曲がったことが嫌い。
ちっぽけな誇りを胸に生きてきた女が守っていたのは財閥の運命を左右する情報。
もし、この情報が誰かの手に渡れば、強請(ゆすり)たかりの格好の材料となる。
だが誰に話すことなく、貸金庫という他人が簡単には手が出せない場所へ置かれていたUSBメモリ。その内容が明らかになれば、それが例え10年前のことで、すでに時効を迎えていたとしても、追い込まれる政治家、官僚は大勢いる。
海千山千の強者(つわもの)が大勢いると言われる政治の世界。
魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)する経済の世界。
その両方の世界に強い力を持つ道明寺貴は司の父親だ。
だが、財閥による贈賄が明らかになり、受け取った政治家の名前が公表されれば、財閥は政治の世界から見放され、後援者となっている大物政治家も離れていく。
そんな政治家に見放され、潰れた会社も過去にはある。
このUSBに記録されている情報が捏造だと言えない、弁解の余地がないからこそ、あの男は取り戻そうとしていた。司は自分の父親が道明寺という家のためなら手段を選ばない男だと知っている。あの男のエゴや住む世界のルールも知っている。
それは司の世界でもあるからだ。
上っ面を取ってつけたような笑みで誤魔化し、隙あらば他人を蹴落とそうとする。
だがその反面、絶対的権力を握る人間にはおもねることを恥ずかしいと考えない。
そしてその世界に住む住人は、決して本当の心を他人に見せることはない。
ビジネスは騙し合い。騙されれば騙された方の知恵が足りなかったと堂々と言ってのけることがあたり前の世界。
金と権力がある者が絶対的上位を占める司の世界。
だがそれは空虚な世界だ。
少なくとも司とって心を満たしてくれるものなどありはしなかった。
嘘のある人生は魂が壊れて行くだけだった。
まさに今まで生きてきたのは嘘の中の人生だった。
自分が生きたかった人生ではない。
心が蝕まれ、酸によって溶かされたようになった感情を持て余し、どうでもいい女と関係を持っていた。
昔の自分は女に触れることも嫌だったはずだ。
彼女がいなかったから魂が穢れてしまったのかもしれない。
だが、そう思えど今まで行なってきたことは、取返しの付かないことが多い。
誰かの人生を壊し、踏み潰してきたのが己の人生だ。
執務室から見える東京の街が暗闇に沈む前、ビルの窓を横切った夕陽を見ていた。
だが今の自分に見えるのは、17の頃、見つめていた世界。
ガラス窓に映るのは、これまで生きてきた人生の中で、最も重量感があると感じられたあの頃の世界。彼女とはほんの短い付き合いだったとしても、この10年に先立つあの時間は、どんなに時が経とうが、消えることはなかった。
何も迷いがなくなった人間は、どんなことでも出来るものだと知ったあの頃と同じ世界が見えていた。
そして、そこに見えたのは、おまえのためなら全てを捨てると言った己の姿だ。
物産の社長である類の父親に買収計画のある会社を譲ると言った。それは以前類から横取りしてしまった形で買収した会社以上に物産に利益をもたらすはずだ。
その行為が自分の父親である男にとっては、許しがたい行為であることも知っていた。
財閥に不利益を成そうとしている男が、我が息子だと知った時あの男はどうする?
