らかな丸みが感じられる文字だが、その文字は真面目な人柄も表していた。だからそんな母が他の男性と密に会っていたとは信じられなかった。
そしてこの手紙の消印は20年以上も前のもので、その頃の私は小学生だったが、もしその頃頻繁に会っていたとすれば、私は気付いたはずだが気付かなかった。
だが家族に気付かれないように注意していたのだろうか。
正直開けるのが怖い。
だが母親が道明寺司と付き合っていたことに興味があった。
母と道明寺司という経済界の大物と言われる人物の関係がどういったものだったのか知りたかった。関わっていた頃の母を知りたいと思った。
そしてまず思ったのが何故別れたのか。
それはどんな別れだったのか。
だが別れた後もこうして手紙のやり取りがあったというなら、二人の別れは別れたいから別れたのではないのではないかと思った。
それは明確な別れの理由などなく、道明寺という大財閥の家に生まれた男と、ごく普通の家に生まれた女との恋に障害があったからではないだろうか。
それはいつの時代でもあると言われる身分違いの恋。
いくら世の中が平等だといってもお金があるかないか。家柄がいいか悪いか。そういった問題が無くなることはない。
人は深く相手を愛するようになれば、相手の心が読める、相手の心が叫ぶ声が聞こえるようになると言う。
若い二人は恋におちた。母は愛されていると感じていた。
だが相手の立場を考え、とるに足らない別れを演じて恋人と別れたのではないだろうか。
そう思う私は間違っているのだろうか。
だがあの母ならそうした行動を取ったのではないかという気がする。相手を想いながらも自分の想いを心の中に隠し表に出さない。母の笑顔の奥にはそういった思いがあったはずだ。
私は手紙を取り出し開くと文字を目で追った。
『ごめんなさい。随分と前からお約束をした日でしたが、その日は都合が悪くなりました。
急なことですが、本当にごめんなさい。今度は必ず会いに行きます』
封筒の中に入っていたのは、たったそれだけが書かれた簡単な手紙。
今の世の中でたったそれだけの短い文章を送ることに手紙を書くこと自体が珍しいのだが、母親の世代ともなるとそれが普通だったのか。
いや。電話という手段もある。だが文字にして残すことを選んだのは、思い出が欲しかったからか。もしかすると互いに心の拠り所にするものが欲しかったからなのか。
どんな理由であれ、二人は手紙でのやりとりを選んだということだ。
だが母の遺品を整理したとき、道明寺司という名で送られてきた手紙はひとつとして無かった。母からの手紙があるなら当然相手からの手紙もあったはずだが、それ以前に母はどんな手紙も残していなかった。
それは何故なのか。
心の中に秘めた想いは誰にも知られたくないと、死して自らの亡きがらが無くなる前に燃やしてしまったのだろうか。
人は人生の末路が見え始めれば、それなりに準備というものを始めるが、母の年ではまだ考えるには早いはずだが、それでもいつか亡くなる自分の身を考え、届いた手紙を処分してしまったのだろうか。
だが、母はそれで良かったのだろうか。
恋しい人からの手紙を捨てることに悔いは残らなかったのか。一人何度も読み返すことをしなかったのか。
それとも自分の死後その手紙が残ることで何か問題が起きるのではないかと思い処分したとすれば、母は道明寺司に自分のような人間が関わっていたことを恥じだと思ったということか。それとも残された子供たちが手紙の内容にショックを受けることを考えたからなのか。とにかく母の元にも届いたはずの男からの手紙は一通も残されてはいなかった。
それにしても、母の骨が欲しいというなら、道明寺司本人が来ればいい。
それに会いたいと思った。
母の昔の恋人であり、亡くなった母の骨を欲しいという道明寺司という人物に。

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娘の私が母親の過去を知ることが怖かった。
母親が母である前に女であることを知るのが怖かった。
