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2017
09.29

もうひとつの橋 13

「三条。開店前の忙しいところ悪かったな」

「いえ。構いません。西門さんこそいいんですか?わたしなんかと一緒で。これからどこかのお嬢様とお食事のお約束があるんじゃないんですか?」

「・・・いや。今夜の予定は特にねぇんだわ」




銀座の目抜き通りから1本奥に入った通りにある鮨屋に総二郎は桜子といた。
暖簾はかかっておらず、昼の営業時間が終り、夜の営業時間までの間。特別に店を開けてもらっていた。
ビルの1階に店を構える鮨屋の名前は、屋久杉の看板に濃墨で書かれているが、達筆過ぎて読めないと言われている。

二人はL字型カウンターの一番奥の席に座り、熱いおしぼりで手を拭き、大将と呼ばれる店主が、大間産天然本マグロを握る姿を見つめていた。
無駄のない動きでネタを握る姿は、茶道にも通じるものがあり、総二郎は大将の指の動きの素早さに、いつも感心した思いでいた。

「品書き」のない店で選ぶのは、大将が勧めてくるネタか、目の前にある鮨ネタが並んだガラスケースの中からだ。
そんな店の客層は、一見して財布の中身を気にすることがないと分かる年齢の高い富裕層。
もしくは、会社の接待で連れてこられた人々だ。

総二郎の行きつけであるこの店は、西門家のお坊ちゃまとして子供の頃から足を運んだ店で、大将とも顔なじみだ。中等部に入る頃になると、ぶらりと立ち寄っては、鮨をつまんで行くこともあった。

遊び相手をこの店に連れてくることはない。
何故なら、彼にとって隠れ家といってもいい店は、ひとりになりたいとき、考え事があるとき、邪魔されず静かに食事が出来るからだ。
そんな店で桜子と落ち着いて話す必要があった。






「西門さん、お話があるって先輩のことですよね?」

桜子は運ばれて来た生牡蠣にスダチを搾ってかけ、背の高いグラスに注がれているよく冷えた日本酒を口に運んだ。
生牡蠣なら白ワイン、シャブリがいいと言う桜子。だが、鮨屋ではそれに近いテイストを持つ辛口の日本酒を頼んでいた。

「ああ。お前が一番あいつのことを知ってるからな。どうしてあいつが篠田って男と結婚したのか教えてくれ。その男・・・癌だって言うじゃねぇか。それも結婚した時はもう転移してたっていう話だろ?それなのになんであいつはそんな男と結婚したんだ?普通の女ならそんな先が見えてる男と結婚したいと思わねぇだろ?」

だが心のどこかで、牧野つくしは普通の女ではないことは分かっていた。
何しろあの司と短い間だったとしても、恋人同士だったのだから。
当時の二人は嵐の中にいるような恋をし、大きな渦の中に巻き込まれ、その結果、投げ出されたのは互いのいない世界。そんな世界で生きることを強いられてしまった。
だが片方にとっては、それが初めから用意されていた生き方であり、嘘も真実も自分の都合のいいように捻じ曲げることが出来る世界だった。そんな中で暮らしていた男が、失われていた記憶を取り戻し、知った事実は、曲げることの出来ない真実だ。

総二郎は、金沢での出来事を桜子に説明した。
金沢で自分の講演会があり、そのとき司が牧野つくしと会い、短い会話を交わしたということを。

「道明寺さん、やっぱり先輩に会いに行ったんですね?」

「あたり前だろ?あいつがお前に名刺を渡しただけで済ませる男だと思うか?」

「・・いえ。そんなことは思っていませんでしたけど・・ただ、もっと早いかと思ってただけですから」

と、穏やかに言って微笑した。

その微笑は客相手に見せる魅惑の微笑み。
整形とは言え、その美しさは人の手が加わったといった違和感はなく、知らない人間が見れば、彼女の微笑みに惑わされるはずで、今ではその美しさにさらに金をかけ、磨き抜かれた美しさといったものが感じられる女だ。
そんな女に一瞬だが総二郎も胸の内が跳ねた。
だがその思いを慌てて取り払った。


