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2019
01.17

理想の恋の見つけ方 61

ビジネスに於いては相手の心を読み、瞬時に物事を判断する能力が高い人間が成功すると言われている。だから自分のことは名字で呼んだ方がいいと言った和彦は、目の前に現れた司に敬意を払ったということになる。そして残された男はつくしの前に腰を下ろすと、テーブルの中央、司の目の前に置かれた銀色のペンを手に取り背広の内側の胸ポケットに入れた。それから彼の方をじっと見つめる女の顔を見たが、ふたりの間にある距離は短かった。

「どうして….。どうしてあんなこと言ったんですか?」

「あんなことって?」

「私とキスしたってことです!いえ、言葉を間違えました。副社長が私にキスをしたってことです!」

「言ったら悪かったか?」

「悪いも何も和彦君に….若林君が誤解します!いえ。もう誤解したようですが。それに私は言いましたよね?副社長のお気持は嬉しいですが私は誰かと付き合いたいという気がないと」

牧野つくしは教育者という職業柄真面目でいることを求められる。
だからという訳ではないが倫理観が人一倍強い。そしてそれが性格的なものであることは、夜の電話の男としての会話で知っていた。
そして注目を浴びることが苦手だということも知っている。そしてここにいる何人かの学生が司の存在に気付き、こちらに注目していることにも気付いていた。だから牧野つくしが大学構内のカフェテリアという公共の場所で騒ぎ立てることはないと分かっている。

だが司に向かって放たれたその声は明らかに怒っていて、その態度は財団の研究助成事業の面接に訪れた時、エレベーターの前まで追いかけて来たあの日を彷彿させたが、学生たちの手前なのか冷静に徹しようとしている姿が感じられた。
だから司はその態度を貫こうとしている女に言った。

「ああ訊いた。だが牧野先生。あなたは若林和彦のことも付き合うつもりはないと言った。だから俺が代わりに言ってやった。牧野つくしとキスしたと。そうすればあの男は牧野つくしが自分に興味がないことを理解する」

だが今日この場所を訪れたのは、夜の電話の男として司の話を訊いてみてはどうかと勧めたこともあり、会って話をすることで頑なな態度を崩せると思ったからだ。
そして、キスしたと言ったのは、まさかここにいるとは思わなかった若林和彦を追い払うため取った策略だ。
そしてそれは副社長応接室で、はっきりと自分を否定する声に、女性から拒否されたことがない男のプライドがそうさせたとも言えた。と同時に若林和彦が笑っているということは、背中を向けていたとしても牧野つくしも笑っている。つまりふたりが笑い合っているということに嫉妬の感情があった。


「仮にそうだとしても、そんなことあなた….副社長には関係ないですよね?それなのにあんなことを言うなんてどういうつもりですか?」

「俺の気持は伝えたはずだが?」

「ええ。お伺いしました。でも先程も言ったようにお受けできないと言いました。それは若林君に対しても同じで彼にも言いました。彼のことは弟とのようにしか思えないと言ったんです。それなのにあんなことを言うなんて….」

若林和彦の感情を憂慮する女は、司のことを「副社長」とも「あなた」とも呼び、ふたりの間のどこで線を引こうか迷っていることが感じられた。

「そうか。それは悪かったな。だがな。男って生き物は自分が惚れた女が自分以外の男と笑っているのが、特にその相手も女のことが好きだというなら許せないところがある」

「そうですか。でも私は誰とも付き合いたいとは思わないんです。友人も色々と世話を焼いてくれます。でも…….すみません」

それは毅然と拒絶するような言い方だった。

「道明寺副社長。本当にすみません。私はひとりでいたいんです」

その時司の頭を過ったのは、夜の電話の男である彼に放たれた『私にとって男性と親しくすることは勇気がいること』
だがその時は何故かということを訊かなかった。それは互いにプライバシーは尊重しよう。話したくないことは話す必要はないと彼自身が言ったからだが、あの時の司が訊いていれば多分答えていたはずで、今は何故だと訊かなかったことを後悔していた。







***








「先輩?道明寺副社長とお会いになられましたか?先輩はすぐ戻るとお伝えしたんですが会いに行くからいいとおっしゃられて向かわれたんですけど?」

「え?うん…..会ったわ。でももうお帰りになられたわ」

「そうですか….お忙しい方ですし突然いらっしゃったので急用だったと思ったんですが、もう用は済んだということですか?」

「え?うん。ほらこの前、副社長に呼ばれて会社に行ったでしょ?あの時忘れ物をしたみたいでそれを届けてくれたの」

「え?そうなんですか?道明寺副社長がわざわざですか?何か怪しいですね?」

「あ、怪しくないわよ」

研究室に戻って来たつくしに桜子は興味津々といった顔で訊いたが、訊ねた以上に返って来る言葉が少ないことに不満を持っていることは明らかで催促の眼を向けていた。

「私の言いたいこと分かりますよね?だっておかしいじゃないですか。お忙しい道明寺副社長がわざわざ忘れ物を届けてくれること事態がです。もしかして先輩道明寺副社長と何かあったんですか?だから道明寺副社長がここに来られたとか?」