それは、母は母親であり、それ以外の人種として見たことはなく、女ではないと思っているからだ。だが娘なら誰でもそう思うはずだ。
そして母親も娘の前では自分が女でいることを示そうとはしない。
けれど、この封筒の中は母が女であることを告げる手紙が入っているということになるのだが、道明寺司の息子である男は、当然のように書かれている内容を知っているようだ。
だから、ああいったことが言えたのだろう。
『それから娘であるあなたにはショックかもしれませんがこちらの封筒の消印からして、父とあなたのお母様の付き合いはあなたのお父様と結婚してからも続いていたようです』
遠い過去から突然届けられた封筒の表に書かれた文字は確かに母の字。
改めて表書きをしげしげと眺めた。そして裏を返して見た差出人の名前は西野つくしとなっていた。
それは女性らしい柔らかな丸みが感じられる文字だが、その文字は真面目な人柄も表していた。だからそんな母が他の男性と密に会っていたとは信じられなかった。
そしてこの手紙の消印は20年以上も前のもので、その頃の私は小学生だったが、もしその頃頻繁に会っていたとすれば、私は気付いたはずだが気付かなかった。
だが家族に気付かれないように注意していたのだろうか。
正直開けるのが怖い。
だが母親が道明寺司と付き合っていたことに興味があった。
母と道明寺司という経済界の大物と言われる人物の関係がどういったものだったのか知りたかった。関わっていた頃の母を知りたいと思った。
そしてまず思ったのが何故別れたのか。
それはどんな別れだったのか。
だが別れた後もこうして手紙のやり取りがあったというなら、二人の別れは別れたいから別れたのではないのではないかと思った。
それは明確な別れの理由などなく、道明寺という大財閥の家に生まれた男と、ごく普通の家に生まれた女との恋に障害があったからではないだろうか。
それはいつの時代でもあると言われる身分違いの恋。
いくら世の中が平等だといってもお金があるかないか。家柄がいいか悪いか。そういった問題が無くなることはない。
人は深く相手を愛するようになれば、相手の心が読める、相手の心が叫ぶ声が聞こえるようになると言う。
若い二人は恋におちた。母は愛されていると感じていた。
だが相手の立場を考え、とるに足らない別れを演じて恋人と別れたのではないだろうか。
そう思う私は間違っているのだろうか。
だがあの母ならそうした行動を取ったのではないかという気がする。相手を想いながらも自分の想いを心の中に隠し表に出さない。母の笑顔の奥にはそういった思いがあったはずだ。
私は手紙を取り出し開くと文字を目で追った。
『ごめんなさい。随分と前からお約束をした日でしたが、その日は都合が悪くなりました。
急なことですが、本当にごめんなさい。今度は必ず会いに行きます』
封筒の中に入っていたのは、たったそれだけが書かれた簡単な手紙。
今の世の中でたったそれだけの短い文章を送ることに手紙を書くこと自体が珍しいのだが、母親の世代ともなるとそれが普通だったのか。
いや。電話という手段もある。だが文字にして残すことを選んだのは、思い出が欲しかったからか。もしかすると互いに心の拠り所にするものが欲しかったからなのか。
どんな理由であれ、二人は手紙でのやりとりを選んだということだ。
だが母の遺品を整理したとき、道明寺司という名で送られてきた手紙はひとつとして無かった。母からの手紙があるなら当然相手からの手紙もあったはずだが、それ以前に母はどんな手紙も残していなかった。
それは何故なのか。
心の中に秘めた想いは誰にも知られたくないと、死して自らの亡きがらが無くなる前に燃やしてしまったのだろうか。
人は人生の末路が見え始めれば、それなりに準備というものを始めるが、母の年ではまだ考えるには早いはずだが、それでもいつか亡くなる自分の身を考え、届いた手紙を処分してしまったのだろうか。
だが、母はそれで良かったのだろうか。
恋しい人からの手紙を捨てることに悔いは残らなかったのか。一人何度も読み返すことをしなかったのか。
