FC2ブログ
2019
04.07

金持ちの御曹司~春爛漫~

『特定の人間にだけ受け入れられる人間は誰かと訊かれたとき、支社長は誰の名前を挙げますか?』

雑誌に載ればそこからフェロモンが流れ出て来ると言われ、イケメンにもほどがあると言われる男に向けられたその質問に彼は答えた。

『そんなの決まってんだろ?牧野つくしだ。つまり特定の人間という言葉が指すのは俺のことを指すのであって、その人間に受け入れられる人間はひとりしかいない。それは牧野つくしという女だ。それに俺の身体は他の女にアレルギーを起こす。だから牧野以外の女とセックス_』

それは新年度を迎えた社内報のためのインタビューという形で西田が取り纏めようとしていた記事の一文だが、質問の意図することとは全く別のことを答える男の言葉は秘書によって速やかに削除され差支えのない記事へと変えられた。



世間では沼にはまるという言葉がある。
それはその人なりその物にはまり抜け出せなくなることらしいが、司の場合とっくに牧野という沼にはまっていた。
その沼にはまったのは17歳の時。
17歳の少年にとってのその沼は底なしの沼で、その沼にはまり早ン年。
だが思っていた。それは自分では沼にはまったと思っていたが、実は沼ではなく一生登頂出来ない山の途中にいるのではないかということだ。

その山の名前は牧野山。
標高は不明。頂は雲に覆われ下から見ることは出来ない。
だがその山は春になれば桜が咲き鳥たちのさえずりが聞こえ、夏は緑に覆われ心地いい風が吹く。秋になれば木は実を結び葉は赤く色付き、そして冬になれば雪に包まれ静寂を迎える。

そんな山にアタックを繰り返す男。
だが何度アタックしても山頂に辿り着くことは出来ずにいた。

そして二人が付き合うようになった迎えた何度目かの春。
街には真新しいスーツを着た新入社員と思われる若者が大勢いるが、司が支社長を務める道明寺ホールディングス日本支社にも大勢の新入社員が入社した。

思い起こせば司がアメリカの大学を卒業して数年を過ごし日本に帰国した時から牧野つくしと同じ会社で働けることを楽しみにしていた。
そして同じ会社で過ごす中で楽しいこともあれば悲しいこともあった。まさに悲喜こもごもと言ってもいい会社生活。だがそれでも楽しい会社生活。そしてどんなに苦しいことがあったとしても、牧野つくしがいれば乗り越えることが出来た。

だが牧野が司の会社ではなく別の会社を就職先として選んでいたらと思うことがあった。それは例えば花沢物産だったり、美作商事だったり、青池商会だったり、大河原財閥だったとしてもおかしくはない。そしてもし牧野が花沢物産に就職したとすれば、類の秘書になることは目に見えていた。
それに類のことだ。友達面して牧野の心を自分に振り向かせようとするはずだ。そうだ類は牧野の心を掴むのが上手い。事実高校生の頃、最初に彼女の心を掴んだのは類であり司ではない。そして彼女を取り合った。
そんな過去の想い出が脳裡を過るとモヤモヤとしたものが心に宿った。

そのとき、執務室のデスクの上に置かれた新聞記事が目に留まった。
それは『女性があこがれる制服の職業』
1位はキャビンアテンダント。
2位は巫女。
3位は看護師。
4位は警察官。
そして5位が医者となっていた。

司は思った。
『彼女が制服に着替えたら』。そんな映画があれば自分は牧野にどの制服を着させるか。
だが牧野つくしは、どの制服を着ても似合うはずだと思った。
例えばキャビンアテンダント。
航空会社の制服を着た牧野がキャリーケースを引き颯爽と空港内を歩く。その姿は凛とした中にも可愛さがあり男どもの目を惹く。
その可愛さから機内で男どもから名刺を渡され食事に誘われる………….。

「却下だ!」

そして2位の巫女。
だが巫女は神聖な職業であり、もし牧野が巫女になったとすれば、
『道明寺。私は神様に仕える巫女なの。だから私の身体は神様のものなの。ゴメンね、あんたとは一生清いままの関係でしかいれないの』と言って司とのセックスを拒むはずだ。

それなら看護師はどうだ?と考えたとき、看護師は夜勤がある。それに医者と看護師は不適切な関係に陥りやすい。だからやはり却下した。
そして4位の警察官。牧野つくしは曲がったことは大嫌いな性格で相手が誰であろうと怯むことなく正々堂々立ち向かう女だ。それに司のように学園の権力を握っていた男に宣戦布告をしたような女だ。そんな女の態度は司の心を掴み離さなかった。つまり『君の瞳をタイホする』とばかりに司は牧野つくしに逮捕されたと言ってもいい。
だが警察官という職業は危険が伴う仕事で、あの女の性格からして自らその危険に飛び込んで行くはずだ。だから却下した。

そして5位の医者。
つまり女医。
最後に残ったのは医療という場で患者のために人生を捧げることを選んだ女。
牧野つくしの白衣姿はクールで知的に見えるはずだ。












「それで道明寺さん。お腹の調子が悪いということですね?どのような症状がみられるのでしょうか?」

「どうもこのところ内側から突き上げるように激しく痛む」

「突き上げるようにですか?」

「ああ」

「そうですか。それは心配ですね?何か心あたりはありますか?」

「いや。特にないんだが」

「そうですか…..」

道明寺ホールディングスの産業医のひとりである牧野つくし。
今日の彼女は財団法人道明寺病院で司を診察していたが、はだけた司の胸に聴診器を当てる姿は真剣だった。そして司はそんな女の髪の毛から立ち昇るシャンプーの香りを嗅いでいた。

牧野つくしの存在は司にとってオアシスだ。
牧野つくしに会うことが仕事の励みになる。
だから本当は身体の調子は悪くないのだが、牧野つくしを間近に感じたいがために病院に通っていた。

「ところで道明寺さん今朝はお食事を召し上がられましたか?」

胸に聴診器を当てた女の声は司の裸の胸に響いた。
そして吐く息は胸をくすぐった。するとこのまま女の頭を抱え自分の胸に押し付けたい気持ちが湧き上がった。だがそれをグッと堪え答えた。