桜子は知りたいことに近づけると思ったのか。具体的な話をといった風に言うと、可能な限り真実を訊くとばかり、にんまりと笑う。

「何もないわよ。あるわけないじゃない!何があるのよ?ないない。ないわよ。それよりも桜子。広島から牡蠣が届いてたわよね?私ひとりじゃ無理だから適当に持って帰ってね」

研究室のつくし宛に届いたトロ箱に入った殻付きの牡蠣は、広島にいるかつての教え子から送られて来たもので、桜子の執拗な追及をかわし、話を逸らす材料として丁度いいと思えた。だからつくしは牡蠣が好きな桜子に持って帰るように勧めていた。

「なんだか怪しい雰囲気がありますけど、本当に何もないんですか?先輩がそこまで否定するならそういうことにしておきますけど。ところでこの牡蠣は島崎君の実家の島崎水産さんからですよね?私牡蠣大好きなんです。でも先輩、殻付きの牡蠣をひとりで食べるの悲しいですよ。そうだ。今晩予定ないですよね?それなら一緒に鍋しましょうよ、牡蠣鍋!あ、でも生でレモンをかけて食べるのもいいですよね?それに牡蠣に白ワインって合うんですよ。うちに牡蠣にピッタリのワインがありますからうちで牡蠣パーティーしましょうよ。ね、先輩?」

桜子は牡蠣に気を取られたという態度を取ったが、そうではないことは明らかだ。
だが桜子がいくら道明寺司のことを訊ねたとしても、何もなかったと答えることにしていた。そうしなければ、桜子がいそいそと世話を焼くことが分かっていたからだ。
それは今でもあのことを気にする桜子に、桜子のせいじゃないからといくら言っても無駄で、どうにかして男性を紹介しようとする。そして最後に必ずこう言う。
『私のせいなんです。だから先輩が結婚しない限りは私も結婚しません』と。



「ところでこのトロ箱。このまま持って帰りますか?それにしても他の先生が牡蠣が嫌いっていうのは本当に勿体ないですよね?今夜はふたりで牡蠣三昧ですね!でも島崎君の実家って凄いですよね?広島では有名な水産会社らしいですよ?先輩くれぐれもよろしくお伝え下さいね」

「そうね!本当に島崎君にはお礼言わなきゃね。じゃあ早速電話してくるわ」

そう言ってつくしは学生部屋から自分の部屋へ向かった。



つくしの心境は、和彦から僕のことは弟だと思ってもらっていいと言われた時点でホッとしていた。そして道明寺司のことについては、夜の電話の男性から話を訊いてみてはと言われただけに、次に会う機会があれば、という思いもあった。
けれど、和彦がいる場所に現れた男性は、物事をゆっくり運ぶということが性に合わないのか。全てに於いて精力的だと言われ、女達の憧れの的である男性は、自分を拒否し否定するつくしの態度が理解出来ないのだろう。

男性と付き合ったことがないのではない。
キスしたこともあった。
だがそれも遠い昔の話だ。そしてこれから先キスしないからといって死ぬわけではない。
それに道明寺司の惚れた女という言葉に感情を静止させて自分を見つめれば、気持ちは海で見かける沖に流されたビーチボールではないが、波間を漂っていると言えた。
そして沖のビーチボールは、いずれ空気が抜ければ海の底に沈む。だがポリ塩化ビニルで出来たボールはプラスチックであり溶けて無くなることはない。ボロボロに破れても形が変わるだけで永遠に波間を漂うか、ゴミとなり海底の泥に埋もれる。そして深海ザメのように深海に棲む生物の生態に影響を及ぼすことになる。
それに道明寺司のような自信家の男性に沖に流されたビーチボールは似合わない。

つくしは仕事が出来れば満足だ。
朝が来て、夜が来て、晴れて、曇って、雨が降って、風が吹いて時が流れていくのを受け入れる。
それに夜の電話の男性と話が出来れば、それで良かった。