それとも自分の死後その手紙が残ることで何か問題が起きるのではないかと思い処分したとすれば、母は道明寺司に自分のような人間が関わっていたことを恥じだと思ったということか。それとも残された子供たちが手紙の内容にショックを受けることを考えたからなのか。とにかく母の元にも届いたはずの男からの手紙は一通も残されてはいなかった。
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道明寺司が第一線を退いてからどうしているのか。
マスコミに書かれることはなかった。
だがもしかすると体調が思わしくなく、療養生活といったものに入っているのかもしれない。だとすれば、自らの足でここまで来ることは出来なかったということになる。
私は席を外していた男が戻ってくると訊いていた。
「あの。この手紙だけで母があなたのお父様とお付き合いしていたとは信じられません。それに母の骨が欲しいならどうしてお父様ご本人が来られないんですか?あなたのお父様がどうしてお見えになられないんですか?それともお加減が悪くて無理だということでしょうか?」
その問いかけに道明寺悠は私の目をしっかりと見ながら話し始めた。
「あなたのお母様と私の父が高校生の頃付き合っていた話しですが、今では記憶している人間は殆どいません。何しろ短い時間でしたから。ですが二人は本当に付き合っていたんです。当時父は高校3年生であなたのお母様は2年生。同じ学園に、英徳学園に在学している時に知り合いました。それから二人が付き合ったのは1年にも満たない期間です。それは父にとっては初恋で道明寺の家を捨ててもいいといった激しい恋でした。当然ですが結婚も望んでいました。
そんな父は二人の交際に反対していた祖母から条件を付けられました。その条件をクリアすれば二人の交際を認めると。それは父がNYで事業を学び家業を継ぐだけの人間になり、それ相応の成果を発揮することが出来れば二人の交際を認めようという条件です。ですから高等部を卒業後あなたのお母様を4年後迎えに行くといいNYへ向かいました。しかし約束を守ることは出来ませんでした」
そうだろう。
母を迎えに行くと言って迎えに行くことがなかった男に、こうして息子がいるということは、別の女性と結婚したということになり、約束は守られなかったということだ。
だが道明寺司の妻がどんな女性か知らない。
ただ、道明寺という家名に合う女性なのだということだけは分かる。
そして息子の顔立ちからしても妻となった人が美しい女性であることも窺い知ることが出来る。
「あなたのお母様が亡くなったことを知ったとき、寂しげに酒の入ったグラスを傾けながらそれまで誰にも言えなかった若い頃の恋の話を私にしたんです。
約束が守れなかったことを申し訳なかったと悔やんでいました。本当は葬儀にも参列したかったんです。しかし参列すればお母様との関係を問われることは分かっています。だから参列しませんでした。そんな父は魂だけを見送りました。それから命日には彼女を偲んでいました。墓参りにも行っていますが、当然命日を避けての行動です」
誰かと鉢合わせをすることを避けながら訪れている母の墓。
そう言えば、命日に墓を訪れたとき、毎年決まって上質な白いユリの花が活けられていた。
だから前日、もしくはそれ以前に誰かが訪れていたことは明らかだが一体誰が?といった思いはあった。
「それから何故父が直接この場に来ないのかということですが体調が思わしくないからです。ですからこうして私が父の代わりにお願いに伺った次第です」
そして父と息子の間で問わずとも語られた二人の関係。
私は話しを聞きながら向かいに腰掛けた男が、長年自分の父親が母親以外の女性を思っていたことを知りどう思っているのか、息子という存在は、父親のそういった思いを男として肯定的に受け取るのか。それとも受け入れなかったのか聞きたいと思った。