「いや。食ってない」

「そうですか。では昨夜はいかがですか?」

「いや。昨日の夜も食ってない」

「ではご提案したいのですが昨夜も今朝もお食事をされてないということですので、今日はこれから大腸の検査をさせていただきたいと思うのですがいかがですか?」

「大腸の検査?」

「ええ。大腸の検査です。お時間をいただくようになりますが何かご不便はありますか?もしなければ私は内視鏡検査をお勧めしたいと思っています。それから私の専門分野は消化器内科です。ニューヨークの大学病院で胃腸医学の世界的権威の先生から大腸内視鏡検査を直接ご指導いただきました。ですからご安心下さい」

司は良い悪いも返事をしなかった。
だが牧野つくしは、「それでは道明寺さんさっそく準備をしましょうか。服を脱いで検査着に着替えて下さい。それから下剤を入れていただきます。ええ。もちろんお尻からです。ご自分で入れることが出来ますか?もし出来ないとおっしゃるならお手伝いさせていただきますが?」

と言われ、はだけていたワイシャツを脱がされると、「さあ。どうぞ全部脱いで検査着に着替えて下さいね。それから下剤を入れてお腹の中に残っているものを出して下さい」と言われた。

司は女医の牧野つくしが好きだ。
だが彼女の専門が消化器内科でしかも内視鏡検査のエキスパートだとは知らなかった。
そしてこれから彼女に尻を向けそこから内視鏡を入れられることを想像した時、これが夢であることを切実に希望していた。
だから誰か早く起こしてくれ。目を覚まさしてくれ。西田はどうした。どこにいる?何故こんな危機的状況なのに誰も止めない?まさかこれは夢じゃなくて本物か?もしかして自分は異次元の世界にいて、女医の牧野つくしにケツから内視鏡を入れられることになるのか。

「おい。待ってくれ牧野。俺は本当はどこも悪くない。お前に会いたくて病院に来ているだけだ。だから内視鏡を入れる必要はない」

司は焦った。
何故なら牧野つくしは背中を向け検査の準備を始めていたからだ。そして振り向いたその手にはワイヤーロープのようなものが握られ、その先端には小さなカメラが付いていて司を見ていた。

「さあ。道明寺さん。早くズボンを脱いで下さい」

この状況でなければ牧野つくしからズボンを脱いでと言われることがどんなに嬉しいか。
だが今のこの状況下でズボンが脱げるはずがない。
しかしいつの間にか司のズボンは脱がされ検査着一枚の姿でベッドの上に横になっていた。
そして麻酔が効いているのか。身体の自由が効かなかった。

「止めろ。牧野。俺は元気だ!本当はピンピンしている。だから検査は必要ない!」

「道明寺さん。心配しなくても大丈夫ですよ。私は内視鏡検査は得意ですから。それとも私にお尻を見られるのが恥ずかしいですか?ご安心下さい。たとえあなたのお尻に恥ずかしい何かがあったとしても誰にもいいませんからね?」

そう言った消化器内科が専門の牧野つくしは、内視鏡を持ち司の方へ近づいて来たが、あれが自分のケツに入れられる。司はそう思うと恐ろしくなった。

「止めろ…..牧野。止めてくれ。お前は女医じゃなくて俺の会社に勤める会社員の女だ!これは夢だ!牧野っ!止めろ牧野!止めるんだ!止めてくれぇぇぇぇぇぇぇ!!」












「支社長。何を止めるんですか?」

「西田!おせぇぞ!なんでもっと早く起こさねぇんだよ!」

「そうはおっしゃいますが、先ほどから何度も声をお掛けしております。しかし支社長はぐっすりとお休みでしてなかなかお目覚めにはなりませんでした」

西田が言う通りでなかなか目が覚めなかった。
だがまあいい。女医の牧野つくしにケツから内視鏡を入れられるところだったが、間一髪でそれを逃れた。
それにしても今日は疲れを感じていた。
だが新年度早々これでは駄目だ。リフレッシュが必要だ。
そんな時だった。一足先に帰った牧野から携帯にメールが届いた。
司はそのメールを確認すると西田に言った。

「西田。悪い。今日は帰るわ」


牧野つくしから届いたメールに書かれていたのは、
『仕事帰りだけどちょっと付き合ってよ』
だから彼女が待つ場所へ出向いた。そこは会社から歩いてすぐの場所。
夜7時。東京駅近くの八重洲さくら通りで見上げた空は満開のソメイヨシノが夜空を淡いピンクに変えていた。

「春爛漫って感じできれいよね~。ねえ道明寺。永遠は無いって言われてるけど、でもあるような気もする。だってこの桜を見て。花は一度咲いたら終わるけど来年またこの場所で同じように花を咲かせてくれるはずよ?だからこの木は永遠に桜でしょ?でも永遠に桜でいることも疲れるかもしれないけど、命ある限り桜は桜。それに桜を見てると春が来たって実感できると思わない?」

薄手のトレンチコートを着た女は、そう言って上を見たが、隣に立つ男は永遠も大切だが、愛しい人と同じ景色をこうして見ることの方が大切だと思った。
それは今を生きることが大切だと知っているからだ。
そして牧野つくしにとって春が来た実感が桜なら、司にとって春が来たと感じるのは、満開の桜を見て満面の笑顔を浮かべる女を見ること。だから二人でいつまでもこうして桜を眺めていたい。
だが勿論未来も大切だ。そして、どこもかしこも桜が満開の街で最愛の人の傍にいるだけで永遠の愛を感じていた。

司は満面の笑みで隣に立つ愛しい人を抱き寄せた。

「そうだな。春はやっぱり桜だな。来年もどこでもいいからお前と一緒に桜を見れたら俺は幸せだ」

その声が桜に届いたように一陣の風が吹き、花びらが二人の上に降り注いでいた。




にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
Comment:11
2019
03.11

金持ちの御曹司~両手に幸せを~<後編>

眉間の皺が二枚目の顔を壊すと言われたことがあるが、今の司は眉間に皺が寄ろうと、こめかみに青筋が浮かぼうと関係なかった。
愛しい人が泣いていた。
その言葉に海外事業本部で何かあったのではないか。
それが気になった司は、どうにかして最愛の人の傍に行きたかった。
だから考えた。どうすれば彼女の傍へ行くことが出来るか。
そしてひらめいたのは変装すること。
だが何に変装すればいい?
癖のある髪をストレートにし、西田から銀縁メガネを借りて口ひげでも付けるか?
アラブの民族衣装を着てアラビア半島出身のビジネスマンになるか?
それとも最近東京拘置所を出たカリスマ経営者のように青い帽子を目深に被り反射材付きの作業着を着てマスクに眼鏡ならどうだ?
いや。ダメだ。ダメだ。そんなことでは簡単にバレる。
何しろ司は誰かと間違えることがないほど唯一無二の存在であり、どんなに変装したところで、その類まれな存在とオーラを消すことは無理だと言われているからだ。
それならどうすれば怪しまれることなく彼女の元に近づける?
そして考え付いたのが着ぐるみを着ること。そして社内にあったのはピンクのウサギ。
願わくばトラやオオカミの着ぐるみを希望したいところだが、この際そんなことは言ってはいられなかった。