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2019
01.16

理想の恋の見つけ方 60

明るい青年だと思っていた和彦から初めて訊く暗い声。
だがつくしが戸惑う余裕もないうちに、その声は笑い声に変わり「冗談です」という言葉に変わった。そして無言で和彦を見つめるつくしに「それから僕のことを弟だと思うなら弟として接して下さって構いません」と言った。
だがその後も黙ったまま和彦を見つめ続けるつくしに、

「やだな。そんな驚いた顔をしないで下さい。僕は何もストーカーをしようとか思ってませんから。それに嫌がる女性に何かするような男じゃありません。だから安心して下さい。ただ困ったことがある。力になって欲しいことがあれば遠慮なく言って下さい。それからこの前食事に誘った時、明日の準備があるからと断られましたけど、それは僕の思いを受け取れないという意志表示だったことは薄々感じていました。でも今度食事に誘ったら恋愛感情はありませんから、その時は付き合って下さいね。何しろ男にとって初恋の人って本当に大切な想い出なんです。だから牧野さんに対しては純粋な頃の自分を思い出すと言ったら笑われるかもしれませんが、そういうことなんです。僕にとって牧野さんはそういう女性だったんです。思春期の淡い想い出です」と言ったが、その声は真面目で嘘はないと思えた。

だからつくしは、和彦の言葉を信じた。
そして「まいったな。牧野さんの大きな眼でそうやって見つめられると僕の心が揺らぐじゃないですか。前言撤回したくなるじゃありませんか」と言ったが、和彦は全部冗談ですの眼になって笑っていた。













「ど、道明寺副社長?牧野先生ですよね?申し訳ございません。今お客様がお見えでこちらにはいないんです。すぐ戻ってくると思いますので少しお待ちいただいてもよろしいですか?….いえ。お忙しいですよね?これから私が迎えに行っていきますので少しだけお待ちいただいてもよろしいですか?」

司は牧野つくしに会うため大学を訪れたが秘書に来客中だと言われ待とうと思った。
だが迎えに行くという言葉に、いや。自分の方から出向くと言えば、構内のカフェテリアにいると言われそこへ向かった。そしてそこに若林和彦がいることを知り、なおかつ牧野つくしと向き合っている和彦が笑っている姿を見た。

若林和彦から好きだと告白を受けた牧野つくしは、和彦の気持に応えるつもりはないと言った。それなら今ここで笑っている和彦は、まだ女から思いを告げられてはいないということなのか。それとも会話の成り行きで笑っているのか。
カフェテリアの奥にいるふたりは近づいていく司に気付いていなかったが、少しすると和彦が気付いた。そして牧野つくしの微笑している横顔が見て取れる場所まで来たとき、女が顔をこちらに向けた。

「道明寺副社長?!」

その口調は突然現れた男に驚いたことを表していた。
そして司は和彦へ視線を移すと彼は立ち上って「これは道明寺副社長。まさかここでお会いするとは思いもしませんでした」と言い、司はそれに対し「ああ、そうだな」と挨拶を返したが、それは冷たい響きだったはずだ。

「道明寺副社長。あの….何か御用でしょうか?」

牧野つくしは司に訊いたが、彼はすぐには返事をせず、焦点を絞るように女を見た。

「ああ。この前会社に来た時、忘れてっただろ?」

そう言って背広の内側に手をやった男から手渡されたのはペンだったが、それはつくしが見たことがない銀色のペンであり、自分のペンではなかった。

「いえ。これは私のペンでは…..」

と言ったが、「そうか?てっきりお前のものだと思ったが違ったか?俺たちがキスをした時落としたと思ったが違ったか?」と司は言葉を返した。

今のこの状況は大学構内のカフェテリアの片隅に男がふたりと女がひとり。
だがこの3人の誰もが学生ではなく、そのうちの男ふたりは大学の関係者でもない。
そんな男ふたりの間に漂う張りつめた静寂は、動物のオスが別のオスを牽制し値踏みする姿に見えたとしてもおかしくはない。
そして若林和彦の笑っていない眼というのは、成熟した大人の眼だが、司の眼は鋭く暗く翳りを持って和彦を見ていた。そんな静かすぎる眼差しと、鉄か石のように硬い眼差しが交わされる中、視線を外しつくしを見たのは和彦の方だ。

「牧野さん。僕はこれで失礼します。どうやら道明寺副社長の方があなたに対しての優先権をお持ちのようだから」

突然つくしの前に現れた司の発言は、まるでつくしが好んでキスをしたように取れたはずだ。つまり牧野つくしには道明寺司が恋の対象として存在しているのだと言ったようなものだ。
そしてその言葉が、司にとっては彼が和彦を前に願ったとおりの結果を示していた。