司はデスクに戻り、腕時計に目を落した。
日本時間20時はNYでは朝の7時だ。
あの男は毎朝7時に朝食を取ることを日課としている。
心を読み合う。駆け引きをする。
自らの父親にそんな言葉は無縁だ。必要なのは行動だ。だが、もし遺伝が人格の形成に影響を与えているなら、あの男と面と向かって会っていれば、自らの手で殺めてしまうかもしれないと感じていた。
だからNYへ足を踏み入れることはしなかった。
手にした煙草に火をつけ、電話に手を伸ばし、椅子をくるりと反対側へ向け、窓の向うの暗闇に目を向けた。
早朝に相応しい会話かどうかなど関係ない。電話は13時間の時差をこえ、4回目の呼出音でマンハッタンに繋がった。
「Yes?」
返答をしてきた男に自己紹介など不要だ。
「あの男と話しをさせろ」
司は冷たい声でNYの父親を電話口に出すよう言った。
だがあの男が電話に出るまで時間がかかる。
わざと相手を待たすことが、あの男のビジネススタイルであることは充分承知している。
そしてそれは相手が家族であろうが関係ない。自分の立場が上であることを、知らしめようとしているとしか思えなかった。待つ間、吐き出した煙草の煙の行方を目で追っていたが、空調が完璧な部屋は、煙の流れを拡散させ、すぐに消し去っていた。
「朝早くからいったいなんの用だ?」
暫くして電話に出た男は低い声で言った。
「用件か?今の俺があんたに用があるとすれば牧野つくしのこと以外ないってことは分かってんだろ?」
「そうか。あの娘のことか。そんな用ならさっさと終わらせてくれ。あの娘のことでおまえと話すことがあるとは思えんのだがね」
いつかと同じ、いらいらと、そして面倒だと言った口調が返された。
「どの面さげて言ってんのか知らねぇけど、電話だったのが幸いだ。今の俺はあんたの顔見たら何するか分かんねぇからな」
司の言葉に嘘はない。
目の前に父親がいたら何をするか、自分でも分からなかった。
司は初等部に入って間もない頃、父親に連れられ狩りに出かけた時のことを思い出していた。幼い頃から英才教育を受けていた男は、物覚えがいいと言われ、アルファベッドを覚えたのも早く、記憶力のいい子供と言われていた。そんな幼い我が子を狩りに連れて行く男は残酷な男だ。見せなくてもいい動物の死骸を見せることが、どれだけ子供の心に負担となるかなど考えなかったはずだ。目をそむけることを許さず、その残酷さだけが頭の中に残っていた。
強い人間に育てたいといった思いだったのかもしれないが、その強さとはいったい何なのか。強い者が生き残る。食物連鎖の頂点にいるのが自分たちだと言った言葉を鮮明に覚えている。その言葉が示すのは、格差社会の頂点にいる男のこと。
それは、牧野つくしに出会うまでの司のことだ。
「あんた、もし牧野つくしじゃなく俺が撃たれてたらどうするつもりだった?」
「いきなりなんの話だね?」
さっさと終わらせろと言った男に単刀直入に言ったまでのこと。
狩られたのが弱い動物ではなく、自分の息子だったらどうするつもりだったのか?
「・・ンなもん分かってんだろうが!あいつが撃たれたとき、俺はあいつのすぐ傍にいた!!あの狙撃はあんたがやらせたんだろうが!!」
荒んだ口調はあの時の光景を思い出していた。
司に向かって走って来るつくしがまさに目の前で撃たれたのを見た。
「狙撃か?報告は受けた。おまえの命が狙われたらしいな。だがおまえに弾は当たることはなかったんだ。良かったじゃないか。しかし日本も物騒になったものだ。ビジネスの敵とはいえ、相手を殺そうと思うとは、余程の恨みでもあったとしか思えんね」
「あんた、そうやってしらばっくれてるつもりだろうが、あの狙撃は俺を狙ったものじゃねぇ。あれは明らかにあいつを狙ったものだ。標的はあいつだった!それを命令したのはあんただろうが!」
「司。おまえは頭がおかしくなったのか?何故わたしがそんなことをしなくてはならんのだ?」