「ねえ。ウサギさん。もしかして、あなた去年広報に入った高橋君じゃない?ね?そうでしょ?それにしても高橋君も一番若いからってまさか着ぐるみを着せられて社内を歩くことになるとは思いもしなかったわよね?」

広報の高橋。
誰だ?そいつは?
牧野はその男と親しいのか?
もしかしてこの着ぐるみはその男が着ていたのか?

まあいい。
それよりもどうして牧野が泣いていたのかを確かめる必要がある。
牧野。何があった?どうしてトイレで泣いていた?
牧野。お前のその黒い瞳から涙が零れ落ちることほど辛いことはない。
牧野。だからブラックな上司に何かされたなら俺がそいつを極寒の地に飛ばしてやるから安心しろ。


「それにしても、あとは宜しくって言われてもねぇ....。じゃあ私の傍で仕事を見ていてくれる?でもあなたがその格好で椅子に座ってるのも不思議だけど、あなたのその姿でしてもらえる仕事はないから、見ていてもらうしかないのが現状なの」

と言って司の愛しい人は誰もいない会議室に入り、「これはね。インドネシアのガス開発に関する資料なの。うちの会社は今でこそ石油やガス事業にも積極的だけど、昔はそうじゃなかったの。それから石油と言えば中東ばかりに目が行くけどインドネシアの海底油田採掘事業は欧米だけじゃなくて中国の企業も力を入れてるの。だから日本も負けるわけにはいかないのよ」

牧野はそう言って手を動かしながらウサギに話をしていたが、司はつくしが仕事をする様子を初めて見た。
いや。厳密に言えば、こんなにも間近で彼女が仕事をしている様子を見るのは初めてだった。
そして話す内容は、相手が広報の高橋と思っていることから、その男にも理解できるように話をしていた。

「広報と海外事業本部じゃ仕事の内容が全然違うと思うけど、高橋君がこうして私の仕事を知るのも勉強になるかもしれないわね」

と言いながら下を向いた女は資料を整えていた。
牧野つくしが真面目な社員であることは間違いない。それは誰もが認めることだが、良い仕事をするということは、表面には見えないところでも努力しているということ。仕事というのは見えないところでの下準備が大切なことが多いが、牧野はそういったことをコツコツと仕上げていくことが出来る。実際目の前で資料を整えている姿は、例え傍にウサギの着ぐるみがいても気にしてはいなかった。

そして司は、そんな様子のつくしを見ながら考える。
何故自分がウサギの着ぐるみを着てまで彼女の傍に行きたいと考えたかを。
それは牧野がトイレで泣いていたという女子社員の話を訊いたからだ。だから何故彼女が泣いていたのかを調べなければならなかった。

だかその時だった。下を向いていた牧野が、「はぁ〜」と辛そうに息を吐いた。
そして鼻をすすり顔を上向けると、やはり辛そうに目を閉じたが、その時、目尻からすぅーっと一筋の涙が流れたのが見て取れた。

牧野が泣いている。
それも仕事をしながら涙を流すとは、よほど何があったということになる。
司は慌てた。いや。司ではない着ぐるみのウサギは慌てた。
そして立ち上がり正面に座る彼女の傍に行こうとした。だがそこで顔をウサギに向けた女は、ひと言言った。

「ゴメンね。私今年から花粉症になったみたいの。おかげで鼻水が出るし涙も出るの。辛いわね、花粉症って」







花粉症を乗り切る方法としてベストなのは、花粉を身体に付けないこと。
服装はツルリとしていて花粉が落ちやすい素材を身に付ける。
ナイロン仕様の帽子を被り、メガネをかけ、マスクをすること。
その姿はまさに、先日東京拘置所を出たカリスマ経営者と言われた男の服装。それが花粉を寄せ付けないベストな服装。つまりあの時の男の服装は変装ではなく、花粉症だから、この季節に適した服装だったのだと納得した。

そして司は、そこでウサギの頭を脱ぎ捨てた。

「ど、道明寺?!あんた何やってんのよ?!」

司を見る牧野つくしの顔に浮かぶのは驚きと同時に呆れた表情。

「何やってるって、お前が泣いてるって訊いたから心配した」

「心配したって....だからって何であんたがウサギの着ぐるみを着てここにいるのよ?」

「何でって用もないのにお前の所に来るなって言うから変装した。これなら俺だって分かんねぇだろ?」

「そ、それは確かに分からないけど、だからって何でウサギの着ぐるみなのよ?」

「何でウサギか?それは西田が用意してくれたのがこのウサギだから仕方がねぇだろうが」

秘書の西田は司がつくしの事を考え始めると仕事が手につかなくなることを知っている。
そこで、つくしの傍に行きたいと言う男の為に用意したのがウサギの着ぐるみ。
これなら中に誰が入っているのか分からないと言った西田の言葉に納得した司はウサギを着たが、秘書はどこか楽しんでいるところがあった。
それはウサギの着ぐるみを着た男を見たかったということだが、それでも司は、つくしの傍に行けるならどんな格好だろうが構わなかった。
そしてつくしが泣いていた理由が花粉症になったからということに安心して近づこうとしたが、そこで止められた。

「待って道明寺。そのウサギ広報の高橋君が入ってると思ってたから言わなかったけど、ちゃんと手入れされてたの?毛むくじゃらの着ぐるみって埃っぽいし花粉が沢山付いてるような気がするの。だからなんだか鼻がムズムズするのよ。だからそれ以上近づかないで」

