司が抱き寄せたのは、彼が手放すべきではなかった女性。
肩を震わせ泣いているのは、彼が生涯愛すると誓った女性。
その女性の肩を、背中を撫でながら、彼女が張り裂けそうな胸を抱えひとり泣いていた姿を思うと言葉が出なかった。
今は涙を流せばいい。たとえそれが9年前に終わったことだとしても。
だが止ってしまった二人の時間を動かそうとしたことが、彼女の心の奥に抱えていた哀しみを掘り起こしてしまったのだろうか。
そうだとすれば、二人の運命は思うより険しく厳しかったと思う。
特に彼女にとってはそうだったのではないか。
それは司がつくしを愛したため、運命が彼女を本来とは違う別の道へと導いてしまったのだろうか。
だが人生の扉はひとつではない。
哀しみは分かち合えばいい。
運命が険しければその運命を二人で乗り越えて行けばいいはずだ。
二人の愛を受けた命は失われてしまったが、それが自然の摂理なら短くも宿った命を誇りにすればいい。そして今願うのは、せめてその命が安らかな眠りについていることだ。
我が子を失った哀しみを忘れることは出来ないとしても、輝きに変えることは出来るはずだ。たとえ短い命だったとしても、赤ん坊がお腹にいる間、彼女は輝いていたはずだ。
だが彼女が小さな命を失い絶望の淵にいたとき、男の自分には推し量ることが出来ないほどの哀しみを感じたはずだ。
そして、今まで誰に話すことなく、ひとり哀しみを抱えて来たことが、彼女本来の輝きを失わせてしまったとすれば、それは傍にいてやることが出来なかった自分のせいだ。
本来であれば、子供の父親である自分が支えてやるべきだった。
だがそれを成し得なかったことに、自分自身に対する不甲斐なさを感じていた。
愛する人が心の底から微笑む顔を見ることが出来るなら、どんなことでもしたいと思う。
そしてあの笑顔を見せて欲しい。それは司を一瞬で虜にした笑顔。高校生の頃見せた時を止めてしまう笑顔をまた見せて欲しい。
『赤ちゃんが欲しかった。産んで_育てたかった。大きくなったらお父さんがどんな人で、どんなにあたしがあなたのお父さんを愛していたか伝えるつもりでいた』
司は、つくしの言葉に紛れもない愛情を感じていた。
彼女が意地を張る少女を演じるのを止めた日があった。
それは二人がまだ10代の頃、NYと東京で離れ離れになり、二人の間にすれ違いが感じられるようになったとき、パリで行われた結婚式に参加した時の話だ。
4年なんてすぐ経つと思っていたが、1日1日が長く感じられ、世界中の時計を早回ししたいと言ったことがあった。あれは彼女が素顔で生きることを決めた日だったはずだ。
だが時計を早回しすることが出来ず、秘密を抱えたまま生きなければならなかった4年は切なさばかりが感じられた時間だったはずだ。
だが今、司がこうしてつくしと会えたのは、時の流れが二人を引き寄せたから。
いや。もしかすると失われてしまった我が子が巡り合わせてくれたのかもしれない。
魂の存在といったものを信じたことはないが、もしかするとそういった力が働いたのかもしれない。母親が、自分の父親ではない誰か他の男性と結婚しようとしていることを止めさせようとしたのかもしれない。
愛する人を守りたかった。
愛するべきはずの子供を守りたかった。
「...道明寺...ごめんね」
繰り返されるその言葉は、司に向けられているが、かつては失ってしまった我が子に向けられたはずだ。
司はもういい、といった言葉を言おうとした。だが思い直していた。
本当ならそのとき話したかった言葉が沢山あったはずだ。だが誰にもその言葉を吐き出すことが出来ず、ずっと心の奥に仕舞いこんでいたことが精神的にいいはずがない。
そして、自分が傍にいれば、その哀しみを共に経験していたはずだ。だが経験しなかった。
それなら自分もあの時、つくしが経験したことを経験するべきだ。大切なことを大切な人と分かち合うことが必要なはずだ。それは、二人がこれから一緒に生きて行く上で必ず必要なことだ。今以上の哀しみがあの頃にはあったはずだ。父親になっていたはずの男がその哀しみを共に分け合わなくてどうするというのか。
