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2017
10.20

もうひとつの橋 29

 
「それにしても、先輩って本当に持ち物が少ないですよね?」

桜子が隣の部屋から声をかけてきた。
それはつくしの部屋の入口に立ち、中を覗き込むような姿勢だ。

「そう?」

つくしは、桜子の声がした方を振り返った。
引っ越しすることになり、それならば、と桜子が金沢旅行を兼ね、荷物の片づけを手伝いますと言ってつくしの元を訪れていた。

「そうですよ。だってこの街に住んで何年になります?絵本作家の方のためにこの街へ移り住んで、それから雄一さんと暮らして・・」

「そうね、5年になるかな・・」

桜子の言う通り、仕事で担当した女性絵本作家の最期を看取るため、この街へ住まいを移し、それから雄一と知り合い、互いの境遇を理解した上で、友人として結婚し2年間一緒に暮らした。それは縁もゆかりもなかった土地で暮らした長いようで短かった生活だ。

「5年ですか?それでこれだけしか荷物がないなんて・・。確かに先輩は昔から物を大切に使っていらっしゃいましたから分かりますけど・・食器にしてももう少しあってもよさそうなものですけど、本当に最低限ですね?」

最低限と言われ、確かにその通りだと思ったが、無駄がなくていいと思うのは、考え方の違いだろう。そして桜子から見れば、つくしの荷物の少なさは驚異的な事と映るようだ。
今着ている洋服にしてもそうだが、最新流行ファッションに身を包んだ友人とは雲泥の差だ。何しろつくしが今着ている服は、8年前にセールで買ったお気に入りの若草色をした春物ニットのアンサンブルなのだから。だが、流行に左右されないデザインであり、きちんと管理されていることから、とても8年前の洋服だとは思えなかった。

「だって使う物っていつも同じでしょ?それにシンプルで使い勝手がいいものがあればそれでいいのよ」

「それは先輩の理論ですから。私みたいにバーを経営してると、グラスひとつにしても拘りますからね?勿論お客様にお出しするお皿なんて窯元に頼んで焼いてもらってるくらいなんですよ?今回も金沢に来たついでに九谷焼の窯元でお皿をお願いしてきました。それにしても先輩も金沢に住んでいたんですから、九谷焼のお皿でも使えばいいのに、どうしてこんな真っ白なお皿ばかりなんでしょうね?」

桜子はそういって手にしている白い皿に目を落した。
まさにそれは、カレーにもパスタにも何でも使えますといった皿であり、割れてもすぐに替えが利くような皿だ。下手をすると100均で売っている物ではないかとさえ思う。
だが白いお皿が悪いという訳ではない。ただ、桜子的感覚からいけば、真っ白なお皿は淋しく感じていた。

「だって実用的なんだもの。それに白いお皿はどんな料理にでも合わせられるからいいのよ」

実に現実的な答えだが、それでは料理は舌だけではなく、目でも楽しむものといった考えを真っ向から否定されてしまいそうになる。そして、全身整形をするほど美意識が高い桜子にすれば、それが納得出来ずにいた。

「・・先輩。別に白が悪いって言うんじゃありません。ただお皿っていうのは、料理を引き立てる役割があるんですよ?大した料理じゃなくても素敵なお皿に盛りつけるだけで華やかで美味しそうな料理に見えるんですからね?先輩が得意なサバの味噌煮だって九谷焼に盛りつければ鯛に見えるはずですから!」

だが桜子が口にした九谷焼と言えば、金沢の伝統的な色絵の磁器だが、青や黄や緑といった濃色を使われており、豪華な色使いと派手な絵柄が特徴であり、ごく一般的な家庭料理には向かないような気がしていた。それでも、頂きものとして幾つかの器が箱から出されることなく眠っていた。そして、何故そのままになっているかには、もうひとつ理由があった。
それは勿体なくて普段に使うことが躊躇われていたのだ。

「それに東京に戻ったら道明寺さんと暮らすわけですから、ここにある真っ白なお皿はもう必要ないと思いますが、それでも持って行くんですか?」

「・・うん。だってこのマンションは雄一さんの奥様の物だし、いずれにしてもあたしと雄一さんが使ってた食器なんて要らないはずだから・・」

それなら捨てればいいものを、と言いかけた桜子は、その言葉を呑み込んだ。
桜子から見れば、あまりの物の少なさに、これでは一時ブームとなった断捨離はこの人には必要ないと実感し、もし今自分が手にしている皿を捨てれば、番町皿屋敷ではないが、お皿の数が足りない、と恨まれるような気がして思わず首を横に振った。