司はつくしの傍に行きたかったからウサギの着ぐるみを着た。
それなのに、近づかないでと言われショックを受けた。
だがここまで来て好きな女の傍に寄れないことほど歯がゆいことはない。だから近づくなと言われたが、それならこれはどうだと着ぐるみを脱ごうとした。
だが着ぐるみは一人では脱げなかった。背中にあるファスナーに手が届かず脱ぐことは出来なかった。

「牧野。背中のファスナーを下げてくれ」

「嫌よ。会議室でウサギを脱いでどうするつもりなのよ?それにその着ぐるみの中はちゃんと着てるの?」

着ぐるみの中の腕や足は素肌が直に着ぐるみに触れてはいるが、Tシャツと短パンを着ていた。
だから、その姿でつくしを抱きしめたかった。

「ねえ道明寺。私が泣いていたのは花粉症で道明寺が心配するようなことはないから。それにここでウサギを脱ぐ必要はないでしょ?だから頭を被って執務室に戻ってよ!」

「けど俺はお前が泣いてるって訊いたから心配してお前に会いに来たんだ!彼女が泣いてたら心配するのが彼氏だろうが!」

だから司はウサギの着ぐるみを着たまま、つくしを抱きしめた。

「牧野。俺はお前が心配なんだ。この俺をここまで心配症にさせるのはお前だけだ」

そこは会社の会議室。
ウサギの司は、つくしを抱き上げ会議室のテーブルの上に押し倒し熱いキスをした。
そして次第に激しい欲望が沸き上がり、つくしのブラウスを引き裂いていた。
今の司は、ここが会議室で自分がこの会社の支社長であることは頭の片隅にもなく、ただつくしが欲しい。それだけの思いでスカートをたくし上げ下着をむしり取った。

「牧野....好きだ。俺はお前のことが好きだ。好きで好きで気が狂いそうになることがある」

と言った男はつくしの身体の上にのしかかった。
だかその瞬間会議室の扉が開き、誰が大声で叫んだ。

「きゃーっ!大変よ!牧野さんがウサギに襲われてるわ!誰か警察を呼んで!」

すると警察が踏み込んできて、司は両腕を掴まれつくしから引き離された。

「おい何をする!離せ!俺はこの女の恋人だ!それにこの会社の支社長だぞ!そんな俺が恋人とイチャついて何が悪い!おいこら手を離せ!離さねぇとブッ殺すぞ!」











そこで司は目が覚めた。
するとそこにいたのは、秘書の西田と牧野つくし。

「支社長。大丈夫ですか?」

「道明寺。大丈夫?」

見える景色は執務室の天井。
そして司はソファの上で横になっていた。

「ああ。なんかすげぇおかしな夢を見た」

「そうですか。それにしても毎年この季節になると、お疲れがたまると言いますか。激務になりますので睡眠時間も充分ではないと思いますが、それでもきちんと体調管理はして頂きませんと」

「西田さんごめんなさい。私が悪いんです。日曜日ゆっくり休めばって言ったんですが、どうしても出掛けるって」


年度末の3月は忙しい。だが司は、つくしが友人の結婚式の二次会に行くと言うので、自分もパートナーとして行くと言った。
それは光に対して風があるように、神に対して悪魔がいるように、牧野つくしの傍にはいつも道明寺司がいるということを世界に向かって叫びたかったから。
それに結婚式の二次会というものは、相手のいない男女の婚活の場だと訊いていたから、つくしをひとりで行かせることは出来ないと思った。だから司はパートナーとして同行した。
そして幸せな友人の様子を見ることで二人の未来もこうだということを言いたかった。
だから二次会が終わった後、花嫁が持っていた両手いっぱいの花束と同じだけの花を彼女に捧げ心を込めてこう言った。

「俺ほどの男は世界中のどこを探してもいないはずだ。俺ほどお前を愛している男はな」





司は時々突拍子もない夢を見ることがある。
それは牧野つくしについて。
つまりそれは心の中にある彼女の存在がいかに大きいかということを示していた。

人は心に支えがあれば生きていける。だがその支えがなければ悲しいくらい簡単に自分が自分ではいられなくなってしまう。司は一度それを経験したが、それは彼女のことを忘れた時のこと。
そして牧野つくしを知る前の司は、中身が空っぽと言っていいほど人に対しての興味がない人間だった。だが今は違う。彼女を知り愛し合うようになり人を知った。
そして司は二度と昔の自分に戻りたいとは思わなかった。
そんな思いで両手を彼女に向かって伸ばした。
両手で掴むことが出来る幸せは、その手のぬくもりと温かい笑顔。
理屈抜きで言ってもらえる好きという言葉。
牧野つくしが、牧野つくしらしくいることが司の幸せ。

「どうしたの?道明寺?私はここにいるから大丈夫よ」

そして今の司は両手に有り余るほどの幸せを手にしていた。




にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
Comment:10
2019
03.10

金持ちの御曹司~両手に幸せを~<前編>

「ねえ。さっきトイレで見たんだけどね?」

「え?なに?なに?何を見たの?」

「それがさぁ……さっきトイレに入ったら牧野さんが泣いてたのよ!だからびっくりしちゃって….」

「え?牧野さんがトイレで泣いてた?何それ一体どういうこと?何かあったの?」

「知らないわよぉ。でも明らかに泣いた後で眼も鼻も赤かったの。でも彼女はそれを必死に隠そうとしてたけど、あれは絶対に泣いた後だったわ!うん。断言できるわ!」

「でもさぁあの牧野さんがトイレで泣くなんてよっぽどの何かがあったってことよね?…..もしかして部長に何か言われたとか?」

「まさか!あの牧田部長が牧野さんを泣かすようなことを言うと思う?部長って髪の毛は薄いけど女子社員を泣かすような物の言い方はしない人よ?」

「そうよね…....髪の毛薄いけど牧田又蔵部長は女の子には優しいものね。だとしたら誰よ?誰が牧野さんを泣かせたのよ?」

「うん….それが思いつかないのよね。だって海外事業本部ってさ、チームワーク重視よ?だからもし誰かがミスしても酷く叱るってことはないのよ。それよりもどうしてミスをしたかの根本を解決し問題をクリアにしていく。そんな体質の部署だからあの中の誰かに何かを言われたから泣いていたとは考えにくいのよ」