「あの。あなたは自分の父親が母親以外の女性に心を奪われていることが厭ではなかったのですか?それにあなたのお母様は、このことをご存知なのでしょうか?失礼ですが、あなたのお母様はご存命ですよね?それならこんなことが知られたらどうお思いになりますか?息子のあなたがいいと言っても、お母様がお知りになればいい気はしないはずです」
この男性の母親が生きているかどうか本当は知らないが、夫が亡くなった昔の恋人の骨を欲しがることを異常だと思うはずだ。
そんな私の質問に道明寺悠は不思議な笑みを口元に浮かべた。
「私の母ですか?ええ。母は生きています。母はあなたのお母様の事も知っています。それに今回のことも知っています。それに私がこうすることを気にしてはいません」
「そうですか…..」
あっさりと答えを返されればそうですかとしか言えなかった。
夫婦とは言え、互いのことには口を出さないといった夫婦もいる。
それにプライドといったものもあるのだろう。気位の高い人なら夫の浮気など放っておこうと決めたのか。それに名家では愛人がいる夫に何も言わない妻も多いといった話も訊く。だから気にしてないという態度なのか。
そして息子である道明寺悠は、自分が父親に対してどういった思いを持つのかを口にした。
「私が父親をどう思うかですが、父は道明寺という大きな会社の社長であり、その存在は父親というよりも経営者でした。今はのんびりとしていますがね」
そう言った男の目は、決して父親を非難しているのではなく、憂いというものが感じられどこか印象的だった。
道明寺悠はこの手紙はお預けしておきますと言い立ち上った。
そして父親の願いをどうか訊いて欲しいと言い、スーツの内ポケットから一枚の写真を取り出した。
「あなたのお母様が大学時代NYにいた父の元を訪ねてきた時撮影されたものです」
それは手を繋いだ若い二人の姿。
そしてひと目見て分かったのは、背の高い男性が小柄な女性を大切に思っていること。
ビジネスの最前線にいた道明寺司と言えば、他を圧倒するような勢いといったものがあった。だがこの写真の中の男性はそれがない。目も口許も身体全体から感じられる雰囲気も、全てが優しく感じられ、世間で言われていた笑わない男とは全く別の人間がそこにいた。

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マスコミに書かれることはなかった。
だがもしかすると体調が思わしくなく、療養生活といったものに入っているのかもしれない。だとすれば、自らの足でここまで来ることは出来なかったということになる。
私は席を外していた男が戻ってくると訊いていた。
「あの。この手紙だけで母があなたのお父様とお付き合いしていたとは信じられません。それに母の骨が欲しいならどうしてお父様ご本人が来られないんですか?あなたのお父様がどうしてお見えになられないんですか?それともお加減が悪くて無理だということでしょうか?」
その問いかけに道明寺悠は私の目をしっかりと見ながら話し始めた。
「あなたのお母様と私の父が高校生の頃付き合っていた話しですが、今では記憶している人間は殆どいません。何しろ短い時間でしたから。ですが二人は本当に付き合っていたんです。当時父は高校3年生であなたのお母様は2年生。同じ学園に、英徳学園に在学している時に知り合いました。それから二人が付き合ったのは1年にも満たない期間です。それは父にとっては初恋で道明寺の家を捨ててもいいといった激しい恋でした。当然ですが結婚も望んでいました。
そんな父は二人の交際に反対していた祖母から条件を付けられました。その条件をクリアすれば二人の交際を認めると。それは父がNYで事業を学び家業を継ぐだけの人間になり、それ相応の成果を発揮することが出来れば二人の交際を認めようという条件です。ですから高等部を卒業後あなたのお母様を4年後迎えに行くといいNYへ向かいました。しかし約束を守ることは出来ませんでした」
そうだろう。
母を迎えに行くと言って迎えに行くことがなかった男に、こうして息子がいるということは、別の女性と結婚したということになり、約束は守られなかったということだ。
だが道明寺司の妻がどんな女性か知らない。