「確かにそれはそうですよね・・。いくら先輩とは単なる同居人だったとしても、別の女性と一緒に使ってた食器なんて要らないですよね?それに奥様、弁護士さんでしたよね?
いずれ東京に戻ってお仕事に復帰されるんですよね?そうなるとこのマンションは処分されるってことですよね?」

桜子は興味津々といった感じで聞いていた。

「・・うん。まだ暫くは住んでいいって言ってくれたけど・・あたしがいつまでもここに居ても仕方がないし・・それに・・」

「そうですよね。何しろ道明寺さんがお迎えに来て下さったんですから」

「・・うん・・」

少し恥ずかしそうに頷くつくしに、桜子はこれで長年の苦労が報われたと感じていた。

「でもね、先輩。私が道明寺さんからお預かりした名刺が先輩の元に届いてから、いつ道明寺さんが行動に移されるのかと思っていましたけど、意外と遅かったんですよね?本当に最初はあの道明寺さんがって思いましたけど、あの方も大人になったということで、考えることもあったんでしょうね?でもそこから先の先輩の決断も早かったです。やっぱり雄一さんの存在が大きかったのは分かりますけど昔の先輩ならお迎えに来られても、こんなに早く東京に戻ることを決断出来るとは思えませんから」


雄一の存在が大きかった。
桜子のこの言葉は間違っていない。
しつこいくらいつくしの背中を押した雄一は、彼女の性格を分かっていた。
それこそ、血を別けた自分の妹のように最期までつくしのことを気遣っていた。
本当にいい人だった。雄一の後押しがなければ、足を踏み出すことを躊躇っていたはずだ。
そしてそんなつくしの考えが伝わったのか、桜子は言った。

「先輩。私は暫くドイツで暮らしていましたから、周りはキリスト教徒の友人が多かったんです。そんなこともあって聖書に親しむことが多かったんですが、旧約聖書の中にこんな言葉があります。『何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある』
つまり生まれるのも、死ぬのも、泣くのも、微笑むのもすべてが時に従うようになっている。そんな意味です。だから先輩が雄一さんに出会ったのも、別れを迎えたのも、決められていたことなんです。それから道明寺さんと再びこうして歩んで行こうと決めたのも「時」によって決められていたことなんです。だから、先輩はこれから先、迷う必要はないと言うことですからね!これは決められた「時」なんですから今更時を戻さないで下さいね!」

ここまで自分のことを知られているというのか、心配しているというのか、桜子の態度は鬼気迫るものがある。だが長い間つくしの心配をして、NYまで足を運び、彼女のために心を砕いてくれたのは桜子だ。

「でも今の先輩の気持ちは、勢いがついて止まらないって感じに見えるので心配はしていません。・・例えるなら・・そうですね・・運動会の玉転がしみたいなものですね?」

「・・玉転がし?」

「そうです。赤白に別れて大きな玉を転がして行く競技です。でも転がしている途中で手を離しちゃってゴロゴロと転がって行っていつのまにか自分が追いつけないほどスピードが出ちゃって慌てて追いかけて行くアレです」

と言いつつ、桜子はつくしの反応を見ていた。
だが逆につくしは、桜子の口から出た思わぬ言葉に素朴な疑問をぶつけてみた。

「ねえ、桜子・・あんた玉転がしなんてやったことがあるの?」

「いいえ。ありません。でも運動会の映像で見たんです。可愛いですね、小学生は。小さな自分の身体より大きな玉を転がしているうちに加速がついて、そのまま転がっていった場面をです。あの玉は先輩の気持ちと同じじゃないですか?もう止められないと言う言葉を使うのは間違っているかもしれませんが、少なくとも、先輩はご自分の気持ちをきちんと道明寺さんに伝えることが出来たんですから良かったです。それにその玉の転がって行く先も見えているんですから何も迷う必要なんてありませんからね」

気持の行先は見えているという桜子は、他人の気持ちの動きに敏感だ。特に怪しい人間に対し向けられる彼女のアンテナの感度は高く、外れたことがない。
そして桜子の言葉はいつもはっきりしていて、駄目なものは駄目というタイプ。その代わり、自分が好きな人間のためには、性別は関係無しに身体を張る。本当におかしな話だが、つくしが嬉しそうに笑えば、彼女も笑う。それはつくしが嬉しいと自分も嬉しくなるからだ。