「何があったのか、話てくれ」
つくしは広い胸に抱き寄せられ、涙が止まらなかったが、司のしわがれた声に顔を上げた。
深い悲しみといったものがあるとすれば、それは司の子供を授かったが産んであげることが出来なかったことだ。あの時の事を思い出すのは今でも辛い。だがこうして司の力強い腕に抱かれ、あやすように背中を撫でられれば気持ちも落ち着いて来た。
そして司があの日のことを知りたがっていることが感じられた。
それは親として、知らなければならない。知っておくことがこれから先、産まれ来ることのなかった子供への供養となるといった気持ちであると感じられた。
「痛みを感じて目が覚めたのは明け方だったわ。何かあったんだと思った。それからすぐタクシーを呼んで病院に行ったの。あたし、赤ちゃんを失いたくなかった。だから神様に祈ったわ。助けて下さいって..」
だが助からなかった。
それは神様が妻のある男性と付き合う女に下された罰だと自分を責めた。そして全てが終ったあと、医師の話をぼんやりと聞いていた。
「...流産した理由は分からないって...。こういったことはよくある話しだから。それから身体に何か問題があるわけではないから、この先も妊娠することは可能で心配しなくてもいいって言われたわ」
苦悩に苛まれた表情で見つめる司は、背中に回していた手を解き、つくしの頬に両手を添え親指で流れ出る涙を拭った。だが黒い瞳から溢れ出る涙は、司の指を濡らし続け、彼女の口から語られる言葉は司の心を揺さぶった。
「...それから何も考えられなくて、病院のベッドでじっとしていたの。病院の中から聞こえる赤ん坊の声があの子の声に思えてしまって...哀しくなって涙が止まらなかった。あたし、絶対あの子に淋しい想いなんてさせないつもりでいた。どんなことをしてでも育てるつもりでいたの」
つくしは、見上げた司の頬に涙を流した痕を見て取った。
どんな事にも動じないと言われる男のその姿は、今まで誰も見たことがないはずだ。
そして、彼が同じように哀しんでくれたことに、逆に彼を励まさなくてはならないと感じていた。だが司が自分の為に泣いていた。そして生まれて来ることのなかった我が子に対し、自分と変わらぬ愛情を持ってくれたことに、真実を伝えなければと思った。
それは、司は自分が傍にいなかったせいで、子供が生まれることがなかったと自責の念を抱いていると感じたからだ。
「道明寺、あんたのせいじゃないの・・道明寺が傍にいても赤ちゃんは駄目だったと思う。だから...あんたがそんなに苦しまなくていいの..それでも..あたしと一緒に哀しんでくれるだけであの子も喜んでいると思うわ」
だが、司には司なりに力になり、出来ることがあったはずだ。
それは、彼女の手をしっかりと握り慰めてやること。そして何があろうが愛してるといった言葉をかけてやること。誰かが傍にいれば、そんなことも出来たはずだ。だが誰も傍にいなかった。
それは、司がつくしと付き合うことで、彼女を独りぼっちの世界に追いやり、そして二人の関係を誰にも話すことが出来なかったことがそうさせた。滋もこのことは知らない事実であり、本当にひとり胸の内に抱えていた真実だ。
司は、そんな状況につくしを追い込んでしまったことで自分を責めた。
人生がひとつの本だとすれば、読みたいと思うページがこの9年間にあったのだろうか。
ひとり過ごした9年の歳月に挟まれた人生の栞(しおり)といったものは、哀しみだけで作られていたはずだ。それは産まれなかった子供、そしてまだ若いと言える両親の相次いでの死。楽しいばかりが人生ではないといったことは分かっていても、誰も好き好んで困難な道を選ぼうとはしないはずだ。そして出来れば哀しい想いは少ない方がいいと思う。だが避けることが出来ないなら、その想いを分かち合いたい。
「...俺が傍にいたらおまえを励ますことが出来た。おまえを哀しみの底にひとり置いておくことはなかったはずだ。それからおまえの力になれたはずだ」
やるせない思いとはいったい何か。
切ない思いといったものは何か。