ただ、道明寺という家名に合う女性なのだということだけは分かる。
そして息子の顔立ちからしても妻となった人が美しい女性であることも窺い知ることが出来る。
「あなたのお母様が亡くなったことを知ったとき、寂しげに酒の入ったグラスを傾けながらそれまで誰にも言えなかった若い頃の恋の話を私にしたんです。
約束が守れなかったことを申し訳なかったと悔やんでいました。本当は葬儀にも参列したかったんです。しかし参列すればお母様との関係を問われることは分かっています。だから参列しませんでした。そんな父は魂だけを見送りました。それから命日には彼女を偲んでいました。墓参りにも行っていますが、当然命日を避けての行動です」
誰かと鉢合わせをすることを避けながら訪れている母の墓。
そう言えば、命日に墓を訪れたとき、毎年決まって上質な白いユリの花が活けられていた。
だから前日、もしくはそれ以前に誰かが訪れていたことは明らかだが一体誰が?といった思いはあった。
「それから何故父が直接この場に来ないのかということですが体調が思わしくないからです。ですからこうして私が父の代わりにお願いに伺った次第です」
そして父と息子の間で問わずとも語られた二人の関係。
私は話しを聞きながら向かいに腰掛けた男が、長年自分の父親が母親以外の女性を思っていたことを知りどう思っているのか、息子という存在は、父親のそういった思いを男として肯定的に受け取るのか。それとも受け入れなかったのか聞きたいと思った。
「あの。あなたは自分の父親が母親以外の女性に心を奪われていることが厭ではなかったのですか?それにあなたのお母様は、このことをご存知なのでしょうか?失礼ですが、あなたのお母様はご存命ですよね?それならこんなことが知られたらどうお思いになりますか?息子のあなたがいいと言っても、お母様がお知りになればいい気はしないはずです」
この男性の母親が生きているかどうか本当は知らないが、夫が亡くなった昔の恋人の骨を欲しがることを異常だと思うはずだ。
そんな私の質問に道明寺悠は不思議な笑みを口元に浮かべた。
「私の母ですか?ええ。母は生きています。母はあなたのお母様の事も知っています。それに今回のことも知っています。それに私がこうすることを気にしてはいません」
「そうですか…..」
あっさりと答えを返されればそうですかとしか言えなかった。
夫婦とは言え、互いのことには口を出さないといった夫婦もいる。
それにプライドといったものもあるのだろう。気位の高い人なら夫の浮気など放っておこうと決めたのか。それに名家では愛人がいる夫に何も言わない妻も多いといった話も訊く。だから気にしてないという態度なのか。
そして息子である道明寺悠は、自分が父親に対してどういった思いを持つのかを口にした。
「私が父親をどう思うかですが、父は道明寺という大きな会社の社長であり、その存在は父親というよりも経営者でした。今はのんびりとしていますがね」
そう言った男の目は、決して父親を非難しているのではなく、憂いというものが感じられどこか印象的だった。
道明寺悠はこの手紙はお預けしておきますと言い立ち上った。
そして父親の願いをどうか訊いて欲しいと言い、スーツの内ポケットから一枚の写真を取り出した。
「あなたのお母様が大学時代NYにいた父の元を訪ねてきた時撮影されたものです」
それは手を繋いだ若い二人の姿。
そしてひと目見て分かったのは、背の高い男性が小柄な女性を大切に思っていること。
ビジネスの最前線にいた道明寺司と言えば、他を圧倒するような勢いといったものがあった。だがこの写真の中の男性はそれがない。目も口許も身体全体から感じられる雰囲気も、全てが優しく感じられ、世間で言われていた笑わない男とは全く別の人間がそこにいた。

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土曜日の朝。
大学病院は休みでいつもより遅く目覚めた私は、道明寺悠の頼みにどう対応すべきなのか考えていた。