「ふ~ん。海外事業本部ってそうなんだ」

「そうよ。だってあの事業部は支社長の眼が光ってるって噂があるの。だからパワハラとかセクハラとか絶対に許されない部署よ?だからこそ牧野さんがトイレで泣いていたってことは何かあったんじゃないかって思うのが当たり前でしょ?」

「そうよね…..会社のトイレで女子社員が泣く理由は仕事以外ないわよね…..」









司は決して暇を持て余しているのではない。
だが何故か足は牧野つくしが仕事をするフロアへ向いていた。そして何気なくエレベーターを降り、何の気なしに廊下を歩いていたが、曲がり角に差し掛かった時、飲料の自動販売機が設置された休憩室から聴こえた「牧野」と言う名前に足が止まった。そして中で談笑する女達の話題が人気アイドルグループの活動中止前のコンサートがどうのこうのと別のものに変わるまでそこにいた。


道明寺ホールディングス株式会社日本支社。支社長道明寺司。
人生に恋は必要ない。恋ほど男がバカになるものはない。女は醜い生き物と言っていた男がひとりの女性と恋におちたのは高校生の頃。
そしてそれ以来ずっとその女性のことを愛していて、彼女が悲しむ顔など見たくなかった。
だから牧野がトイレで泣いていたという話に胸が張り裂けそうになり、我が事以上に哀しみが溢れた。


「….牧野が泣いていた」

最愛の人が会社のトイレで泣く。
司に対してはS体質ではないかという女だが心の奥には少女がいる。
だからそんな女が会社で泣くということは、紛れもなく社内で何かがあったということ。
だがその何かは、女性社員たちの会話でも分からなかった。だから司は真相を確かめるべく、その足で海外事業本部へ向かおうとした。

「牧野…何があったんだ?」

だがそこでいつも彼女から言われていることを思い出した。

『道明寺。会社で二人の関係は絶対に秘密だからね?だから用もないのに私の部署に来ないでくれる?』

司は道明寺財閥の後継者で、道明寺ホールディングスの次期社長で、イケメンで金持ちで独身で背が185センチある。
そんな男は今すぐ彼女の傍に行きたい。這いつくばってでも行きたい。五体投地しても行きたいのに、その人から言われた用もないのに私の部署に来ないでくれる?が呪文の様に彼の足を廊下に引き留めた。

「牧野。俺は一体どうすればいいんだ?」

司は悩んだ。
彼女との約束は出来る限り守りたい。
それに男として一度決めた約束をそう簡単に破る訳にはいかなかった。
だが最愛の人がトイレで泣いていたということに心のざわめきが止められなかった。
つまり、こんな状況で仕事なんぞ手につくはずがない。

















「部長。何ですかその….ウサギは?」

「いや。私もよく分からんのだが、さっきいきなり広報室からこのウサギをそちらの事業部に預けますのでよろしくと言われたんだが、どうしたらいいものか困ってるんだよ」

「どうしたらって部長、ウサギの着ぐるみですよ?どうしてうちの事業部にウサギの着ぐるみが預けられるんですか?」

海外事業部長に呼ばれたつくしが応接室で見たピンク色のウサギの着ぐるみは、大きな耳がピンと伸びた状態で部長の隣でじっとしていた。

「いやそれが広報部長もはっきり言わんのだよ。とにかくこのウサギの着ぐるみをそちらに預けますからよろしくとしか言わないんだ。だが確かこのウサギは何年か前の社員の健康増進キャンペーンの時のマスコットとして使われていたような気がするんだよ。うちは社員の健康管理には気を使っている。健康寿命を延ばそう。適度な運動。適切な食生活。禁煙。生活習慣病の予防をすることが社員の健康に繋がると私も会社のサポートのおかげでなんとか禁煙に成功したんだが……。まあとにかくこのウサギを眠らせておくのは勿体ない。海外事業部に預けるからそちらで何か使い道を考えてくれってことだ」

「は、はぁ……」

「そこでだ牧野くん。このウサギの世話は君にお願いしたい」

「はぁ?」

「いや、だから君がこのウサギの面倒を見てくれないか?」

「面倒を見るって…..部長。ウサギと言っても本物じゃないんですよ?ニンジンを与えるとか遊んでやれとかじゃなくてこのウサギ……いえ、こちらのウサギの中には誰か人が入っている訳ですから、その人の面倒を見ろということですか?」

つくしは海外事業部長の隣でじっとしているウサギを見たが、ウサギは何の反応も示すことなく、ただじっと彼女の方を見ていた。

「そうだな。そういうことになる。だからよろしく頼むよ。私はこれから会議に出なきゃならないのでね」

「え?ちょっと牧田部長?待って下さい!頼んだよってウサギの着ぐるみ相手にどうすればいいんですか!それにこの中の人は誰なんですか?広報室から来たってことは広報の人なんですか?ちょっと部長!!」

と言ったが部長はおおらかに「じゃあ頼んだよ牧野くん!あとはよろしく!」と笑って応接室からとっとと逃げて行った。

「もう…..信じられない。何なのよ一体。それに着ぐるみの世話だなんて何をすればいいのよ….」

つくしは目の前のウサギの眼を見たが、プラスチックで出来た眼は当たり前のように反応がない。

「ねえ。それよりあなた誰?広報室の人なの?」

と、つくしはウサギに訊いたが眼と同じで反応はなかった。
だがここは応接室で誰もいないのだからウサギが普通に口を利いても良さそうなものだが、中に入っている人間は何も答えなかった。

「あのね。ウサギさん。あなたは誰なのよ?別にここはイベント会場じゃないんだから喋ってもいいのよ?それにしてもどうして海外事業本部にピンクのウサギが居るのか不思議でしょうがないわよ。ねえ?あなたもそう思うでしょ?それにしても広報も預けますからそちらで使い道を考えてくれって全く意味不明よ」

つくしはひとしきりブツブツと文句を言ったが、やがて諦めたように、
「いつまでもここに居てもしょうがないわね。じゃあウサギさん。私について来てくれる?」
と言うとウサギを従えて部屋を出た。



にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
Comment:8
2019
01.20

金持ちの御曹司~続・できるだけ純情でいたい~

「ねえ。支社長って最近太ったような気がするんだけど私の気のせい?」

「え?!美香もそう思ったの?」

「うん。昨日のテレビ朝礼見て思ったんだけど、なんだか顔がふっくらしてるように感じられたの」

「同じよ、同じ!私もそう感じたの。もしかして支社長体重が増えたんじゃない?」

「えー。嘘、やだ.....支社長がうちの部長みたいになったら嫌よ?そうなったら私ショックで寝込んじゃうわ」

「私だって嫌よ。支社長はあの背の高さにスラっとした身体で、でも脱いだらお腹がシックスパックに割れた筋肉質なイメージなのに!」

「そうよ。見たことないけど脱いだら凄いんだって噂だもん。それなのにお腹がブヨブヨした支社長なんて見たくないわよ。支社長はライザップの成功例CMに出れるくらい素敵な身体だと思ってるのに!」








道明寺ホールディングス株式会社日本支社の全てに於いて責任を持つ。つまりコミットすることが課せられた男は廊下の曲がり角で女性社員の話に耳をそばだてていた。
そして太ったんじゃないかと言われてショックを受けていた。

だが顔がふっくらして見えたのは歯の痛みのせいで片方の頬が腫れていたからで、決して体重が極端に増えているのではない。実際体脂肪率は6から8パーセントを維持していて決して10パーセントを超えることはない。
だが気を付けなければならないことがある。
それは鍋だ。冬と言えば鍋であり、鍋と言えばヘルシーだと言われ食べても太ることはないと言われているが実際はそうではない。

先日風邪気味の司のため恋人が用意してくれた鍋があったが、司は白ネギが好きでネギ多めと言ってネギを多めに入れた。だがだからと言ってネギばかりを食べていたのではない。
鶏肉や肉団子といったものが入っていて、恋人が用意してくれた鍋に入っていた鶏肉はヘルシーな胸肉ではなく脂肪分の多いもも肉だった。そして鍋と言えばシメの雑炊となるが実はそれが曲者だ。

それは鍋に残っただし汁には、たっぷりと脂が溶けだしているということ。
そこにご飯を入れ雑炊を作る。つまり脂をたっぷりと含んだ炭水化物というのは太る元であり、普段炭水化物をあまり食べない司にとって雑炊という食べ物は美味いのだが太る元凶だった。
そして冬は寒いから鍋がいいと言って週に一度の割合で鍋が出る。
それはモツ鍋だったり、しゃぶしゃぶだったりすることもあるが、どちらの肉も脂肪が多く、それらの残っただし汁の中に投入されたご飯で作られた雑炊を食べた結果が出ていないとは言えなかった。
だが司は恋人が作ってくれる料理を断ることは出来なかった。

そうだ。
顔がふっくらして見えるのは歯の痛みのせいだと言ったが、実は若干身体が重い。
だが最近は忙しく運動する暇がない。だがこのまま放置すると非常にマズイことになる。
司は執務室に戻り腰を下ろし考えた。

司は自分が太っていたらと想像したこともなければ、太るなど考えたこともない。
それは家族の中に太った人間はいないことから遺伝的にも自分は太らない体質だと思っていたからだ。だが、家族ではないがひとり思い当たる人物がいた。
それは、司の従兄の成宮清永。
あれは高校生の頃。司の偽者として現れた国沢亜門がなりすました成宮清永。
その時会った従兄は丸々とした顔をして太っていた。つまり司の中にある隠された遺伝子の中には、太る要素があってもおかしくはないということだ。
だから油断すると自分も太るのではないか。そんな思いが頭を過った。

「….マズイな。これは」









「あたし太った人は嫌いじゃないの。だって幼稚園の頃好きだった子はみんなポッチャリしてたから」

「は?」

「だからね。幼稚園の頃好きだったタダシ君もミノル君もマモル君もみんな太ってたの。だからあたしあんたが太ってても全然気にしないから。むしろ太っている方が頼もしい感じがしていいから。だから今日は腕によりをかけて作ったの。だから食べて。ね?ほら」

司は晴れて長年の恋人と結婚していて、妻が腕によりをかけて作ったという料理を見ていた。
それはオムライス。若鶏の唐揚げ。ピザにラーメンにチョコレートケーキ。それらは炭水化物であり脂肪であり、どう見ても高カロリーの食べ物。だが愛しい人が作った料理であり、食べてと言われれば食べない訳にはいかなかった。だから司はテーブルにつくと食べ始めた。


「どう?美味しい?」

「あ?ああ….美味い」

不味くはなかった。実際それらは美味かった。それは妻の愛情が込められているということも関係しているが、食べないことで彼女が悲しい顔をするのが見たくなかったから食べた。

「そう。良かった!あたし沢山食べる男の人が好きなの。だからどんどん食べて!おかわりならいくらでも作るから」

沢山食べる男が好き。
司はその言葉に食べ続けた。いや。食べ続けなければならなかった。
嬉しそうに微笑みを浮かべる顏が見たいから食べた。
だからとりあえず出されていたものは完食した。そして腹が一杯になると眠気に襲われた。


「お腹が一杯になったの?」

「あ….ああ。流石に腹が一杯になると眠くなるな」

「そう。それなら少し休んだら?」

「ああ。そうさせてもらうが、流石に今日は量が多いだろ?明日からはもう少し減らしてくれ」

「そうかしら?だってあなたが美味しそうに食べるから、つい多く作っちゃうの」

と、言われた司はソファに横になるとうつらうつらとし始めた。
そしてそのまま寝入った。









「…….それで、どうしたらいいの?」

司は暫くすると妻のヒソヒソと話す声に目が覚めた。
そして目が覚めたが起き上ることはせずじっとしていた。
それは後ろ姿の妻が真夜中に携帯電話で話している相手が誰なのか気になったからだ。

「ええ。分かったわ。今日も沢山食べさせたわ。不健康な食事そのものよ。それにどの料理にもマーガリンをたっぷり入れたわ。ええ。毎日続けているわ。昨日はカツカレーにベーコンをたっぷりいれたカルボナーラも食べさせたわ。____大丈夫。彼は全然疑ってないわ。____そうよ。あたしのことを愛してるから完食よ。ねえ、でもいくらカロリーが高くて脂肪が多いものを食べさせ続ければ身体に悪影響が出るからといっても本当にこれであの人が死ぬの?」