「え?ちょっと待って和彦君?あのね、誤解しないで私と道明寺副社長は_」

と、つくしがあせり気味に言いかけたところで、和彦はどこか納得したように言葉を継いだ。

「そうか….牧野さんには好きな人がいたんですね?それから牧野さん。僕のことは和彦じゃなくて名字で呼んだ方がいいような気がしますよ?」

言葉を充分慎重に選び口にしなければならないのは、相手がビジネスに於いて自分よりも秀でているからだが、それが私生活に於いても同じ人間がいるとすれば、それが目の前にいる男だと和彦は分かっているから言葉を止めた。
そして二人を交互に眺めた後でつくしに向かって「じゃあ先程の話はそういうことで」と言ってふたりの前から去った。




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2019
01.15

金持ちの御曹司~できるだけ純情でいたい~ 

「ゴホン」

咳にも色気を感じさせる男は最後の書類にサインをして再び咳をした。

「支社長どうかされましたか?お風邪でも召されましたでしょうか?」

「…いや。大丈夫だ。けどなんか喉の調子がおかしい」

「そうですか。インフルエンザが流行っておりますのでお気をつけ下さい。それに支社長のお身体は支社長だけのものではございませんからご自愛いただきませんと。本日の仕事はこれで終わりましたので早くお帰り下さい。それから栄養のあるものを召し上がりになってゆっくりなさって下さい」

と西田は言って書類を受け取ると執務室を出て行ったが、司の身体は一体誰のものなのか。帰り支度をしながら考えたが当たり前のことを考えるほど馬鹿な話はない。
それは言わずもがなで、司の身体は恋人のもので頭のてっぺんから足の爪の先まで全ては牧野つくしのものであり他の誰のものでもなかった。
そしてそう思う男は、牧野つくしのことだけは何人たりとも文句を言わせないという凄みを醸し出していた。


艶やかな魅力がある男と言われる司は半端ない破壊力を持つと言われているが、今よりももっと若い頃は凶器だ。劇薬だと言われたことがあった。
それはまさに触る物すべてを傷つけていたと言ってもよかった。
そしてそんな男が一体何を破壊してきたのかと問われれば、それは余りにも多すぎて割愛させてもらうことにする。

だがそんな男も不惑の年になれば男は落ち着くというが司の心はいつまでも17歳。
何しろ17歳という年は、彼にとっては忘れられない年だったのだから。いやその前に司は不惑の年齢ではないのだから落ち着くことなどありはしなかった。


17歳で初めて唇をつけて以来何度も重ねてきた唇。
だが初めてキスをした時のことを忘れることは出来なかった。
あれは熱海の海に浮かべたクルーザーの中での出来事。偶然重ねた唇は柔らかく甘かった。
人は嬉しいことがあると宝くじに当たったみたいだと言うが、司にとってあの日のキスは10億以上の価値を持つキスだった。それに司にとって10億などはした金だ。

そしてあの日から牧野つくしとどうやったら再び唇を重ねることが出来るかを考えた。
司は身体が大きいし力も強い。だからその気になれば簡単に相手を傷つけることが出来る。けれど、牧野つくしを傷つけたことはなかった。
たとえどんなに嫌がられても、どんなに避けられても彼女を傷つけることはしなかった。
つまり凶暴だと言われていた男も牧野つくしの前ではある意味純情だった。

だがモテたい。
牧野つくしだけにモテたい。
その思いから暴走したこともあった司の想い。
欲望を感じ夕暮れ時学園の廊下で押し倒してキスはしたがそれ以上のことはしなかった。いやしなかったのではなく、彼女の泣き顔に手を出すことが出来なかった。
だがその逆に男には容赦がなかった。牧野つくしを傷つけようとする男には怒りをあらわにした。彼女のためにわざと殴られたこともあった。たとえ火の中水の中とばかり命をかけて彼女を守ったこともあった。

そして今のふたりは恋人同士となり数年が経ち、司が平成最後の年に見た初夢は、はじめてデートをした日の夢だった。
つまりエレベーターの中に閉じ込められて一夜を明かした夢。
だが夜が明けるまでの間にふたりの距離はグッと縮まったと司は今でも思っている。
そしてどこか甘酸っぱさが残るあの一夜を思い出すたび頬が緩んでいた。

だがあの時風邪をひいて熱を出した司は、甘酸っぱさとは別の匂いを感じていた。
それは今でも脳裡に刻まれているネギの匂い。あの時、信じられないことに首にネギを巻かれるという経験をしたが、それは初体験。
そしてその時はじめてそれが庶民の間に伝わる風邪の症状を緩和する方法だと知った。