二人が出会ったことが後悔といった二文字でないと信じたい。
司自身に色々なことがあったとしても、彼女のことを気に留めるべきだった。
人は哀しみの真っただ中にいると、哀しみが見えなくなる。逆に周りにいる人間の方がその哀しみを感じることが出来るほどだ。
今の司はまさにその状態で、つくしがの当時感じていた想いを細い身体を通し感じていた。
「...クソッ..俺は..おまえの傍にいたかった!」
強い口調で吐き出された言葉は紛れもない司の本心。
誰よりも近くにいて彼女を支えてやりたかった。
二人の愛が引き裂かれたとき、いつも見上げていたNYの摩天楼の空は東京の空へ繋がっていた。
距離があっても二人が同じ事を想い、同じ空を見上げていたことは確かだ。だがなぜ彼女のことが司に伝わってこなかったのか。それは、彼女がそうすることを望んだからだ。それに滋が知っていたとしても、司に伝わることはなかったはずだ。女の友情といったものは、時として強固な絆であり、一度固く結ばれた友情は沈黙を持って示されることもある。それは男同士とて同じだ。
「俺がおまえの傍にいたら、どんなことでもしてやった!この胸に抱きしめて、産まれなかった子供のことをおまえと一緒に哀しんだ。それにおまえを連れて帰ったら一日中この腕の中で、俺の腕の中に抱いていたはずだ!一緒に泣きながら時間を過ごした!」
ふいに言葉が止ったのは、司の唇がつくしの瞼に押し当てられたから。
瞼にキスをし、そして涙で濡れた頬に、それから唇に唇を重ねていた。
胸の中の哀しみを忘れろとは言わないが、ひとりで哀しむことはない。そしてごめんね、を繰り返すことはもう止めろと言いたい。運命が過酷だったとしても、哀しみが降りかかったとしても、もうこれ以上あの時の哀しい想いだけを抱え生きて欲しくない。
「はじめて愛してるって気付いたとき、切なさだけがあったが今もあの頃の想いは変わってねぇ。ただ9年間、おまえを気遣ってやれなかったことが悔やまれて仕方ねぇ...。
だけどな、俺たちの愛が終るなんてことがあるはずねぇだろ?今の俺とおまえの愛は遠回りして来ただけだ」
優しい口調と、優しい手はつくしの頬に触れたまま、司は再び唇を重ねた。
つくしは、司の優しさにあの頃を思い出していた。二人の間になんの障害も無く、未来を夢見ていた頃を。それは長い間二人が望んでいた結婚をし、家族を増やすこと。
「おまえにはこれ以上哀しい思いをして欲しくない」
震える声も、震える肩も司が守らなければならなかったもの。10代だろうが30代だろうが、記憶の中にあった彼だけの輝いていた宝石は、たとえ何年経とうがその輝きは変わらない。
そして、彼女の泣いた顔を見た瞬間二人の間にノスタルジーの風が吹き、遠い過去が甦り、己が口にした言葉を今更のように思い出していた。
それは司自身の手でつくしを幸せにすること。だが俺がおまえを幸せにしてやると誓った言葉の約束は果たされぬまま、時間だけが流れ9年前別れを迎えた。
もうこれ以上時間をかける必要はないはずだ。
人生は大きな賭けだというが、今の二人に賭けなど欲しくない。
それに神の奇跡が欲しいのではない。
だがもし奇跡が起きるなら、産まれることがなかった我が子を取り戻したい。
そして欲しいのは確実な未来だ。
司はつくしを腕に抱き、素早くベッドルームへと向かった。

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肩を震わせ泣いているのは、彼が生涯愛すると誓った女性。
その女性の肩を、背中を撫でながら、彼女が張り裂けそうな胸を抱えひとり泣いていた姿を思うと言葉が出なかった。
今は涙を流せばいい。たとえそれが9年前に終わったことだとしても。
だが止ってしまった二人の時間を動かそうとしたことが、彼女の心の奥に抱えていた哀しみを掘り起こしてしまったのだろうか。
そうだとすれば、二人の運命は思うより険しく厳しかったと思う。
特に彼女にとってはそうだったのではないか。
それは司がつくしを愛したため、運命が彼女を本来とは違う別の道へと導いてしまったのだろうか。
