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2017
10.09

もうひとつの橋 21

全ての動きが止った静かな部屋の外は、今も雨が降り続いているはずだ。
だが、部屋の中に雨の気配はない。
そこにあるのは、ただ静かな沈黙だけだった。



まさか、二人っきりで部屋に残されるとは思わなかった男女の気まずさなのか。
それとも緊張なのか。ほんの数メートルしか離れていない二人の間には、何とも言えない空気が漂っていた。そして、その空気は独特の匂いといったものを持ち、エアコンの効いた室内に、忘れかけていた遠い日の記憶を呼び覚まそうとしていた。




手足の動きが慎重になり、手にしていた菜箸をそっと大きな皿の上に置くのはエプロン姿の女。
食事に招待した本人である雄一は、二人でしっかり話をしろと言って部屋を出て行った。
だがつくしにしてみれば、今のこの状況は、雄一の頭の中には初めからあったとしか思えなかった。そうでなければ、なぜ突然別れた女性と会ってくるからと言って部屋を飛び出して行くことが出来るのか。
そして、これだからAB型の男性はよく分からない。と思う。
花沢類もAB型だと聞いていたが、やはり二人がどこか似ているのは、血液型が同じといったところが関係していると思わざるを得ない。

それにしても、一度は会っているとはいえ、17年振り。それも円満とは言えない別れを経験した男女が、二人っきりで食事をすることは、気まずいことこの上ない。
だからといって、既に準備が整っている食事をしない訳にはいかない。それに、まさかつくしが自分の家から出て行く訳にもいかず、ましてや、わざわざ東京から来てもらった司に、招いた張本人である雄一がいないので帰って欲しなど言えるはずがない。

だがこの状態につくしは戸惑っていた。
しかし何か言わなければと先に口を開いたのはつくしだ。

「ど、どうして土曜なのにスーツなの?」

「・・ああ・・これか?昼までは仕事をしていた。だからこの恰好だ」

「そ、そう・・忙しのね・・」

「いつものことだ。土曜だろうが日曜だろうが仕事は幾らでもあるから曜日は関係ねぇな」

「そ、そうよね・・」

言葉が思いつかず、とりあえずといった感じの話では、先が続くはずもなく、そこで話は終わっていた。



ダイニングテーブルには四脚の椅子があり、席は雄一と司が向かい合うように設えられていた。だが雄一がいなくなった今、つくしは、本来なら雄一が座るはずだった席に腰かけた。

テーブルに用意されているのは、簡易コンロの上にセットされた湯気が立ち昇り始めた鍋。
そして、司が何を好むのか分からなかったが、雄一は司の為に日本酒を用意していた。
雄一は、酒は得意ではなく、食事の時に晩酌をする習慣もない。それでも鍋の時は、日本酒を好んで嗜んでいた。
アルコールは肝臓には悪いけど肺には関係ないから別に構わないだろ、と言って。




「今夜はお鍋なの・・・。何にしようかと思ったんだけど、雄一さんが鍋にしようって・・。鍋なら身体も温まるし、庶民的だけど・・あんたもきっと気に入るからって・・」

何故鍋になったのか。
雄一の言葉は嘘ではない。以前雄一との会話の中で、別れた彼と一緒に食べた思い出の食べ物が何かあったのかといった話になったとき、一番思い出深かったのが、鍋だったと話した事を雄一は覚えていたのだ。
だから、司を招き、食事をしようと言ったとき、鍋がいいという話になった。
つまり、鍋をしようと言い出したのは雄一だ。

そして石川県民なら誰もが知るという鍋を道明寺さんにも食べてもらおうと言い、用意したのがこの鍋だ。
「とり野菜みそ鍋」といった名前が付いており、鶏が入っているのかと想像させるが、「とり野菜みそ」といった味噌を水で溶いたものに、野菜、肉、魚を入れるなんでもOKといった鍋で、沢山栄養を取ることが出来るといったことからその名前が付いた鍋だ。
それはまさに庶民が味わう鍋であり、彼の口に合うかと問われれば、どう答えればいいのか分からなかった。