「頭がおかしいのはあんただろうが!あんた、俺に言わせたいのか?どうしてあんたがそんなことをしたのか言わせたいのか?・・なら言ってやるよ。あんたはあいつの父親から強請られてたんだろ?未公開株をばら撒いた相手のリストを手にした牧野浩から!」
司は窓の外に浮かんだ月を見上げ微笑む。
東京の空に浮かんだ丸い月に。
「そのリストは今俺の手元にあるんだがあんたどうする?」
その声はぞっとするほど穏やかだ。
貴は暫く沈黙した。
だが次に口を開いたとき、関心の大きさを示していた。
「司。リストがあるならUSBもあるということだな?やはりあの娘が持っていたんだな?どうもこうもない。そのリストは道明寺にとって命取りになりかねん。すぐ処分しろ。いや。わたしが自分で処分しよう」
明快な言い方は、息子が同意するものだと確信があるようだ。
司はやはりそうだったかと目を閉じた。
その言葉の意味はUSB欲しさにつくしを狙ったと言ったようなものだ。そしてそれと同時に息子に相応しくない女は排除すると言った意味も込められているのだろう。
「処分か?あんたにとって処分ってのは人を殺すことも含まれるんだろ?」
「司!おまえは親に向かって何を言っている!わたしは人を殺してなどいない。もちろん殺せなど命令したこともない!いいか。よく聞け。わたしはおまえがわたしの跡を継ぎ、事業を拡張していくことがぞくぞくするほど嬉しかった!自分の息子を誇らしく感じた!おまえのビジネスのやり方はまさにわたしそのものだ!」
「誰がてめぇと同じだって?俺はビジネスで人を殺せなんぞ言った覚えはねぇ!」
「そうか?だがどうだ?よく考えてみろ。おまえが潰した会社の中には自ら命を絶った人間もいるはずだ」
そうかもしれない。
もし、そうだとすれば、深い底なしの暗闇で暮らしていた自分の罪だ。
司は煙草を灰皿に押し当て、椅子から立ち上がり、デスクの背後に広がる窓へと近づいた。
暗闇に浮かぶ東京の景色は、懺悔に値する自分の罪を許してくれるだろうか。
視線の先に見える病院にいる女性はその罪をどう思う?
「司。おまえは物事を白か黒かはっきりさせる性格だ。それはわたしも同じだ。だからはっきり言おうじゃないか。おまえが私を殺したいと思ってもそれはしてはならんことだ。息子が父親を殺すことは許されん行為だ。それが文字通りの言葉でないとしても、親を裏切ることはあってはならんことだ。それに血は何よりも濃い。おまえの身体にはわたしの血が流れている。わたしがこの世からいなくなったとしても、おまえの心臓を動かし続けるのは、わたしの血だ。いいか、司。おまえには道明寺の家の血が色濃く流れている。おまえのその身体を作り上げたのはわたしの血だ。道明寺家の血をどんなに否定しようが否定出来んぞ。鏡に映るおまえ自身の顔にその答えがはっきりと出ているはずだ!」
子供が親を裏切ることは許さないという父親。
それは道明寺という家のため口に出た言葉であることは間違いない。
今の司の目に浮かぶのは苦悩だ。目の前に睨み返す相手はいないが、ガラス窓に映っているのは、父親によく似た己の顔だ。
「俺はあんたの息子に生まれたことを後悔してるぜ。子供は親は選べねぇって言うが、選ぶことが出来るなら生まれてなんか来なかっただろうよ!」
吐き捨てた言葉は相手にどう受け取られたのか。
NYにいる怪物と同じにならないと決めた男は、好きな女性が心を捧げてくれたからこそ、怪物にならずに済んだようなものだ。
「司。人間は生まれ堕ちた瞬間から運命は決まっている。いくらもがいても逃げられない事がある。おまえの運命は道明寺の家のためにある。おまえは道明寺を次の世代に引き渡す義務がある。それがおまえがこの世に生まれた理由だ!」
電話の向うから聞こえて来た声は、依然として高圧的だ。
生まれた理由など今更教えられなくてもとっくの昔に分かっている。
だからそのことに反抗した10代の己がいた。
「・・そうか。俺が生まれた理由は次の世代に道明寺を引き渡す義務があるってなら誓ってやろうか。今俺の手元にあるUSBに」
司は掌に乗せた小さな機器を握った。
これからの二人の運命を左右するのは、このちっぽけで小さな記憶媒体だというように。