だが人生の扉はひとつではない。
哀しみは分かち合えばいい。
運命が険しければその運命を二人で乗り越えて行けばいいはずだ。
二人の愛を受けた命は失われてしまったが、それが自然の摂理なら短くも宿った命を誇りにすればいい。そして今願うのは、せめてその命が安らかな眠りについていることだ。
我が子を失った哀しみを忘れることは出来ないとしても、輝きに変えることは出来るはずだ。たとえ短い命だったとしても、赤ん坊がお腹にいる間、彼女は輝いていたはずだ。
だが彼女が小さな命を失い絶望の淵にいたとき、男の自分には推し量ることが出来ないほどの哀しみを感じたはずだ。
そして、今まで誰に話すことなく、ひとり哀しみを抱えて来たことが、彼女本来の輝きを失わせてしまったとすれば、それは傍にいてやることが出来なかった自分のせいだ。
本来であれば、子供の父親である自分が支えてやるべきだった。
だがそれを成し得なかったことに、自分自身に対する不甲斐なさを感じていた。
愛する人が心の底から微笑む顔を見ることが出来るなら、どんなことでもしたいと思う。
そしてあの笑顔を見せて欲しい。それは司を一瞬で虜にした笑顔。高校生の頃見せた時を止めてしまう笑顔をまた見せて欲しい。
『赤ちゃんが欲しかった。産んで_育てたかった。大きくなったらお父さんがどんな人で、どんなにあたしがあなたのお父さんを愛していたか伝えるつもりでいた』
司は、つくしの言葉に紛れもない愛情を感じていた。
彼女が意地を張る少女を演じるのを止めた日があった。
それは二人がまだ10代の頃、NYと東京で離れ離れになり、二人の間にすれ違いが感じられるようになったとき、パリで行われた結婚式に参加した時の話だ。
4年なんてすぐ経つと思っていたが、1日1日が長く感じられ、世界中の時計を早回ししたいと言ったことがあった。あれは彼女が素顔で生きることを決めた日だったはずだ。
だが時計を早回しすることが出来ず、秘密を抱えたまま生きなければならなかった4年は切なさばかりが感じられた時間だったはずだ。
だが今、司がこうしてつくしと会えたのは、時の流れが二人を引き寄せたから。
いや。もしかすると失われてしまった我が子が巡り合わせてくれたのかもしれない。
魂の存在といったものを信じたことはないが、もしかするとそういった力が働いたのかもしれない。母親が、自分の父親ではない誰か他の男性と結婚しようとしていることを止めさせようとしたのかもしれない。
愛する人を守りたかった。
愛するべきはずの子供を守りたかった。
「...道明寺...ごめんね」
繰り返されるその言葉は、司に向けられているが、かつては失ってしまった我が子に向けられたはずだ。
司はもういい、といった言葉を言おうとした。だが思い直していた。
本当ならそのとき話したかった言葉が沢山あったはずだ。だが誰にもその言葉を吐き出すことが出来ず、ずっと心の奥に仕舞いこんでいたことが精神的にいいはずがない。
そして、自分が傍にいれば、その哀しみを共に経験していたはずだ。だが経験しなかった。
それなら自分もあの時、つくしが経験したことを経験するべきだ。大切なことを大切な人と分かち合うことが必要なはずだ。それは、二人がこれから一緒に生きて行く上で必ず必要なことだ。今以上の哀しみがあの頃にはあったはずだ。父親になっていたはずの男がその哀しみを共に分け合わなくてどうするというのか。
「何があったのか、話てくれ」
つくしは広い胸に抱き寄せられ、涙が止まらなかったが、司のしわがれた声に顔を上げた。
深い悲しみといったものがあるとすれば、それは司の子供を授かったが産んであげることが出来なかったことだ。あの時の事を思い出すのは今でも辛い。だがこうして司の力強い腕に抱かれ、あやすように背中を撫でられれば気持ちも落ち着いて来た。
そして司があの日のことを知りたがっていることが感じられた。
それは親として、知らなければならない。知っておくことがこれから先、産まれ来ることのなかった子供への供養となるといった気持ちであると感じられた。