そして桜の樹がある近くの公園のベンチで若い男女が写った写真に目を落していたが、この写真は二人して散歩に出かけたとき撮られたものだろう。
撮影場所はNYのセントラルパークだが二人は何を見ているのか。
視線はカメラを見ているのではない。それならどこを見ているのか。
それは日本人の誰もが好きな花であり国花である桜の花。
二人は手を繋ぎ頭の上に広がる桜のトンネルを見上げているが、この後繋いていた手を振り解いたのは母なのか。それとも道明寺司なのか。
いや。彼はそんなことはしなかったはずだ。きっと振り解いたのは母だ。
何故ならこうして何十年も前の写真を色褪せずに保管しているということは、道明寺司がいかにこの写真を大切にしているのかが分かるから。
そしてこの写真を見るたび、はるか遠い日の二人の姿を思い出しているのだろうか。
あの日、私の躊躇いを感じ取った道明寺悠は、考えて頂けませんかと言い手紙と写真を残し立ち去った。
何故あの時私は断れなかったのか。
だが何故か嫌だという言葉が出なかった。
それは私が母の本当の娘ではないからだ。
西野つくしは1歳から母だった人で私たちは本当の親子ではない。
その事実を知ったのは、高校生の頃。
決して本人の口から告げられたのではなければ、父から告げられたのでもない。
高校1年のとき、海外へホームステイをすることになり、パスポートを取得するため必要だった戸籍謄本から母のつくしが本当の母親でないことを知った。
牧野つくしが私の父と結婚したのは、父が早くに母を亡くした私のことを思ってのことだ。
身体が弱かったという実の母は産後の肥立ちが悪く私を産み暫くして亡くなった。
当時、父が経営する病院に看護師として勤めていた彼女は、幼子と小学生の男の子を抱えた父から一緒になって欲しいと言われ受け入れた。
だがそれは、父を愛していたからではない。母親を亡くした赤ん坊を可哀想に思ったからだ。
そして父も牧野つくしを愛していたからではない。
父は亡くした妻。つまり私の本当の母親のことが忘れられなかった。
だから二人は夫婦というよりも、医者と看護師という関係の方が強かった。
なぜそう思うのか。それは牧野つくしが本当の母親でないと知ったとき気付いた。
いや。本当はもっと前から気付いていたはずだ。二人の関係は夫婦ではないと。
それならどんな関係だったのか。
それは、私という幼い子供を立派に育てるということが目的の関係だ。
だが二人の間に愛情があったのかと言われれば分からなかった。
いや。無かった訳ではない。二人は仲が良かった。だがそれは夫婦としての愛情ではなく、互いに手が届かない場所にいる人に対する想いを共有していたということだ。
父は私の実母のことが忘れられなかった。
そして西野つくし。いや牧野つくしは昔愛した人のことが忘れられなかった。
だから互いの傷を癒し合うために結婚した。そしてまだ幼かった私を育ててくれた。
そんな父と母にとっては、たとえ形だけの結婚だとしても、私にとって両親はかけがえのない存在だった。
私は牧野つくしについて調べた。すると道明寺悠が言ったように、短い間だが母が道明寺司と付き合い、メディアでも噂になったことがあったと書かれていた。
だが二人は結ばれることは無かった。それは、道明寺司がNYへ旅立ったのち、別れたということだが、本当は別れたくなかったはずだ。だが別れなければならない理由があったのだろう。そしてその後、道明寺司は悠という息子を儲けた。
もしかすると母が道明寺司と交わした手紙の中には、二人がそれぞれの伴侶と離婚をしようといった話が出ていたのかもしれない。だがそうはならなかった。
それは私のせいだ。
私がいたからだ。
あの頃の私は甘えん坊で母にべったりの子どもだった。
そんなことから、母は私を見捨てることが出来なかったのだろう。
優しい人で思いやりに溢れた人だった。私はお腹を痛めて産んだ子ではないのに、彼女はまるで実の子のように愛情を注いでくれた。
そして道明寺司は私が彼の恋人を本当の母親だと思っていることから彼女を無理矢理奪い去ることはしなかったのではないだろうか。