「おまえはいったい何を考えているんだ!まさかそれを公表しようだなど考えてないだろうな!いいか?そんなことをすれば会社がどうなるか分かっているはずだ!」
今の司にはどうなるか言われなくても分かっている。
何万といる関連会社を含む従業員のことを考えない訳にはいかなかった。
だからこそ、この10年間の自分とは決別すると決めた男は、つくしと人生をやり直すためにも出来ることをやろうと思っていた。
「ああ、そうだな。あんたの出方次第でどうにでもなるな。会社もあんた自身も」
「何を考えとるのか知らんが、おまえは親を脅す気か?!それに会社が駄目になればおまえも駄目になるんだぞ!」
とっくの昔に駄目になった自分がいた。
人として駄目になった男が。だがそんな男でも好きだと言ってくれる女がいると思えば、まだやり直せると、人間としてやり直せると信じていた。
「俺がどうなろうとあんたには関係ねぇだろうが!・・道明寺の家がどうなろうが俺には関係ねぇ。言っとくが、その代わりもし牧野に何かあれば、それは全部あんたの責任だと考えるからな。病院が停電したとしてもあんたのせいだと思う。出された食事に何かあったとしてもあんたのせいだ。看護師が薬を間違えたとすればもちろんあんたのせいだ。いいか?よく聞け。あんたが親だろうがそんなことは関係ねぇんだ、俺にはな!」
電話が切れ、ものの5分も経たないうちに貴は決めた。
「山下。東京へ行く。ジェットの手配をするように伝えろ」
「承知いたしました」
執事は頷くと、貴の元を離れようとした。
「ああ、山下それから_」
再び声を掛けられ立ち止まると振り返った。
「・・それから朝食の卵料理だが、最近医者からコレステロール値が高いと言われた。今度から控えてくれ」

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もし、この情報が誰かの手に渡れば、強請(ゆすり)たかりの格好の材料となる。
だが誰に話すことなく、貸金庫という他人が簡単には手が出せない場所へ置かれていたUSBメモリ。その内容が明らかになれば、それが例え10年前のことで、すでに時効を迎えていたとしても、追い込まれる政治家、官僚は大勢いる。
海千山千の強者(つわもの)が大勢いると言われる政治の世界。
魑魅魍魎が跋扈(ばっこ)する経済の世界。
その両方の世界に強い力を持つ道明寺貴は司の父親だ。
だが、財閥による贈賄が明らかになり、受け取った政治家の名前が公表されれば、財閥は政治の世界から見放され、後援者となっている大物政治家も離れていく。
そんな政治家に見放され、潰れた会社も過去にはある。
このUSBに記録されている情報が捏造だと言えない、弁解の余地がないからこそ、あの男は取り戻そうとしていた。司は自分の父親が道明寺という家のためなら手段を選ばない男だと知っている。あの男のエゴや住む世界のルールも知っている。
それは司の世界でもあるからだ。
上っ面を取ってつけたような笑みで誤魔化し、隙あらば他人を蹴落とそうとする。
だがその反面、絶対的権力を握る人間にはおもねることを恥ずかしいと考えない。
そしてその世界に住む住人は、決して本当の心を他人に見せることはない。
ビジネスは騙し合い。騙されれば騙された方の知恵が足りなかったと堂々と言ってのけることがあたり前の世界。
金と権力がある者が絶対的上位を占める司の世界。
だがそれは空虚な世界だ。
少なくとも司とって心を満たしてくれるものなどありはしなかった。
嘘のある人生は魂が壊れて行くだけだった。
まさに今まで生きてきたのは嘘の中の人生だった。
自分が生きたかった人生ではない。
心が蝕まれ、酸によって溶かされたようになった感情を持て余し、どうでもいい女と関係を持っていた。
昔の自分は女に触れることも嫌だったはずだ。
彼女がいなかったから魂が穢れてしまったのかもしれない。
だが、そう思えど今まで行なってきたことは、取返しの付かないことが多い。