「痛みを感じて目が覚めたのは明け方だったわ。何かあったんだと思った。それからすぐタクシーを呼んで病院に行ったの。あたし、赤ちゃんを失いたくなかった。だから神様に祈ったわ。助けて下さいって..」
だが助からなかった。
それは神様が妻のある男性と付き合う女に下された罰だと自分を責めた。そして全てが終ったあと、医師の話をぼんやりと聞いていた。
「...流産した理由は分からないって...。こういったことはよくある話しだから。それから身体に何か問題があるわけではないから、この先も妊娠することは可能で心配しなくてもいいって言われたわ」
苦悩に苛まれた表情で見つめる司は、背中に回していた手を解き、つくしの頬に両手を添え親指で流れ出る涙を拭った。だが黒い瞳から溢れ出る涙は、司の指を濡らし続け、彼女の口から語られる言葉は司の心を揺さぶった。
「...それから何も考えられなくて、病院のベッドでじっとしていたの。病院の中から聞こえる赤ん坊の声があの子の声に思えてしまって...哀しくなって涙が止まらなかった。あたし、絶対あの子に淋しい想いなんてさせないつもりでいた。どんなことをしてでも育てるつもりでいたの」
つくしは、見上げた司の頬に涙を流した痕を見て取った。
どんな事にも動じないと言われる男のその姿は、今まで誰も見たことがないはずだ。
そして、彼が同じように哀しんでくれたことに、逆に彼を励まさなくてはならないと感じていた。だが司が自分の為に泣いていた。そして生まれて来ることのなかった我が子に対し、自分と変わらぬ愛情を持ってくれたことに、真実を伝えなければと思った。
それは、司は自分が傍にいなかったせいで、子供が生まれることがなかったと自責の念を抱いていると感じたからだ。
「道明寺、あんたのせいじゃないの・・道明寺が傍にいても赤ちゃんは駄目だったと思う。だから...あんたがそんなに苦しまなくていいの..それでも..あたしと一緒に哀しんでくれるだけであの子も喜んでいると思うわ」
だが、司には司なりに力になり、出来ることがあったはずだ。
それは、彼女の手をしっかりと握り慰めてやること。そして何があろうが愛してるといった言葉をかけてやること。誰かが傍にいれば、そんなことも出来たはずだ。だが誰も傍にいなかった。
それは、司がつくしと付き合うことで、彼女を独りぼっちの世界に追いやり、そして二人の関係を誰にも話すことが出来なかったことがそうさせた。滋もこのことは知らない事実であり、本当にひとり胸の内に抱えていた真実だ。
司は、そんな状況につくしを追い込んでしまったことで自分を責めた。
人生がひとつの本だとすれば、読みたいと思うページがこの9年間にあったのだろうか。
ひとり過ごした9年の歳月に挟まれた人生の栞(しおり)といったものは、哀しみだけで作られていたはずだ。それは産まれなかった子供、そしてまだ若いと言える両親の相次いでの死。楽しいばかりが人生ではないといったことは分かっていても、誰も好き好んで困難な道を選ぼうとはしないはずだ。そして出来れば哀しい想いは少ない方がいいと思う。だが避けることが出来ないなら、その想いを分かち合いたい。
「...俺が傍にいたらおまえを励ますことが出来た。おまえを哀しみの底にひとり置いておくことはなかったはずだ。それからおまえの力になれたはずだ」
やるせない思いとはいったい何か。
切ない思いといったものは何か。
二人が出会ったことが後悔といった二文字でないと信じたい。
司自身に色々なことがあったとしても、彼女のことを気に留めるべきだった。
人は哀しみの真っただ中にいると、哀しみが見えなくなる。逆に周りにいる人間の方がその哀しみを感じることが出来るほどだ。
今の司はまさにその状態で、つくしがの当時感じていた想いを細い身体を通し感じていた。
「...クソッ..俺は..おまえの傍にいたかった!」
強い口調で吐き出された言葉は紛れもない司の本心。
誰よりも近くにいて彼女を支えてやりたかった。
二人の愛が引き裂かれたとき、いつも見上げていたNYの摩天楼の空は東京の空へ繋がっていた。