あの頃、年の離れた兄はすでに大人で母が後妻であることを知っていた。
だが特段おかしな様子もなく私にも告げなかった。兄は賢い人だから幼い私が傷つくことを気にして言わなかったということだ。
それに母と兄との関係は継母と継子といった関係ではなく、弟のような関係だったように思えた。
そして周囲も、西野つくしが本当の母親でないことを告げることはなかった。それは余りにも私が彼女にべったりとしていたからだろう。
だが思ったことがあった。兄は父に似ているが、私は父にも母にも似ていなかった。
それなら誰に似ているのか。思春期を過ぎたその時分かった。私は私を産み亡くなった本当の母親の写真を目にしたが、彼女に似ていたということを知った。
だが、私にはその人の記憶はない。それにたとえ私を産んでいない母だとしても、私にとって母は西野つくし以外いない。彼女が私の母親で彼女しか知らない。
だから、それからも母は西野つくし以外いなかった。
亡くなるまで私の母親を勤めてくれた牧野つくし。
だが本来なら本当に愛した人の傍にいたかったはずだ。
そう思えば、母の骨を欲しいという人に分けてもいいと思える。
今は同じ墓に眠る亡くなった父も反対はしないはずだ。何しろ父は私を産んだ母親と同じ墓に眠っているのだから満足のはずだ。
それに私は母に、牧野つくしに恩返しをしなければならないはずだ。
実の子でもないにも関わらず、彼女は最後まで私の母でいてくれたのだから。
だからこそ本当に愛した人が骨になった彼女でも欲しいと言っているのなら、その人の元へ牧野つくしを連れて行くことが、道明寺悠が言ったのと同じで、子供としての勤めなのではないだろうか。
花を開いた桜の樹を見上げ、その向うに見える青空を見た時私は決めた。
母を連れその人に会いに行こうと思う。
道明寺司という母が愛した人に。

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大学病院は休みでいつもより遅く目覚めた私は、道明寺悠の頼みにどう対応すべきなのか考えていた。
そして桜の樹がある近くの公園のベンチで若い男女が写った写真に目を落していたが、この写真は二人して散歩に出かけたとき撮られたものだろう。
撮影場所はNYのセントラルパークだが二人は何を見ているのか。
視線はカメラを見ているのではない。それならどこを見ているのか。
それは日本人の誰もが好きな花であり国花である桜の花。
二人は手を繋ぎ頭の上に広がる桜のトンネルを見上げているが、この後繋いていた手を振り解いたのは母なのか。それとも道明寺司なのか。
いや。彼はそんなことはしなかったはずだ。きっと振り解いたのは母だ。
何故ならこうして何十年も前の写真を色褪せずに保管しているということは、道明寺司がいかにこの写真を大切にしているのかが分かるから。
そしてこの写真を見るたび、はるか遠い日の二人の姿を思い出しているのだろうか。
あの日、私の躊躇いを感じ取った道明寺悠は、考えて頂けませんかと言い手紙と写真を残し立ち去った。
何故あの時私は断れなかったのか。
だが何故か嫌だという言葉が出なかった。
それは私が母の本当の娘ではないからだ。
西野つくしは1歳から母だった人で私たちは本当の親子ではない。
その事実を知ったのは、高校生の頃。
決して本人の口から告げられたのではなければ、父から告げられたのでもない。
高校1年のとき、海外へホームステイをすることになり、パスポートを取得するため必要だった戸籍謄本から母のつくしが本当の母親でないことを知った。
牧野つくしが私の父と結婚したのは、父が早くに母を亡くした私のことを思ってのことだ。
身体が弱かったという実の母は産後の肥立ちが悪く私を産み暫くして亡くなった。
当時、父が経営する病院に看護師として勤めていた彼女は、幼子と小学生の男の子を抱えた父から一緒になって欲しいと言われ受け入れた。
だがそれは、父を愛していたからではない。母親を亡くした赤ん坊を可哀想に思ったからだ。
そして父も牧野つくしを愛していたからではない。