それにしても何故ネギが風邪にいいのか。
だが牧野つくしがいいというから大人しく巻かれたが、あの時のネギは埼玉の深谷(ふかや)ネギだったのか。それとも群馬の下仁田(しもにた)ネギだったのか。





「ねえ知ってる?深谷ネギは少し贅沢なネギなの。でも下仁田ネギはもっと贅沢なのよ?だって江戸時代にお殿様に献上されてたんだから」

いつもより早く帰宅することが許された男を待っていたのは愛しい女。
そしてその女にネギの話をされても、ネギなど気に留めたことがなかったのだから鍋に入れるネギがどこのネギであろうと構わなかったが、いつだったか内閣総理大臣だった父親を持つ女性国会議員が、地元の特産品である下仁田ネギを支援者に贈り、それが政治資金規正法違反で問題になり、ネギにしては高価なことが話題になったことがあった。
だがなぜ司が深谷ネギや下仁田ネギを知っているのか。それはやはり牧野つくしの影響が大きかった。

そしてあの時、司の首に巻かれたのは下仁田ネギではないことは確かだ。
何しろ牧野家は貧しく、贅沢と言われる下仁田ネギが買えるとは思わなかったからだ。
それに下仁田ネギは短い。だが深谷ネギは長ネギだ。それならやはりあの時のネギは深谷ネギのはずだ。
だがなぜ司がここまで白ネギについて考えるのかと言えば、ふたりはこれから司の部屋で鍋を食べようとしていたからだ。

それは秘書が気を訊かせ司の恋人に告げた、風邪気味ですので身体が暖まる食事をとの言葉に用意されたメニューだったが、高校生の頃色々あってニューヨークに旅立つ前に食べた鍋があった。あの時また鍋をしようと約束したが、あれが最後の晩餐になる。そんな思いもあった鍋は暖かかった。
やがて大人になり何度も食べた鍋料理。
冬と言えば鍋で、ふたりで色々な鍋を試したが、ネギは欠かせない存在だった。

それにしてもまさか司がネギについて考察するとは誰も思わないはずだ。
だがネギはふたりにとって思い出深い食べ物であり、あの事は一生忘れることはない。
そして風邪をひいたかと思えば、病院に行くより風邪薬を飲むより、ネギを首に巻いてもらいたいと思う男はどうかしているかもしれないが、ネギがふたりの運命を変えたのは、お大袈裟かもしれないが、それほどあのネギの存在は大きかった。

そしてまだ何も知らなかったあの頃の純情が懐かしいと思う。
だが恋はネギがあろうがなかろうが常に前を向き進んでいる。
そして今恋人がネギを手に鍋の用意をする姿を見れば、あの時のことが思い出された。


たかがネギ。
されどネギ。
胃腸に優しく栄養豊富であるネギ。
疲労回復に役立つネギ。
だから恋人のために作る鍋料理に使われるネギは多かった。

「ねえ道明寺?ネギ多めよね?」

「ああ。そうしてくれ」

恋人にネギの量を訊く女とそれに答える男。
世の中の人間は、まさか道明寺司が白ネギ好きだとは誰も思わないはずだ。
そして彼女の作る料理ならどんなものでも口にすることが出来る男は、大人になりネギの甘みというものを知ったが、それは牧野つくしのようだと思った。
それはネギの白さが恋人の肌の白さと似ていたからだが、着実に十代から二十代へ。
そして三十代へと年を重ねていくふたりは、人生の辛さも甘さも感じていた。


そして懐かしく思うふたりが経験した初めてのデート。
古びたビルのエレベーターに閉じ込められるというアクシデント。
そこで起こった首にネギを巻かれたことは、彼女と繰り返し思い出す笑い話だ。






「道明寺。火、点けてくれる?」

切った野菜を盛った皿を手に恋人がテーブルに戻ってくると、司は言われた通り卓上コンロの火を点けた。

「あ、お玉!」

と言って腰を浮かせキッチンに戻ろうとしている恋人に「いい。お前は座ってろ。俺が取ってくる」と言った男は今では立派な鍋奉行だ。
だが決してこれを喰え。それはまだ煮えてないからこっちを喰えとは言わない。
ただ食べごろの野菜を器に取り彼女に手渡すだけ。そして美味そうに食べる女を見るのが彼の幸せ。立ち上る湯気の向こうから、美味しいよ道明寺、と笑顔を浮かべる女の顔を見ることが司の気持を満足させた。
そしてたまに俺にも食わせてくれと甘えてみれば、クスッと笑いながらも箸を彼の口元へ近づけてくれる女に愛おしさが募っていた。