総二郎は、桜子が銀座のバーを親族から引き継ぎオープンした当時からの常連だ。
あれから5年経つが小さな店の評判は良く、総二郎も時おりフラリと訪れてはグラスを傾けて行く。
そんな男が今飲んでいるのは、河豚の刺身と一緒に出されたヒレ酒。
煙草は抹茶の味を鈍らすと言って吸わないが、酒は幅広く好きだ。
炙り焼いた河豚のヒレを熱燗に入れた酒だが、河豚にはやはり河豚が一番合うといったところだ。


「とにかく、お前ならどうして牧野がそんな男を選んだか知ってるんだろ?」

桜子だけが、しつこく司の元を訪れては、牧野つくしのことを話していたのを総二郎も知っている。それだけに、彼女が別の男と結婚したことが信じられなかった。

そして、今でも何かと牧野の事を心配しているのも桜子だ。
桜子は、高飛車に見える女だが、実はそうではない。友情といったものに厚く、自分が大切にしたいと思った人間にはとことん尽くす女。
そんな女が男ではなく、女に尽くすというのだから、世の中はどうなってるんだ、と思うが、二人の女の間にあった過去の出来事を考えたとき、桜子がそうしたい気持ちも分っていた。


桜子は司によって気持ちを深く傷付けられ、そのことに拘り過ぎたため、司に対し歪んだ愛情を抱く人間になっていた。そんな思いから司が好きになった牧野つくしを傷つけ、司の心を打ち砕くことを望んだ。そして、牧野つくしを傷つけることに成功したが、再び自分が傷付く事態を招いてしまっていた。だが、そんな桜子の心を救ったのが牧野つくしだ。

それから桜子の牧野つくしに対する献身には、独りの女に縛られることを嫌う総二郎も頭が下がる思いだ。
だが司にとっては、初めは厭な女だった三条桜子。その彼女が今では、司の波立つ気持ちを和らげる何かを知っているといった確信がある。

「・・・牧野先輩が篠田雄一さんと結婚した理由ですか?」

「ああ。そうだ」

「西門さんは牧野先輩が道明寺さんを忘れ去って篠田さんを好きになったとは考えられませんか?」

桜子は策士な部分もあるが直球勝負もする。
対し、総二郎も女に対しての恋はいつも直球勝負。
たとえその場限りの恋だとしても、嘘や偽りのない恋をして来た。
そんな男への桜子の態度はやはり偽りはない。
だから桜子の今の言葉は、やはり本当なのか、といった思いが過る。
それに、司から牧野つくしが結婚したと聞いたとき、牧野も司のことを忘れ、新しい未来を歩むことを決めたのだと祝福したい気持ちでいた。
だが、すぐに司の心を慮ってその思いを打ち消した。
そして金沢で司と飲んだ夜、耳にした軋んだ男の声を思い出していた。


「ああ。俺には・・なんか信じられねぇっていうか、信じたくねぇっていうか。牧野に会ったのは、・・とは言え話をしたわけじゃねぇけど、短い時間でしかあいつには会ってねぇ。でも幸せな結婚をした女ってのには思えなかった。だって結婚してまだ2年だろ?それならもうちょっと・・なんて言うんだ?それらしい雰囲気があるだろ?それが感じられなかった。まあ旦那が癌を患ってりゃ幸せそうな顔も出来ねぇだろうけど、なんか違うんだよな。だって旦那が癌を患ってるのは結婚前に分かってたんだろ?」

牧野と何度か目が合った。
けれども、彼女の表情は硬かった。懐かしさといったものは感じられず、どこか頑なな印象があった。

「あら。西門さん、いつからマダムのことまで詳しくなったんですか?それは美作さんの分野ですよね?」

「・・・ったくお前は相変わらず嫌味な女だな。いいからどうして・・なんであいつが篠田って男と結婚したのか教えてくれ」

桜子は、生牡蠣に伸ばしかけた箸を静かに置き、総二郎の顔をじっと見た。

「だから牧野先輩は道明寺さんのことは忘れて篠田さんを受け入れたんです。だっていつまでも道明寺さんを待ってもしょうがないじゃないですか。それにいくらわたしが言っても聞こうともしない、失った記憶を思い出す努力もしない・・。そんな人をいつまでも思っても仕方がないじゃないですか」