司は妻の口からあの人が死ぬの?の言葉に耳を疑った。
話の内容からして「あの人」が司のことであることは明らかだったからだ。
だが飛び起きることはなく、ソファに横になったまま話す様子を見ていた。

「ええ。もちろんそうよ。時間がかかっても自然な死を装うことが一番ですもの。それにあたしが愛しているのはあなたよ。類」





「うわ!冗談じゃねぇぞ!何で俺が牧野に命を狙われなきゃなんねぇんだよ!それになんであいつが愛してるのが類なんだよ!」

司は目が覚めた瞬間叫んでいた。

「ゴホン。支社長。命を狙われるとは随分と物騒な言葉ですね。それから痛め止めのお薬を飲むのもよろしいですが、予約も取れたことですし今日こそは歯科医院に行っていただきます。よろしいですね?」

西田はノックをしても返事がないことを気に留めなかった。
そしていつものように司の傍に立つと今度はいったい何が起こったと気にすることもなく、机の上に書類を置いた。そして歯科医院の診察券も置いた。







***







「道明寺。歯医者さんに行ったのね?」

「ああ。行った」

十数年振りに行った歯医者は、司の歯の美しさを褒めた。
そして褒めながら歯を削った。


「ねえ道明寺。今日ね、カルボナーラを作ったの。それから若鶏の唐揚げも」

「カルボナーラ?」

「そう。カルボナーラよ」

「若鶏の唐揚げもか?」

「そうよ?どうしたの?美味しいわよ?」

司はどこかで訊いたことがある料理に背中がゾッとした。
だがそこから先、恋人の口から訊かされた言葉に胸を撫で下ろした。

「それからグリーンサラダとフルーツもね。脂っこいものばかり食べてたら身体に悪いでしょ?野菜も沢山食べてビタミンも取ってバランスのいい食事にしなきゃね?」









司の恋人は愛情を込めて料理を作ってくれる。
そして彼女の手料理の美味さを知った男は、彼女の料理以外食べたいとは思わなかった。
それに他の女が作る料理など何が入っているか分かったものじゃない。

そんな司の恋は手軽な恋じゃない。
司が大切にしたいのはズブ濡れになって別れを決めたことがある女性。
だがあの時一度別れて知ったことがある。
それは司が愛することが出来るのは彼女だけ。
あの日。雨が打ちつける彼女の背中に背負われていたものを感じ取ることが出来なかった。
自分を捨てた女を憎んだが諦めきれずにいた。
それは激しく苦しく、切なく健気だった青春時代。
あの日以来何があっても、例え世界を巻き込んでも一生一緒にいると決めた。
そして巡る季節を共に過ごし、こうしてふたりは一緒に食事をすることが出来るが、彼女の作った料理を毎日口にしたい。彼女が作った弁当を毎日頬張りたいという思いでいっぱいだ。

一生10代。
そして一生恋愛関係。
でも早く結婚したい。
そして早く妻になって欲しい。

「牧野。俺のこと愛してるか?」

「え?何?」

「だから俺のこと愛してるかって訊いてる」

彼女はそう訊く司に微笑みを浮かべることが多い。
そして愛してるという言葉よりも、いつもこう言っていた。

「好きよ。道明寺」と。

そして純愛を掲げる男は、「俺も。愛してる。牧野」と、いつも切実な愛を伝えていた。





にほんブログ村
Comment:6
2019
01.15

金持ちの御曹司~できるだけ純情でいたい~ 

「ゴホン」

咳にも色気を感じさせる男は最後の書類にサインをして再び咳をした。

「支社長どうかされましたか?お風邪でも召されましたでしょうか?」

「…いや。大丈夫だ。けどなんか喉の調子がおかしい」

「そうですか。インフルエンザが流行っておりますのでお気をつけ下さい。それに支社長のお身体は支社長だけのものではございませんからご自愛いただきませんと。本日の仕事はこれで終わりましたので早くお帰り下さい。それから栄養のあるものを召し上がりになってゆっくりなさって下さい」

と西田は言って書類を受け取ると執務室を出て行ったが、司の身体は一体誰のものなのか。帰り支度をしながら考えたが当たり前のことを考えるほど馬鹿な話はない。
それは言わずもがなで、司の身体は恋人のもので頭のてっぺんから足の爪の先まで全ては牧野つくしのものであり他の誰のものでもなかった。
そしてそう思う男は、牧野つくしのことだけは何人たりとも文句を言わせないという凄みを醸し出していた。


艶やかな魅力がある男と言われる司は半端ない破壊力を持つと言われているが、今よりももっと若い頃は凶器だ。劇薬だと言われたことがあった。
それはまさに触る物すべてを傷つけていたと言ってもよかった。
そしてそんな男が一体何を破壊してきたのかと問われれば、それは余りにも多すぎて割愛させてもらうことにする。

だがそんな男も不惑の年になれば男は落ち着くというが司の心はいつまでも17歳。
何しろ17歳という年は、彼にとっては忘れられない年だったのだから。いやその前に司は不惑の年齢ではないのだから落ち着くことなどありはしなかった。


17歳で初めて唇をつけて以来何度も重ねてきた唇。
だが初めてキスをした時のことを忘れることは出来なかった。
あれは熱海の海に浮かべたクルーザーの中での出来事。偶然重ねた唇は柔らかく甘かった。
人は嬉しいことがあると宝くじに当たったみたいだと言うが、司にとってあの日のキスは10億以上の価値を持つキスだった。それに司にとって10億などはした金だ。

そしてあの日から牧野つくしとどうやったら再び唇を重ねることが出来るかを考えた。
司は身体が大きいし力も強い。だからその気になれば簡単に相手を傷つけることが出来る。けれど、牧野つくしを傷つけたことはなかった。
たとえどんなに嫌がられても、どんなに避けられても彼女を傷つけることはしなかった。
つまり凶暴だと言われていた男も牧野つくしの前ではある意味純情だった。

だがモテたい。
牧野つくしだけにモテたい。
その思いから暴走したこともあった司の想い。
欲望を感じ夕暮れ時学園の廊下で押し倒してキスはしたがそれ以上のことはしなかった。いやしなかったのではなく、彼女の泣き顔に手を出すことが出来なかった。
だがその逆に男には容赦がなかった。牧野つくしを傷つけようとする男には怒りをあらわにした。彼女のためにわざと殴られたこともあった。たとえ火の中水の中とばかり命をかけて彼女を守ったこともあった。