愛情たっぷりの鍋は身体を芯から暖め、気持ちを和らげ心に温もりを感じさせてくれる。
それは同じ釜の飯を食べるのと同じで同じ鍋をつつけば暖かい気持ちになれた。
そして早く同じ釜の飯を毎朝食べる日が来ることを願っている男は、寒いあの日にもたらされたネギの匂いと、風邪をひいて熱があったとしても手をださなかった純情さを懐かしく感じていた。


司にとって特別な人。
その人の前でなら解放感に身をゆだねることが出来る。
そして男の意地とけじめを持つ男は、彼女に忠実で嘘をつかない男の純情は、人生で一緒に手を取り合ってくれる女と鍋がつつけることに幸せを感じていた。





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2019
01.13

理想の恋の見つけ方 59

お客様です。と言われ誰と訊いた時、桜子の口から出たのは若林和彦の名前。
つくしは部屋を出ると学生部屋にいる和彦に会いに行ったが、そこにいる和彦は好意の色をにじませた瞳でつくしを見て笑った。

「牧野先生。突然お邪魔して申し訳ございません。近くまで来たのもですから、というよりも出張帰りなんですが予定よりも早く戻ったので時間が空いたんです。だから立ち寄らせていただきました。どうぞこれはお土産です」

そう言って和彦が差し出したのは大きな箱。
そこに書かれているのはキリル文字と言われるロシア語だったが、箱に描かれているのは誰が見ても分かるチョコレートの絵であり、文字が理解出来なくても中身がチョコレートであることは一目瞭然だった。

「和彦君。ロシアに行ってたの?」

遠慮しないで受け取って下さいと言う和彦に、ありがとうと言って箱を受け取るとつくしは訊いた。

「ええ。ロシアと言ってもウラジオストクですがね。あちらでの仕事がありましてね。その打ち合わせです。それにしてもやはりロシアは寒いですね。同じ冬でもこうして東京に戻って来てみればこの暖かさですから大陸と日本では明らかに寒さの質が違いますね」

成田から2時間弱で行くことが出来るロシア極東の街ウラジオストクは、建設ラッシュだと言われ、準大手ゼネコンである若林建設も海外での仕事を多くこなしているが、その中にはロシアの仕事もあった。

「それにしても、ロシア人は生活のすべてにおいてゆっくりとしているので、なかなか思うように物事は運びませんが、郷に入っては郷に従えと言いますから彼らのペースでということになるんですが、それでは建物が完成するにはいつになるかといったところがありましてね。そんなことは日本じゃ考えられませんが、ロシアではそれが当然の事のように受け止めているところがありますから色々と大変です」

つくしも海外のサメの研究者と一緒に調査をしたことがあるから、和彦の言いたいことは十分伝わった。国が違えば考え方も生活のスタイルも違うのは当然で、のんびりとした研究者もいれば、せっかちな研究者もいる。
だが、サメの謎に迫る人間としてサメに向ける情熱は同じということもあり、意見を述べ合うことはあっても揉めることはない。
だがそれは学問の分野だからであり、国を跨いだビジネスとなれば、そうはいかないことは理解出来た。

「和彦君ロシア語出来るの?」

頭が良かった和彦のことだからロシア語をマスターしていたとしても不思議ではないと思い訊いた。

「まさか!英語なら話せますがロシア語はハラショーとスパシーバ。素晴らしいとありがとうだけですよ。だから通訳なしでは成り立たないことが多いんですよ。でも酒を飲むときだけは通訳は必要ありませんがね。あっちはウォッカの本場ですからみんな強いんですよ。それにロシア人はウォッカのように強い酒が大好きなんです。だから普段は無口なロシア人もウォッカを飲めばどんちゃん騒ぎです」

和彦はそう言ったが、つくしの研究者仲間のひとりにロシア人男性がいて、その男性は食事になればウォッカを水のように飲んでいた。

「知ってるわ。コニャックやテキーラも好きでしょ?ペットボトルにコニャックを入れてるロシア人を知ってるから」

「え?ペットボトルにコニャックですか?」

「うん。自家製コニャックだって言うの。それで飲むたびに延々と乾杯を繰り返すのよ?何をそんなに祝うのかって訊いたら健康に乾杯から始まって、今日みんなで会えたことに。それから美味い食事にありつけたことに。家族のために。サメに出会えたことに。それから….とにかく何でもいいから乾杯するのよね?」

和彦の言う通りで、つくしの知るロシア人男性は酒を飲めば賑やかになった。

「そうです。それで乾杯を繰り返すたびにグラスの中を一気飲みですからね?日本みたいにちびちび飲んでいたら男らしくないって怒られます。それにしてもいったい何杯飲むんだって思うんですが、それでも次の日はケロっとして仕事に出て来るんですから彼らの肝臓はどうなっているのかって思いますよ」