それでも、以前彼は、二人で囲んだ鍋を美味いと言って食べたことがあった。
あの時は、もしかするともう会えないかもしれないといった別れの鍋だった。
けれど、今の二人はあの時のことを繰り返そうとしているのではない。決して過去を辿ろうとしている訳ではない。

だが二人は、そんな思い出のある鍋が煮立つのを見るともなしに眺めていた。
そして、彼も口には出さないが、鍋を見れば、あの日のことを思い出していることは明らかだ。




「・・上、脱いでもいいか?それからネクタイも取っていいか?」

「え?」

「だから上着だ。鍋食べると身体があったまるだろ。それにネクタイが邪魔だ」

「あ、うん・・じゃあ・・・こっちに頂戴。皺になるといけないから」

と、言ってつくしは、司が脱いだ上着とネクタイを受け取って、すぐ隣の部屋から持って来たハンガーにかけた。
手が触れた上着の手触りは、上質であることが感じられ、普通の会社員の月給より高いものであることは分かるが、触れてはいけないものに触れたような気がしていた。そしてふわりと香る懐かしい匂いがあった。

道明寺司という男の為だけに調合された香りは、世界にひとつしかない香り。
シグネチャーとも言える彼だけの香り。
少年ではない男が纏うその香りは、当時と同じだと言うのに、何故か別人の香りのように感じられた。それは、雄一が吸わない煙草という存在を、スーツの上着から感じたからだ。

だがなんとも言えない緊張を強いるのは、やはりあの頃とは違う大人になった男が目の前に座っているからだ。
10代の頃、つくしが初めて出会った男は、触れれば切れるナイフのような男だと言われていた。
だが、あの当時周りの人間たちに向けられていた苛立ちを隠さなかった表情は、今はどこにもない。冷たく切れるような鋭い視線も今は見つからなかった。

少年ではない35歳の男は、雄一より二つ下だが、年齢差を感じさせることがなく、むしろ、司の方が大人に見えた。そしてこの家に、雄一以外の男性が入って来たことが無いからなのか、部屋の中がいつもと違った空気に満たされていた。

静寂の中に高揚した空気といったものが感じられるからだ。
それは、つくしの心が平常心から遠くかけ離れた状態でいるということだ。そして雄一がいなくなった今、いったいどんな話をすればいいのか。そんなことを思いながら、ぐつぐつと音を立て始めた鍋に、菜箸を入れ、煮え具合を確かめた。



「もう食ってもいいのか?」

「・・え?」

「鍋だよ。もういいんだろ?食っても」

「え?・・うん・・大丈夫・・」

自ら呑水(とんすい)を持った男は箸を掴むと鍋の中に入れた。

「・・・鍋か・・懐かしいな。NY暮らしだと鍋なんてすることねぇし、食べることもなかった」

そうは言ったが、潔癖だと言われる男が、他人の箸がつけられた料理を口にするとは思えず、それだけに、今こうしたことが出来るのは、自分が相手だからだろうか。と思う。
けれど、そういった思いの片方で、あの日の切ない思いが甦っていた。


「・・・そう言えば昔、鍋に招待してもらうって約束した事があったな・・その約束は果たしたから今回は二度目だな・・」

また明日、といって屋上で待っていたが、いくら待っても彼が来なかった日があった。
あの時は、来るべき時が来たことを知り、いつも漫然と彼を待つばかりしていた自分では駄目だと、NYまで彼を追いかけて行ったことがあった。だがあの時は追い返された。
ただ、約束は守るからと言って。

そして確かに鍋をする約束は果たされた。
それはある日、突然NYから帰国した彼に、お前の一日を俺にくれと言って二人で約束の鍋をした日のことだ。守ってやりたかったのに、守ってやれなかったと言われ、涙が零れ落ちそうになるのを必死で堪えた。