誰かの人生を壊し、踏み潰してきたのが己の人生だ。
執務室から見える東京の街が暗闇に沈む前、ビルの窓を横切った夕陽を見ていた。
だが今の自分に見えるのは、17の頃、見つめていた世界。
ガラス窓に映るのは、これまで生きてきた人生の中で、最も重量感があると感じられたあの頃の世界。彼女とはほんの短い付き合いだったとしても、この10年に先立つあの時間は、どんなに時が経とうが、消えることはなかった。
何も迷いがなくなった人間は、どんなことでも出来るものだと知ったあの頃と同じ世界が見えていた。
そして、そこに見えたのは、おまえのためなら全てを捨てると言った己の姿だ。
物産の社長である類の父親に買収計画のある会社を譲ると言った。それは以前類から横取りしてしまった形で買収した会社以上に物産に利益をもたらすはずだ。
その行為が自分の父親である男にとっては、許しがたい行為であることも知っていた。
財閥に不利益を成そうとしている男が、我が息子だと知った時あの男はどうする?
司はデスクに戻り、腕時計に目を落した。
日本時間20時はNYでは朝の7時だ。
あの男は毎朝7時に朝食を取ることを日課としている。
心を読み合う。駆け引きをする。
自らの父親にそんな言葉は無縁だ。必要なのは行動だ。だが、もし遺伝が人格の形成に影響を与えているなら、あの男と面と向かって会っていれば、自らの手で殺めてしまうかもしれないと感じていた。
だからNYへ足を踏み入れることはしなかった。
手にした煙草に火をつけ、電話に手を伸ばし、椅子をくるりと反対側へ向け、窓の向うの暗闇に目を向けた。
早朝に相応しい会話かどうかなど関係ない。電話は13時間の時差をこえ、4回目の呼出音でマンハッタンに繋がった。
「Yes?」
返答をしてきた男に自己紹介など不要だ。
「あの男と話しをさせろ」
司は冷たい声でNYの父親を電話口に出すよう言った。
だがあの男が電話に出るまで時間がかかる。
わざと相手を待たすことが、あの男のビジネススタイルであることは充分承知している。
そしてそれは相手が家族であろうが関係ない。自分の立場が上であることを、知らしめようとしているとしか思えなかった。待つ間、吐き出した煙草の煙の行方を目で追っていたが、空調が完璧な部屋は、煙の流れを拡散させ、すぐに消し去っていた。
「朝早くからいったいなんの用だ?」
暫くして電話に出た男は低い声で言った。
「用件か?今の俺があんたに用があるとすれば牧野つくしのこと以外ないってことは分かってんだろ?」
「そうか。あの娘のことか。そんな用ならさっさと終わらせてくれ。あの娘のことでおまえと話すことがあるとは思えんのだがね」
いつかと同じ、いらいらと、そして面倒だと言った口調が返された。
「どの面さげて言ってんのか知らねぇけど、電話だったのが幸いだ。今の俺はあんたの顔見たら何するか分かんねぇからな」
司の言葉に嘘はない。
目の前に父親がいたら何をするか、自分でも分からなかった。
司は初等部に入って間もない頃、父親に連れられ狩りに出かけた時のことを思い出していた。幼い頃から英才教育を受けていた男は、物覚えがいいと言われ、アルファベッドを覚えたのも早く、記憶力のいい子供と言われていた。そんな幼い我が子を狩りに連れて行く男は残酷な男だ。見せなくてもいい動物の死骸を見せることが、どれだけ子供の心に負担となるかなど考えなかったはずだ。目をそむけることを許さず、その残酷さだけが頭の中に残っていた。
強い人間に育てたいといった思いだったのかもしれないが、その強さとはいったい何なのか。強い者が生き残る。食物連鎖の頂点にいるのが自分たちだと言った言葉を鮮明に覚えている。その言葉が示すのは、格差社会の頂点にいる男のこと。
それは、牧野つくしに出会うまでの司のことだ。
「あんた、もし牧野つくしじゃなく俺が撃たれてたらどうするつもりだった?」
「いきなりなんの話だね?」
さっさと終わらせろと言った男に単刀直入に言ったまでのこと。
狩られたのが弱い動物ではなく、自分の息子だったらどうするつもりだったのか?