寒い土地だからこそ身体が暖まるアルコール度数が高いものが好まれると分かっているが、研究者仲間の男性の飲みっぷりは、まるでサメが獲物を飲み込む姿にも見えた。
そして和彦のロシアでの話は暫く会っていないロシア人の研究者を思い出させたが、彼がそんな話をするためにわざわざ研究室に立ち寄ったとは思わなかった。
つまり和彦がここを訪れたのは、つくしに自分の思いを告げたことに対しての返事を求めているということだ。
だから桜子がコーヒーをお淹れしましょうかと訊かれたが断わり、和彦を構内にあるカフェテリアに誘った。







最近の大学の施設投資は食堂や売店といったものにも向けられていて、つくしの大学も2年前に食堂の改修を終えファミレス風のカフェテリアになっていた。
そしてそこは昼休みなら食事をする学生で溢れているが、午後の講義の真っただ中ともなればその姿は少なかった。
だから空いている席は沢山あったが、ふたりはその中で入口から一番遠く周りに誰もいない席にコーヒーを手に腰を降ろした。
そしてそこで先に口を開いたのはつくしだ。


「和彦君。あのことだけど…..」

はっきり断ろうと決めてはいたが、あのことと言葉を濁し言い淀んでしまうのは和彦を傷つけてしまうのではないかと思うからだ。
それは誰だって自分を否定される言葉など訊きたくはないからだ。
だからなるべく傷つけないようにと思い言葉を選ぼうとしていた。
だがこういった状況は初めてであり、浮かべる表情はどんな表情をすればいいのか。そもそも恋愛は不得意な分野だ。だが顔で思いを伝えるのではないのだからとなんとか頭を回転させ、よそよそしくなく丁寧に言葉を継ごうとした。

「あのね、和彦君。私はあなたのことを弟のように思ってるの。だから弟に対する愛情って家族に対しての愛情であって恋とは違う感情だと思うの。つまりそれは動物に例えると…..そうね、海の中の動物じゃ説明しにくいから陸上の動物で例えるけどね。それは_」

と、そこまで言って再び言葉に詰まったが、和彦の顔に浮かぶ表情と言えば、ただ黙ってこちらを見ているといっただけで大きな変化は見られなかった。そしてつくしが詰まった言葉の先を引き取った。

「牧野先生。動物に例える必要はないです。僕の告白は初めから失敗していましたから。
僕は先生に会ってからも先生の事を先生としか呼べないでいる。もし恋人になって欲しいなら先生ではなく牧野さんと呼ぶべきでした。もしくはつくしさんです。それなのに僕は中学生の頃と同じで牧野先生と呼んでしまった。これじゃあ先生も僕のことを恋人にしようだなんて思わないですよね?いつまでたっても僕のことは教え子の中学生としか見れませんよね?」

そこまで言って和彦は複雑な笑いを浮かべた。
だからその言葉と表情につくしは自分が言いたいことは分かってくれたと思い「和彦君。ごめんね」と言ったが和彦は、でも、と言葉を継いだ。
そして複雑な笑みを浮かべていた顔には冷静さが浮かび、声は初めて訊く暗い声がした。

「牧野さん。僕は今日からあなたのことを牧野さんと呼びます。あなたは僕の初恋の人です。たとえ思いが叶えられなかったとしても、それは一生変わりません。だからこそ僕はあなたを諦めたくない」





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2019
01.12

理想の恋の見つけ方 58

冬だというのにコートを着れば汗ばむといった暖かい午後。
つくしは研究室でぼんやりと窓の外を眺めていた。
夜の電話の男性から、道明寺副社長の話を訊いてあげてもいいのでは、と言われたが、そう簡単にはいかなかった。
男性には言わなかったが、いきなりキスをされたこともだが、経済界のサメといわれる道明寺司という人物はつくしにとって強烈過ぎるからだ。

その強烈さというのが、学問というつくしの世界になかったに過ぎないと言われれば、そうなのかもしれないが、突然キスをされ驚き、じっと注がれる視線に頬が熱くなりながらも、なんとか目を合わせ気持ちに応えることは出来ないと言って応接室を後にした。
だが廊下へ出た途端エレベーターを目指し小走りで駆け出していた。

あの時危険だと思ったから自然と駆け出していた。
そうだ。コロンの香りに混じるのは危険な香りだった。
サメという高次捕食者の摂餌行動は種類によって違い、大物を狩る種類もいれば、ジンベイザメやメガマウスのように大きいプランクトンを一挙にろ過して食べるものもいて、深海で暮らすカグラザメのように生物が死んで上から落ちて来た時にそれを食べるものもいる。