距離があっても二人が同じ事を想い、同じ空を見上げていたことは確かだ。だがなぜ彼女のことが司に伝わってこなかったのか。それは、彼女がそうすることを望んだからだ。それに滋が知っていたとしても、司に伝わることはなかったはずだ。女の友情といったものは、時として強固な絆であり、一度固く結ばれた友情は沈黙を持って示されることもある。それは男同士とて同じだ。
「俺がおまえの傍にいたら、どんなことでもしてやった!この胸に抱きしめて、産まれなかった子供のことをおまえと一緒に哀しんだ。それにおまえを連れて帰ったら一日中この腕の中で、俺の腕の中に抱いていたはずだ!一緒に泣きながら時間を過ごした!」
ふいに言葉が止ったのは、司の唇がつくしの瞼に押し当てられたから。
瞼にキスをし、そして涙で濡れた頬に、それから唇に唇を重ねていた。
胸の中の哀しみを忘れろとは言わないが、ひとりで哀しむことはない。そしてごめんね、を繰り返すことはもう止めろと言いたい。運命が過酷だったとしても、哀しみが降りかかったとしても、もうこれ以上あの時の哀しい想いだけを抱え生きて欲しくない。
「はじめて愛してるって気付いたとき、切なさだけがあったが今もあの頃の想いは変わってねぇ。ただ9年間、おまえを気遣ってやれなかったことが悔やまれて仕方ねぇ...。
だけどな、俺たちの愛が終るなんてことがあるはずねぇだろ?今の俺とおまえの愛は遠回りして来ただけだ」
優しい口調と、優しい手はつくしの頬に触れたまま、司は再び唇を重ねた。
つくしは、司の優しさにあの頃を思い出していた。二人の間になんの障害も無く、未来を夢見ていた頃を。それは長い間二人が望んでいた結婚をし、家族を増やすこと。
「おまえにはこれ以上哀しい思いをして欲しくない」
震える声も、震える肩も司が守らなければならなかったもの。10代だろうが30代だろうが、記憶の中にあった彼だけの輝いていた宝石は、たとえ何年経とうがその輝きは変わらない。
そして、彼女の泣いた顔を見た瞬間二人の間にノスタルジーの風が吹き、遠い過去が甦り、己が口にした言葉を今更のように思い出していた。
それは司自身の手でつくしを幸せにすること。だが俺がおまえを幸せにしてやると誓った言葉の約束は果たされぬまま、時間だけが流れ9年前別れを迎えた。
もうこれ以上時間をかける必要はないはずだ。
人生は大きな賭けだというが、今の二人に賭けなど欲しくない。
それに神の奇跡が欲しいのではない。
だがもし奇跡が起きるなら、産まれることがなかった我が子を取り戻したい。
そして欲しいのは確実な未来だ。
司はつくしを腕に抱き、素早くベッドルームへと向かった。

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司×**OVE様
おはようございます^^
司も色々と苦悩を抱えてしまいました。
それでもそれは愛している人のことですから、彼はその苦悩を取り除いてやりたいと思うのでしょうねぇ。
二人の再会は、つくしちゃんにとっては良かったと思います。
さて、ベッドルームで大人の時間となるのでしょうか?
え?短編も読んで下さったんですか?
相変わらず修正したいところが沢山あるんですが、ホッタラカシです。
お天気は目まぐるしく変わる時もあれば、雨ばかりといった日もありますねぇ。
夏は夏らしくが一番いいのでしょうねぇ。しかし暑さにも限度が必要ではないでしょうか?(笑)
本日より社会復帰しました。
まだまだ暑い日はありそうですので、気を付けたいと思います。
司×**OVE様もお気をつけてお過ごし下さいませ。
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
司も色々と苦悩を抱えてしまいました。
それでもそれは愛している人のことですから、彼はその苦悩を取り除いてやりたいと思うのでしょうねぇ。
二人の再会は、つくしちゃんにとっては良かったと思います。
さて、ベッドルームで大人の時間となるのでしょうか?
え?短編も読んで下さったんですか?