「・・けど違う気がする。あいつがそんなに簡単に司のことを忘れて別の男と結婚するなんてことが未だに信じられねぇ。なあ牧野は本当に司のことはもういいのか?」

「いいんじゃないですか?だって現に篠田さんと結婚しているじゃないですか」

どこか突き放すような言葉を返されたが、総二郎は違うと感じていた。
司が刺された時、司の血で両手を真っ赤に染め、小さな身体で大きな男の身体を背負い、歩き出した少女の姿があった。そして自分の命に代えてでも司を助けて欲しいといった姿があった。あの日の光景は映画のワンシーンではないが、何年たっても色褪せることなく記憶の中にある。

「・・知りたいんですか」

桜子の口から呟くように漏れた言葉に総二郎は即座に頷いた。

「ああ。教えてくれ」

「知りません」

と言って桜子は置いた箸を再び手に取った。
そして牡蠣を口に運び、咀嚼することなく呑み込み、それからグラスの柄を掴み、酒をひと口飲んだ。

「三条・・お前・・俺をバカにしてんのか?」

桜子の言葉もだが、その態度に総二郎は言葉を荒げた。
だがすぐに、はっきりとした口調が返された。

「嘘です。知ってます」

4人の男たちの中で頭脳派と呼ばれる男も、昂然たる態度で答える女に振り回されていた。
小さな角を隠し、尖った尻尾を持つ女のその態度は、まさに小悪魔と言われた女のそれだ。

「あのな三条、おまえ司の前でそんな態度取ってみろ。絞殺されるぞ」

呆れた口調で言う総二郎は、遠い日々を回想し、激高する男を止めたのは、自分やあきらだったことを思い出していた。そしてそんな経験をこの年になってまたするのか、いい加減にしてくれといった思いが湧き上がる。それにそんな役目は自分ではなく、あきらの方だ。
だが乗りかかった船だ。総二郎は、桜子のペースに巻き込まれることがないように、分別のある言葉を探していた。

「大丈夫ですから。道明寺さんがそんなことしたら先輩のことが分からないじゃないですか」

と、もっともなことを言う桜子。
だが、その目は笑ってはいない。


「で、どうしてなんだ。聞かせてくれるよな?あいつが篠田と結婚した理由を」






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コメント
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dot 2017.09.29 06:27 | 編集
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dot 2017.09.29 16:39 | 編集
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dot 2017.09.29 18:53 | 編集
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dot 2017.09.29 21:40 | 編集
司×**OVE様
おはようございます^^
さて、桜子。総二郎の質問に答えてくれるのでしょうか?
桜子にしてみれば、牧野先輩を傷つけた男が許せないといったこともあるようです。
でもその男は司なんですよね・・。
忘却は罪と言いますが、忘却が最高の復讐といったことも言えます。
司がつくしの立場になれば、彼女の苦しみも解りますが、今がその状況に近いといったところでしょうか。
桜子。相手が総二郎だからこそ話しをしてくれるはずです。

明日。天気予報は晴れ。良かったです!
準備お疲れさまでした^^
さて本番。頑張って声を張り上げて来て下さいね。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.09.29 22:29 | 編集
とん**コーン様
牡蠣!(≧▽≦)
なんと、食べたくなって買いに行ったんですね?
でも無かった!
しかし、もうそろそろ解禁のはずです。
桜子は一足お先にですね?シャブリと生牡蠣ならぬ、辛口日本酒と生牡蠣。
スダチを一捻りして食べる桜子が羨ましですね?
本当はアワビやウニも食べさせようかと思いましたが、止めました(笑)
そして総二郎は河豚!どちらも冬の味覚満載の鮨屋でした!^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.09.29 22:39 | 編集
pi**mix様
総二郎は早速桜子に連絡を取り、会いに行ってくれたようです。
『たらしな大人二人』の勝負は今のところ断然桜子の有利(笑)
総二郎は黙って聞くしかない状況といったところでしょうか。
お寿司!食べたくなりましたか?アカシアも食べたいです!
総二郎の行き着けの銀座の鮨屋。でも看板の字が達筆過ぎて読めないので店名が不明で訪ねて行くことが出来そうにありません。
さて、今この瞬間、司はどこにいるのでしょう。
これからの桜子の話で前へ進むことが出来るようになるといいですねぇ。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.09.29 22:48 | 編集
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