「でも道明寺さんは昔から世の中の男性と違って先輩が言いにくそうにしてることでも、なんとか分ろうと努力する人ですから男性としては貴重な方なんですよ?何しろ世の中の殆どの男性は女性が思っていることを分かろうとする努力さえしないんですから」

妙に説得力があるのは、桜子の経験が言わせるのだろう。
恋多き女の恋の話は、今まで沢山聞かされていた。だが桜子が決して結婚を避けて恋をしているのではない。ただ、彼女の場合は恋の駆け引きが好き、といった傾向にあり、恋愛ハンター体質と言ってもいいはずだ。

「でも先輩。本当に良かったですね。道明寺さんが来てくれて。それに雄一さんに出会えて・・」

少ししんみりとした桜子の口調に、雄一を思う桜子の気持ちを感じた。
桜子は、間もなくこの地を離れるつくしと雄一の墓参りをした。そして過去に一度だけ会ったことがある雄一の静かに漂う雰囲気を感じ、手を合せていた。そして雄一さんは本当にいい人でした。先輩も彼のような友人がいて良かったですね、と言った。

「・・先輩、もうすぐこの街ともお別れですけど、またいつでも訪ねてくることは出来ますから」

つくしも桜子も考えたことは同じだった。
たとえ亡くなった友人であっても、友人であることに変わりなく、遠い街にいても心のどこかで思うことが彼の供養になるということを。

「うん。そうだよね・・」

「そうですよ!じゃあ、このお皿も箱に詰めますね。早く終わらせてこの街で一番美味しい料理を食べに行きましょうよ!私、金沢で食べる魚料理を楽しみにしてたんです。やっぱり日本海の魚は違いますから!それに東京でこちらの蔵元のお酒を頂いたんですが、虜になったんです。だからうちの店にも置いたんですよ?バーなのに日本酒があるなんて可笑しいでしょ?でも本当に美味しいんです。だからいっそのこと、そのお酒も直接蔵元から買い付けようかと思ってるくらいなんです」

桜子が酔い潰れるのを見た事がないが、それは仕事柄といったこともあるのだろう。
けれど、本音は誰かの胸で酔い潰れてみたいと思っているはずだ。
彼女は、自分のことよりつくしの事ばかり心配しているが、それもそろそろ開放されるはずだ。

桜子という女性は、見た目だけでは分からないが、浪花節的な人生観を持ち、藩主に尽くす家来のような忠誠心を持っている。それが何故かつくしに対し向けられるのだが、そんな彼女にどうしてそこまで、と問えば、友情ですから、とあっさりとかわすはずだ。
そしてその態度は、一見冷たいように見えるが、火のように熱い心を持っている女性が三条桜子だ。そんな彼女は、つくしにとっても大切な友人だ。これからもずっと。
そして、今まで支えて来てくれた桜子には感謝の言葉しかない。


「じゃあ香林坊(金沢の繁華街)に手頃な割烹があるんだけど・・そこでもいい?今夜はあたしが奢るからね!」

「本当ですか?先輩が連れて行ってくれるお店なら美味しいに決まってますよね?そこでいいですから行きましょうよ!そのためにも早く荷造しますね!」








つくしは、明後日この部屋を出て東京へ引っ越す。
この街に来た時も身軽だったが、去る時も身軽だ。
少ない荷物だったが、それでも、どれを捨て、どれを残すか考えながらの作業だった。
縁があって移り住んだこの街には、沢山の思い出がある。
そう思った途端、寂しくなったが、あの時、手を掴んでもらえなかった人に再会し、友人から兄のような存在へと変わった雄一に助けられ、足を踏み出す決意をした。

東京で待つ司と一緒に踏み出す新たな未来のために。





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コメント
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dot 2017.10.20 06:10 | 編集
司×**OVE様
おはようございます^^
ついに東京へお引っ越し。
桜子手伝いに行きましたが、つくしの荷物の少なさに今更ながら驚いています。
さて、二人。どんな生活を始めるのでしょう。
17年間、長かったですからねぇ・・・。
きっと司は嬉しくて仕方がないでしょう(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.21 20:17 | 編集
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