相変わらず修正したいところが沢山あるんですが、ホッタラカシです。
お天気は目まぐるしく変わる時もあれば、雨ばかりといった日もありますねぇ。
夏は夏らしくが一番いいのでしょうねぇ。しかし暑さにも限度が必要ではないでしょうか?(笑)
本日より社会復帰しました。
まだまだ暑い日はありそうですので、気を付けたいと思います。
司×**OVE様もお気をつけてお過ごし下さいませ。
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.08.19 01:22 | 編集

s**p様
戻って参りました!^^
司はつくしの辛さを自分も感じたかった。
愛する人と別れ、その人が自分の子供を宿していたと知ったことも衝撃だったことでしょう。そして産まれなかった我が子に思いを馳せました。
司の愛。この先は・・・。大人の愛で包んであげて欲しいですねぇ(笑)
拍手コメント有難うございました^^
戻って参りました!^^
司はつくしの辛さを自分も感じたかった。
愛する人と別れ、その人が自分の子供を宿していたと知ったことも衝撃だったことでしょう。そして産まれなかった我が子に思いを馳せました。
司の愛。この先は・・・。大人の愛で包んであげて欲しいですねぇ(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシア
2017.08.19 01:29 | 編集

pi**mix様
たとえ傍にいなくても、二人の糸は結ばれています。
歳月は流れましたが、思いは同じ。
そして大人の二人。今のつくしは素直になっているはずです。
そうですよねぇ。司とつくしは幸せと不幸せの線状にいるようです。
泣いて、笑ってを繰り返してはいるようです。
そしてこの旅はどうなるのでしょう。
司が哀しく、苦しみ、自分を責める。それでも守りたい人がいる。
涙を流す顔は想像出来ないかもしれませんが、本当に辛いことがあれば、彼も涙を零すはずです。
そしてその姿を見ることが出来るのは、つくしちゃんだけ。
つくしもそんな彼が愛おしいんですね。
やはりこの二人は離れることは、無理ですね!
玉ねぎとネギ。そうだったんですね?アカシアはどちらも大丈夫です(*^^*)
玉ねぎは血液サラサラ効果があるそうですので、健康の為にも・・と思っています。
コメント有難うございました^^
たとえ傍にいなくても、二人の糸は結ばれています。
歳月は流れましたが、思いは同じ。
そして大人の二人。今のつくしは素直になっているはずです。
そうですよねぇ。司とつくしは幸せと不幸せの線状にいるようです。
泣いて、笑ってを繰り返してはいるようです。
そしてこの旅はどうなるのでしょう。
司が哀しく、苦しみ、自分を責める。それでも守りたい人がいる。
涙を流す顔は想像出来ないかもしれませんが、本当に辛いことがあれば、彼も涙を零すはずです。
そしてその姿を見ることが出来るのは、つくしちゃんだけ。
つくしもそんな彼が愛おしいんですね。
やはりこの二人は離れることは、無理ですね!
玉ねぎとネギ。そうだったんですね?アカシアはどちらも大丈夫です(*^^*)
玉ねぎは血液サラサラ効果があるそうですので、健康の為にも・・と思っています。
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.08.19 01:44 | 編集

マ**チ様
こんばんは^^ただいま帰りました。
司はつくしの哀しみごと抱きしめてくれました。
そして寄り添いましたが、そ、その先はベッドルーム?
御曹司に豹変しないかと心配(笑)
そうですよね、アカシアどうしても御曹司が頭の中にいるので、そちらへ傾いてしまいそうです。
ここで御曹司に変わったらつくしが再会を後悔する(笑)
えー、本日アカシアも夜更かしです。そして続きを書き上げたところです。御曹司になっていないことを祈りたいです(笑)
ハナキンしてます^^
コメント有難うございました^^
こんばんは^^ただいま帰りました。
司はつくしの哀しみごと抱きしめてくれました。
そして寄り添いましたが、そ、その先はベッドルーム?
御曹司に豹変しないかと心配(笑)
そうですよね、アカシアどうしても御曹司が頭の中にいるので、そちらへ傾いてしまいそうです。
ここで御曹司に変わったらつくしが再会を後悔する(笑)
えー、本日アカシアも夜更かしです。そして続きを書き上げたところです。御曹司になっていないことを祈りたいです(笑)
ハナキンしてます^^
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.08.19 01:52 | 編集