父は亡くした妻。つまり私の本当の母親のことが忘れられなかった。
だから二人は夫婦というよりも、医者と看護師という関係の方が強かった。
なぜそう思うのか。それは牧野つくしが本当の母親でないと知ったとき気付いた。
いや。本当はもっと前から気付いていたはずだ。二人の関係は夫婦ではないと。
それならどんな関係だったのか。
それは、私という幼い子供を立派に育てるということが目的の関係だ。
だが二人の間に愛情があったのかと言われれば分からなかった。
いや。無かった訳ではない。二人は仲が良かった。だがそれは夫婦としての愛情ではなく、互いに手が届かない場所にいる人に対する想いを共有していたということだ。
父は私の実母のことが忘れられなかった。
そして西野つくし。いや牧野つくしは昔愛した人のことが忘れられなかった。
だから互いの傷を癒し合うために結婚した。そしてまだ幼かった私を育ててくれた。
そんな父と母にとっては、たとえ形だけの結婚だとしても、私にとって両親はかけがえのない存在だった。
私は牧野つくしについて調べた。すると道明寺悠が言ったように、短い間だが母が道明寺司と付き合い、メディアでも噂になったことがあったと書かれていた。
だが二人は結ばれることは無かった。それは、道明寺司がNYへ旅立ったのち、別れたということだが、本当は別れたくなかったはずだ。だが別れなければならない理由があったのだろう。そしてその後、道明寺司は悠という息子を儲けた。
もしかすると母が道明寺司と交わした手紙の中には、二人がそれぞれの伴侶と離婚をしようといった話が出ていたのかもしれない。だがそうはならなかった。
それは私のせいだ。
私がいたからだ。
あの頃の私は甘えん坊で母にべったりの子どもだった。
そんなことから、母は私を見捨てることが出来なかったのだろう。
優しい人で思いやりに溢れた人だった。私はお腹を痛めて産んだ子ではないのに、彼女はまるで実の子のように愛情を注いでくれた。
そして道明寺司は私が彼の恋人を本当の母親だと思っていることから彼女を無理矢理奪い去ることはしなかったのではないだろうか。
あの頃、年の離れた兄はすでに大人で母が後妻であることを知っていた。
だが特段おかしな様子もなく私にも告げなかった。兄は賢い人だから幼い私が傷つくことを気にして言わなかったということだ。
それに母と兄との関係は継母と継子といった関係ではなく、弟のような関係だったように思えた。
そして周囲も、西野つくしが本当の母親でないことを告げることはなかった。それは余りにも私が彼女にべったりとしていたからだろう。
だが思ったことがあった。兄は父に似ているが、私は父にも母にも似ていなかった。
それなら誰に似ているのか。思春期を過ぎたその時分かった。私は私を産み亡くなった本当の母親の写真を目にしたが、彼女に似ていたということを知った。
だが、私にはその人の記憶はない。それにたとえ私を産んでいない母だとしても、私にとって母は西野つくし以外いない。彼女が私の母親で彼女しか知らない。
だから、それからも母は西野つくし以外いなかった。
亡くなるまで私の母親を勤めてくれた牧野つくし。
だが本来なら本当に愛した人の傍にいたかったはずだ。
そう思えば、母の骨を欲しいという人に分けてもいいと思える。
今は同じ墓に眠る亡くなった父も反対はしないはずだ。何しろ父は私を産んだ母親と同じ墓に眠っているのだから満足のはずだ。
それに私は母に、牧野つくしに恩返しをしなければならないはずだ。
実の子でもないにも関わらず、彼女は最後まで私の母でいてくれたのだから。
だからこそ本当に愛した人が骨になった彼女でも欲しいと言っているのなら、その人の元へ牧野つくしを連れて行くことが、道明寺悠が言ったのと同じで、子供としての勤めなのではないだろうか。
花を開いた桜の樹を見上げ、その向うに見える青空を見た時私は決めた。
母を連れその人に会いに行こうと思う。
道明寺司という母が愛した人に。

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