「・・ンなもん分かってんだろうが!あいつが撃たれたとき、俺はあいつのすぐ傍にいた!!あの狙撃はあんたがやらせたんだろうが!!」
荒んだ口調はあの時の光景を思い出していた。
司に向かって走って来るつくしがまさに目の前で撃たれたのを見た。
「狙撃か?報告は受けた。おまえの命が狙われたらしいな。だがおまえに弾は当たることはなかったんだ。良かったじゃないか。しかし日本も物騒になったものだ。ビジネスの敵とはいえ、相手を殺そうと思うとは、余程の恨みでもあったとしか思えんね」
「あんた、そうやってしらばっくれてるつもりだろうが、あの狙撃は俺を狙ったものじゃねぇ。あれは明らかにあいつを狙ったものだ。標的はあいつだった!それを命令したのはあんただろうが!」
「司。おまえは頭がおかしくなったのか?何故わたしがそんなことをしなくてはならんのだ?」
「頭がおかしいのはあんただろうが!あんた、俺に言わせたいのか?どうしてあんたがそんなことをしたのか言わせたいのか?・・なら言ってやるよ。あんたはあいつの父親から強請られてたんだろ?未公開株をばら撒いた相手のリストを手にした牧野浩から!」
司は窓の外に浮かんだ月を見上げ微笑む。
東京の空に浮かんだ丸い月に。
「そのリストは今俺の手元にあるんだがあんたどうする?」
その声はぞっとするほど穏やかだ。
貴は暫く沈黙した。
だが次に口を開いたとき、関心の大きさを示していた。
「司。リストがあるならUSBもあるということだな?やはりあの娘が持っていたんだな?どうもこうもない。そのリストは道明寺にとって命取りになりかねん。すぐ処分しろ。いや。わたしが自分で処分しよう」
明快な言い方は、息子が同意するものだと確信があるようだ。
司はやはりそうだったかと目を閉じた。
その言葉の意味はUSB欲しさにつくしを狙ったと言ったようなものだ。そしてそれと同時に息子に相応しくない女は排除すると言った意味も込められているのだろう。
「処分か?あんたにとって処分ってのは人を殺すことも含まれるんだろ?」
「司!おまえは親に向かって何を言っている!わたしは人を殺してなどいない。もちろん殺せなど命令したこともない!いいか。よく聞け。わたしはおまえがわたしの跡を継ぎ、事業を拡張していくことがぞくぞくするほど嬉しかった!自分の息子を誇らしく感じた!おまえのビジネスのやり方はまさにわたしそのものだ!」
「誰がてめぇと同じだって?俺はビジネスで人を殺せなんぞ言った覚えはねぇ!」
「そうか?だがどうだ?よく考えてみろ。おまえが潰した会社の中には自ら命を絶った人間もいるはずだ」
そうかもしれない。
もし、そうだとすれば、深い底なしの暗闇で暮らしていた自分の罪だ。
司は煙草を灰皿に押し当て、椅子から立ち上がり、デスクの背後に広がる窓へと近づいた。
暗闇に浮かぶ東京の景色は、懺悔に値する自分の罪を許してくれるだろうか。
視線の先に見える病院にいる女性はその罪をどう思う?