そして道明寺司という人物は、間違いなくアザラシやオットセイといった大物を狩るホホジロザメだ。
だがサメはいつでもお腹を空かせているのではない。
平均してサメ類は年間で自分の体重の5倍ほどのエサを食べている。それはサメと同じく高次捕食者で同等の大きさであるイルカがサメの7倍と言われる摂餌量に比べれば少なかった。
そしてイルカはサメが1週間に食べる量を1日で食べてしまうが、それは哺乳類であるイルカは恒温動物でエネルギーを多く使用するからだが、サメは変温動物で水温に体温を合わせることが出来るため、沢山のエネルギーを必要としない。
だから冷たい所に棲んでいるサメは代謝が激しくない。つまり餌はあまり必要ない。


だからそれを考えれば、道明寺副社長のあの行動は、たまたまお腹を空かせていて身近に女性がいないことからああいった行動を取ったのではないか。餌に飢えていたサメの本能がそうさせたに過ぎないとも言えた。だから本気ではないと思った。けれど電話の男性は、自分と同じ35歳の男の好きだという意志表示は遊びではなく真剣なはずだと言った。

そしてそんな話をしながら知ったのは、電話の男性は結婚願望がないということ。
そのことがどこか寂しく感じられたのは、その人に対してときめく気持ちがあったからだ。
電話の男性になら話すことが出来た道明寺副社長に対する考え。
だがそれは相手が誰だか分からないからこそ言えることがあった。
それは顔も知らない赤の他人であり、どこかですれ違ったとしても分からないのだから言えるという安心感がそうさせたのだろう。

しかし電話だけの相手に自分の人生の全てを語るということまでは出来なかった。
それはつい口にしてしまった男性と付き合う事は勇気がいるということだが、電話の向こうにいる男性はそのことには触れなかった。
それがプライバシーを重視しようと言った言葉がそうさせたとしても、訊いて欲しいという思いと、訊かないで欲しいという思いが半々あったが、訊かれなかった以上相手はそのことに興味がないということだ。だから話すことはなかったが、つくしが多少のときめきを持っていたとしても、相手は単なる話し相手としか考えていないということになる。

だがそれでもいいと思えるのは、今の自分は落ち着くべき場所に落ち着いていて人生に不満はないからだ。
いや。だが誰でも幾らかの不満というものはある。それは小さかったり大きかったりと色々だが、そのことを嘆いたところで何も変わることはない。
それに現実と対峙して生きて行くことを決めたのだから過去を嘆くことはしない。
つらい気持ちになったこともあったが、嘆くくらいなら活き活きと自分らしく生きていく方が幸せだと思っている。そして時は移ろうのではなく積み上がっていくものであり、もう間もなく35歳の誕生日を迎えるが、年を取ることに対して嫌だという思いはなかった。

けれど、どんな人間でも時に愚痴を吐きたくなることもあるはずだ。
それでも愚痴を吐いたところで何かが変わるということはない。
そしてつくしは、あのことが起こる以前の自分も後の自分も何も変わったとは思っていない。
ただ、こうして自分の気持が和んでいるのは、電話の向こうから話しかけてくれる人が自分にとってのセラピストのように思えたからだ。
それは人というのは、何か悩んでいることがあるとすれば、話を訊いてもらえることだけでも違うということだ。

だが自分は一体何がしたいのか。
夜の電話の男性に対しての思いは初めの頃とは変わって来ていた。
そしてその男性からは決して会うことを求めないと言われたが、この先も会わずにどれほど関係を育んでいくことが出来るのか。果たして自分は会わずにいることが出来るだろうか。会わないままの繋がりといったものを、いつまで続けることが出来るのか。
もしつくしが電話をかけることを止めた時、その人はかけてくるだろうか。いつの間にかそんなことを考え始めていた。
そしてその人に若林和彦の思いを受け入れることは出来ないと言ったが、まだ当の本人に告げられずにいた。


「つくし」と、つくしは断固とした口調で自分自身に言った。
「断るなら早くするべきよ。和彦くんなら6歳も年上の女じゃなくてもっと若い女性がお似合いだって言えばいいのよ。いくら時間をかけて考えてくれと言われたからってどんなに時間をかけても答えは変わらないんだから」

そしてそう言って口に出したとき、ドアがノックされ「どうぞ」と、言ったが、ドアが開かれ顔だけを覗かせた桜子は、「先輩。お客様ですがどうしますか?」と言った。





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