そしてその夜、滋の島へ連れて行かれ、二人の思いを確かめ合った。
お願いだから時が止ってと願った。
あの日のことは、今でも鮮明に覚えている。会話も、細かい仕草も全てが記憶の中に生きている。互いの身体に腕を回し、抱きしめ合い、キスをして二度と離れたくないと縋りつく女がいた。
そしてあの事件が起きたのは、そんな島から戻った時のことだ。

突然、途中で放り出された恋。

辛いことや悲しいことがあるたび、あの島での思いを心の中で反芻していた。
そしてその記憶を大切に仕舞いこみ、時にそっと記憶の扉を開き、思い出を噛みしめ辛いことにも耐えて来た。
時に歯を食いしばり、こんなことでは負けないと自分自身を励ました。
だがやがて鮮明な記憶だけを残し、時は流れこうして今を迎えていた。


「どうした?・・・お前も食えよ。俺が食うところ眺めてもお前の腹は満たされねぇぞ?」

今のつくしは、何を言っていいのか分からなかったが、あの時と同じように、立ち昇る湯気の向うにいる男に、胸が詰まるといった思いを抱えているが、何故かそれが突然別の感情に取って変わり、男の顔が歪んで見えた。


「・・・どうして・・なんで・・あたしだけを・・忘れたのよ・・」

と、呟いたとき、涙が頬を伝うのが感じられた。





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コメント
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dot 2017.10.09 05:19 | 編集
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dot 2017.10.09 05:27 | 編集
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dot 2017.10.09 09:21 | 編集
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dot 2017.10.09 10:57 | 編集
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dot 2017.10.09 11:25 | 編集
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dot 2017.10.09 13:28 | 編集
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dot 2017.10.09 18:52 | 編集
仁様
おはようございます^^そして、お久しぶりです!
拍手一番ですか?有難うございます!!そしておめでとうございます!
今後のお話は・・う~ん大人の二人ですのでねぇ(笑)どうなんでしょう。
え?アカシアが書く激甘・・そして泥甘?それはそっち方面ではなくて、え~っ・・とにかく甘い話ということですね?(笑)
もしかして、激甘坊ちゃん愛し過ぎてつくしを放さないといったお話でしょうか?
「Obsession」坊ちゃんとは違いますよね?(笑)
このようなサイトでよろしければ、またいつでもお立ち寄り下さいませ!
そして、仁様もお身体ご自愛下さいませ。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.10 20:47 | 編集
あ**こ様
はじめまして^^
はい。拙宅はアカシアの好みで大人の二人がおりますので、時に高齢な時もあります(笑)
今回の舞台は金沢。
おお、そうなんですね!アカシア、鱒寿司大好きです。買い求めるのは、漢字一文字の会社の物です(笑)見かけるとつい、手が出ます。
とり野菜鍋は食したことはありませんが、今回二人の鍋に採用させて頂きました^^
これからの展開。大人ですからねぇ・・。二人の気持ちに任せたいと思います。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.10 20:53 | 編集
m様
切ないですねぇ・・。
17年間も忘れられたつくし。この際言いたいことは言いましょう!
でも、言えるのでしょうかねぇ・・
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.10 20:59 | 編集
s**p様
いつもは坊ちゃんの味方でも、今回はつくしの味方なんですね?
そうなんですよね、坊ちゃんのせいじゃないんですが、17年もホッタラカシは許せません。
そして八方塞がりの坊ちゃんの為に行って下さったんですね!
と、なると坊ちゃんの未来も開かれる?(笑)
坊ちゃんが「サンキュ」と言ってました。
しかし坊ちゃん、神頼みをするタイプには見えませんよね(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.10 21:03 | 編集
ふぁ***~んママ様
つくし、やっと自分の気持ちを言葉にすることが出来ました。
全部吐き出して、この際言いたいことは言ってしまいましょう。
今の司なら大丈夫。大人ですから。
雄一さんの方も気になるところですが、彼は自分の運命を受け入れています。
別れた彼女とどんな話をするのでしょうねぇ。
彼も色々と葛藤はあったはずです。
人の優しさは、受け取る方の精神状態によって受け止め方が違うと思いますが、彼女はどう受け取るのでしょうねぇ。
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.10 21:08 | 編集
司×**OVE様
おはようございます^^
マンションの一室。2人だけの空間。
どこにも逃げることが出来ません。さて、二人はどんな話をするのか。
つくしの言葉から始まる二人の会話。
鍋は二人の大切な思い出。その鍋を挟んでの二人。湯気の向うに見える互いの顔は・・。