「司。おまえは物事を白か黒かはっきりさせる性格だ。それはわたしも同じだ。だからはっきり言おうじゃないか。おまえが私を殺したいと思ってもそれはしてはならんことだ。息子が父親を殺すことは許されん行為だ。それが文字通りの言葉でないとしても、親を裏切ることはあってはならんことだ。それに血は何よりも濃い。おまえの身体にはわたしの血が流れている。わたしがこの世からいなくなったとしても、おまえの心臓を動かし続けるのは、わたしの血だ。いいか、司。おまえには道明寺の家の血が色濃く流れている。おまえのその身体を作り上げたのはわたしの血だ。道明寺家の血をどんなに否定しようが否定出来んぞ。鏡に映るおまえ自身の顔にその答えがはっきりと出ているはずだ!」
子供が親を裏切ることは許さないという父親。
それは道明寺という家のため口に出た言葉であることは間違いない。
今の司の目に浮かぶのは苦悩だ。目の前に睨み返す相手はいないが、ガラス窓に映っているのは、父親によく似た己の顔だ。
「俺はあんたの息子に生まれたことを後悔してるぜ。子供は親は選べねぇって言うが、選ぶことが出来るなら生まれてなんか来なかっただろうよ!」
吐き捨てた言葉は相手にどう受け取られたのか。
NYにいる怪物と同じにならないと決めた男は、好きな女性が心を捧げてくれたからこそ、怪物にならずに済んだようなものだ。
「司。人間は生まれ堕ちた瞬間から運命は決まっている。いくらもがいても逃げられない事がある。おまえの運命は道明寺の家のためにある。おまえは道明寺を次の世代に引き渡す義務がある。それがおまえがこの世に生まれた理由だ!」
電話の向うから聞こえて来た声は、依然として高圧的だ。
生まれた理由など今更教えられなくてもとっくの昔に分かっている。
だからそのことに反抗した10代の己がいた。
「・・そうか。俺が生まれた理由は次の世代に道明寺を引き渡す義務があるってなら誓ってやろうか。今俺の手元にあるUSBに」
司は掌に乗せた小さな機器を握った。
これからの二人の運命を左右するのは、このちっぽけで小さな記憶媒体だというように。
「おまえはいったい何を考えているんだ!まさかそれを公表しようだなど考えてないだろうな!いいか?そんなことをすれば会社がどうなるか分かっているはずだ!」
今の司にはどうなるか言われなくても分かっている。
何万といる関連会社を含む従業員のことを考えない訳にはいかなかった。
だからこそ、この10年間の自分とは決別すると決めた男は、つくしと人生をやり直すためにも出来ることをやろうと思っていた。
「ああ、そうだな。あんたの出方次第でどうにでもなるな。会社もあんた自身も」
「何を考えとるのか知らんが、おまえは親を脅す気か?!それに会社が駄目になればおまえも駄目になるんだぞ!」
とっくの昔に駄目になった自分がいた。
人として駄目になった男が。だがそんな男でも好きだと言ってくれる女がいると思えば、まだやり直せると、人間としてやり直せると信じていた。
「俺がどうなろうとあんたには関係ねぇだろうが!・・道明寺の家がどうなろうが俺には関係ねぇ。言っとくが、その代わりもし牧野に何かあれば、それは全部あんたの責任だと考えるからな。病院が停電したとしてもあんたのせいだと思う。出された食事に何かあったとしてもあんたのせいだ。看護師が薬を間違えたとすればもちろんあんたのせいだ。いいか?よく聞け。あんたが親だろうがそんなことは関係ねぇんだ、俺にはな!」
電話が切れ、ものの5分も経たないうちに貴は決めた。
「山下。東京へ行く。ジェットの手配をするように伝えろ」
「承知いたしました」
執事は頷くと、貴の元を離れようとした。
「ああ、山下それから_」
再び声を掛けられ立ち止まると振り返った。
「・・それから朝食の卵料理だが、最近医者からコレステロール値が高いと言われた。今度から控えてくれ」

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司×**OVE様
こんにちは^^
ついに親子で話をしましたが、電話でした。
司の父親ははっきりと認めません。自分に不利なことは言いません。
そこは親子に確執があってのこと。よく似た親子はこれから先どうなるのでしょうか・・。
そして父親ついに東京へ!