そして今のふたりは恋人同士となり数年が経ち、司が平成最後の年に見た初夢は、はじめてデートをした日の夢だった。
つまりエレベーターの中に閉じ込められて一夜を明かした夢。
だが夜が明けるまでの間にふたりの距離はグッと縮まったと司は今でも思っている。
そしてどこか甘酸っぱさが残るあの一夜を思い出すたび頬が緩んでいた。

だがあの時風邪をひいて熱を出した司は、甘酸っぱさとは別の匂いを感じていた。
それは今でも脳裡に刻まれているネギの匂い。あの時、信じられないことに首にネギを巻かれるという経験をしたが、それは初体験。
そしてその時はじめてそれが庶民の間に伝わる風邪の症状を緩和する方法だと知った。

それにしても何故ネギが風邪にいいのか。
だが牧野つくしがいいというから大人しく巻かれたが、あの時のネギは埼玉の深谷(ふかや)ネギだったのか。それとも群馬の下仁田(しもにた)ネギだったのか。





「ねえ知ってる?深谷ネギは少し贅沢なネギなの。でも下仁田ネギはもっと贅沢なのよ?だって江戸時代にお殿様に献上されてたんだから」

いつもより早く帰宅することが許された男を待っていたのは愛しい女。
そしてその女にネギの話をされても、ネギなど気に留めたことがなかったのだから鍋に入れるネギがどこのネギであろうと構わなかったが、いつだったか内閣総理大臣だった父親を持つ女性国会議員が、地元の特産品である下仁田ネギを支援者に贈り、それが政治資金規正法違反で問題になり、ネギにしては高価なことが話題になったことがあった。
だがなぜ司が深谷ネギや下仁田ネギを知っているのか。それはやはり牧野つくしの影響が大きかった。

そしてあの時、司の首に巻かれたのは下仁田ネギではないことは確かだ。
何しろ牧野家は貧しく、贅沢と言われる下仁田ネギが買えるとは思わなかったからだ。
それに下仁田ネギは短い。だが深谷ネギは長ネギだ。それならやはりあの時のネギは深谷ネギのはずだ。
だがなぜ司がここまで白ネギについて考えるのかと言えば、ふたりはこれから司の部屋で鍋を食べようとしていたからだ。

それは秘書が気を訊かせ司の恋人に告げた、風邪気味ですので身体が暖まる食事をとの言葉に用意されたメニューだったが、高校生の頃色々あってニューヨークに旅立つ前に食べた鍋があった。あの時また鍋をしようと約束したが、あれが最後の晩餐になる。そんな思いもあった鍋は暖かかった。
やがて大人になり何度も食べた鍋料理。
冬と言えば鍋で、ふたりで色々な鍋を試したが、ネギは欠かせない存在だった。

それにしてもまさか司がネギについて考察するとは誰も思わないはずだ。
だがネギはふたりにとって思い出深い食べ物であり、あの事は一生忘れることはない。
そして風邪をひいたかと思えば、病院に行くより風邪薬を飲むより、ネギを首に巻いてもらいたいと思う男はどうかしているかもしれないが、ネギがふたりの運命を変えたのは、お大袈裟かもしれないが、それほどあのネギの存在は大きかった。

そしてまだ何も知らなかったあの頃の純情が懐かしいと思う。
だが恋はネギがあろうがなかろうが常に前を向き進んでいる。
そして今恋人がネギを手に鍋の用意をする姿を見れば、あの時のことが思い出された。


たかがネギ。
されどネギ。
胃腸に優しく栄養豊富であるネギ。
疲労回復に役立つネギ。
だから恋人のために作る鍋料理に使われるネギは多かった。

「ねえ道明寺?ネギ多めよね?」

「ああ。そうしてくれ」

恋人にネギの量を訊く女とそれに答える男。
世の中の人間は、まさか道明寺司が白ネギ好きだとは誰も思わないはずだ。
そして彼女の作る料理ならどんなものでも口にすることが出来る男は、大人になりネギの甘みというものを知ったが、それは牧野つくしのようだと思った。
それはネギの白さが恋人の肌の白さと似ていたからだが、着実に十代から二十代へ。
そして三十代へと年を重ねていくふたりは、人生の辛さも甘さも感じていた。


そして懐かしく思うふたりが経験した初めてのデート。
古びたビルのエレベーターに閉じ込められるというアクシデント。
そこで起こった首にネギを巻かれたことは、彼女と繰り返し思い出す笑い話だ。






「道明寺。火、点けてくれる?」

切った野菜を盛った皿を手に恋人がテーブルに戻ってくると、司は言われた通り卓上コンロの火を点けた。

「あ、お玉!」

と言って腰を浮かせキッチンに戻ろうとしている恋人に「いい。お前は座ってろ。俺が取ってくる」と言った男は今では立派な鍋奉行だ。
だが決してこれを喰え。それはまだ煮えてないからこっちを喰えとは言わない。
ただ食べごろの野菜を器に取り彼女に手渡すだけ。そして美味そうに食べる女を見るのが彼の幸せ。立ち上る湯気の向こうから、美味しいよ道明寺、と笑顔を浮かべる女の顔を見ることが司の気持を満足させた。
そしてたまに俺にも食わせてくれと甘えてみれば、クスッと笑いながらも箸を彼の口元へ近づけてくれる女に愛おしさが募っていた。








愛情たっぷりの鍋は身体を芯から暖め、気持ちを和らげ心に温もりを感じさせてくれる。
それは同じ釜の飯を食べるのと同じで同じ鍋をつつけば暖かい気持ちになれた。
そして早く同じ釜の飯を毎朝食べる日が来ることを願っている男は、寒いあの日にもたらされたネギの匂いと、風邪をひいて熱があったとしても手をださなかった純情さを懐かしく感じていた。


司にとって特別な人。
その人の前でなら解放感に身をゆだねることが出来る。
そして男の意地とけじめを持つ男は、彼女に忠実で嘘をつかない男の純情は、人生で一緒に手を取り合ってくれる女と鍋がつつけることに幸せを感じていた。





にほんブログ村
Comment:10
back-to-top