え?映画ですか?残念ながら見に行く予定はありません(笑)
最近映画館へ行くことがありません(笑)映画館に座ると時間を取られることもあり、その時間がなかなか難しいですねぇ。
何かをしながら・・といったことが出来ませんのでやはり厳しいです。
2回目に行かれるとのことですが、不完全燃焼を解消するためにも、別の視点から見るといったことは出来そうですか?

御曹司、司。そうですねぇ。彼の場合、頭を切り替えることが必要でして(笑)
失**となると、ラストがかなりハードですからねぇ(笑)
なんだかとても生々しいといった感じがしますが、坊ちゃん望んでいるのでしょうか?(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.10 21:13 | 編集
み**ゃん様
こんにちは^^
つくし、心の奥にあった言葉をぶつけました。
雄一が作ってくれた二人だけの空間。
さて、こんな状況で鍋、食べるのでしょうか?
司が記憶を失ったことは、彼が責められることではないのですが、つくしにしてみれば、言いたいことはあるのでしょう。
仰るとおり、吐き出すことが大切ですね。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.10 21:17 | 編集
t**ako様
はじめまして^^こんにちは。
お~そうだったのですね?お隣でも登場するのですね?
とり野菜みそ鍋。アカシアは食べたことはないのですが、金沢ということで、登場させました。そして、アカシア。焼き鯖寿司、大好きです。初めて食べたのは、みち子さんの空弁でしたが、とても美味しく頂きました。
コメント、勇気が要りますよね。またお気軽にいつでもお立ち寄りくださいね^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.10 21:23 | 編集
H*様
そうなんですよね・・司が悪い訳ではないのですが、それでも言いたくなりますよね。
え?ネチネチと言い続ける?(笑)
でも確かに坊ちゃん一生言われても仕方がありませんよね?(笑)
拍手コメント有難うございました^^

アカシアdot 2017.10.10 21:26 | 編集
さと**ん様
鍋。そう来ました(笑)
雄一は覚えていたんですねぇ。偉い!
二人にとっては思い出の鍋。
もう会えないかもしれない。といった場面での鍋。
そして、あの島へ拉致される前でしたから色々とあるでしょうね。
つくしもどうして自分だけ忘れられたのか、司のせいではないですが、知りたいというか、つい口に出してしまいました。
まずは、つくしの苦しみを受け止めてあげるところからが、二人の新たなスタートです。
え?雑炊まで行けるのか?(笑)
早いとこ、ひとつになる?いやあ・・どうなんでしょうか(笑)
大人の二人の判断に任せましょう(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.10 21:30 | 編集
pi**mix様
お帰りなさい^^
司も戻ってきました。
そして雄一さんも最後に自分の思いを伝えることを決心したようです。
司とつくしは鍋越しに向かい合っていますが、この先どうなるんでしょう。
雄一さんは鍋を覚えていました。そして、そろそろ鍋の季節ですからねぇ。
とり野菜鍋。ご存知でしたか!アカシアは食べたことはないのですが、その存在だけは知っていました。
え?賞味期限切れが冷蔵庫に?どうなるんですか、ソレ・・。
さて、そんな鍋を前につくし、色々と過去が頭を過り涙が溢れてしまいました。
言いたいことは、言わなければこの先また色々と考えてしまいます。
言いましょう!つくし!しかし、果たして言えるのでしょか?

気温差がありますねぇ・・。体調管理、気を付けたいと思います!pi**mix様もお身体ご自愛下さいませ。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.10 21:38 | 編集
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