まだ何をするのか分かりませんよねぇ・・この父は。
二人の幸せまで、そうですねぇ・・・。
まだ暫く温かい目で見守ってやって下さい^^
コメント有難うございました^^
こんにちは^^
ついに親子で話をしましたが、電話でした。
司の父親ははっきりと認めません。自分に不利なことは言いません。
そこは親子に確執があってのこと。よく似た親子はこれから先どうなるのでしょうか・・。
そして父親ついに東京へ!
まだ何をするのか分かりませんよねぇ・・この父は。
二人の幸せまで、そうですねぇ・・・。
まだ暫く温かい目で見守ってやって下さい^^
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.05.11 21:37 | 編集

pi**mix様
浮世離れした漢字(笑)お名前読めましたよ(笑)
坊っちゃんも難しい漢字をお使いになりますねぇ(笑)
何しろ社長業です。高校生の頃とは違い、頭もよろしいかと思います。
二人が外の景色を見ながら物思い、考え事をするシーンは、場所は違えど、繋がっているんです。NYは朝。東京は夜。それぞれの景色の中、見えるものは何か・・。
坊っちゃんはガラス窓に月を見て、そしてその後、映る自分の姿を父親に重ねました。
そんなシーンを想像して頂ければと思いました。
そして坊っちゃん色々と警戒しています。心穏やかになれる日は来るのでしょうか・・・。
パパのコレステロール(笑)これは、そうですねぇ。余裕を感じさせる所でしょうね(笑)
>なんか怖い
恐いですか?コレステロールは馬鹿に出来ませんからねぇ(笑)
コメント有難うございました^^
浮世離れした漢字(笑)お名前読めましたよ(笑)
坊っちゃんも難しい漢字をお使いになりますねぇ(笑)
何しろ社長業です。高校生の頃とは違い、頭もよろしいかと思います。
二人が外の景色を見ながら物思い、考え事をするシーンは、場所は違えど、繋がっているんです。NYは朝。東京は夜。それぞれの景色の中、見えるものは何か・・。
坊っちゃんはガラス窓に月を見て、そしてその後、映る自分の姿を父親に重ねました。
そんなシーンを想像して頂ければと思いました。
そして坊っちゃん色々と警戒しています。心穏やかになれる日は来るのでしょうか・・・。
パパのコレステロール(笑)これは、そうですねぇ。余裕を感じさせる所でしょうね(笑)
>なんか怖い
恐いですか?コレステロールは馬鹿に出来ませんからねぇ(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.05.11 21:43 | 編集

マ**チ様
こんばんは^^
司パパにやられてしまったんですね?(笑)
これから息子と対峙しようとしている矢先のコレステロールの心配(笑)
司のことと、身体の健康のことは別といった余裕を感じさせますね?
そして世界経済をも握る男は、どんな時も冷静ですよね(笑)
ええっ!?最後のこの一文でお話しの全てがすっ飛んだ(笑)
しかしもう一度読み直して頂けたんですね?ありがとうございました。
そして映画のワンシーンのように感じて頂きありがとうございます。
夜更かしギリギリですね?アカシア最近夜更かし同盟脱落です(笑)
コメント有難うございました^^
こんばんは^^
司パパにやられてしまったんですね?(笑)
これから息子と対峙しようとしている矢先のコレステロールの心配(笑)
司のことと、身体の健康のことは別といった余裕を感じさせますね?
そして世界経済をも握る男は、どんな時も冷静ですよね(笑)
ええっ!?最後のこの一文でお話しの全てがすっ飛んだ(笑)
しかしもう一度読み直して頂けたんですね?ありがとうございました。
そして映画のワンシーンのように感じて頂きありがとうございます。
夜更かしギリギリですね?アカシア最近夜更かし同盟脱落です(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.05.11 21:52 | 編集
